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タグ:村上春樹 ( 13 ) タグの人気記事

ライ麦畑とサリンジャー2

「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」を読んだ感想は・・・

この「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という本を巡って、

これほど深い対話が可能だということが 驚きだった。


私には、こちらの本がとても興味深かった。

小説家村上春樹と、アメリカ文学研究者、翻訳家、

東大名誉教授の柴田元幸氏との対話は

知的好奇心に満ち満ちていて、スリリングで愉しい。


(昨年末に わたしは柴田元幸訳で

レアード・ハント作「優しい鬼」を読んだ。

魂を揺さぶる不思議な物語に 胸の鼓動が高鳴り 

夢中になった・・・)


ふたりは、主人公ホールディンの隠れた感情や劣等感を読み解き、

怜悧なまなざしで サリンジャーの人生にも迫る。

夢中で読み終えた。


<以下一部引用> 

村上春樹

~だってこの本を読む人がみんな、ライ麦畑に潜んで

子どもの捕まえ手になりたいと思っているわけではないですよ。

そういう問題ではないんですね。


ホールディンが精神的にそういう場所に行かざるを得ないという

ルートは、それなりにひしひしと理解できる、とそういうこと

だと思うんですよね。


ホールデンがちょっと特殊だということは、

ほとんどの読者にはわかるんです。

でもホールデンは特殊であることによって、

読者のいろんな事情を吸い上げていくんです。

それがホールデンという人物の機能なんです。


イノセントへの傾斜というのは、その機能のひとつに過ぎません。

事象の流動性と関連性の中に、ホールデンが自分の魂の託し場所を

探し求めるという動きに、いちばん大事な意味があると思うし、

その動きをはずして、イノセンスみたいなものを梃子にして

この話を解析していくことには、かなり無理があるだろうと。


もっとスパンを大きくとって、文学という容れ物に

あてはめて考えれば、イノセンスに代わるものは必ずあります。

たとえばそれは愛情です。

広義な意味での愛情。

それは消費され尽くしたりしません。アイテムじゃないから。


そういうふうに考えていくと「キャッチャー」という小説のなかには、

ほんとうの意味での愛はないですね。

ホールデンは優しさを持っているけれど、だれかを真剣には愛さない。


しかしこの本をほめるのって、なかなか難しいですね。

あれこれ文句をつけるのは簡単なんだけど。

でもそれにもかかわらず、だれがなんと言おうと、

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というのは、

はっきりとした力を持った素晴らしい小説なんです。


五十年以上、どんなに消費されても、

輝きを失わずに生き残っているんです。




by yuko8739 | 2019-05-03 12:27 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「1Q84年」を読んで

冒頭からこの物語に 一気にひき込まれた。

高速道路の渋滞から逃れようと、タクシーを降りて非常階段を
降りる青豆という女性、その秘密の仕事、現在と過去。
家族が所属していた宗教団体のために 過酷でハードで、
孤独な幼少期を過ごした。

小学4年生の時に ただ一度万感の思いで 自分を守ってくれた
男の子天悟の手を握った。
そしてその男の子を一生愛し続けると 自分に誓った。


その男の子天悟には 母がいない。
NHK集金人の父に連れまわされ、「集金」に同行する。
普通の子どものように 休日を楽しむこともなく。
同級生の目を意識して 自分を恥じて育った。

いつの頃から、父ではない男に抱かれている母の幻影が脳裏に浮かぶ。
小学4年生の時に 孤独で無口なひとりぼっちの女の子に
強く手を握られた。
その女の子を 忘れることができない。


運命というのだろうか、宿命か?
ここは1984年ではなく1Q84年なのか。
運命の糸は次第に 生きもののように絡まり伸びてゆく。
求めて焦がれる恋の相手に 近づいてゆく。

人生に一度だけの運命の恋を 村上春樹が描くと
こんなふうになるのか・・・
普通ではない世界。
宗教とさまざまな暴力と孤独な人々。
ふたつの月が夜空に浮かぶ世界。

誰かの口から出てくる小人 リトルピープルがつむぐ
空気さなぎってなんだろう、こいつらは誰だ?

青豆と天悟の恋と孤独はリアルなので こんなに不思議な世界のなかを 
つい先を読みたくて 走ってしまう私。

村上春樹の小説は 理屈で読む本ではない。
彼の魂のなかで紡がれた 心理的で個人的、かつ象徴的な物語。
象徴だから 不思議は当然。

読み手の私は 青豆と天悟を次第に深く理解し愛してゆくので、
このふたりの恋の成就だけを祈ってしまうが、
なにせ月がふたつある世界、在り得ない危険が迫ったり、
最後まで 親のことはわからなかったりと謎だらけ。

説明ですべてがほどけてゆく物語ではないから、その世界で起きる
全てのことを受容しながら この永遠の恋人たちと
歩かなくてはならない。
違う世界で起きている 孤独なふたりの「道行き」に同行している気分。

主人公2人を取り巻く人々も 最高に魅力的な人物たちだった。
青豆を守るという指令を受けている タマル。
孤独でかなしい生い立ちで 親の顔も知らずに育ち、
そのまま裏の世界で生きてきたプロだが、その教養も感性もすばらしい!

命令とあれば、躊躇いなく人を殺しかねないし、どんなことも
しかねない恐ろしさを持つ彼だが、
青豆に対しての「プロ同士の友情?愛情」を感じることは すてきだった。
弧独な人間の間にも 通じ合う感情と信頼が確かにある。

そして忘れがたいのが、もうひとりの私立探偵?勘が鋭い牛河。
醜悪な容姿ゆえに 他人に好かれることなどなく。
人生の幸福をすべて失いながら 鋭い勘で裏社会を渡り歩くことを
仕事にしている。 

そういう人生を、牛河は良くもないが 悪くもないと感じている。
感情を交えない観察眼で 鋭く真実を見抜く。
諦めないで 着実に狙った事実に迫る。
この孤独と不幸を重く背負いながらも 懸命に生きる。

彼自身も 一度は経験した普通の暮らしの幸せを幻のように 
胸に抱いている。
夫であり 父であったあの頃・・・あれは現実だったのだろうか。
牛河はなぜか 滑稽の極みでかなしい。


そして私が深い印象を受けたのは、「さきがけ」という宗教団体の
リーダーと青豆が会う場面。
このシーンは つい何度も(今でも)読み返してしまう。
この出会いの意味も運命的で 肉体と人生の不思議に満ちて
示唆に富んでいる。

この大柄な体躯を持つ預言者のような男は 未来も過去も
見通せるパワーを持つが 激しい痛みに苦しんでいる。
このリーダーの人物造形が なんと魅力的だろう!

そして 透明で人間離れしている、ふかえり(深田絵里子)は
リトル・ピープルに対抗するパワーの象徴か・・・?
彼女にも大いに好奇心を揺さぶられた、興味深い。
巫女のようだった彼女は ふいに現れ 不意に消えるが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このように、この本では主人公の男女以外の登場人物についても、
生まれや来歴がかなり詳しく 記述されている。
それぞれの人物の複雑で過酷な人生に 深い理解と愛情が
自然に生まれてくる。

6冊もの本を 毎晩夢中になって読み進めてきた。
もちろん 彼の小説には説明のない事象も多く現れる。
魂深くの冒険には 謎が多い。

しかし、月がふたつ浮かぶ世界「1Q84年」でなければ、
青豆と天悟は出会わなかったのだ。
この世界の転換、往来は ごく普通の私たちにも
魂のできごととしては 大いに起こり得ることだろう。

何かのできごとが人生に起きる意味とは まさに魂のこの転換を
促すためでもあるのかもしれない。
村上春樹の「1Q84年」ほどではないにしても 
人生の不思議は私の周りにも 誰の隣でも起きることなのだと思う。

私たちのすぐそばで 新しい世界は今まさに 
ドアを開こうとしているのかもしれない。
出会いと別れ、病気や死、誕生もすべて新しい扉か・・・

それにしても村上春樹の物語は なんと興味深くておもしろいのだろう!
by yuko8739 | 2018-11-21 10:04 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「1Q84年」を読みはじめて

昨年春、私は今までどうしても苦手で 読み進められなかった
村上春樹の最高傑作と称される「ねじまき鳥クロニクル」を読んで
一気にひき込まれた。

物語のおもしろさ、予想を覆すさまざまな仕掛け、
以前はあんなに 嫌だったのに・・・
この作家は深層心理のなかのできごとを 物語っているのだと
わかってから、彼の本が好きになり次々と読み進んだ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「海辺のカフカ」
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
短編も読んだが、彼の魅力はやはり長編にあると思う。

「海辺のカフカ」のHPが一冊の本になったと聞いて、
中古本を購入したが これはとてもおもしろかった!
厚い本だが 読者のメールにときにはユーモアたっぷりに
だが真摯に 誠実に作者は応えていた。

なんだか、ハルキストになりかけたが、他の本も読んでいた。
今年になって初夏に、G・オーウェルの「一九八四年」を読んで
衝撃を受けた。

全体主義の恐怖というものを深く味わうためには この本以上の
書物はないと思う。
長い間、この本の恐怖と不安から 私は離れられなかった。

そしてふと思った。
村上春樹も書いている、「1Q84年」という小説を。
これは G・オーウェルへのオマージュだろうか・・・
そういうことなら読んでみなくては!と思って 中古の文庫本6冊を購入。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この本には ちょっとした思い出がある。
数年前の真冬に、洞爺湖温泉のホテルで夜に取材の仕事があった。
早目に着いたので ホテルのロビーの書棚に「1Q84年」という
本があったので 何気なく手に取り 読みはじめた。
その頃は まだ村上春樹は苦手だった。

青豆という変わった名前の女性が タクシーから降りてゆく
冒頭からひき込まれたが 仕事が始まる時間になった。
残念ながらタイムアップ!この先を読みたいなあと思いながら本を戻した。
またいつか この本に出会うのかもしれないと思った。

今、その本を読む就寝前の時間が 至福の時間。
今は5冊目を読んでいるが、読み終わるのが惜しい。
だが、どうなる?どうする?と どんどん目が先走ってしまう。

本が 私を特別な「1Q84年」に、
月がふたつ夜空に浮かぶ世界に 連れて行く・・・

確かに村上春樹の本は 自己陶酔的かもしれないし
男女差別意識も感じないわけではない。
やっぱり究極的には「男の成長物語」なのだ。

そしていくら深層心理の物語だとしても セックスや暴力の描写も。
ときとして 顔を背けたくなるほどに。
でも、そういうものが 私のなかにないのか?と問えば 
どこかに・・・そういうものが潜んでいないとはいえない。

それをそのように描かなくては 彼は真実に近づけないのだろう。
自由になれないのかもしれない。
書くことで、作者は最高のエクスタシーを感じているのかもしれない。

この本は基本的には「boy meets girl」のお話し。
果たして運命の人に 青豆は生きて出会えるのだろうか・・・

リトル・ピープルのいる世界は こわい。
私はずっと ふたつの月が浮かぶ世界で どきどきしている。
by yuko8739 | 2018-11-02 23:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)

村上春樹の世界

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読了。
この本は、村上春樹の1985年度の作品。
著者としては初めての書き下ろし長編小説、第21回谷崎潤一郎賞を受賞

この「世界の終わり~」と、「海辺のカフカ」は 水脈が通じていると
いわれるが・・・
近未来の情報戦争?のなかに わけもわからず飲み込まれ 
自分が知らないうちに 天才博士の措置によって 
人生を激変させられる青年の 苦悩と冒険を描く。

そして もうひとつのお話は「世界の終わり」で展開される、
静かで不思議な生活を描いている。
話は交互に進む。
どちらもきっと この物語には必要欠くべからざる ふたつの世界。
このふたつの世界が そのつながりの意味を見出すのは中盤以降のこと。

作者の描く近未来は 企業や政府の謀略と暴力に満ちた情報世界。
映画「ブレードランナー」の退廃と闇の匂いを感じる。
いっぽう、静かな図書館で 一角獣の頭骨から「夢読み」をする青年も
「こころ」を失い、感情のない世界に違和感を持ち始める。

このふたつの世界は どこで融合するのか。
ふたつの世界を統合する「自己」を実現できるのか・・・

なんともいえないラストシーンに、かなりショックを受けたが
今は、読み終えて時間が経ったので、世界の終りではじまる、
森での暮らしを おぼろげにイメージしたりする。

彼の本を読んでいると、物語を読む醍醐味を感じる。
どうしてこれほど 不思議な物語がリアルなのだろう・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「少年カフカ」読書中
今、彼の本を読みながらも アマゾンで入手した古本
「少年カフカ」がおもしろくて 並行して読んでいる。
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「海辺のカフカ」に寄せられた 読者からの1220通あまりのメールに
村上春樹が 答えている。
作者は 手を抜くということがない。
どんな質問にも あくまでも誠実に丁寧に答えている。

そして、くすりと笑ってしまうユーモア。
泣きたくなるくらいの、物書きの真剣さ。
作者と読者が 個性豊かに人生を語り つながる。

なかなかすてきな本だが、1220通ものファンからの
メールへの返事には どれほどの情熱と時間が
必要だったことだろう、驚きに値する。

「自分にとって 一番大切なのは読者。
だから 手間暇は惜しまない」
そんな村上春樹の思いが 伝わる本だ。

この本の表紙に(海辺のカフカにも)使われている、
猫の置物。なんともいえないふんいきがあり とてもすてき!
作者の個人的な持ちものとか。(私はこの置物が欲しい)
因みに村上春樹は 猫好き。
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例えば こんな彼の言葉に こころがトクンとなるのだ。
「僕は基本的に人生は孤独なものだと考えています。
でもそれと同時に、孤独さというチャンネルを通して、
他者とコミュニケートできるはずだと信じています。
僕が小説を書く意味はそのへんにあると考えます」

「でもね、僕は53歳ですが、15歳の少年の話を書くのって
実はそんなに難しくないんです。というのは僕のなかにはまだ
15歳のときの僕がちゃんと生きているからです。
佐伯さんのなかに15歳の少女が生きていたと同じように。
そういうのってほんとに素敵なことなんです。」

私も 実にそう思います。
by yuko8739 | 2017-07-23 00:51 | 読書 | Trackback | Comments(0)

時の流れと今の私

まだまだ、「ハルキスト」への道は遠く楽しい。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」読書中。
めくるめくふたつの世界が どうやって結びつき 新しい世界に
生まれかわるのだろう・・・そして主人公はなにを得るのだろう。

生きているこの人生とは別に、もしかしたら自分にも
「違う」世界があるのかなあ・・・
あったとしたら それはどんな世界だろう。
ふと、そんなことを想う。
私の知らない私に 私は手を伸ばしてみる・・・

未来と過去が ひとつにならない世界は魅力的。
もしかしたら村上春樹という人は、SF作家なのかもしれない。
時空を超える。
異次元へのトリップ。

井戸の底から 無意識の世界へ・・・
一角獣や「やみくろ」、猫の首を切り落とすジョニー・ウォーカー。
そして 猫とお話しのできるナカタさん。(彼が大好き!)
歴史の闇をかき分けて 凄惨な暴力と血の世界。

自分探しという意味と「ロールプレイングゲーム」の手法が 
渾然となって 彼の本には存在するような気がする。
自分を見つけるには 自分の経験や存在だけでは 足りないから。

他の世界の別人格の豊かで深い経験により 自分の本当の姿に
なにか尊い真実が付与されて 人は別の次元に立つことが
できるのではないか・・・
深層心理と神話がひとつになったような物語が 魅力的でないわけがない。


不思議なのは、若い頃の自分は そういうことに気づかなかったということ。
彼の本を読んでも 字面だけを追い、意味など不明で感動もしなかった。

この経験からだけで 思うことではないが、今老いの入口に立ち 
握力もなくなり ときにふらつき。
家事も下手で 要領や段取りも悪くなり、右耳はやや聴こえずらい。
白髪も増え、五十肩や膝の痛みに苦しみ、物忘れや勘違いも多い私。

それでも「今」だから感じること、できることも多いと思う。
村上春樹体験もそうだが、他のことでも そう感じることがある。
若い頃よりも 豊かな一瞬を 深く味わえる「今」を感じている。

感動で 胸がいっぱいになることも数知れず・・・
相変わらず味覚と嗅覚は鋭いし ささやかな日常の歓びを深く感じる。
さまざまなことから より自由になった。

自由なこころで社会を眺めると 不自由で理不尽で不幸なことは多い。
その是正のために 活動したいと願っている。

年を重ねることで もちろん失うことも多い。
もはや 私は1年前の私ではなく 昨日の私でもない。
ただ、今は私の魂は子どものように 歓びに満ちている。
出会いを愉しみ、自分の時間と敬意を 何かのために捧げる。

村上春樹の本の主人公と共に めくるめく想像の翼に乗って
冒険の旅が 今は最高に愉しい。


by yuko8739 | 2017-06-30 11:43 | | Trackback | Comments(0)

村上春樹読書/スマホとシナモンロール

「ねじまき鳥クロニクル」全三巻
「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」
「海辺のカフカ」上下巻
そして、次に私が選んだのは・・・
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」上下巻

他にもアマゾンから 読みたい本は届いている。
5月から 机の上に積み重ねている・・・
北欧ミステリ傑作、アーナルデュル・インドリダソンの「声」、
「悲しみのイレーヌ」(大好きな本「天国でまた会おう」の作者、
ピエール・ルメートル作)も私を待っているのに。

村上春樹の本の独特な魅力に どっぷりと浸かってしまった。
粘液のような深い池に 沈んでいくみたいに。
なかなか抜け出せない。
この沼はめっぽう 気持ちがよい。

この沼には すべてが存在する。
伝説や昔話、ギリシャ悲劇、生霊が現れる平安文学。
深層心理やカウンセリング、ユング心理学、人間のなかの女性性、男性性。
生と死のはざまの場所、そして歴史の闇のこの暗さ。
自分の性とは どういう形をしているのか・・・

自分は どんなふうに新しい自分と出会ったのか。
私とはなにものか?という問いは 生きている限り続くのだから、
いつも村上春樹の本の主人公の隣にいて 伴走してしまう。

どんなに深い絶望やかなしみも 他人事ではない。
答えのない問いを求めて 真剣に目を凝らす。
作者は自分自身のために 小説を書いていると感じたが、
書くことが ひとつの治癒ではないか・・・

それと同じように、物語のなかのさまざまな深い冒険を経て 
読者もそれを読むことで なにかが どこかが癒されていると感じる。
読み込むほどに感じるのは 作者の文章の美しさ、巧みさ、
メタファー(比喩)の比類なき豊かさ。

人生に見え隠れする 象徴としての「できごと」
それは 誰の人生にも存在する。
それが 人の一生を決定するのかもしれない。
それがもしかしたら「運命」ということの 根源かもしれない。

私の人生の そんな象徴に 私は触れたい。

人生は 小説と同じように 奇妙で愛しい・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ほとんど使わなかった携帯電話。
PCで慣れた文字入力に比べると「やってられない!」
とにかく 打ちにくい!
たかが電話、持ち歩ける電話。

長電話も嫌いだし、電話で大切な自分の時間を 
邪魔されるのもイヤで、いつも不携帯だった・・・
でも、スマホを買った

やっぱり 持ち歩きできる小型PC=スマホは おもしろい。
ただ、取説もなく、荒野にひとり立ちつくす思い。
誰かに聞くか、PCを使ってネット検索するか。
それしかない。

PC初心者の頃のように 何もかも初体験。
これは これで新鮮だけど・・・
やっとLINEのプロフィール写真をPCから送り、
保存して 貼り付けることができた。

でもやっぱり 孫ちゃ~~~ん、Help me!と、叫ぶ私。

<野菜のおかずとシナモンロール>

作り置きの野菜おかずで 朝からおいしいご飯。
新玉ねぎとセロリのマリネ、新生姜の佃煮など。
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甥のTに食べてほしくて 焼きたてのシナモンロールを届けた。
まさかのシナモン嫌い?なのに おいしい!とパクパク食べた。
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「おばさんの新生姜の佃煮を食べた思い出があれば 何年も元気でいられる」
そんなことをいうのだ、この子は。
なんて、かわいい!
by yuko8739 | 2017-06-22 16:50 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「海辺のカフカ」感想

田村カフカ少年の「自分探しの旅」
この本は そういう本だったと思う。
15歳にしては とても大人びた少年・・・

孤独な少年の内奥の声は もうひとりの別人格
「カラスと呼ばれる少年」となって彼に語りかけ、会話が生まれる。

母には捨てられ、父の愛を知らず、自分とはなにかという問いを
胸に抱えたまま、無口で内省的な15歳の少年は、
周到な準備の後に あてもなく出奔する。

「父を殺し母や姉と交わる」という父の呪いから 逃げるために。
自分を守るために。
まるでギリシャ悲劇のようだ。

この本には 重要なもうひとつの物語がある。
第二次世界大戦末期、突然 理由もなく意識を失った小学生たちがいた。
「お椀山集団昏睡事件」子どもたちは数時間で覚醒し 何事もなく
元の生活に戻ったが、そのなかのひとり、聡明なナカタ君だけは
長く意識が戻らなかった。

その聡明だったナカタ少年は すべての記憶を失って覚醒する。
しかしそれ以来 文字を読むことも 書くことも 記憶することもできなくなった。
大人になってからは家具職人として働き その後は生活保護を受けながら 
猫とおしゃべりができるナカタさんは 老人となった。

このナカタさんの人物造形が途方もなく魅力的で美しい!
無心、無欲、優しいこころ、神さまがこの世に降りてきたなら、
このような「形」を取るだろうと思う。

カフカ少年とナカタさん、このふたつのお話が交互に時代を変えて
語られる。簡単な構成ではないが そのリズムは心地よい。
しかし物語の解釈は 読者に任されている。

自分がどのように感じるか、考えるのか、結論するのかによって
ずいぶんとストーリーは 変わってしまうと思う。
いわば、未完成の物語に息を吹き込むのは 読み手のイマジネーションだろうか・・・

この本の読者から ずいぶん多くの感想や質問が届き、
それがまた1冊の本になったと聞く。(「少年カフカ」新潮社刊)
それくらい解釈の自由度が高い本とだと言える。
作者も 読み手の自由を尊重しているという。

ということならば、私の解釈は・・・
父の呪いから解放され、自由になるためのカフカ少年の不思議な旅。
ナカタさんは 過去と現実、死と生のはざまで少年を救うために
存在した、救世主。

誰にとっても、自分は何者か?という問いは 死ぬまで続く。
その問いの一部に 答えを示すこの本は救いでもある。
呪いも 憎しみも 愛も 解決するのには(折り合うだけでも)
一生でも足りない。
 
しかしメタファー(隠喩)を剣として 想像力の翼に乗れば、
終らない物語を 終わりにできる。
そんな気がした。

そして、カフカ少年とナカタ老人の旅は、 
長くて 深い 想像を絶するような冒険だった。
奇妙な怪物も 出てくる。 

まるで、誰の人生とも 重なるような・・・
いつでも人生は 
誰の人生でも 想像を絶することが起きる。

私があの世に行ったときは、 
やさしいナカタさんに 案内してもらいたい。
猫語を教えてもらいながら、しっかりと手をつないで・・・
by yuko8739 | 2017-06-20 17:01 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

やっぱり1日で読了した。

高校時代に、とても仲がよくて 気も合って ここが自分の
居場所と 心から思える完璧な調和の4人の仲間たち。
大学に入っても、帰省しては語り合い その仲間に属していることが
幸せだった主人公、田崎つくるは 突然その仲間から
理由もわからずに 完全に拒否され はじき出されてしまう。

どうしてか、わからない・・・暗い海に 投げ捨てられたよう。
帰る場所が なくなった。
理由を聞く気にもなれないほど つくるは混乱し、絶望する。
半年もの間、死ぬことだけを考えて 人格も身体も別のものに変わった。

それから 長い16年もの年月を経て つくるは仲間に会いにいく。
なぜ、自分は あのように扱われなければならなかったのか。
その理由を知るために。
そのことと 向かい合うために。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本を読んでいて、自分にも似たようなことがあることを思い出した。
ごく親しい高校時代の友だち、中年になってからも時々会って、
親しく深く 会話した。

ある年の暮れから 一切のメールも手紙もなくなった。
なにがあったのか わからない。
答えのない問いばかりが繰り返される、どうして?どうした?
このままだと 苦しい。

私がなにかしたのなら、それを話して。
「あなたが傷つくと思うので それは言えない」
私は理由がわからないことに より深く傷つき 彼女から離れた。
考えても いまだにわからない。
いまだに終わらない 私の混乱と怒りを 思い出した。

互いに友だちの少なかった十代の頃から 深く本音で語り合う
友情を育んだつもりだったのに、あなたは私に
なぜ こんな仕打ちをしたのだろう、消えない傷・・・



田崎つくるさん、あなたは少なくとも その理由を知った。
私は いまだにこの魂の隙間に「どうして?」という痛みを残したまま。
あなたほど苦しみもしなかったし、他にも友達はいたけれど。

だから、主人公のやるせなさ、人を信じることの怖さが 
私にもわかる気がした。
とくに 理由がわからないということに対しての混乱が。

その後の人生を「色彩を持たない」自分として 生きる辛さが
身に沁みる。
こころの内側は 閉じてしまっている。
それだけ 怖くてたまらないのだ。

ひとり、親友と言えるほどの友だち、灰田とよい関係を築いたかに
思えたが、突然灰田は去ってしまう。
忽然と つくるの前から姿を消した。

人生の不条理を 作者はこのエピソードで描きたかっただろうか。
あんなにすばらしい友情を得たかに思えた瞬間に 友が去った。
理由も 何もかもわからないまま。
最後まで その謎は明かされない。


しかし、中年になった今、恋人の後押しによって、
十代に出会ったすばらしい仲間たち、自分の居場所を 
中年の今辿り歩く。
それこそが 彼の「巡礼」なのだ。

出会った3人と本音で話すことで つくるは癒されていく。
それぞれの友は つくるを失ってしまったことで もうあの5人の輝きは
帰ってこなかった、失ったと語る。
完全なバランスをとっていた5人は だれが欠けても元通りにはならない。

そして、つくるのなかでは だれもが傷つかずに生きていけなかった
という意味において 仲間は まだ仲間のままなのだ。
失われたかに思えた絆を 確かめる巡礼でもあった。
死と再生の物語。
この文章が 深く心に残った。

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。
魂のいちばん底の部分で田崎つくるは理解した。
人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。
それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。
痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。
悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、
痛切な喪失を通り抜けない受容はない。
それが真の調和の根底にあるものなのだ。

この言葉に 魂は深く打たれた。



by yuko8739 | 2017-05-26 12:10 | 読書 | Trackback | Comments(0)

大人になるということ

以下、「内田樹研究室」
~村上春樹の系譜と構造~より引用

男たちは誰も人生のある時点で少年期との訣別を経験します。
「通過儀礼」と呼ばれるそのプロセスを通り過ぎたあとに、
男たちは自分がもう「少年」ではないこと、
自分の中にかつてあった無垢で純良なもの、傷つきやすさ、
信じやすさ、優しさ、無思慮といった資質が決定的に
失われたことを知ります。

それを切り捨てないと「大人の男」になれない。
そういう決まりなのです。けれども、それは確かに
自分の中にあった自分の生命の一部分です。

それを切除した傷口からは血が流れ続け、傷跡の痛みは
長く消えることがありません。ですから、男子の通過儀礼を
持つ社会集団は「アドレッセンスの喪失」(少年期との決別)が
もたらす苦痛を 癒すための物語を用意しなければならない。

それは「もう一人の自分」との訣別の物語です。
弱く、透明で、はかなく、無垢で、傷つきやすい
「もう一人の自分」と過ごした短く、輝かしく、心ときめく
「夏休み」の後に、不意に永遠の訣別のときが到来する。

それは外形的には友情とその終わりの物語ですけれど、
本質的には おのれ自身の穏やかで満ち足りた少年期と訣別し、
成熟への階梯を登り始めた「元少年」たちの悔いと喪失感を
癒すための自分自身との訣別の物語なのです。

もちろんすべての男たちがそのような物語を
切望しているわけではありません。
そのような物語をとくに必要としない男たちもいます。

「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことの
なかった男たちはおのれの幼児性をそのままにひきずって
外形的にだけ大人になります。
私たちのまわりにもたくさんいます。

外側は脂ぎった中年男であったり、不機嫌そうな老人で
あったりするけれど、中身は幼児のままという男はいくらでもいます。

彼らは「アドレッセンスの喪失」を経験していないので、
その喪失感を癒すための物語を別に必要とはしていません。

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人間の成熟って どういうことだろう。
内田樹氏が、村上春樹の小説を論じた文章は、「男」の成熟について、
書いてあって なかなか興味深いが、女は?
男の成熟があるのなら 女の成熟ってどういうことだろう。

男女問わず、青年期には自我の確立に伴い、葛藤や痛みが生じる時期。
一心同体だった親と離れなくては 大人になれない。
つまり「子ども」だった自分との決別。

でもそのことは もしかしたら一生をかける「仕事」だという気がする。
大人になっても強い形で 親への依存が消えない場合もある。
肉体的にも 精神的にも(可能なら)ずっと 子どもでいたい根源的な願望が
人間には あるのかもしれない。
シニア男性が妻を子守り役にしたがるのは、そういうことではないか。

しかし、人は大人になる階段を登っている。
親だけにすがるのではなく、自分の理想や希望、親以外の友や仲間と
新しく関係を創って いかなくてはならない、つまり自分だけの人生を
創っていかなくてはならない。
もちろん、それは「親捨て」ということではない。

親への愛と敬意を大事にしながら、「依存しない」という覚悟が子どもには必要だ。
依存しないで生きていくことを、自覚しなければならないと思う。
まさに「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことの
なかった男たち(女たちも?)はおのれの幼児性をそのままにひきずって
外形的にだけ大人になります」
その通り!!!

成熟ということに関しては 男女差はないだろう。
現代に多い、「母子密着型」の親子は、一見友達のように仲がよい。
しかし 仲良きことは 本当に「美しい」だろうか。
母子ともに 互いに無批判で 同じ価値観だけで人生に向かうのでは、
そこに人間の「個」としての輝きは薄い、まるで双子のように同じ形に見える。

男も女も すべて「個人」として生きるのでなくては 成熟した生き方には
ならないのではないか。
依存させ続ける親、過干渉の親は子どもの成熟をどこまでも 阻むことになる。

親には、依存したいが 依存しないと覚悟を決める。
そして ひとりの大人として 親への愛と敬意は惜しみなく注ぐ。
親を含めて 他人と適正な距離を取ることは 大事なこと。

ひとりの時間、自分と対話する時間を持つこと。
そして自分の流儀は 他人には通用しないと認識すること。

そういう人間の形が 私の理想かもしれない。
by yuko8739 | 2017-05-21 09:25 | | Trackback | Comments(0)

「ねじまき鳥クロニクル」を読んで

(物語のあらすじも多少書いてあります、ご注意ください)
私が「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ印象は・・・
作者は、魂の内界で起きることを象徴的な「人物」や「事柄」で
描こうとした気がする。

それはやはり神話の世界の隠喩(メタファー)を散りばめた世界。
魂の深い場所に降りれば降りるほど、その世界は集合的無意識に近づき、
神話の世界と同じような物語となる。

この本のテーマは、やはり「異界に去った妻を見つける話」と、
「善と悪の戦い」だろう。世界各地に伝わる 神話の定型だ。

多彩で不思議な登場人物が織りなす 複雑で怪奇な世界が魅力的。
そういう人物からの掲示や予言、そして井戸や顔のあざも
なんと象徴的だろうか!


そしてもうひとつのテーマは「暴力と死」そして再生。
人間を損なう究極の悪や集団的暴力、つまり戦時の満州国の、
ノモンハン事件や同じく終戦のころの中国の動物園での
動物や中国人殺傷事件が リアルな臨場感を持って描かれていた。

思わず、胸が詰まり、読み進めるのが痛くなるほど。
その残虐さに 恐怖で鼓動が高まる。
しかし読むのが辛くなるほどの暴力性が自分のなかに「ない」と
言い切れるのか?
殺されるよりは 殺すのではないのか、私も。
そう自問する自分もいた。

時代の闇に隠れている本質的で凶暴なパワーを わかったふりをして
無視していいのか?
その無責任と無関心は 自分をどこに運ぶのだ?

暴力を最大化したものが戦争ならば その現象のリアルに直面し、
顔をそむけずに正対し、それでもその苦悩からも 
なお深い命のメッセージを受け取り・・・
妻を取り戻すために、人間を損なうものと闘うために 
主人公はすべてを 経験する。

多くの不思議な出会いは このためにあったのだ。  
起きたことの意味は 分からないままでも。
そんな主人公にとっては 異界と通じる井戸が必要だった。

そこでは現実世界の自分は消失し、違う世界の違う自分になる。
その自分でなければ できないことがあるのだ。
井戸のなかでのできごとは 禁欲的な修行のようで
どきどきするほど スリリング。

昔、似たような感覚を持ったことがあるかもしれない。
デビット・リンチのドラマ「ツインピークス」
はじめて出会った不思議なドラマに 夢中になった。

壁を抜けた主人公は 宿敵ワタヤノボルをバッドで殴り殺す。
ラスト、妻はまだ戻らない。
しかし、確実に妻は戻るだろう、いつかは・・・


そのために 主人公の意識下の異界への旅は必要なことだった。
ある意味で 私たちが生きている現実世界と異界とは 通じていて
「共時性:意味のある偶然の一致」をも示したことは感動的だった。

傷つきながらも諦めなかった主人公の強い願いが 
成就した終章に 安堵と深い満足を感じた。

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「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
1日で この本を読み終えた。

作者自身が 自己治癒のための方法のひとつとして小説を書いた。
そんな言葉が 新鮮だった。
また、なぜさまざまな人物が出てきたのかも わからないと作者は語る。
書いたのは自分でも 書いたことの意味は解らない。

この本で作者は はじめて妻を描いたらしい。
そして、今まで「デタッチメント」(かかわりのなさ)を描いてきたが、
ねじまき鳥クロニクルで はじめて「コミットメント」(かかわり)を描いたという。
この本は、作者の魂がそのようにダイナミックに変換した作品だったのか。

作中で ノモンハンを描いたのは・・・
「ぼくが思ったのは、日本における個人を追求していくと、
歴史に行くしかないんじゃないかという気がするのです。
歴史という縦の糸をもってくることで 日本のなかで生きる
個人というのは、もっとわかりやすくなるのではないかと
いう気がなぜかしたのです」

「今の日本の社会が、戦争が終わって、いろいろつくり直されても、
何にも変わっていない、ということに気がついてくる。
それが僕がノモンハンを書きたかったひとつの理由でもあるのです」

「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずの
ない壁を超えてつながる、というコミットメントのありように、
僕は非常に惹かれたのだと思います」

「小説の方が先へ行って、自分自身はそのイメージを
まだ探している途中」・・・
本質的には 多分、それはこの小説自体が「心理療法」のようなもの、
と河合隼雄さんは言う。

ふたりの対話は相当に奥深くて 心理療法や歴史などにも言及した
知的興奮を感じる 豊かな世界だった。


もしかして ワタヤノボルという人物こそ「裏返しの自分」だった
かもしれない。つまり自分の影。

自分と自分の影が よい形で統合できることこそ、
人が生きる究極の目的かもしれない。
そんな深読みを 自由にできることも 読書の最大の快楽だろう。

共時性といえば、こうして村上春樹や河合隼雄氏のことを考えていたら。
内田樹氏のブログで「村上春樹の系譜と構造」という文が掲載されていた。

なんだか、ねじまき鳥は、いろんなものを連れてくる!



by yuko8739 | 2017-05-16 11:31 | 読書 | Trackback | Comments(0)