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ゆうゆうタイム

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タグ:人生 ( 14 ) タグの人気記事

2018かなしさの果てに

日々、そんなに大きなことは起きない。
幸いなことに 戦争の不幸や悲劇はないし 
飢える苦しみもない。
贅沢さえしなければ 食べものに困らない。

年金は目減りする一方だし、社会に正義は行われないけれど。
さまざまな差別への憤りは 沸点を超えてしまうが。



それでも、そのことに慣れようと 大人の対応で済ませていること、
つまり魂の奥底に沈めていた感情が噴出し、それに支配され 
取りつかれてしまうことがある。
誰かが なにかが それを私のなかから引っ張り出してしまう。
かなしみの爆弾に 点火してしまったか。

誰かにとっては どうでもいいことだろう。
些末なことだ。
でもつまり、当事者の私は 感情の大波を受けて揺れてしまう。
かなしさの果てに、沈みそうになる。

胸の奥深くで固まっていた感情が 溶けだした。
意識のなかに漂いはじめた。
また、しばらくは自問自答しなければならない。
かなしさという名の猛獣を 飼いならさなければならない。


たぶん、生きていくって 生きているって 
こういうことだろう。
私の夢みる世界は 私が生きやすいように創った幻かもしれない。
どんなことにも絶望するのには慣れている、長く生きてきたから。
こんなことは よくあること。


愛には 反逆される。
願いは成就されず、空っぽの希望だけを抱きしめている。
自らの空白に 立ちつくす。

それでも 自らに問い、自らが答えを与える人生を
ひとりで生きるしかない・・・

自分自身を子守りしながら なだめすかしながら
そのかなしみを抱きしめながら 
また歩きはじめる。
by yuko8739 | 2019-01-08 12:23 | | Trackback | Comments(0)

穴のなか

私は今 何年かぶりに 深い穴を掘っている・・・
なにも聴こえず なにもない穴の底で ただ膝を抱えている
運命の残酷に 身を焦がしながら

暗くて深い穴の底で 自分が壊れずにすみますようにと
祈っている

こういうことを なんというのだろうか
晴天の霹靂と いうのだろうか
自分の人生に 暗くて冷たいものが 襲いかかってきた。
日常が 消えた

だから穴を掘って 逃げ込むしかない
なにも聴こえないし 誰もいない穴のなか
時間が経ったら 出てゆける
でも今はまだ ここにいる


神さま、そのことは私が受け入れるべき現実なのですか?
あまりにも 酷いではありませんか
なぜ?
なぜ?
なぜ?

重荷を もっと背負えと?
もう私にも 力はそんなに残っていない
自分を保つのだけで 精いっぱいです

そんな穏やかな日常を 運命の尖ったナイフが切り裂いた
取り戻せない時間・・・
日々の穏やかな幸せが 消えていく
 
いやいや、失ったものを追わずに、
今は今のことだけを思おう

それしか考えない
先のことなど わからない
未来を思う力は 今の私にはない
暗くて静かな穴のなかで 今だけを思う
今のこのときだけを 思う



私には こういう人生が また与えられた・・・
今までもずいぶん さまざまなことと闘ってきた。
苦渋と自責、孤立と孤独。
人生の終わりの時期に 再び問われ 自分と闘うことに?

この運命、この人生からは 逃れるすべはなく

今少しだけは ここにいよう
母の胎内のような 暗い穴のなかで・・・

  
by yuko8739 | 2018-09-14 12:55 | | Trackback | Comments(2)

かなしみを抱きしめて

仕事の忙しい期間が過ぎて 気温も涼しくなり普段の寝不足を解消すべく昼寝をした。
そうしたら 夢をみた。
いつまでも 多分消えることがない 私のかなしみについての夢だった。

どういうわけか、私には不本意だが 神さまに
「このかなしみを 抱いて生きるのだよ」
そう言われているような気が する。

相手がいることだから 私ひとりでは解決できない。
自分では 誠実に真摯に 可能な限りの手は尽くしたと思う。
もうずいぶん年月は過ぎたが、かなしさは 変わらない。
なぜそうなのか? それもよく私には わからない。

生きている間に もう変わることはないのかもしれない。
私が死んでしまっても 変わらないかもしれない。
それでもいいと 覚悟はできているつもりだが。



それでも こんな夢をみると とてもかなしい。
わかっていても。
そうだろうと思っていても、かなしい。

私の孤独の底には 多くのかなしさがあるけれど 
これは 耐え難いと感じるかなしさのひとつかもしれない。

そして多分、ほとんどの人は 胸のなかに耐え難いかなしさを
持っているのだと思う。
かなしさのない人など どこにもいない・・・

このさみしさを 消すためなら なんだってするのに。
そう思いながら みた夢を想う・・・

なにも できないままで。
by yuko8739 | 2017-07-30 09:40 | Trackback | Comments(0)

恋と愛について、再びの考察

恋が 暮らしのなかの煩雑な問題や大きな苦悩の前では、
確かに輝きを失くすことが多い。
恋は いつのまにかどこかに消える。

しかし、そう思って暮らしているが、消えてなくなったはずの残り火が
ふと一瞬だけ 胸によみがえることがある。

一瞬だけ・・・長くは続かない。
自分の胸のなかに 焚火のあとのくすぶりを感じる。
煙たいけれど かすかに赤く輝く残り火。

ああ、このきれいな手が私は好きだった。
果てない昔に 夢みていたこの横顔・・・
そんな恋の欠片・・・一瞬だけの。

欠片でも ないよりは あったほうがいい。
若い頃の自分が 灯りのようによみがえるから。
それも全くなくしたら 絶望の闇は増す。

日常は残酷だが 人は生きていかなければならない。
暮しのなかのあちこちに 小さな幸せを探しながら。



友がくれたハナカイドウ(花海棠)の枯れ枝のような小枝。
その新芽から 小さな花のつぼみが現れて その色が増す。
きっともうすぐ咲くだろう、命の春が家のなかにも。

おいしいパンが 焼ける匂い。

私の料理を おいしいと喜ぶ人の笑顔。

家の横の氷が すべて消える春。

きれいな色のストール。

そんな無数の幸せを ひとつ ひとつ抱きしめたい。



恋が消えて 愛もあるのかないのか・・・
それでも 人生、そんなに悪くはない。
by yuko8739 | 2017-03-25 09:11 | | Trackback | Comments(0)

仕事が私にくれたもの

仕事を辞める時期を 数年前から考えてきた。
いわゆる企業の退職は60歳、再雇用を含めても65歳前後だろうか。
以前予定していた自分のその時期よりも 私は少し長く働いた。

今年初入院してみて、仕事を辞める時期を より具体的に考えるようになった。
この数日間仕事に没頭していたが、その最中、ふり返りながら感じていたのは、
この仕事が私にくれたものの 大きさだった。

多くの方と知り合い、興味ある活動と出会い、人生が広がった。
みたことのない景色が みえた。

絵を描く人、ヴァイオリンを創る人、子ども文庫の会、
合唱団の先生、ボランティア、自然の会、太極拳の会、DV被害者救済団体、
スポーツをする人、音楽家、地域のあらゆる職業の方々とお会いした。



私は仕事を通して それまでの若い頃の自分とは 
全く違う人間に なったかもしれない。

多くの人の生き方や暮らし方、愉しみ方や充実した時の過ごし方、
どんな思いで なにをはじめたか、なにを終えたのか。
そしてそのなかで 生きるかなしみについても 聴いた。
親しい間では語れなかったことも 他人の私には率直に話す方もいた。

私の魂はその思いを真摯に聴き、寄り添いながら
自分も徐々に 変われたのだろうか。
初めて聴くことばかりで、胸はドキドキした。
いつも感動した。
その感動が 私を変えたのかもしれない。

仕事は繰り返される、毎月、毎年、30年以上も。
元々 私は他人が苦手だったが いつか仕事を通じて
人間という存在に 深い敬意と尊敬と愛情を抱くようになった。

一度しかない人生のなか、かなしみを抱きながら 
自分を超えようと生きる方々の姿は すてきだった。
今、ここにこんなふうに生きていること、その輝き・・・

どんな人生も どんな人も 尊い。
そんな人間賛歌を 仕事のなかで感じられるのは 
どんなに恵まれたことだったろうか。



仕事を辞めるということは そういうことと別れること。
そういう感動から 離れること。

私を育て、自我から解放してくれた仕事と
私はどうやって さようならをするべきだろうか。

つい、そんなことを 考えてしまう。
by yuko8739 | 2017-02-13 07:47 | | Trackback | Comments(0)

私がもらった贈りもの

10月の誕生日、母からの手紙をもらったときに 私の人生で
これまでもらった 贈りもの(gift)の大きさ、深さについて考えた。
今朝、ふと気づいた。

もしかしたら 私が小さい頃にもらった贈りもの(gift)の姿というのは、
それは「人を信じられる」こころ、ということではないか。

私はどんなことも 信じる。
あの人も この人も。
そして 明日があるということ。
未来も。

多少、嫌な思いはあったとしても 
相手を(誰かを)嫌いにはならない、憎まない。
その人には その人の世界があり、その人だけのかなしみがある。
私とは違う思いや経験が 魂には雪のように降り積もっている。

さまざまなことへの感受性、快不快も違う。
とりわけ感情が 別世界の人のように違う。
そういうことに対する深い理解と共感があれば 
憎むということには ならない。
自分にかなり辛いことが 起きても・・・


この、思うようにならない世界を 愛するためには、 
「人と自分は違う」そのことだけは 深く理解したい。
だから生きることには 発見や驚き、かなしみと許しもあり 
その果ての共感に 辿りつけるのだろう。


人生は すべて自分の選択だとしても
私に許されたことは少なくはないが さほど多くもない。
しかし 今私には「許された場所」があり 
生きることを楽しむ仲間も いてくれる。

人生のどうにもならない私のかなしみに寄り添い、
それに向かう勇気を 与えてくれる友もいる。
だから 笑える。
歓び合うことも できる。


命を与えられ giftをもらったこの身。 
この美しい宇宙のなかの ひとつの星の上で
多様な命と共に 生きていく。
by yuko8739 | 2016-11-06 08:18 | | Trackback | Comments(0)

逃げない

今までの長い人生の経験によって 大概のことには
大人の対応が できるようになったと感じる。
人生は いいことばかりではなく。
かといって 悪いことばかりでもない。

ひとつだけ確かなのは、自分の思い通りには進まないということ。
自分の人生だって 自分の思い通りにはならない。
ましてや 自分以外の人間(家族や親族、友人知人)のことなど
どうにもできないということが 身に沁みてわかるようになった。

突然起きる不幸、病気や人災も含めて 避けられないことなら
受容するしかないと思うし、それができるようにもなった。
どんなことからも逃げることなどできないのだから 逃げない。

もちろん自分からも 逃げられない。
正対するしかないのなら 正々堂々と 自分らしく。
姑息な手は使わず、自分をあざむかず。

どうしようもなくなったときは しずかに自分の膝を抱く。
小さく 小さくなって逃げないでそこに留まる、光が射すのを待つ。
光は 必ず差しこむこと、つまり転回点があることを 私は人生から学んだ。

だれからも 自分からも 逃げなくてよくなった。
たった数十年の私の人生のなかにも そのくらいいろいろな不幸や幸福が
夜空の星々のように きらめいている。

生きているって 修行のようなものだから 今のこの
逃げないという心境は 自分の人生を賭けて手に入れた、 
唯一無二の境地、いわば宝物なのかもしれない。

誰からも 自分からも 逃げない!と思うのは 
かなり爽快で 気分がいい。
by yuko8739 | 2015-06-17 23:16 | | Trackback | Comments(0)

年をとるということ

先日、仕事の関係でお会いした方に 圧倒された。

80歳を超えた女性Tさんは、デザイナーであり、仕立て職人でもある。
現役の仕事を持ち。
きらきらと輝く目で その仕事に情熱を注ぎ。

さまざまな講師を務め。
生地の美しさを生かすデザインで 着心地と今のトレンドを
兼ね備えた洋服を作り。

笑顔が やさしく美しい。
身のこなしも 軽やかで。
Tさんは とても魅力的だった。
ケアハウスにいるわが母と、同じ年とは思えなかった。


私が野の花好きと知って、Tさんがご自宅の庭を案内してくれた。
花好きの趣味ではじめた 広大な野草の庭。
数百坪の庭に 数百種の野草や おしゃれなで珍しい花々。
この庭の剪定から 植え替えから 草取りまでも自分で行う。

広い庭の一角の菜園では 青々とした大根菜や小松菜、
苺も赤く実っていた。
どうぞ、と勧められて 苺をひと口かじると 
香りと甘みが 口中に広がった。

料理もするし、味噌も仕込む。
味噌用の大豆も 植えている。

「これは菖蒲、いい香りでしょ?節句の魔除けにするでしょ」
「これは モッコウバラ、唯一薔薇のなかでは棘がないの。
皇室の眞子さまのお印は この薔薇ですよ」なんでも知っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私はこの頃 自分のからだの衰えについて いつも考えてしまう。
持病や足の障害もあるし、前にできたことが 今はもうできない。

もともと運動音痴の私だが、危機感さえ感じている。
昨年秋から 早足ウオーキングをはじめたのも、
自分のなかの不安感からだ。

しかし・・・先日お会いしたTさんの姿を見て、強く感じた。
老化って もしかしたら ないのかな・・・
老化と思った時に 老化が起きるのだろうか。

疲れることは だれでもある。
それを やっぱり老化している、そう思うのではなく、
ただ疲れたと思うだけで いいのではないか。

毎日、自分が老化している、老化したと感じていたら、
もう何もできなくなりそうで、こわくて不安だ。

人生は 意欲さえあれば 私流で進めたら、
ゆっくりとでも ちゃんと続けていけるのかもしれない。

社会参加、生きがい、充実感。
仕事もボランティアも 他では味わえない歓びがある。
そろそろ年だし 疲れるし やめようなんて思わなくてもいいのか。

Tさんの多忙で豊かで なんでもできる、やってしまうその姿から
私は 深いメッセージをいただいた気がした。
だいじょうぶ、楽しいことをしていれば 老化なんてないのよ、と。

これは 以前 支笏湖でのワークショップでお会いした 
佐藤初女さんからいただいたパワーと よく似ている。
淡々と自分らしく・・・感謝して共に生きる。

そうか、なんでもできる。
年を経て より解放された自分の精神は 意識しているけれど、
老いてゆくことからも もっと自由でいいのだ。
できなくなることを数えなくても できることを増やせばいいのか。
できることを 愉しめばいいのか。

Tさん、私はあなたの姿を見て そんなふうに感じることができました。
できなくなることを 恐れなくてもいいのですよ、
そんなあなたのやさしい声が 耳元で 聴こえてくるような気がします。

すてきな出会いに 感謝します。
by yuko8739 | 2015-06-14 12:26 | | Trackback | Comments(0)

大人になってわかること

昔子どもだった頃は 友達がいっぱいいた。

自我の目覚めたころから 私は本当の友だちがいないと悩み始めた。
本当の友だちって いったいなんだろう?  

すぐそこに 自分のものとして 存在するものだと思っていたのだろうか?
狭い世界の孤独な少女は、だれもいないと感じて 寂しかったのか。

昔の私は 自分に応えてくれる人が 欲しかっただけかもしれない。
それは、虚像に過ぎず、あまりにも都合がいい。
それでは 生きている友だちとは いえないのに。


そもそも 人が存在するって 寂しいことなんだよ。
世界の見通しがよくなった今、私は自分の窓から 少女にそう ささやく。
誰がいたって いなくたって 寂しくて 恥ずかしくて かなしいものなんだ、
生きていくって。

そして 友情ってそこに「あるもの」ではなく、「育つもの」なんだよ・・・
もしかしたら「育てるもの」かもしれない。
うまく育たないこともあるし、意外なところにひょっこり芽が出て
思いがけないほど ぐんぐん伸びていくこともある。

つまり、上手く言えないけれど 人生って すべてのできごとが、
予想外のことなんだよね・・・

今まで 自分の人生に起きたさまざまなことは、すべて想像を
超えていたと、私は感じる。

こんなはずではなかったし、あんなことが起きるとは・・・
小説みたいだし。
家族も運命も すべて思うようにはならないことばかり。
人すべてに思いがあるかぎり、自分の思うようには なりっこない。

それでも・・・絶望や痛みを重ねながらでも 人は生きていける。
ときどき 自分を笑いとばしながら 顔をあげて堂々と。

友だちがいないと、悩んでいたけれど、
17歳の頃に 劇的な出会いがあった。
気がつくと 人生の最後までの友情になっていた。
かけがえのない人。

深いところでも 浅いところでも つながる人。
相手が幸せだと 自分もうれしくなる。

彼女は 彼女だと思えるし、自分の孤独は守りたいし。
互いにそれをわかっている、自分流を譲らない。

どんな人生でも 自分の孤独は守らなくてはならない。
孤独に耐える力こそ 人を大事にする力そのもの。


友だちがいないと泣いていた少女よ、
今は 好きな人がいっぱいで「両手に花」だよ。

親友、友だち、仲間や同志。
年齢や性別を超えた関係も うれしい。

同じ目的で 小さな懸命な作業を積み上げる。
自然保護や映画上映、映画製作、DV被害者支援。

少女よ、あなたの未来は こんなふうに 悪くないよ。
友だちや仲間が いっぱいだよ~

淋しさとダンスしながらも、楽しいときを過ごせるよ。

だから、泣かないで。
by yuko8739 | 2014-08-21 11:22 | | Trackback | Comments(0)

生きること

入院して10日目に亡くなった 叔父の通夜と告別式が 終わった。
日常的には会うこともなくなった母方の伯父や叔母、遠方に住むいとこたち。
悲しいけれど こういう場で何十年ぶりかで 近況を語り合ったりした。

月日は残酷で、過ぎ去ったあの頃は もう思い出のなかにしかない。
病気や子どもの問題、親の介護、すでに始まっている自身の老後など 
私たちの世代が抱える問題は 現実の厳しさと痛みに満ちてはいるが。

それでも 子どものころのきらめきのような思い出は 私たちをつなぐ。
時間は はるか遠くに過ぎていったけれど、共に過ごした時間は消えない。
そのときの楽しさは 永遠だろうか。



叔父の人生は 終わった。
80歳を過ぎていたが 長い時間苦しむこともなかった叔父の顔は、
若々しくおだやかで 紅をひいたような口もとには ほほえみを浮かべていた。

叔父の人生は ごく平凡な人生だったと言える。
でも平凡って なんだろう。

生まれた土地、育った時代や過ごした場所、学んだ学校、出会った恩師。
楽しんだ遊びや親しかった友。眺めた景色。
歌った歌。

社会に出て働いて 出会って結婚し 子どもを持ち、
子どもを育て、家を建て 定年を迎えて 孫が生まれ。

そのどのひとつも 自分だけの人生だ。
他人と同じ夢は見ないし、喜びや涙も違う。
かけがえのないひとつの人生・・・それこそ非凡だ。

人が生きて 死んでゆくのに 平凡などという言葉はそぐわない。
ただ外から見て 平凡で普通と思われるように 生きていくためには、 
多くの苦難や病気や、辛さを越えて 生き続けなければならない、
ときには笑顔で 装いながらも。

人生のひとつ ひとつの苦難やかなしみ、歓びを 私は尊いと思う。
生を受けて 自分だけの道を誠実に歩み、寿命が尽きる時まで 走り続ける。

病室で意識がなくなった叔父を見守ったときも、通夜と告別式が
終わった今も 叔父の人生を 尊いと感じる私の気持ちは変わらない。
  
尊くない人生なんて ないのだと思う。
生きるのに平凡も 上等もない。

生きる喜びと悲しみは 深いコントラストとなって 人生を支える。
全てが終われば 自分らしく歩いた足跡の深さが 陰影深く刻まれ 
いつかそれも砂に埋もれるように 消えていくのだろう。

私のなかで 人生を終えるというのは そんなイメージだ。

そうなる前には 今この瞬間を いきいきと慈しみながら生きて 
多くの人に深い感謝を伝え 笑顔を共にして なにかを分かち合う。
そんなふうに 最後まで歩きたい。

すべてが砂に埋もれても 魂の世界では
生きる歓びは きっと ひとつの輝きそのものだろう・・・


多分 死んでからも 私は思うだろう。
「生まれてよかった」と。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日 音楽を聴きながら 1日じゅう仕事をしていた。
そして こんなことを思った。

林のなかに 雪が降っている
静かな雪が ひらひらと 風に舞う
花のように

そんな場所で G・Winston(自然派のジャズピアニスト)の弾くピアノ曲、
パッヘルベルの「kanon」を聴きたい、冬・・・

めくるめく輪廻のイメージ

冬の景色と美しいメロディが調和する
by yuko8739 | 2014-01-24 15:55 | | Trackback | Comments(0)