過日、私がメンバーになっている映画の会では、冤罪事件を描いた映画、
「約束」の上映を決めた。~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~
半世紀近く獄中から無実を訴え続けている 奥西勝さんの生涯を描いた映画だ。
原作は 東海TV取材班「名毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀」
(岩波書店 2013年2月15日刊行)
監督・脚本:齊藤潤一 主演:仲代達也 樹木希林 天野鎮雄 山本太郎
ナレーション:寺島しのぶ
そのとき事務局のTさんの家で 一冊の分厚い本が目に付いた。
「死刑」~森達也 著~
以前から朝日新聞の論壇時評などで 森達也氏の文章には
大いに感銘を受けていた私は 迷うことなくその本を借りて、
その日から 夢中になって読み始めた。
私は大人になった頃から 人が人を殺すことには反対なので
死刑反対主義だ。
どんな理由でも 人が人を殺してはならないと信じている。
死刑になる犯罪者のなかには 冤罪が数知れなく存在する。
また少年犯罪の多くは 肉親の愛情や適切な成育環境が
与えられないことで、自分や世界そのものを肯定できない
「混乱」から生じると 私は思う。
これらの事柄は、死刑反対の私の背中を強く支えてくれる。
森達也氏は、3年の年月をかけて 可能な限り多くの関係者の話を聞き、
多くの情報と対峙して、死刑というものを考察している。
論理的に、感情的に、情緒的に、あらゆる局面から。
死刑確定囚、遺族、遺族かつ死刑反対運動家、
刑務官や教誨師、28年後に無罪判決が出た死刑囚免田栄さん、
死刑廃止運動を推進する議員連盟の代表、亀井静香氏など。
論理的には死刑には 犯罪抑止効果がないことは、データで明らかだという。
世界的には 先進国のなかで死刑が行われているのは、アメリカと日本だけ。
ヨーロッパでは ほとんどの国が死刑廃止で、EUの加盟には
死刑のない国という条件が付くほど。
アメリカでも 死刑を廃止している州もある。
そして死刑については 日本と比べようもなく情報公開が進んでいる。
この情報社会のなかで 日本では死刑をめぐる情報だけがどれほど隠蔽され、
目に見えない形で管理維持されているかを、森氏は嘆く。
死刑囚の人権ということを 全く無視したような規則やルールの数々。
確定死刑囚は家族と弁護士にしか 面会は認められない。
面会は1日に1回。手紙は1日に4通と決められている。
一回に使用する便箋の枚数は7枚以内。
筆記用具にも細かな制限がある。
刑場の見学も不可、関係者への取材も不可。
いったい誰が、何のために そう決めたのか、決められているのか。
誰に聞いても 理由などないらしい。
死刑囚を管理しやすくするためだけに 規則は決められている。
つまり死刑囚であっても 生きている限り 人間なのだ。
人間としての最低の権利も ない。
死刑囚の自殺は 最も恐れられる。
無事に 処刑されなくてはならないから。
日本の場合は 死刑は国家による殺人行為への報復という側面が根強い。
個人で仇討ちができないので 国家が代行しているという図式だ。
窓のない独房でただひとり ほとんどの自由を失って 話し相手もなく
なお数十年を過ごす死刑囚の時間を 私たちは 想像できるだろうか。
そして死刑囚のなかには 冤罪ということが 少なくないという事実!
警察と検察と裁判所も 間違いを犯す。
意図的に殺人犯をでっちあげる体質は 世界中に存在する。
例外なく日本にも 数多い。
ひとりの無罪の人間を 数十年も死刑囚として拘置し、
あらゆる控訴や再審請求にも応えず、どんな支援運動も届かない。
そんななかで しだいに死刑囚は 精神に異常をきたし狂っていくのは、
当然と思える。
高橋伴明監督の映画「BOX」を以前に観た。
袴田事件で冤罪を訴えて、長く戦ってきたクリスチャンの死刑囚、
袴田巌さんは すでに精神を病んでいると 伝えられている。
「疑わしきは罰せず」
この論理は 司法の在り方としての原点だが、現在は全く
機能していないと 森氏は指摘している。
今は 疑わしきは罰する。
罪がなくても虚偽の証拠を作り 嘘の証言まで強要して 殺人犯に仕立てる。
人は間違いを犯す生きものだから、間違いをすべてなくすことはできない。
だから冤罪もなくすことは できない。
死刑に反対する私にとって 冤罪は本質ではないが、
無罪の人間が死刑になる事実を思うと、憤怒に近い感情が湧きあがる。
そして冤罪で死刑になる人は 少なくはないという事実を
死刑賛成の国民の多くは わかっているのだろうか・・・
最終章で 光市母子殺害事件の遺族・本村洋氏は森氏にこう返事をしている。
以下引用
~死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、
「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。
換言するならば。「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」
「何故、国民は死刑を支持せざるを得ないのか」です。
「犯罪被害者が声高に死刑を求めている」からではなく、
「社会全体が漠然と不安である」から、死刑は廃止できないのだと思います。
森氏は最後に こう書いている。
以下、引用
僕は彼らを死なせたくはない。
論理ではないし情緒でもない。
水が低きに流れるように、冬が来れば春が来るように、
昼食を抜けばお腹が空くように、父や母が子供を慈しみ、
子供が父や母を慕うように、
僕は願う。彼らの命を救いたい。