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ゆうゆうタイム

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「WOMAN」最終話

ああ、私のこころに住んでいた人たちが 静かに去っていった。
秋のいちばん初めの風、コスモスの風に乗って、ほほえみながら・・・

このドラマが始まったとき テーマは「母子家庭」なのかな、と感じた。
それほど小春の厳しい日常はリアルだったし、孤立無援だった。

でも坂元裕二のテーマは そうではなかった。
やはり、「mother」でもそうだったが、女性や子ども、
母と子のつながり、そして なによりも「家族」なのだ。


人は究極の憎悪のなかにも 希望という小さな花を咲かせられる。
家族だから・・・私が最終話を見て 感じたことは そのことだった。

小春が 母を母と呼び 妹を妹と呼ぶためのドラマだったのだなあ。
深い感慨で そんなことを思っていた。

この物語の本質は 小春に「母と妹」そして義理の父、
つまり 家族ができるということだった。
「mother」で、奈緒に「娘と母」ができたように。

一生消えない憎しみを抱えたまま、それでもなお 手をつなぎ
共に生きる人たちと 小春は 出会うことができたのだ、命をかけて。
もう ひとりぼっちではない。

自分の愛を 子どもに伝えるばかりでなく 母から伝えられていた愛を 
身の内に感じて 小春は言った。
「大きくなった自分を、見せたかった」と。



このドラマの美しさに はじめから 陶酔した。
TVドラマとは思えない 光や影の美しさ。

日常の暮らしのなかの 些細なものたちのきらめき。
木のお風呂、庭の井戸の古いポンプ、踏み石、風鈴、ちゃぶ台、
キャラメルの箱、お祭りの浴衣、神社の境内のすり減った石畳、
川、階段、そのすべてが なんといとおしいことだろう・・・

日常をうつしだす 毎日の食べものにも 日本のリアリティと美しさ。
ちくわと長ネギのチャーハン、豆ごはん、そうめん、カレイの煮つけ、
ナスとレンコンの煮物、キュウリとささみのゴマ酢和え、
アサリの味噌汁・・・ああ、濃密な母の味。「母」の時間。

田中裕子さん、さちさん、どうしても私はあなたの作ったご飯が 食べたくなる。
なんだか 私まで あなたの娘になりたくなる。

それほど あなたは 日本の「母性」の象徴でした。
仕草や後ろ姿、あなたのすべてが。

「woman」の、あの美しい台所のシーンが 絵のように
私の胸で 繰り返されています。
オレンジ色の西日の差す台所で、ことことと、カレイを煮る匂い。

小春は あやとりの真似をしたあとで はじめて言った。
「ねえ、助けてよ、おかあさん、助けてよ」
そのシーンを思うと 今も涙があふれます。
初めて おかあさんと呼べた。

20年も経って、深い憎しみと孤独、かなしさのあと、
命を失うかもしれない 病気のなかで・・・



坂元裕二さん
あなたは 深く静かに信じる人。
丁寧に日常の美しさを すくい上げる人。
またいつか、あなたのドラマと出会う幸せを夢みて 待ち続けます。


小林薫さん
なんてすてきな男性でしょう。
こんな人がそばにいたら、ひと目惚れです!

優しい物腰で 決して大きな声を出さず うろうろ気遣いし。
肝心な時に傍にいて 無言で肩を抱いてくれる、あたたかい。

さりげない優しさで 包み込んでくれる。
そして 明るく未来を信じる人、なにより正しいことをいう人。
これも あなたでなくては できなかった。

澤村先生、
喜びのあまり ひっくり返ってくれて ありがとう。
一気に心は解放され、歓びがあたりじゅうに 飛び散った!


二階堂ふみさん
映画「ヒミズ」観ました。観て、泣きました。
お節介すぎる変な女子高生のあなたが 最後は輝く天使のようだった。
この子に救われた、そう思った。

「woman」では 不気味でした。
何を心に秘めているか わからなかった。
でも、ずっとしおりちゃんは こころが凍ったままだったんだね。

怖くて 凍って 動けない。
どこにも 行けないし、なにもできない。
 
そういう世界に4年もいるから ときに爆発しそうで 危うくて。
最後に 動いたね、倒れそうになりながら。
小春を 助けたね。
お姉ちゃんと出会うことで こころが溶けはじめた。

お姉ちゃんが妹と呼んで、すべてが動き始めた。
「あなたのおかげで生きられる、あなたも生きてください」
小春がそう言ってくれたので、しおりちゃんの物語もはじまった。
よかったね、しおりちゃんの人生が 凍ったままでなくて。 
ほんとうによかった・・・


そして小春さん、満島ひかりさん
あなたは強くて ピュアで おもしろくて かなしくて ドジで。
あなたのお母さんと よく似ている。

あなたが演じてくれたので 小春さんは永遠の存在になりました。
なんと形容したらいいのか、わからないほどで。
あまりにすごい演技に 釘づけでした。


そして、やっぱり田中裕子さん、
あなた以外に この役はあり得ない。
坂元作品で あなたに母性を感じることが 私の至福です。
これからも・・・


おかあさん
わたしがそういうとき、わたしは子どもです。

おかあさん
その言葉のなかに入り込むと ずっと遊んでいられる、時を忘れて。

ご飯を作るまな板の音、みそ汁の匂い。
おかあさんの感触。
おかあさん、おかあさん・・・

なんて 愛おしいのだろう、そのことが・・・


思い出は 道しるべ。

私たちを導き めぐり合うための。


そして命は続く・・・永遠に。
# by yuko8739 | 2013-09-14 09:48 | ドラマ | Trackback | Comments(0)

死刑について

過日、私がメンバーになっている映画の会では、冤罪事件を描いた映画、
「約束」の上映を決めた。~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~
半世紀近く獄中から無実を訴え続けている 奥西勝さんの生涯を描いた映画だ。

原作は 東海TV取材班「名毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀」
(岩波書店 2013年2月15日刊行)
監督・脚本:齊藤潤一 主演:仲代達也 樹木希林 天野鎮雄 山本太郎
ナレーション:寺島しのぶ

 
そのとき事務局のTさんの家で 一冊の分厚い本が目に付いた。
「死刑」~森達也 著~

以前から朝日新聞の論壇時評などで 森達也氏の文章には
大いに感銘を受けていた私は 迷うことなくその本を借りて、
その日から 夢中になって読み始めた。

私は大人になった頃から 人が人を殺すことには反対なので 
死刑反対主義だ。
どんな理由でも 人が人を殺してはならないと信じている。

死刑になる犯罪者のなかには 冤罪が数知れなく存在する。
また少年犯罪の多くは 肉親の愛情や適切な成育環境が
与えられないことで、自分や世界そのものを肯定できない
「混乱」から生じると 私は思う。
これらの事柄は、死刑反対の私の背中を強く支えてくれる。



森達也氏は、3年の年月をかけて 可能な限り多くの関係者の話を聞き、
多くの情報と対峙して、死刑というものを考察している。
論理的に、感情的に、情緒的に、あらゆる局面から。

死刑確定囚、遺族、遺族かつ死刑反対運動家、
刑務官や教誨師、28年後に無罪判決が出た死刑囚免田栄さん、
死刑廃止運動を推進する議員連盟の代表、亀井静香氏など。

論理的には死刑には 犯罪抑止効果がないことは、データで明らかだという。
世界的には 先進国のなかで死刑が行われているのは、アメリカと日本だけ。

ヨーロッパでは ほとんどの国が死刑廃止で、EUの加盟には
死刑のない国という条件が付くほど。

アメリカでも 死刑を廃止している州もある。
そして死刑については 日本と比べようもなく情報公開が進んでいる。

この情報社会のなかで 日本では死刑をめぐる情報だけがどれほど隠蔽され、
目に見えない形で管理維持されているかを、森氏は嘆く。

死刑囚の人権ということを 全く無視したような規則やルールの数々。
確定死刑囚は家族と弁護士にしか 面会は認められない。
面会は1日に1回。手紙は1日に4通と決められている。

一回に使用する便箋の枚数は7枚以内。
筆記用具にも細かな制限がある。


刑場の見学も不可、関係者への取材も不可。
いったい誰が、何のために そう決めたのか、決められているのか。

誰に聞いても 理由などないらしい。
死刑囚を管理しやすくするためだけに 規則は決められている。

つまり死刑囚であっても 生きている限り 人間なのだ。
人間としての最低の権利も ない。

死刑囚の自殺は 最も恐れられる。
無事に 処刑されなくてはならないから。



日本の場合は 死刑は国家による殺人行為への報復という側面が根強い。
個人で仇討ちができないので 国家が代行しているという図式だ。

窓のない独房でただひとり ほとんどの自由を失って 話し相手もなく
なお数十年を過ごす死刑囚の時間を 私たちは 想像できるだろうか。

そして死刑囚のなかには 冤罪ということが 少なくないという事実!
警察と検察と裁判所も 間違いを犯す。

意図的に殺人犯をでっちあげる体質は 世界中に存在する。 
例外なく日本にも 数多い。

ひとりの無罪の人間を 数十年も死刑囚として拘置し、
あらゆる控訴や再審請求にも応えず、どんな支援運動も届かない。

そんななかで しだいに死刑囚は 精神に異常をきたし狂っていくのは、
当然と思える。

高橋伴明監督の映画「BOX」を以前に観た。
袴田事件で冤罪を訴えて、長く戦ってきたクリスチャンの死刑囚、
袴田巌さんは すでに精神を病んでいると 伝えられている。

「疑わしきは罰せず」
この論理は 司法の在り方としての原点だが、現在は全く
機能していないと 森氏は指摘している。

今は 疑わしきは罰する。
罪がなくても虚偽の証拠を作り 嘘の証言まで強要して 殺人犯に仕立てる。

人は間違いを犯す生きものだから、間違いをすべてなくすことはできない。
だから冤罪もなくすことは できない。

死刑に反対する私にとって 冤罪は本質ではないが、
無罪の人間が死刑になる事実を思うと、憤怒に近い感情が湧きあがる。
そして冤罪で死刑になる人は 少なくはないという事実を 
死刑賛成の国民の多くは わかっているのだろうか・・・

最終章で 光市母子殺害事件の遺族・本村洋氏は森氏にこう返事をしている。

以下引用

~死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、
「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。

換言するならば。「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」
「何故、国民は死刑を支持せざるを得ないのか」です。

「犯罪被害者が声高に死刑を求めている」からではなく、
「社会全体が漠然と不安である」から、死刑は廃止できないのだと思います。


森氏は最後に こう書いている。
以下、引用


僕は彼らを死なせたくはない。
論理ではないし情緒でもない。

水が低きに流れるように、冬が来れば春が来るように、
昼食を抜けばお腹が空くように、父や母が子供を慈しみ、
子供が父や母を慕うように、

僕は願う。彼らの命を救いたい。

# by yuko8739 | 2013-09-13 01:03 | 社会 | Trackback | Comments(2)

秋の交流会

DV被害者支援の会では、年に1~2回ほど交流会を開いている。
今年は某ネイチャーセンターで 自然プログラムを楽しみ、
昼は道産子の定番、ジンギスカンのランチを楽しむことに。

出かける前に ボランティアスタッフのTさんと私は 
肉屋さんで予約しておいたラム肉を受け取り、一路ネイチャーセンターへ。

高速を降りてから 車は山の奥へ。
やっと着いたネイチャーセンターは 昔の小学校を改築、増築した建物。
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この近辺の自然を楽しむさまざまなプログラムは 大人にも子どもにも大人気。
近隣小学校の宿泊学習などで 訪れる子どもたちも多い。

午前中は希望者がスタッフの解説を聞きながら 青空のもとで散策し、
午後からのクラフト教室で 使えそうな枝や松ぼっくり、
葉っぱなどを 拾うことになっている。

その日は夏の名残か 気候は最高!
抜けるような青空が広がり、セミの声が林のなかから聞こえる遊歩道を
歩き始める、池のほとりの散歩が心地よい。
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子どもたちは、「これいいかも」と 木の枝や葉っぱをひろってにっこり。
道端では クワガタのメスも散歩中!

少し歩いて進むと、なんとミニミニアスレチックが!
目を輝かせて 子どもたちは傾斜地に作られたブランコに乗って
ゆ~ら、ゆら。
~景色が違って見えるね、気持ちがいいね、来てよかったね!~
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昼になり、火起こしスタッフの奮闘の甲斐あって炭火は
赤く燃えていたが、どうも火力が足りない・・・
おなかの空いた子どもたちに急かされたが ラム肉はなかなか火が通らない。
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何度か炭を替えたり 足したりして 30分ほどかけて少しは火力も
強くなったが、50人分の炭を丁度よくいい塩梅にするのは、難しい。

参加した中学生たちは「腹減ったあ~!!!」
炭起こしのメンバーの額には 玉の汗。

そのうちに 肉も焼けて野菜もおいしくなり、持参したおにぎりと
ジンギスカンでベストマッチのランチ。
屋外のバーベキューコーナーで 楽しいひとときを過ごした。



他にも この施設には他ののサークルなどが来ていて、広い運動場では 
いい匂いのカレーを大鍋に仕込んでいるらしいグループも。

どうにか我がサークルでは ジンギスカンランチも終わり 
午後からは木工クラフトの用意をして クラフトルームに子どもたちが集まった。

センタースタッフの説明を聞き、お手本を眺め、さっそく枯葉や枝でクラフト開始。
みんな真剣そのもので、ろうを溶かすグル―ガンを使い、
段ボールにさまざまなものを張りつけて、絵を書いたり。
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約1時間半かけて オリジナルの作品が完成した!!!
それぞれユニークに仕上がり、満足そうな笑顔がいっぱい。
大事そうに 作品を袋に入れて 帰り支度が始まった。

Nちゃんが 「ゆーこさん、バッタ取りたい!」というので、
「任しなさい!」と ふたりで 慌ててバッタ獲り。

「ほら、Nちゃん、バッタ大きいのがいたよ~捕まえてごらん!」
「あっ いたいた 捕まえたよ!」とあっというまに 5匹get。

「これはね、ミヤマフキバッタというバッタだよ。
こないだ 図鑑で調べたよ」
「ふーん、これ持って帰りたい、家で育てるからね」とNちゃん。


「お母さん、バッタ獲れたよ~」とNちゃんはうれしそう。
帰りのバスが3時ころに到着して 帰路に着いた。

ボランティアスタッフの友人Tさんと私は、帰りに喫茶店で
アイス珈琲でひと休み。
~みんな喜んでくれて 子どもたちも楽しそうでよかったね~

こういうひとときが この子たちにとっては どんなにかけがえのない時間なのか、
私には よくわかる。

息を詰めるように 暮らしている子も多いだろう。
辛い思いを抱えて ここまで来たのだ。

全ての人が 暴力とは無縁の世界で 生きられますように。


そう願わずには、祈らずには いられない・・・
# by yuko8739 | 2013-09-11 16:52 | ボランティア | Trackback | Comments(0)

また会おう、友よ

若いころには思ってもみなかったことが起きるので 人生はおもしろい。
あのときは 思いもしなかった。

人生が始まりかけた10代のころに 友達になったHと 
まさかシニアと呼ばれる今になるまで 深く長い友情で結ばれるとは・・・


私たちは今週、またご褒美のようにふたりで雨の温泉宿に泊まり、
会えない時間を 埋め合った。
 
Hは 年に1~2回は飛行機で帰省する。
そのたびに 時間を惜しむように会っている。
 

私とは 全てが違っていた彼女と仲よくなれたのは、 
多分 お互いのかなしみがあったからだと思う。
それが お互いを引き寄せた。

高校を卒業してからは ずっと離れて暮らしてきたHと私。
彼女は外国に住み 長男を出産し、私たちの手紙は空を飛んで
数えきれないくらいに何度も行き来した、PCも携帯もなかった時代に。

分厚い手紙を読みながら 互いの暮らしを想像したものだ。
共通点は 3人の子どもを持ったこと。
よい母であろうと 努力したこと。

嘘は つかない。
自分に正直。
ありがとう、とたくさん言うこと。
理不尽なことには 怒ること、などなど。



長いつき合いのなかで 友を鏡にして 自分の姿をみつめた。
その姿がどんなふうでも 目をそむけずにいられた。

私たちの関わりが丸ごとすべてを 受け入れる形だったから。
多分 私たちがそうありたいと願ったから。

そういう相棒は ありがたい。
互いのまなざしのなかにある幸と不幸を 知っている。
 


小さな静かな温泉宿の窓から 雨に濡れた山の緑が優しかった。
硫黄の匂いが 町の隅々をめぐる。
お宿の部屋食は薄味だが 品のいい出汁の香りが心地よかった。

思いを聴きあい 話しつくして 霧雨のなかの露天風呂で温まった。
満ち足りて 静かな夜は更けていった。
いつもHは 先に眠りにつく。

その寝息を聴くのが幸せなのだ、私は。
ふたりで歩いた ここまでの長い、長い道を思う。

翌日は おいしいパン屋さんに寄り、海を眺めながら珈琲タイム。
道産子のHは 必ず帰省するとラーメンを食べる。
ふたりで 熱いラーメンをすすった。




また会おう、友よ。
大きくて深い苦しみも 超えてきたね。
よく ここまできたね。

きっと これからも 波瀾万丈はあるかもしれない。
思いがけないことも 起きるだろう。

というよりも 私たちの別れは もう意外と早いのかもしれない。
何が起きても いいと思う。
それでも とても満足です。

人生のほとんどを あなたと歩けたこと。

この安心と信頼は 私の人生の宝物。
かけがえのない 唯一無二の・・・

また、会おう、友よ!
# by yuko8739 | 2013-09-07 11:50 | 友達 | Trackback | Comments(0)

9月と歩く

8月が 去っていく

もう後ろ姿しか 見えない
すうーっと、いつのまにか あんなに遠くに



わたしの隣に いつのまにか9月がひっそりと立っていて 静かに手を握る
これからは あなたの声を聴くのね
あなたと 歩くのね

去年のあなたは、もうまぼろし
ことしのあなたに はじめて出会う

なんだか 懐かしいみたいな
少し かなしいみたいな

繰り返しでもないのに なぜ懐かしいの
これからおきることが なぜかなしいの


わたし 秋のなかに入っていく
どんどん 入っていくの
なにもかも 幻のようだけど

そのうちに10月が 迎えに来るのね
そして わたしの手を握る おずおずと やさしく

雪虫が飛ぶと 11月もやってくる
そして陽気な12月や 元気な1月も・・・ 


こうやって時は どんどん流れる
そして いつか


どこか 遠く 永遠と瞬間が交差する場所で
光と闇が溶け合う時間に

いつのまにか わたし いい匂いの赤ちゃんになるの
りんごのように香る 美しい娘になるの
しわしわの100歳のおばあちゃんに なるの

また くりかえすの
めぐりあうの
とめられないの

命って とまらないの
永遠に 消えないの


9月がうしろから あたたかい手で 肩を抱く
そう、今は あなたと歩くのね・・・


寒さが 北の山から下りてきて
もうすぐ 低い歌で うたいはじめるよ
厳かな 儀式のように


かみさまは 人間を愛おしく思って
夕方になると 空にバラ色の絵を描いてくれる・・・


空を見上げて 幸せになるように
# by yuko8739 | 2013-09-06 07:50 | Trackback | Comments(0)