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ゆうゆうタイム

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2018大根干し/孫の誕生日

わが家の沢庵漬けは 父の好きだった味を受け継ぐ。
U字型になるくらいに長く干し、水分が抜けて甘くなった
しなしなした大根を漬ける前によく手で揉み糠と塩でシンプルに漬ける。

そのために沢庵用の大根は 早めに干さなければならない。
しなしなにするために。
大根の太さによっては 2週間くらい干すこともある。
雪が降ってくるとしばれる(凍る)のが心配なので早い時期から干す。

ということで、24日には裏の畑から収穫した野菜を販売している、
隣町のO農園で細い大根を買い、大根洗いの機械で洗って帰宅。
100本以上をいっぺんに洗った数年前には 息子や孫が手伝ってくれた。

今日は沢庵用の40本を洗うだけなので ひとりでやろうと思っていた。
ふらりとやってきた友だちが「それなら手伝うよ」というので、
ふたりであっというまに 大根洗いは終わった。
ちょうど昼時で 店は混雑していなかった。
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他の漬物(浅味噌漬けや酢漬けなど)の大根は
米農家のTさんに40本注文済み。

帰宅して友とデッキのテーブルに座り 大根すだれをふたりで編んだ。
小春日和の汗ばむくらいの温かい日で 冬支度も楽だった。

前夜には、新ショウガを1kg買ったので 佃煮と酢漬けを仕込み、
セロリのマリネ、大根の塩麹漬けなど常備菜も作った。
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また我が家のウッドデッキでは 物干しざおにのんびりと
大根すだれが ゆらゆら秋風に揺れる時期がやってきた。
季節はこうして 巡ってゆく。
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先日24日は、わが愛する孫1号の誕生日。
君が生まれた日のことは 忘れない。
こんなふうな 小春日和の暖かい日だった。

はじめて見た君は 赤い顔の大きな赤ちゃんだった。
ああ、神さまが私の手に 天使を渡してくれたのだ・・・
そんなふうに 思った。
元気な赤ちゃんをありがとう、と涙がこぼれた。
命の祝福は 感動だった。

あれから16年、天使はニキビのティーンズになり 
友達とどこかで 遊びまくっている。 
去年までは にこにこと私と共に10月生まれの誕生会を
したのだが・・・今年はもうそれもなくなった。

また、いつかね・・・
振り子が遠くに振れるように 
君は一番遠くに行ってから
きっと大人になって またこっちに戻ってくるだろう・・・

それでも ばぁばの胸には 
幼い君と過ごした輝きの季節は 永遠です・・・
by yuko8739 | 2018-10-28 20:59 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

里山散策と秋のきのこ鍋会

毎年恒例の「秋の自然散策ときのこ鍋を楽しむ会」に参加した。
毎年、この季節に訪れているのはIさんの広葉樹の里山。
四季折々の自然の豊かさを体験できる、貴重な場所だ。

秋の里山を思うとき、もう心はわくわくする。
小春日和の暖かな10月の朝、道の駅には10数名のメンバーが集合。
Iさんの里山目指して秋の森へと進む。

紅葉にはまだ少し早いが さわやかな秋の日差しがまぶしい。
里山に到着すると、紅いベストがお似合いのIさんがにこやかに迎えてくれる。
世界各地の森を巡ったIさんは 親から受け継いだ山を、
命あふれる広葉樹の里山にする活動を 日々続けている。

この会のために大小のテーブルや椅子などを
切り出した木材で 作ってくれている。
たき火もいい匂いで 燃えていた。
深呼吸すると、森からのエネルギーをいっぱいもらえる気がする。
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たき火広場のそばには、Iさんの展示コーナーが!
さまざまな山の幸、森の恵み、食べられるきのこの展示や
スズメバチの巣の標本も展示。
Iさんが生きたまま捕まえて標本にしたスズメバチはまるで生きているよう。
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はじめにIさんの案内でツリーハウス「彦一小屋」の方面を歩く。
さまざまな秋を発見!
色づいた紅葉のハウチワカエデもあった。
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前にIさんは「ハウチワカエデの紅葉は、一色でなくて
いろんな色が混じるから好き」と言った。

彦一小屋の足元には、ツルリンドウの宝石のようなきれいな実も!
思わず見とれてしまう。
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おいしい落葉きのこ(ハナイグチ)も何本か見つけて、みんなで狂喜した。
夏の色をほのかに残したエゾアジサイの青い花も。
ツルシキミの紅い実もあった。
これはミカン科だが、実も葉も猛毒だが美しい・・・
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Iさんが、きのこが群生する場所に案内してくれた。
「あれはハタケシメジ、これはボリボリ、いっぱい採ってよ」
みんなは喜び勇んで あちこちに生えているキノコを夢中で採った。
金色の巨大キノコ「コガネタケ」もあった。
食べごろの大きさのきのこをいっぱい採取。
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そこにはミツバも生えていたので、きのこ汁に入れるために少し摘んだ。
この日は、カナダ人のフィルさんも参加していたが、
珍しい形のキノコを 耳のようにくっつけて大喜び!
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さて、きのこ採りが一段落して たき火の広場に戻った。
女性たちがきのこのゴミを取り、水洗いして塩水に。
鍋番をしていたメンバーのおかげで ほぼ鍋は完成したようだ。
最後の味調整をして わが家の手前味噌の味噌鍋と醤油味の鍋と
2種類の「きのこけんちん鍋」が完成!
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唯一参加の小学3年生 笑顔のかわいいいっちゃんは栗拾いから帰ってきて
ニコニコと袋いっぱいの栗を見せてくれた。
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みんなは持参したお握りと 具沢山のきのこ鍋を堪能!
キノコも6種類ほど入って 贅沢な秋の味覚鍋だった。

また私はフロランタンを焼いて持参したので それも食後のスイーツに。
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フロランタン好きな 小3のいっちゃんがすごく喜んで
「yukoおねえさん・・・?」と呼んでくれたのには びっくり大感激!
フロランタンの絵まで描いてくれた!
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いっちゃんが「また会える?」と聞くので、「また会えるよ~」
「また会おうね、いっちゃん大好き」・・・
子どもっていいなあ。


秋のこの美しい日を こころから感謝します・・・
Iさん、毎年ありがとうございます!
今年のさまざまな森の標本や蜂の巣の標本も 
とても うれしかったです。

自然の美しく多彩で不思議な森の姿を 見せていただき
とても幸せでした。
by yuko8739 | 2018-10-23 20:33 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

「モルエラニ」クランクアップと最後の炊き出し

4年半、映画応援団のメンバーとして「映画の王国」に献身した私・・・
それは自分自身が試されるような ハードな日々だった。
それでも がんばった以上の達成感がある。
充実した祝祭のようだった、我が炊き出しの日々よさようなら!

2018年10月15日、16日の2日間、ロケ場所となった水族館のそば、
前回も借りたS町会館に 4人が13時に集合。
どういうわけか前夜から私は風邪気味で 不調だった・・・
寒気とくしゃみ、鼻水がひどくて頭が重い。

それでもへたっていられないので、風邪薬を飲んでがんばった。
この日の夕食メニューは、脂の乗った旬のさんま60尾を生姜で煮る。
付け合せには粉ふきイモ。
汁物は、きのこ数種類を入れた秋のけんちん汁と漬物。
集まってすぐに 米三升5合ほどを研いで準備。
すぐさんまを20尾づつ 圧力鍋で炊く。
15分高圧をかけて、それを大鍋に移し 再度20尾も同様に。

大鍋に、全てのさんまを入れて煮汁を煮詰めていく。
生姜と醤油の甘辛い香りに 食欲が増す。
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一方では、けんちん汁の具材を用意。
エノキ、マイタケ、シメジ、ごぼう、人参、小揚げ、こんにゃく、
大根、豆腐、しみ豆腐と豪華なけんちん汁だ。

具材を全て切って、2つの大鍋でけんちん汁が完成。
さんまは醤油で煮たので 今日のけんちん汁は味噌仕立てに。

午後5時半には 40人分の夕食を完成.
ロケ現場の水族館の休憩所に運んだ。
卓上ガスコンロも用意して 汁物を温める。
だが、撮影が長引いて 誰も来ない・・・

昼も撮影が延びて、午後3時過ぎに昼の弁当を食べた人や、
食べなかった人もいるらしい。
それなら夕ご飯は いったい何時になるのかな・・・

夕方も過ぎて外は真っ暗、さすがに外は寒くなってきた。
そのうちに7時を過ぎて 数人づつ夕ご飯を食べにくる。
汁を温めて ご飯をよそい さんまを皿に乗せて漬物も出す。
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バラバラと手が空いた人が来て 夕食を食べていた。
そのうちに 女優の大塚寧々さんとマネージャーさんが
撮影を終えて 食事をとりにきた。
私たちの作ったご飯を ちゃんと食べてくれた。

そのあとで、千歳に向かう寧々さんに すてきな花束を贈呈して
みんなで見送った。
きゃしゃな寧々さんは「すごく寒いですね・・・」と夜の寒さにびっくり。

見送ってからまた数人づつが ご飯を食べに。
揃って食べないので 私たち炊事班も合間に食べた。

全ての食事が終って 片付け終えて また会館に荷物を運んだ。
娘宅に寄ってから帰宅。
午後10時前に帰宅して 風邪がひどくならないことを祈りつつ、
明日、最後の撮影日のために 夜中までかかってフロランタンを焼いた。

焼き終わるともう12時半、すべてを片付け、
明日の炊き出しの用意をして 寝たのが深夜1時半過ぎていた。

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16日 最終日
なんとか風邪もひどくならないようで、ほっとした。
朝、隣町の農家さんから新米を買いに行き、トマトなどをもらった。
サラダの付け合せにしよう!

帰宅して、お祝いとしてお赤飯を蒸かした。
最初の撮影日にも こうやってお祝いの赤飯を持参して喜ばれた。
最後の日も、同じくそうしようと決めていた私。
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Nさんは、バナナケーキを焼いてきてくれた。
そして前日の残りごはんで五平餅?も作ってくれておいしかった。
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赤飯をお重ふたつに詰めて、13時に会館に。
すでにみな集まって 昨夜の鍋などを洗っていた。
最後のメニューは カレーライスとサラダ。
私はさっそく 玉ねぎ20個を切って炒めた。
大きな中華鍋で炒めたが油馴染みが良くて、使い勝手のいい鍋だった。
だんだん玉ねぎがあめ色になる。

野菜を切ってさて、煮こみ始めた。
あめ色玉ねぎのおかげで ルーは焦げ色でおいしそう!
Nさんが鶏肉4Kをカットして ニンニクとカレー粉をまぶしてから
粉をつけて炒めて 鍋に投入。

ルーも入れて だんだんおいしそうなカレーに!
夕方に、この会館で撮影する市民スタッフ数名にカレーを提供。
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ご飯も大量に炊いたわりには 水加減もよくできた。
映画出演に 緊張しているみなさんだが、
「こういうカレーが一番好き」とお代わりしてくれる人も。
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水族館の撮影が終わり、会館の部屋で会議をするシーンの準備がはじまった。
一気に大量の資材が搬入され、スタッフ10数人がバタバタ。
私たちは台所に立ったり、廊下にいたり。
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監督もやってきて、撮影の打ち合わせとリハーサルをくり返す。
緊張が高まっていく・・・
「本番スタート!」の声に 身動きもせず息をひそめてじっと待機。
それを何度も繰り返す。
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時刻はもう午後10時を過ぎているが スタッフの誰も食事をとっていない。
やっと本番の撮影が終ると 次は2階で小松政男さんのシーン撮影。
同じく、リハーサルと本番のくり返しが延々と続き・・・
終わったのが深夜12時頃、小松さんに花束と拍手!

機材を撤収して テーブルにカレーやサラダを出す。
差し入れのケーキや 続けて行う「打ち上げ会」のおつまみも。
ビールなどで乾杯し、坪川監督の感謝の言葉・・・
「だれひとり欠けても ここまで来られなかった。
本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです」

小松政男さんも挨拶、
「はやく完成した映画をみたいです。
こんなふうに映画を作る この町の人たちの協力に感激しました。
撮影完了おめでとう」
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赤飯も出して 食べてもらう。
市民キャストで小松政男さんの奥さま役の桃の枝さんとおしゃべり。
女優?さんなのに、とても正直で率直なお人柄に好感が持てた。
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1時間ほどで散会。
片付け終えて 2時頃に朝帰り。
なんだか、たったの2日間だったけど ぼおっーとした。
いろいろと片付け終ったら もう早朝3時を過ぎていた。
なかなか寝付かれなかった。

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翌日10時半には開館に出かけ、すべての道具を片付け。
掃除機をかけ、拭き掃除も完ぺきに終えた。
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急きょ帰宅してから 隣町に向かい 自然の会会議に出席。

夕方帰宅しても からだが動かなかった・・・
誠心誠意尽くしたのだという実感。
ああ、終わったのだ・・・

私のかけがえのない時代が こうして終わった。 

非日常のお祭りが こうして終わった。
by yuko8739 | 2018-10-19 12:27 | 映画 | Trackback | Comments(0)

映画製作応援団最後の炊き出し

思えばもう4年半が 過ぎていったのか。
この町の映画を撮りたいという 坪川監督の言葉を聞いてから。
「こんなにすばらしい町はないです」
そう言って監督は 脚本を見せてくれた。
私の鼓動は高鳴った!

ノスタルジックな港町の風情、工業都市の年輪、
そして町から15分で行ける イルカの泳ぐ太平洋と白い灯台、
ハヤブサの舞う断崖絶壁、ハマナスの咲く鳴り砂の浜、
真珠の首飾りのような大橋夜景と 絶景の工場夜景。

視点を外から見ると 私の町はなかなかドラマティックで美しかった・・・
以前は 何もない町と感じたこともあったが、
今は何でもある町、と本気で思うようになった。


そういえば名作TVドラマ「mother」のはじまりも 
この町が幕開けだった。
「港湾と自然の調和がすばらしい」とディレクターの言葉。

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映画から人生を学び、多くの感動を得て生きている私にとって、
自分のふるさとが映画になるのは なによりも大きな驚きだったし、
すばらしいことだった。

映画の神さま、今までの感謝を込めて私は好きな「炊き出し」で
できる限り映画制作に協力します・・・そんなふうに私は誓った。
初めての撮影手伝いは 牧場の一本桜の撮影。

その周辺の道路に立って 交通誘導をした。
撮影初日ということで赤飯を蒸かし、お菓子を焼いて持参。
甘納豆入りの北海道の赤飯は甘いので 東京から来たスタッフには
珍しがられたが。

食べて「おいしいね!」と好評だったのが うれしかった。
強い風の吹く寒い日で 初日に集まったボランティアの方々の
名前もわからず 緊張していた。

ケータリングという言葉の内容を こういうことか、と実感した。
2日目から 予算節約のため炊き出しボランティアがはじまった。
それ以後は 毎回40人分の食事や汁物などを数人で用意した。

思えば さまざまなものを作って来た。
撮影資金が集まると 1年に数回の撮影が行われた。
長ければ1週間、短くても3~4日。

すべては家族の協力があって できたこと。
炊き出しの際の我が家のご飯は ほとんどコンビニ弁当。
本当に ごめんなさい・・・

それでもさまざまな工夫と同志の協力で 大勢の食事作りも
楽しかったし、達成感があった。
ただ、昨年までは仕事をしていたので、多忙と疲労とストレスで
右耳が難聴になり、残念ながら通院しても完治はしていない。

それでも自分がしたことは後悔していないし、意味があったと感じている。
映画芸術に対しての奉仕活動は実に興味深かった。
東京から来る有名俳優さんやスタッフ。
撮影、照明、衣裳、ヘアメイクさんなど 専門家集団がいてこそ
撮影ができるのが映画だった。

そして膨大な数の専門家でない集団が 映画製作には必要だった。
海岸の清掃、交通誘導、撮影のために家を借りたり、道路のゴミを掃除したり。
役者さんを千歳まで送迎したり。時には 道路に雪を撒いたり、
トラックを借りて資材を運んだり。
馬を借りたり、傘や帽子を借りたり・・・果てしない仕事。

脚本家と監督とプロデューサーと役者がいればいい、というわけではない。
撮影の現場にも数回立ち会わせてもらった、ケータリング要員として。
たった数秒のカットでも 何度も、何度も撮りなおす。
芸術は、まさに辛抱そのもの、そして理想の映像を追求する、
想像を絶する作業だった。


炊き出しは、経費節約と温かい手作りの食べ物を提供したいとはじまった。
定番のカレーライス、わが町名物の焼きとり(正しくは豚串)
ふきのとうのかき揚げ、フキや山菜、クレソン。
しょうが焼きやごぼう飯、豚丼、ナムル、サバ缶入りの味噌汁など。

少しでも安くおいしくと 野山を奔走して工夫したメニューの数々を
おいしいとにこにこ食べてもらえて 最高だった。

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そんな私の炊き出しが あと2日で終わる。
いつかこの日が来ることは わかっていたが・・・

市内各所の町会会館台所などをお借りして 数人の炊き出しメンバーで
長い間 がんばってきた。
最後の撮影が終わる。

こんなに情熱を注いだことは 人生にそうあることではない。
映画製作の現場に たまたま遭遇できたことが 幸せだった。

さて、数日前の献立会議に続いて買い物も。
今日のメニューを 頭のなかで反復する。
さんまの生姜煮60尾や大鍋のキノコけんちん汁の
手順を繰り返す。

私のひとつの時代が 今終わりに近づいている・・・
by yuko8739 | 2018-10-15 08:32 | 映画 | Trackback | Comments(0)

ちいさい秋みつけた

そこここに ちいさな秋
雪虫も飛びはじめた
白い綿毛をまとった かすかな虫

雪の降るときが来たことを 
ふわりと飛んで 教えてくれるよ

今年は成り年なのか 山葡萄がいっぱい
寒くなると どんどん甘くなる
コクワも見つけた

真っ赤なアズキナシもきれい
ときどき紅葉した葉っぱも 見つけた


私の生まれたのは こんな季節・・・
小春日和の美しい日、と母は毎年教えてくれる
母さん、私を産んでくれて ありがとう

おかげさまで 健やかに生きて 善い人生です
幸せなことに 誰かの笑顔が大好きで
おいしいものを食べるのも 作るのも愉しくて

愛するものも たくさんあって
なすべきことも いっぱいで

老いてはいくけれど こころはより豊かに軽やかに
子どものように 満たされながら 
世界の不思議を 日々感じてる


この果てに 辿りつく場所は
きっと すてきなところに決まってる
先にいった愛する人たちが 待っている

だって生まれたときから そこに向かって
歩いてきたのだから・・・

今日は 赤い実や葉っぱに 話しかけた
アカゲラもすぐそばに 来てくれた
しあわせな 秋のひととき

ちいさな秋 みつけた

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アズキナシ
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ヤマブドウ
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ノブドウ
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by yuko8739 | 2018-10-12 19:34 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

血縁という絆

先日、入院中の息子のことを とても心配してくれている妹から
こんな言葉を聞いた。
毎週欠かさず妹夫婦は 病院に息子の顔を見に行ってくれている。

「心配で 顔を見ずに行かずにはいられない。
普段会わなくても、生まれた時からみているからね。
3人とも、みなかわいい、甥っ子も、姪っ子も。

会いに行って、顔色みて、よくなっているのを
自分の目でみて安心する、それだけ。
なにもしていない。
親のほうが どんなに大変か・・・
私たちは なにもできない。

普段は会っていなくても、こういうことがあるとすごく心配、
ある程度回復するまで いつも心のなかに そのことが消えなかった。
これが 血縁のつながりなのかもしれないね。
家族や親せき、いてくれるだけでありがたい・・・」

そんな言葉を聞いて こみ上げるものがあった。
思わず 涙がこぼれた・・・

いくらそばに住んでいるといっても 妹とは毎日会うわけではない。
趣味も気質も 全く違う。
スポーツ大好きの動的な妹と 本や映画など芸術好きで静的な私。
でも食べものの好みや社会的な感覚は 似ているかもしれない。


思い返すと、私が初産の時は 母が幼稚園教諭だったので
お産扱いができなかった。
病院から夫の実家に行ったが、アパートに帰って来た頃
妹が会社を休んで 家事の手伝いに来てくれた。

私たちはふたりで 生まれたての赤ん坊(今は入院中の息子)を
じっと見つめていた。
赤ん坊が訳もなく夜泣きすると 私と妹とふたりで困り果てた・・・
なんだか、そんな昔のことまで思い出した。

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子どもの頃は 決して仲がよい姉妹ではなかった。
大人になってから 仲良くなった。

それぞれの家で さまざまなことが起きた。
家族というのは いつも平安なわけはない。
修羅場もあり、愛憎激しく交差するし 事件も起きる。

受け入れがたいことが起きたとき、感情が高ぶったとき 
どうにか姉妹で語り合い 聴き合いながら生きてきたのかもしれない。
そんなふうにして 痛みや苦しみを どうにか
乗り越えられたのかもしれない。

なにかあったときに 必ず助け合い、支え合うのは
やはり「血縁」の絆だろうか・・・
この絆は ほんとうにありがたい。

今回の息子の病気でも そのことを強く深く感じた。
この妹が そばにいなかったら・・・
そう思うと ぞっとする。

道外から帰郷して 私の家のすぐそばに住むことを決めたのは妹。
それからもう 30数年が過ぎた。
そばに住んでからは ふたつの家族は いつもいっしょに出かけた。
夏のキャンプも焼き肉も 新年会も何かのお祝いも
いつもいっしょだった、まるで大きな家族のように。

私と妹の子どもたち5人は そんなふうに育ってきた。
今はお互いの子どもも 大きくなった。
わが家では 孫の時代も もう過ぎていった。
だが、妹の孫ちゃんと遊ぶのは楽しい!

ふたつの家族で出かけて みんなで過ごしたあの幸せな時間、
笑顔あふれる楽しいひとときは 永遠に宝物・・・

妹よ、ありがとう。
すぐ近くに 居てくれて。
姉妹で共に生きることを 選んでくれて・・・

これからも いっしょに歩いてください。
by yuko8739 | 2018-10-11 15:19 | 家族 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで2

鴻上さんは2015年に、 佐々木さんの亡くなる直前にも、
計5回の長いインタビューを行っている。
どうにか幸いに お話を直接聞くことができて この本ができたのだ。

鴻上さんは 何冊もの本や資料から科学的に検証しているが、
戦力としては 特攻隊は多くの成果をあげられなかった。
新聞やラジオでは そのような真実は報道されなかった。
実体のない勇ましい戦果が 美しい軍神の物語として繰り返し語られた。

戦艦に体当たりして沈没など、可能性としてあまりにも低い。
あっという間に 米軍のグラマン機に狙撃されてしまう。
軍上層部にも この作戦を疑問視する者もいたという。

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この本の第4章に、私が深く感動したエピソードがある。
昭和20年2月には、赤トンボと呼ばれた「九三式中間練習機」を
特攻に投入することが 木更津の海軍航空基地で発表された。

赤トンボの翼は羽布張りの複葉機で最大速度は200キロ。
迎え撃つグラマンはおよそ600キロ。
零戦による爆装特攻でさえ、成功が難しいのに・・・
この赤トンボによる特攻は無意味だ。

その会議で、末席に居た29歳の美濃部正少佐が立ち上がった。
階級としては一番下位の飛行隊長だった。 
「劣速の練習機でグラマンの防御陣を突破することは不可能です。
特攻の掛け声ばかりでは勝てるとは思えません」
参謀たちは、怒鳴りつけた。

「私は箱根の上空で零戦一機で待っています。
ここにおられる方50人が 赤トンボで来てください。
私が1人で全部たたき落として見せましょう」

「今の若い搭乗員に、死を恐れる者はだれもおりません。
ただそれだけの目的と意義が要ります。
精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。

「ここに居合わす方々は、幕僚であって、自ら突入する人がいません。
敵の弾幕をどれだけくぐったというのです?
失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか?!」

誰しも無言だったという。
しかしこのあとも練習機を含む「全機特攻化」は続いた。

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特攻兵として9回出撃して 9回帰ってきた佐々木友次さんや、
この美濃部正少佐のような存在を 知ることができて 
私は深く感動し、希望を抱いた。

あの時代にも正しいことを言ったり したりした人間が
軍隊のなかにも存在したのだ!
命令を受ける側の無念や苦しみ それを思うとき
私の涙は 枯れることがない。
「日本を救うため」の その勇気と死を 深く深く悼みます。

しかし命令した側の無謀、非科学的な作戦、部下の命を軽くみて、
自分たちだけが安全圏に隠れる卑怯。
軍の上下関係を最大限に利用して、多くの若者の命と未来をつぶした。
そのことだけは、断じて許さない。
決して忘れない。

東條 英機は「精神で勝つ」というのが 口癖だったらしい。
しかしアメリカ相手の戦争に 精神では勝てない。
最高司令官とは思えない、まるで子どものようではないか。

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軍隊を象徴する日本的な「ムラ社会構造」や幼稚な「精神主義」が、
特攻隊という形式をとって 多くの若者の命を奪った事実。

そのことを9回特攻兵として出撃し、生きて帰ってきた
陸軍の操縦士、佐々木友次さんらの体験を丁寧に辿ることで 
「特攻を命令した側」でなく、「命令された側」からの真実を知ること。

そこから考え、日本人として学ばなければならないことは
実に明らかだった。

鴻上さんはこう書く。
~「命令された側」になり、特攻隊員として亡くなった人たちに対しては、
僕はただ頭を垂れるのみです。一部の「自ら志願した」人たちも同じです。
深い尊敬と哀悼を込めて、魂よ安らかにと願うだけです。

「特攻はムダ死にだったのか?」という問いを立てるそのことそのものが、
亡くなった人への冒涜だと思っています。死は厳粛なものであり、
ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないからです。

全ての死は痛ましいものであり、私たちが忘れてはならないものだと思います。
特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して
冥福を祈りつづけるべきだと思います。

しかし「命令した側」の問題点を追及することとは別です。
「命令した側」と「命令された側」を ごちゃ混ぜにしてしまうのは、
思考の放棄でしかないのです。

特攻隊員の死は、「犬死に」や「英霊」「軍神」とは関係のない、
厳粛な死です。
日本人が忘れてはいけない、民族が記憶すべき死なのです。~

鴻上さんは本の終わりに、こう書いている。
~佐々木さんの存在が僕と日本人とあなたの希望になるんじゃないか。
そう思って、この本を書きました。~

鴻上さん、この本をありがとう・・・
by yuko8739 | 2018-10-09 11:41 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで1

 
8月末の新聞で、この本と作者鴻上尚司さんの思いを知り、
なるべく早く 読みたいと思っていた。

なぜかというと、この新聞記事により 特攻隊という作戦の
核心を正確に知ることが、今、この現代においても
深い指針と意味を持つと 私は感じたから。

亡き父が海軍飛行予科練習生(予科練)だったということも、
関係があるかもしれない。
父が予科練時代に、制服姿で写っている訓練生の写真を見たことがある。
15歳だった父の 凛々しく精悍な表情が印象に残っている。
天皇の赤子としての、これが父の青春だったのかと 私は今感じる。


昨夜、「不死身の特攻兵」を読了。
何度か、涙を止めることができなかった。
特攻兵に 美談はなかった。

出撃前夜の特攻兵の壮絶な苦悶の姿、それを隠して上官の前では、
晴れやかな明るい笑顔で 翌朝出撃してゆく兵士たち・・・
ふたつの顔を持つ特攻兵の姿に 涙がとまらなかった。

作者 鴻上尚司さんは繰り返し言う。
特攻隊のことを考えるときに、それを命じた側と
命じられた側のことを 混同してはならない。
自分が描きたいのは「命じられた側」のことだと。

あくまでも志願した形での出撃を 兵士たちは命じられた。
出撃を拒めなかった兵士たちがほとんどだという。
戦艦ではなく 桟橋を壊せという命令に
「いくらなんでも違う目標にしてください」という特攻兵に、
「何を攻撃するかは関係ない。死ぬことが目標なんだ」そう言い放つ上官。

だから9回特攻兵として出撃し、9回生きて戻ってきた特攻兵、
佐々木友次さんの存在は 奇跡としかいいようがない。
繰り返し戻ってくる彼に、上官は怒り「次こそ、死んで来い」と繰り返す。
それでも生きて戻ってくる彼を 最後は撃ち殺そうとしていたらしい。

佐々木さんは、どうして上官の「死んで来い」という命令に
逆らうことができたのか・・・
卓越した飛行技術と なによりも少年時代から憧れだった
空を飛ぶということが 好きで好きで たまらなかったのだ。

鴻上さんも指摘しているが、空を飛ぶときは上官からも
嫌なことからも 自由になれたのだろう。
父の教え「人間はそう簡単に死ぬものではない」
その言葉も 佐々木さんのお守りだったろう。

上官も軍も世間も、マスコミも特攻隊を どうしても美談に
しなければならなかったのだ。
国民もそれを求めたし、新聞は繰り返しその物語を掲載した。
国民の戦意高揚のためにも 軍隊の志気を上げるためにも、
必要な装置が「特攻隊」だった。

戦後、故郷北海道に生還した佐々木さんに、周囲の目は冷たかった。
生きて帰ってきたことを 責められている気がしたという。
佐々木さんは家業の農業を継ぎ、夫婦で4人の子どもを育て
2度と飛行機に乗ることはなかった。

そして、2016年2月9日、92歳で呼吸不全のため
札幌の病院で亡くなられた。
by yuko8739 | 2018-10-08 14:01 | 読書 | Trackback | Comments(0)

2018秋の海岸清掃ゴミ拾い

10月初めの小春日和の日は、隣町の東浜でゴミ拾いをした。
この数年は、毎年数回ほど海岸清掃に参加してきた。
今まで海岸清掃でゴミ拾いをしていたのは 遠くの海岸だったが、
この日は はじめて行く海岸だった。

隣町の市街地からさほど離れてもいない浜には、
意外だったが 漁をする魚船や船溜まりがあった。
こんなそばに 漁港があったたのか・・・
遠くの砂州には 釣り人の姿も。
対岸には 函館方面森町の北海道駒ヶ岳も見える。
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9時半に集合し、自然の会のメンバー5人と共に、
テトラポットのすき間や波打ち際、
そして船溜まりなどのゴミを拾った。
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海なので寒いと思って厚着したが、風もなく穏やかな日なので
すぐに汗だくになってしまった。
ゴミは予想通りに ペットボトルや空き缶、ビニールの破片などが多かった。
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プラゴミは紫外線や波で細かく砕かれ、マイクロプラスティックとなり、
海底に沈み、それを魚たちが食べてしまう。
その魚を食べるのは人間・・・

捨てたゴミは世界中の海を汚染しつくし、最後には人間の胃袋に入る。
そういう循環が見えると、恐ろしくてゴミなど捨てられないが。
何年間も繰り返しゴミ拾いをしても、また海岸に波がゴミを運んでくる。
海は世界とつながっている。

できることは限られているが、何もしないでいるわけにはいかない。
ゴミ拾いをすれば 拾ったゴミは2度と海に戻らない。
そして海岸のゴミは 目に見えて激減する。
この日、私たちは可燃ゴミ袋5つと不燃ごみ2袋分のゴミを回収した。
(他団体もゴミ拾いに参加)
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昼近くになって帰る頃に、海岸沿いの道路わきに
赤い実をいっぱいつけたハマナスに いい香りのハマナスの花も
1輪、2輪咲いていた。
穏やかな暖かい小春日和が続いたので 初夏と間違えたかな。
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ツルウメモドキもいっぱいあって、黄色い実をつけていたので、
数本の枝を もらって帰った。
黄色い実の殻が割れると オレンジ色の種が見えてかわいい。
真っ赤なノイバラの実も たくさんあった。
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暖かくて気持ちがよかったので また果樹園までドライブ。
待望の「あかね」を販売していたので うれしかった。
甘酸っぱいりんごを買って帰宅。 
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自宅に飾ったツルウメモドキは、ひと晩であっという間に黄色い殻が割れて
オレンジの種が見えてきた。
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by yuko8739 | 2018-10-06 19:50 | ボランティア | Trackback | Comments(0)

ウッドデッキのペンキ塗り

春にウッドデッキの全面的な補修工事をしたが、
ペンキ塗りは 天候のよい日が続いたときに自分でしようと思っていた・・・

しかし長雨ばかりが続き、大工さんが好意?で塗ってしまった、
防腐剤が落ちつくまで 時間もかかった。
夏もけっこう雨が多く。

さて、秋になったらペンキ塗り!と思っていたら大地震!!!
やっと落ち着いたと思ったら、家族の病気・・・
なにかと人生は ままならない。


刷毛もホームセンターで買ってあったし、この2日間は 
天気が良いと知り、え~い、やっちゃおう~!
渋って仏頂面の家人を誘い どうにかペンキ塗りスタート。

ペンキ塗りも 何年ぶりだったろう・・・
デッキの床板が傷んでしまい 足で踏み抜いてしまうのでは?
そんな恐怖もあったので、ペンキも塗らずに数年間放置。

今年春の工事では 床板のほとんどを全てはがして 
土台から新しく作り直したので もう安心!
秋の快晴の青空のもとで ペンキ塗りも楽しかった。
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シニアペンキ職人2人は 悲しいかな・・・
息は合わず?足腰の痛みを嘆き!照りつける暑さに汗をかき・・・
それでも少しづつ ペンキ塗りは進んだ。
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午後から 少し塗ったら もうペンキがなくなってしまった。
2度塗りするつもりだったが、またペンキを 注文しなくちゃ!

ペンキを塗り終えて 家に入りひと休み。
昨日もらった大きな栗を 煮てみた。
食べ応えのある大きな栗を スプーンでほじくって食べた、
う~ん、秋の味わい!素朴な栗の味、ほこほこ。
ついでに 果樹園のりんごも丸かじり。
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今年初めて 去年仕込んだ味噌で味噌汁を作った。
黄金色の味噌は すばらしく深い香り・・・
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まるっきり手前味噌自慢だが、
自分で仕込む味噌作りは おいしくて絶対にやめられない!

市販のものとは 味噌の甘さも香りも全く違う。
しばらくは この黄金自家製味噌の香りに酔う日々?
麹が甘くて、味噌おにぎりも最高・・・

わが雑草の庭では 枯れかけた紫陽花が秋になってシックに変身。
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秋明菊は わが世の春・・・
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by yuko8739 | 2018-10-04 20:10 | | Trackback | Comments(0)