ゆうゆうタイム

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夏の終わりと俳句

めっきりと寒くなった。
夏は静かに 終わりに近づく。
夜が長くなり、長袖がうれしい。
風の冷たさに驚く。
秋には 快晴の空を期待したい。

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昔から 読むことと書くことが好きなので、新聞の短歌俳句欄で
好きな句を探して味わったりしていた。

半年ほど前から TV番組の芸能人俳句添削コーナーを 
興味深く おもしろく見ている。
俳人で俳句の伝道師?夏井いつきさんの添削と講評がすばらしい!
なんだか私の俳句心に 火がついた。

夏井先生のコメントを聞いていて 感じたのは・・・
俳句とは 虚実取り混ぜての「詩」だということ。
そこに情景が浮かべば すばらしい句になる。

そこに気づいた私は ネットで季語を調べ、
思いつくままに 俳句を作ってみた。
不思議なことに 俳句は次々といくつも浮かんできた。
もしかしたら 私は俳句の「水脈」と出会いはじめたのかもしれない。

五七五のリズムは 最高に心地よい。
謂わば日本民族の魂に深く刻まれたリズム。
歌を詠むという行為は とても自然な気がする。

誰かに教えられたわけでもなく。
本の一冊も読んだわけでもないが。
そこに「詩」があれば 俳句を作るのは美しく愉しい。

もちろん駄作である。
でも大量の駄作を作り続けていくと そのなかの一句、二句は
自己満足できる句に なるのかもしれない。

自分のイメージや詩心を 五七五で綴る行為に歓びを感じる。
こういう言葉表現の愉しみが あったのか・・・

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先日のTV番組での俳句コーナーの劇作家渡辺えりさんと
東国原氏の俳句が とてもよかった。

渡辺えりさん作の季語なしの自由句!
この一句だけで、胸に沁みるドラマチィックな人生を
想像の翼でどこまでも飛んでいけそう・・・
夏井先生は「この句を劇化したら 必ず見に行きます」同感。
生きる人も死んだ人も 宿題かかえ 走る江ノ電   渡辺えり 作

東国原さんの詩情あふれる句は 情景までも浮かぶ。
幼い日の郷愁と大人になっての望郷や哀切な感情があふれる 
こころに沁みる俳句だった。
大人の自分が 子どもの自分と出会っている、時空を超えて。
詩と物語がある・・・
草茂る洞窟のこと多言せず    東国原英夫 作

俳句って すてきです・・・
by yuko8739 | 2018-08-31 12:20 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

2018年第2回「モルエラニの霧の中」中間試写会

私がサポートを続けてきた、「純正?ご当地映画」
坪川拓史監督「モルエラニの霧の中」の完成が近づいてきた・・・
思えば、4年半の長い道のりだった。

この映画の撮影や編集は、市民や企業からの賛同金だけで製作。
どんなスポンサーもつかない映画ということは、途方もなく資金繰りが
困難だった・・・撮影資金が集まれば 季節ごとに数日間の撮影に命がけ!
撮影日数を増やすことはできない!製作費の不足に直結する。

監督をはじめ、俳優さんたちも撮影クルーも、応援団スタッフも
限られた時間のなかで 「昼夜分かたず」の仕事となり、
ときには寝る時間も惜しむ。

そんな撮影期間のハードな働きを支える、我が炊き出し班の
モットーは、ただただ「安く、おいしく!」
献立作りから買い出し、寄贈食材の管理やら、時には早朝から
深夜まで 仲間と協力して4年半 この映画作りを支えてきた・・・

そんな「市民の、市民による、市民のための映画」も 
今年でいよいよ完成?となるようだが。
8月26日には、今年2回目の中間試写会を行うことに。
昨年夏の「夏の章」と今年の「冬の章」のオムニバス2章の上映会。
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「冬の章 水族館の話」の撮影炊き出しでは、
水族館裏手で採ったふきのとうのかき揚げが大好評で 
おいしかったことを思い出す・・・

小松政男さんが淡々と演じる夫婦愛が美しかった「夏の章静かな海」
昨年夏の撮影も懐かしい。
坪川映画は、映像の美しさと共に音楽、楽曲や歌のすばらしさが印象的。

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いよいよ試写会当日になり、少し離れた駐車場から走って会場に到着。
広い会場で物販の準備のあとで 入場者が来場しはじめた。 
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会場では今までの撮影スチール写真も展示、なんと美しい。
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大杉漣さんのスチールもあった。
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幸い、来場者も予想以上に多く 会場の椅子を足して100席以上になった。
私も、午後の上映1回目を鑑賞。
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監督の挨拶のあと、「夏の章 静かな空 港の話」がはじまった。
老いた夫婦の哀切な暮らし。
その機微を 豪華客船の入港歓迎セレモニーとからめて描く。

夏の章のあのメロディ、あの歌が聴こえてくると、
なんだか胸がいっぱいになって いつも泣いてしまう。
豪華客船を背景に 老夫婦の愛とかなしさが結晶する。

それが終ると「冬の章 水色の少年 水族館の話」はまだ記憶に新しい。
早春の撮影だった。(編集が途中でストーリーは未完)
撮影中に 主役の中島広稀さんの誕生日があり、ケーキをカットして
みんなで食べたっけ・・・

誰もわからないが、自分が参加した?ささやかな1シーンがあった。
一瞬だが、リハを繰り返して撮影待機時間はなんと2時間近く!
もちろん顔など写らないが・・・あそこに私が・・・ん??どこ?

一部上映が終り、私はいったん帰宅した。
夕方から映画応援団仲間の女性が 市の写真コンテストの
大賞を受賞したお祝いも兼ねて 打ち上げ会をすることに。

私は数日前から忙しくて、時間がなかったので、
当日宴会の前に2時間あれば みんなの大好きなお菓子、
フロランタンを焼けると思い、急いで帰宅してお菓子を焼いた。

お菓子を焼くのに2時間以上、でも会には間に合った。 
大賞を受賞したMさんには 可愛いリボンで飾ったカード付きの
お菓子を手渡すことができた。
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仲間から贈られたすてきな花束やお菓子を Mさんが喜んでくれて、
とてもうれしかった・・・
お祝いのあった店は お料理がおいしいので有名。
脂の乗ったサンマやほやの刺身、クジラベーコン、塩焼きそばや
だし巻き卵、串揚げやチーズダッカルビなどを みんなで楽しく食べた。

久しぶりの宴会だったので ノンアルビールで心地よく酔った気分。
みなさん、また、秋の撮影で会いましょう!

そしてその撮影は それで最後になるのでしょうか・・・
by yuko8739 | 2018-08-28 09:54 | 映画 | Trackback | Comments(0)

2018秋への序章/桑田佳佑の歌と出会う

すっかり秋の気温が心地よくて油断していたら 急に暑さが戻った!
1日の温度差は10度!2日ほど室温は30度以上。
一瞬のうちに気候がこれほど変わると 身がもたない。
夕食の支度には また濡れタオル・・・台所は料理の熱地獄!

暑くなる前のある日に この町の散歩に出た。
公園の雑草のなかの ネジバナを探しにいった。
行ってみると やはり咲いていたがもう花は終わり頃。
街路樹のナナカマドの実も ずいぶん赤くなった。
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ヒルガオのきれいなピンク色の花が群生し、ツユクサも青くてきれい。
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もうひとつの公園でもネジバナを探したが 芝刈りされて 
ネジバナも消えていた。
隣町への斜面の林では 青い栗の実や山葡萄の実も。
ススキの紅い穂も 揺れている。
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少しづつ季節は秋へと移り変わる。
今年の夏は ジャノメチョウがたくさん飛んでいた。
秋のトンボも 飛んでいた。
暑い日には セミも鳴くが。
夏と秋が混じり合うこの季節・・・
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桑田佳佑の昨年夏のアルバム「がらくた」と偶然出会って、
今はこのアルバムばかり 聴いている。
以前から 彼のバラードは美しくて大好きだったが。
(いとしのエリー、恋人も濡れる街角など数えきれない!)、

このアルバムの数曲は 強く深く私の魂を打つ。
彼の声の美しさに 感動する。
どんな音程でも 深みのあるその響きが心地よい。
耳にも、魂にも・・・
心をとらえる歌詞もいい。

人生のかなしさや懐かしさ、通り過ぎてゆくもの。
郷愁のようで もう 戻ってこないもの。
憧れや 恋に泣いた若い日も、嫉妬、孤独も。

そうだよね、そうだったね・・・と思わずうなずく私がいる。
甘くて苦い人生を味わった世代が ふり返って感じること、
思うこと・・・

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このアルバムのなかの私のベスト曲は
「杜鵑草」(ホトトギス)

人は何故 戯れに
叶わぬ恋に身悶えて
せつなさと虚しさに
心を乱すのでしょう?

逢いたくて 恋しくて
あなたと共に添い遂げて
もし夢が叶うなら
生まれ変われますように

川は流れ 水面(みなも) 煌(きら)めいて
木立そよぐ 緑麗しい
夏の日が蘇る

星の瞬きより儚い人生(いのち)と
君と出会って覚えた
砂の粒より小さな運命(さだめ)忍んで
見つめ合った日は帰らず

時は過ぎ 人は去(ゆ)き
すべてが思い出に変わり
幸せの意味さえも
サヨナラのあとで知る

長い旅の途中の車窓には
冬の風に吹かれてなびく
面影が揺れている

寂しがり屋の誰かを励ますように
こぼさぬように 涙を
あなたがいつも笑顔でありますように
たった一言の「お元気で」

星の瞬きより儚い人生(いのち)と
君と出会って覚えた
砂の粒より小さな運命(さだめ)忍んで
繋ぎ合った手を離して
振り向かないで 未来へ
見つめ合った日は帰らず


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魂を打つ、彼の裏声(ファルセット?)が なんと心地よいことだろう。
かなしげな歌詞と共に 人生を深く感じる歌。
何度も繰り返し聴いて、我が身にこの音楽を浸透させる。

この曲が魂と一体化したら やっと離れられる。
そしてこの歌は わたしのからだの奥から響くようになる。
by yuko8739 | 2018-08-24 11:34 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

2018「届かなかった手紙~時を超えた郵便配達~」

8月19日 NHKスペシャル「届かなかった手紙」
戦時中に 家族にあてた手紙を大切に離さずに持ち歩き、
また家族から来た手紙を抱いて 戦死した多くの兵士たち。
その軍事郵便が 各地で見つかっている。

その手紙を押収していたアメリカからも 73年の年月を経て、
その手紙が遺族に届いた・・・
遺族を探して その手紙を手渡すNHK特集。

過酷な戦場で 家族を思いながら倒れた兵士たち、
手紙には家族への優しさがつづられていて 私は号泣した。
親を気遣い、妹を心配し、飢餓の戦場でも「私は元気です」と書く。
故郷の月や山河、林檎、葡萄、山の栗を思う・・・

日本帝国主義精神は国民すべてに浸透し、全体主義を強要された。
真実は巧妙に隠され、思想のすべてをマインドコントロールされた。
そのはてに神国日本の天皇の赤子として 鬼畜米英と闘った兵士たち。

死守していた南方の海の島々を アメリカ軍は猛攻した。
後退の果てに砲撃を受け 塹壕は爆破され 火炎銃で焼かれた。
もしくは南方のジャングルで補給路を断たれて病死、餓死した。
望郷の思いを胸に はかなく南方の島々やジャングルのなかに果てた兵士たち。

この兵士ひとりひとりに 家族があった。
人生があった。
故郷もあり、食べたい母の味があり、背負ったきょうだいがいた。
それらすべてを守るための、「崇高な戦い」のはずだったか・・・

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彼らは 故郷の愛するものたちへ手紙を書いた。
愛する家族からも 手紙を受け取った。
 
命の瀬戸際でも妹を案じた兄の手紙は ペリュリュー島で書かれたが 
投函される前にアメリカ軍の攻撃を受けて 兄は亡くなった。
兄は出征前に父母を説得し 耳の不自由な妹を聾学校に入れた。

その後結婚して子どもも生まれ 今は介護施設で暮す榎本トキさんは、
今はじめて兄、茂木初男さんの手紙を受け取った。

「兄のおかげで自慢の息子や孫にも恵まれ、今は安心して
暮らすことができます。
兄に会いたくて いつも考えていると夢に出てくるんです。
でも朝が来ると兄は消えてしまうのです。
本当に戦争は残酷で悲しいものです」
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 ガダルカナル島で亡くなった渡部昇さんは、5倍の敵に銃剣で突撃。
部隊の九割が戦死、二九歳で命を落とした。
遺言を受け取ったのは 妹の渡部静子(84)さん。

兄は最後まで 妹や弟のことを気にかけていた。
静子さんは「もう駄目だと思ったんだろう。
その気持ちを思うと・・・」と泣いた。
遺書に焼いてくださいとあった昇さんの柳行李が 納戸から発見された。
そこには昇さんの写真や皮靴が・・・妹はただ泣いた。
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西春一さんは2万人が亡くなった硫黄島の戦闘により 38歳で戦死。
出征したときに母のおなかにいた息子は すでに74歳、
父を知らずに 寂しく育った。
妻トキエさんの書いた手紙34通すべてを 身につけて死んだ父。
その手紙が 今アメリカから戻ってきた。

生まれる子の顔も知らずに出征した夫に 妻は手紙を書き続けた。
~玉のような男の子が生まれました、あきひさちゃんとみんなで
  かわいがっていますよ~
~あきひさちゃん、よく笑いますよ、あなたさまによく似ていますよ~
~あきひさちゃんも大変知恵ついて もうお手てちょうちょうができるように
 なりました~
~毎朝毎晩5時半に神もうでをしております。
  お体大切に お祈り申し上げます~

その34通の手紙のすべてを抱いて 死んだ父。
手紙は ときを超えて父のぬくもりを伝えた。
息子の昭壽さんは
「辛いです。
この手紙だけが 絆ですから。
73年の歳月ですが、やっと帰ってきた・・・」
「本当に戦争さえなければ 思い出もいっぱいあったろうけど。
手紙だけが 父親です」と泣いた。
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昭和20年ルソン島の電信部隊の兵士たちも 年賀の挨拶を書いた。
田中三男さんの書いた手紙は 
弟の浦崎誠さんは、ナガサキで暮す家族に 無事を知らせようとしていた。
「家族のことを心配していた、むごいものです、戦争は。
諦めようと今までやってきた・・・」


本土防衛のための時間稼ぎの過酷な戦場で なすすべもなく
日本の男たちは死んだ。
ジャングルのなかで餓死した、ウジさえ食べた。

これほど兵士に過酷な戦いを強要した国はないのではないか。
水も食料も与えずに 死ぬまで戦えと命令した。
そして「生きて虜囚の辱めを受けず」自害した兵士も多数。
兵士をはじめ、原爆や空襲で 国民310万人が犠牲となった。

兵士が夢みて 帰りたかった故郷、家族。
待ち続ける家族にとって 73年の年月が過ぎても
戦争は終わらない。

かなしみを抱きながら 帰らぬ日々を夢見る。
むごい、むごいと泣きながら。
今も。

わたしも 共に泣く。

届かなかった手紙は 10万通とも100万通とも言われている・・・
by yuko8739 | 2018-08-22 12:22 | Trackback | Comments(0)

2018子ども食堂8月の夏カレー

第2回目となる8月の子ども食堂は、野菜たっぷり夏カレー。
9時に集合し、この日私は配ぜん担当なので ウエイトレスだ。
調理と配膳は 交互に2班で担当する。

食事のテーブルや椅子などを別の部屋から運搬したり。
壁にはポスターやかわいい絵のイラストを張ったり。
天井に風船をつるしたり。                   
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調理室だけで食べるのは手狭なので、今回から隣室も食堂として使うことに。
少しでも楽しい雰囲気作りのために 初回から風船などを用意し、
今回もさまざまなかわいい飾りものやカラーイラストを何枚も
用意してくれたSさん、ありがとう。                      
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隣の食堂では 調理担当班のみなさんが手際よく動き回って
班長さんの指示の声も てきぱきとよく響く。
サラダの野菜を切ったり、かぼちゃをチンしたり、食器を洗ったり。
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レクレーション担当の小学校の先生もやってきて レク会場で準備。
だが、なんとこの地域の「お祭り」と子ども食堂の日がバッティングした。
子どもたちはみこしを担いだり、出店で遊んだりしているだろうから、
果たして子ども食堂には 来てくれるだろうか・・・
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食堂のオープン時間が迫ると、高齢者の方々が一気に来場。
予想通りに やっぱり子どもの姿はたったひとり。
お祭りだもの・・・しょうがないよね。
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でも夏カレーは 好評だった。
高齢者の方々も ほとんど残さずに食べてくれた。
そのうちに 5人くらいの親子連れもやってきた。
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そしてこども食堂が終わるころに やっと子どもたち5人がやってきた。
浴衣風のすてきなドレスを着た女の子もいて
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一気に食卓もお祭りっぽく華やかに!
話を聞くと「これからバーベキューをするの、
カレーは 少しにするね」
それでも楽しそうにおしゃべりして「9月には またくるね!」と
にこにこしながら 天井に飾った風船を持って 帰っていった。

午後1時半に 最後のふたりの子どもたちの食事が終り、
スタッフが揃って カレーライスやミニトマトなどをつまみながら
反省会と次回の連絡など。

初回と違って ずいぶん動きも慣れてきて スムーズに調理が
できるようになってきた気がする。
少しづつ改善点を積み重ねていけば よりよい子ども食堂になるだろう。

アンケートでは 大多数が「おいしかった、また来ます」
「野菜がたっぷりのヘルシーメニューで よかったです」などの声。
地域のみんなが集まる楽しい場所として 今後も多くの方に
認知してもらえたら とてもうれしい。  

今回は、多くの方から たくさんの夏野菜を寄贈していただき、
カレーやサラダに ふんだんに使わせてもらった。
とてもありがたく、うれしかった。
by yuko8739 | 2018-08-20 09:18 | ボランティア | Trackback | Comments(0)

2018無謀で悲惨なノモンハンの戦い

8月15日 NHK「ノモンハン 責任なき戦い」をみた。
モンゴルの草原には 今もおびただしい塹壕のあとが大地に
深く刻まれて、胸を打つ・・・

塹壕の総延長は100kmにもわたり、何千何万の塹壕・・・
草原には 今も白い遺骨はあちこちに 野ざらしのまま。
時代遅れの銃で戦っていたらしく、明治時代の薬きょうも発見。
破壊された戦車の残骸も 放置されている。

日米開戦の2年前、1939年5月から9月の4か月間、
日本はソビエトと戦争をしていた。
ノモンハン事件と呼ぶが、事件というより 実際は国境をめぐる戦争だ。

日本陸軍の上層部が ノモンハンを赤裸々に語った音声テープが 
アメリカや日本で新たに発見され、それらの音声記録から 
その実態に迫ったのが、この番組だ。

関東軍は ソ連の最新兵器の戦力を過小評価し、
曖昧な個人の意思決定によって戦争を決め、またたく間に
主力部隊の8割を失った。
結局は、強力な最新戦車部隊を繰り出したソビエトに負ける。
日本はその後、ノモンハンの情報を隠匿した。
ノモンハンでの戦死者数は 2万人にのぼる。

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この戦争を強硬に主導したのが、関東軍参謀の辻政信少佐。
彼の強硬な「国境紛争処理要項案」が作戦の原型となった。
ほとんどなにも考えもせず、他の上司はそれを承認。
そして言う 「たまたま 紛争になった」・・・

陸軍参謀も天皇も ソビエトとの新たな紛争を避けたかったが、
しかし関東軍の行動を 黙認してしまった。
参謀本部にも 容易に口出しできないほど関東軍の力が高まっていた。

中央の了解もないまま、辻は越境爆撃を主張。
彼は陸軍参謀本部に 国家の一大事をはかることもなかった。
正当な手続きさえ彼は無視し、反対意見は握りつぶした。
参謀本部内にも 反対の意見があったのに。
 
なぜ、辻はこのような暴走を許されたのか・・・
陸軍内の人間関係(縁故:情実)が 強く影響した。
公正で公明な判断が必要な国家の一大事に このような
個人的な感情が 国を危うくした。

信じがたいが、しかし続く世界大戦にも 顕著に現れる、
日本の指導者たちの無責任体質。
この紛争で日本が敗れることは 明らかだった。
多くの情報も報告されたが、ソビエトの情報は無視され、
国際情報をも 日本は見誤っていた。

辻は歩兵戦を指揮した。
だが、ソビエトの総力を挙げた戦車や飛行機に対して 
歩兵戦は 無力だった。

多くの戦友を失った、101歳の元兵士、
島根県に住む柳楽林市さんは こう語る。
身を隠す場のない草原で 必死に塹壕を掘った。
「兵隊は鉄砲の弾のようなもの、なんであんなことをさせられたんだ。
死んだ者は 生き返ることができない・・・むだな戦争だった」

また元兵士 曽根辻清一さんは言う。
「鉄砲ひとつで 戦車に向かって行った」
長野近松さん(101)は、「殺すか、殺されるか 命がけ・・・」
各戦陣では 持ち場を死守するよう命令を受けていた。
4カ月で 死者2万。


この戦争が終わった後で 関東軍は現場の部隊長などに
責任を転嫁し、密かに自決を強要された数人が自決。
捕虜になって戻ってきた兵士にも ピストルを渡し自決を促した。

この紛争は、今では第二次世界大戦へのつながる重要なできごととして
位置づけられている。
もし、この国境紛争が起きなかったら 
日本の歴史は 大きく変わっていたかもしれない。


のちに辻は参謀本部に復帰、フィリピンやビルマ戦線で 
米国人捕虜の虐殺などにもかかわったが、終戦後戦犯容疑から
逃れるために逃亡、変装してタイに潜伏。

戦後は国会議員にもなったが、1968年に消息不明になった。
CIAの機密文書には「機会があるならばためらいもせずに
第三次世界大戦を起こすような男」(1954年の文書)と酷評されている。

結局は、このノモンハンの戦争で日本は 多くのものを失った。
そして同じ参謀たちによって 2年後に同じ無責任体質のまま
世界大戦へと突き進んだ結果 310万人の国民が犠牲となった。

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101歳の元兵士、柳楽林市さんは おぼつかない足取りながらも 
今も戦友の慰霊碑への墓参を欠かさない。
161人いた部隊は ほぼ全滅した。
「みなさん 林市が会いに来ましたよ、
ハルハ川の水をお供えするから しっかり飲んでくださいね」

この醜悪な無責任戦時体制を 国民のひとりとして糾弾する!
個人の立案した 根拠なき無謀な戦略を だれも止められないとは!

世界地図をみれば、アメリカという国がどんなに強大な国か、
わからないはずがないだろう、負け戦になるのは自明だと思うが、
それでも日本は戦争に突き進む、神国日本には神風が吹くといって。

ノモンハンの兵士たちのあまりの苦難と 取り返しのつかない犠牲!
指導者の無知無謀無責任!
涙と怒りが 怒涛のように押し寄せた・・・

 
by yuko8739 | 2018-08-17 12:55 | 社会 | Trackback | Comments(0)

2018悲嘆と祈りの8月

8月は連日 戦争に関しての新聞記事や報道番組が続く。
証言者が高齢化するなかで、こういうことを見聞きする機会は、
ますます 減っていくことだろう。

私は、見逃さないように予約しては 番組を見る。
そして泣く。
怒り、また何度も 泣く。


「駅の子の闘い~語りはじめた戦災孤児~」NHK

少し前にブログでも書いたが(朝日新聞から引用)
戦災孤児について NHKでも番組が放映された。
横浜市 金子トミさん(88)をはじめ、駅で浮浪児として
生きていた経験を持つ数人の証言者が 番組で涙ながらに
今まで語ってこなかった その過去を語った。

ある男性は、「食べものよりもなによりも ぬくもりが欲しかった」
大人は なにもしてくれなかった。
せめて優しい言葉ひとつ かけてほしかった。
犬猫のように 狩りこみされる屈辱と恐怖。
施設に入ってからも 浮浪児と執拗にいじめられた。

「船乗りたちの戦争」NHK
日本は先の戦争で 民間貨物船や小型の漁船までも容赦なく動員し、
「黒潮部隊」と呼ばれ 軍の管理下に置かれた。
アメリカ軍の動きを監視し 無線で通報する任務だ。
哨戒と呼ばれる敵の監視は 寝る時間もなく過酷なものだった・・・

無線は敵に傍受され、またたく間にアメリカの大戦艦から 
容赦なく砲撃されて船は木端微塵、
小さな漁船で沖に出た10代の漁師もいたという黒潮部隊の 
男たちは あっけなく海の藻屑と消えた。
まるで 海の特攻隊だ・・・

ガダルカナル島では 貨物船は物資を運ぶために深夜の海岸に
強行上陸の命を受ける。
どうにか命からがらで 生き残って島に辿りついた船員たち。
 
だがなんと船の船員たちは 島での戦闘では隊列の先兵にされた。
そして撃たれ、火炎銃で焼かれ あるいは餓死した。
沈没した民間船は、わかっているものだけで2277隻、
犠牲者は6万人。 

しだいに沈没した民間船があまりにも多くなり、
司令部は情報隠しで沈没船の数をごく少なく発表。
そのうちに沈没船の数は 気にならなくなったという。

「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇~」
NHKBS1

原爆についての詳細な証言と記録映像も放映。
アメリカの原爆開発科学者たちの ほぼ自己満足の功名心と、
政治的駆け引きの結果が 原爆投下だったという真実!
私は 激怒した。

それまでの秘密だった莫大な予算を 無駄に使ったと非難されたくなくて、
原爆の成功を「形」にする必要があった。 
戦略的には意味のない投下で 一瞬に12万人と7万人を殺した。

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8月に報道されるすべての戦争に関する番組を 私は見逃したくない。
今生きている証言者が 来年も語れるかどうかはわからない。
今のうちに 真剣に聞いておかなければ。
どれほど筆舌に顕わしがたい苦悩と苦痛を 戦争は人に強いるのかを。

そのことを脳のしわの奥深くに刻み込みたい、繰り返し何度でも。
そしてわが魂の底の涙の池が涸れ果てるまで 泣き続けたい。

それが多くの犠牲者への鎮魂と祈り、そして平和への願い
そのものになると思う。

そして「あなたのおかげで・・・今私は生きているのです」
そんなふうに 死者にはメッセージを伝え続けたい。


今朝も朝刊は 伝える。
消された戦争 軍の機密 焼き捨てた18歳
「戦友の命の集積。悪いことした」と。
by yuko8739 | 2018-08-14 09:33 | 社会 | Trackback | Comments(0)

2018海の磯遊び

この日は 自然の会の「磯遊び」、参加者は29人。
私たち料理班は8:30に、岬の家Fさん宅に集合して
すぐにそれぞれがさまざまな料理に取りかかった。
私は大根サラダを仕込み始めた。
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大根とにんじん、カイワレ、クラゲ、カニカマ、ワカメなどで
きれいでおいしそうな大根サラダが完成。
その後はカツカレーライスのカツを揚げたり、カレールーを仕込んだり。
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前日に私はホットケーキmixを使ったお菓子?を
頼まれていたが、作ったことがないのでネットで調べて
「炊飯器で炊くチョコレートケーキ」を見つけ、2台分の材料も用意。
持参した炊飯器で まず1台めをセット。

バターと板チョコレートを融かし、冷めてから牛乳を加え、
そこに卵と砂糖を少し泡立てたものを加える。
最後にココアとホットケーキミックスを入れ 炊飯器にセット。
炊飯のスイッチを押して待つだけ。

こんなに簡単なのに「つくレポ」が1000人を超えるほどの人気レシピ!
炊飯している間にも カレーもできあがり、カツを揚げて、
冷やしうどんも完成、さすが熟練主婦は手際がいい。

いよいよ炊飯器のブザーが鳴って 恐る恐るお釜の蓋を開けてみると
なんと、とてもいい匂いのふわりとしたチョコレートケーキが完成!
お釜にはバターを塗っておいたので 逆さにするとケーキはすぐに外れた。

余熱がとれてからカットして みんなで味見したが、みな「おいしい!」
炊飯器で簡単にできるケーキはいいね!というのでレシピも配った。
2度目のケーキも完成したので カットして大皿に
ひまわりみたいに並べた。
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テーブルにできあがった料理を並べてから 
新会員の若いRさんが 持参したボードにメニューを書き入れた。
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彼女は自分が働いている自然農園から、この日使う野菜などを提供してもらい、
新鮮野菜をたっぷり 運んでくれた。
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また、Rさん手製の新鮮なバジルで作ったジェノベーゼソースを持参。 
茹でたじゃがいもを炒めてから ソースをかけてくれた。
味見をしてみると、バジルが得意でない私だが、このソースは絶品!
これをからめたじゃがいもが なんとおいしかったことか・・・

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そろそろ昼も近づき、男性たちは外でテーブルなどをセッティング。
炭火もおこして とうきびとウインナの串差しも焼く。
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なんと雨と曇りだった天気予報は見事に外れた。
快晴の海で 子どもたちは磯遊びも存分に楽しんだようだ。
(写真提供 Yさん)
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外にごちそうを運び、いよいよランチがスタート。
さて みんなは喜んでくれるかな・・・?
さすがに夏の磯遊びのあとなので、子どもたちは食欲旺盛!
カレーや冷やしうどんを パクパク食べていた。

すべての段取りが終り やっと席に着いた。
カツカレーは夏にぴったり!大根サラダもおいしい。
冷やしうどんも 暑い日にはすっきり!
とうきびの串焼きもジェノベーゼソースポテトも
最高においしかった!Tさんの漬物も いつもおいしい。
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なんだか超豪華でおいしいランチに 大満足・・・
にこにこおいしそうに食べる子どもたちの顔を見て 
心からうれしかった。
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すてきな磯遊び特製ランチが一段落すると、Tさんのキッチンで洗い物。
女性がたくさんいるので、山のような洗い物もあっというまに終了。
その後、子どもたちは魔法のような資料室(なんでもありの
ワンダーランド?)で、Fさんから海の生き物などの解説を聞いた。
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その後も隣接するネイチャーセンターで 貝の説明を聞く。
元気な子どもたちは、庭の流木の吊り橋やテラスを駆け巡り、
歓声をあげていた。
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海があり、広い庭で遊べて 世界中の貝の展示もあり。
古くて歴史のある道具などもあり。
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岬のてっぺんまで歩いてすぐ、そこからの絶景はたぐいまれな美しさ!

そのうえで 何でも解説してくれる物知り(というより研究者!)の
Fさんがいて、奥さまのTさんも ここでにこにこと迎えてくれる。

解説が終ると いよいよフルーツシャワー(ポンチ)とチョコレートケーキの時間。
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楽しいおやつに 大人も子どもも目を丸くして興味津々。
果物好きの私は 冷たいフルーツポンチを何度もお代わりした。

会は午後2時に終了したが、その後会報取材のために、
この日大活躍のRさんに お話しを聞いた。
たくましくて優しく、おおらかでおいしいものが大好き。
そして自然児のRさんは、太陽のように輝く女性だ。

食と命、そして自然をこよなく愛する人。
これからは きっとこの会の中核を担う人になるだろう。

とてもすてきな1日だった・・・
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by yuko8739 | 2018-08-12 08:59 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

2018多くの死、おにぎり一つくれぬ国

2018年8月9日 朝日新聞朝刊より引用

「浮浪児」助けなき路上の日々
戦争孤児が見た社会の姿 より


誰も助けてくれなかったー
73年前の終戦後。
東京・上野駅など各地の大きな駅には「浮浪児」と呼ばれた子どもたちがいた。
親を失った戦争孤児。
多くの命が路上に消えた。
駅の子どもたちの目に写った社会、大人の世界とは。

多くの死 おにぎり一つくれぬ国 (一部引用)
横浜市 金子トミさん(88)は眼に涙を浮かべて、上野駅の
地下道や上野公園で暮した日々を振り返った。

母の実家がある山形県に疎開したが、そこで父が死去。
終戦の年の空襲で母を失った。
残されたのは当時15歳の金子さんと小学4年の弟、
小学2年の妹の3人。親類の家に居続けることができず、
東京に戻って働こうと自宅を目指したが、東京は一面の焼野原。
きょうだい3人は上の駅の地下道で寝起きする「浮浪児」となった。

夜は地下道の壁にもたれ、両脇に弟と妹を抱えるようにして寝た。
「浮浪者」「不良児」であふれ、足の踏み場もないほどだった。
昼は上野公園の「西郷さん」の銅像の周りで過ごした。
雨風が強い日はトイレの個室に隠れ、和式便器の上に板を渡して
3人で身を寄せ合った。

食事は1日サツマイモ1本。行商の女性から買った。
親類からもらったお金が命綱だった。
地下道では、朝になっても起きず、そのまま死んでいる子もいた。
みな栄養失調だった。
「かわいそうで涙がでたけれど、食べ門をあげることはできません。
妹と弟を連れて自分の生きていかないといけなかった」

胸の刻まれているのは国への不信感だ。
「政府はおにぎり一つくれなかった、ウソは申しません」
金子さんは幾度も繰り返した。
「死んで行く子を見るたび、国の偉い人がなぜおにぎり一つ
だしてくれないんだろう、どういうことなんだろうって、
数え切れないほど思いました。
孤児が死んでいくのをしっていたはずなのに・・・」

「狩り込み」(行政強制収容)で捕まったら、
牢屋に入れられると信じていた。
路上の孤児に食べものもくれない政府が保護してくれるはずが
ないと思っていた。

地下道の暮らしは数か月続いた。
その後、弟と妹は両親の郷里に別々に引き取られた。
金子さんは住込みの女中に出された。

今も当時の記憶で涙があふれる夜がある。
行き着くのは「戦争さえなければ」の思いだ。
「ひどい言葉ですけどね、もし戦争するっていう人がいたら、
ぶっ殺してやりたい。そんな気持ちです」


by yuko8739 | 2018-08-10 08:41 | 社会 | Trackback | Comments(0)

敗戦から73年

鎮魂の季節が やってきた。
310万人の国民が 犠牲になった先の戦争。
頭を垂れて 深い思いを抱いて祈りたい。

私は戦争で亡くなった犠牲者の累々たるご遺体の その上を歩いている。
その上を歩き続けて 生きている。
いつからか、そうイメージし、そう実感するようになった。


尊い日常から ふいに切り離され 兵士たちは補給路を断たれて
南方のジャングルで 餓死した。 

闘う力さえ残っていない日本各地で 必要のない空襲や艦砲射撃を
繰り返したアメリカ。工場や家が焼かれ 人々は焼け死んだ。
なんのために 多くの人々をあれほど殺したのだろう、アメリカは。
Japは 人間ではなかったのか・・・

天皇の言葉は 間に合わなかった。
3月10万人が犠牲になった 無差別の東京大空襲にも。
8月のヒロシマ14万人、ナガサキ9万人の原爆死者にも。
戦災孤児や引き上げ孤児など 親を亡くした12万の浮浪児にも。
間に合わなかった・・・

政府は浮浪児を「1匹、2匹」と数え、「狩り込み」しては 
子どもたちを 夜の山奥に捨てた。


ヒロシマ、ナガサキと違うタイプの原爆を落としたのは 
アメリカの実験だったらしい。
実験のために あれほどの日本人が殺された・・・

それでも 今も「敗戦」と言わない。
「終戦」という。
なにも終らせない国・・・

8月14日ポツダム宣言受諾後に 責任追及を怖れた政府は
証拠隠滅のために 大量の公文書焼却を閣議決定。
空が黒い灰だらけになるまで 数日間あらゆる公文書を焼き続けた。
 
沖縄では 今も戦争は続いているのだが・・・
誰が、なぜ、この戦争をはじめたのか!
そんな問いには 無言と空白の虚無。

証拠も何もかも 燃えてなくなった。
責任者不在の日本では そんなことは不明のまま。

軍命を死守させられ 兵士たちはただ死んだ。
異国のジャングルに 塹壕に 太平洋の島々の海底に、
今も故郷日本に帰ることのできない白い遺骨は
どんな夢を見ているのだろう・・・

この犠牲者の屍の上に 生きている私。
この国の尊い多くの犠牲者に 報いる形で自分は生きているのか、
ときどき自らに問う、そのことは。

日本人として 今生きる意味を問わずには 生きられない。
私の父は 特攻隊の生き残りだ。
あと数日敗戦が遅ければ わたしという存在もない。

鎮魂のこの季節を、63歳で逝った天の父は どう思うのだろう。
軍国少年兵から 一気に社会運動や組合運動に目覚めて活動した父。
不当に扱われる底辺の労働者に 寄り添い続けた。

生きているうちに じっくりとこの父に 聞いておきたかった・・・
by yuko8739 | 2018-08-09 11:47 | 社会 | Trackback | Comments(0)