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ゆうゆうタイム

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<   2017年 05月 ( 17 )   > この月の画像一覧

友とのんびり

ボランティアとボランティアの間に 1日だけ空いた日・・・
気晴らしも たまには必要と、友だちにつき合ってもらって出かけた。
気温も22度と高く 港に近い公園を散歩した。
水族館の隣にあるのに 静かな公園で誰もいない。
樹齢を重ねた藤の藤棚もあって 花が咲きかけていた。
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エゾノコリンゴ(野の木)の愛らしい花。c0204725_1052890.jpg

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八重咲きのピンクの桜は終わりかけだが、白い桜は満開だった。
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地面には散り落ちた桜の花びらが ピンクのじゅうたんのよう。
なかなか すてきな公園だった。

それからお気に入りの蕎麦屋さんに行き「鴨せいろ」でランチ。
この店の鴨は 火の入れ方が絶妙で 厚みがあるのに柔らかい。
細めの手打ち蕎麦と 熱々の鴨入りのおつゆがベストマッチ。
札幌など遠方からの客も多いと聞く、ネットでも評判だ。
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久々の蕎麦に満足して ウインドウショッピングのあとは、
おいしいものがいっぱいの ひいきの個人商店に行き、買い物いろいろ。

それから隣町まで出かけて、自主上映チケットの売上げを回収。 
帰りに すてきな薔薇cafeに寄り スイーツと紅茶などを愉しむ。
店の自慢の庭には 白い山吹や紫色のビオラなど、ロマンティック。
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店は混んでいたが どうにか座ることができた。
オーナーのセンスのよい夢のようなスイーツとドリンクに癒された。
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すてきなCafeには 深い満足感がある。
スイーツやドリンクも ほかの店とは違う。
店のたたずまいも どこよりもすてき。
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ずっと ここに居たいと思わせてくれるたたずまい。
いいなあ・・・すてきな庭も花も、料理やスイーツも。
そしてオーナーの笑顔も・・・

久しぶりに 満ち足りたいい時間を過ごせて、幸せ・・・
さて明日は、記念誌の印刷、夜は会議、がんばるぞ~
DV被害者支援NPOボランティア(20周年)が終わるまで あと数日!
by yuko8739 | 2017-05-31 11:15 | 友達 | Trackback | Comments(0)

万緑の山の恵み

5月29日
今日は快晴で気温も20度を超えて暑かった。
娘が退院するので、病院に迎えに行き自宅まで送った。
内視鏡を入れた部分が痛むらしいが 到って元気。
もう食事も普通食だ。

娘を送ってから帰宅して、タケノコの節取りをしながら、
「煮しめを作るのには フキが足りないかなあ・・・」
そう思ったら 即動きだすのが私。 
フキ採りの定番スタイルで 買い物かごのなかに
研ぎたて包丁を入れて出発!
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雨のあとの瑞々しいフキが あっという間に(20分足らず)
けっこう採れた。新緑はあっというまに万緑になっていた。

大気中に 白いふわふわが 無数に舞っている。
もうこの季節なのか・・・これは柳絮(りゅうじょ)という。
春になると柳の熟した実から 綿毛を持った種子が飛び散るのだ。

フキを採って大急ぎで帰宅し、出張に出かける息子を駅に送った。
フキをゆでて皮をむく作業は、夕方から少し休んで 
夕ご飯には おいしいだしを取って竹の子ご飯を作った。
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夕食後は 大鍋で煮物を開始。
道産子(道南?)の山菜料理の定番とも言えるのは、 
フキとタケノコと身欠きにしんの煮物。
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他にもさまざまな山菜料理はあるが、なんといっても、
これを食べたくて?道南の道産子は熊やダニの危険を顧みずに 
山に入るのだ。(と思う)
隣町では年配の方が山菜採りで行方不明とか・・・無事だといいが。

大量に煮物を作るのは、おすそ分けのため。
母や義母、娘や友達に 季節のおいしさを届け、分け合いたい。
多分、今週が山菜採りの終わりの週になる。
あと1回もらえるタケノコは 皮つきで焼いたり味噌バタ炒めもいい。

夜のウオーキングから帰ってきて、次はウドとワラビの山菜仕事。
深夜過ぎて 仕事は早朝2時すぎまでかかった。
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フキ採りをしていたら ホトトギスが美しい声で鳴いていた。
昨夜、泊まった孫を家に送ったら、家のそばの森で、
「じょっぴんかけたか」(錠をかけたか?)とエゾセンニュウの声。
夜に響く鳥の美しい声も なかなかすてき。

春と初夏が混じり合う いい季節・・・
山にも町にも 白い花が増えた。
町の街路樹のナナカマドには 真っ白な花が咲いている。
野山には キガラシの黄色い花が目立つ。

わが家の八重桜は数千個の花をつけて 美しく見事だったが
今は散って道路が「桜吹雪」のピンクのじゅうたん。
明日は 掃除をしなくては・・・
by yuko8739 | 2017-05-29 23:56 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

雨の日のポークカレー仕込み

先日の雨の日は13度~9度と、寒かった・・・
カレーの仕込みのために、前日に包丁を4本研いだ。
もう30数年余りの経験と慣れもあって 我ながら包丁研ぎの腕はいい。

土曜日は雨なのに 朝まだ暗いうちから合羽を着て山に入り、
山菜採りに行った妹の連れ合いから またたくさんの山菜を
もらった!うれしい!夕食後に ひとり深夜まで「山菜仕事」・・・
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ゆでたり、皮をむいたり、夜中12時過ぎまでやったが 
なかなか終わらない。残りの仕事は翌日に。

翌日朝には切れ味のいい包丁を使って 大玉ねぎ7個を千切りに。
あっというまに完了した。切り口が滑らかな千切り玉ねぎは 
寸胴鍋の上まであった。
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このくらいあっても、茶色になるまで炒めると4分の1程度になってしまう。
豚肉は赤味が多い道内産のバラ肉、それを切って塩、コショウ、カレー粉を 
ふりかけてしばらく置く。
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フライパンに にんにくと生姜のみじん切りを低い温度で炒めてから
小麦粉をふりかけた豚肉を入れて、表面を焼きつけるように炒める。
それを茶色玉ねぎの寸胴鍋に入れて、小さな火で煮こむ。
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ことこと・・・すりおろしりんご、ソースやケチャップ、セロリシード、
ローリエ、ガラムマサラ、ドライトマトのオイル漬け、ジャム、ワインなど、
家にある おいしくなるようなものすべてを 放り込む。
そして 火を止めたりつけたりしながら ゆっくり煮込む、これが1日目。

2日目は、いよいよカレーのルーを入れながら 味(濃度や塩分)を調整。
わが家は 市販のカレールーを3種類以上入れる。
炒め玉ねぎのスープが甘くて絶品なので、カレールーは多く入れない。
それをまた、1晩寝かせる。 

いい匂いにつられて我慢できない家族は 2日目に食べ始める。
3日目、玉ねぎと豚ばら肉の甘さが スパイシーなカレーのコクと
渾然となり、何ともいえない深い味わいの我が家流ポークカレーが完成!
カレーやシチュー、ラーメンなど 煮込みのごちそうを作るたびに思う。

手間ひまをかけたものは どんなものもかなわない。
時間が作りだすおいしさは 格別なもの。
手間を惜しんでは このおいしさは逃げてしまう。
手間ひまかけたご飯は 家庭の宝物。

今は働く女性がほとんどだから こういう料理を作る余裕が
ないかもしれないのが なんだかとても残念・・・
ときに余裕があれば 手間も時間もかけてひと品を仕込んでほしい。

といっても私の場合だと 2時間弱で基本のソースは完成する。
あとは 火を入れたり 消したりするだけ。
おいしくてカレーばかりを 家族は何日も?食べたりするから 
アレンジすれば 3日くらいの料理の手間は省けるかも?
(カレーパスタ、カレーうどん、カレーチャーハン、カレーチーズドリアなど)

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所属するDV被害者支援NPOが 20周年を迎えるので、
4月から さまざまな形で協力している私。
夜の会議を重ね、祝賀会の準備や記念文集を作ったりしている。

この日は朝から記念誌の校正作業で 10時から読み合わせ。
作業に集中するので 頭も眼も喉もオーバーヒート、帰宅は午後5時!

疲れ切って帰宅したが、おいしく完成したポークカレーがあるので、
あっという間に晩ご飯ができた!うれしい。
家族や孫ちゃんが おいしそうに 笑顔でお代わりをした。

カレーはあくまでもまろやかで 茶色玉ねぎの甘みを感じる。
おいしい食べ物は静かで 決して押しつけがましくない。
豊かな味わいで、豚肉はほろほろと崩れるほど柔らかい。
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校正作業の合間に 入院している娘に会いに行ったら 
明日退院と決まったらしい。
早く退院できてよかったね!!!ほっとした。



by yuko8739 | 2017-05-28 22:13 | おいしいもの | Trackback | Comments(0)

「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

やっぱり1日で読了した。

高校時代に、とても仲がよくて 気も合って ここが自分の
居場所と 心から思える完璧な調和の4人の仲間たち。
大学に入っても、帰省しては語り合い その仲間に属していることが
幸せだった主人公、田崎つくるは 突然その仲間から
理由もわからずに 完全に拒否され はじき出されてしまう。

どうしてか、わからない・・・暗い海に 投げ捨てられたよう。
帰る場所が なくなった。
理由を聞く気にもなれないほど つくるは混乱し、絶望する。
半年もの間、死ぬことだけを考えて 人格も身体も別のものに変わった。

それから 長い16年もの年月を経て つくるは仲間に会いにいく。
なぜ、自分は あのように扱われなければならなかったのか。
その理由を知るために。
そのことと 向かい合うために。

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本を読んでいて、自分にも似たようなことがあることを思い出した。
ごく親しい高校時代の友だち、中年になってからも時々会って、
親しく深く 会話した。

ある年の暮れから 一切のメールも手紙もなくなった。
なにがあったのか わからない。
答えのない問いばかりが繰り返される、どうして?どうした?
このままだと 苦しい。

私がなにかしたのなら、それを話して。
「あなたが傷つくと思うので それは言えない」
私は理由がわからないことに より深く傷つき 彼女から離れた。
考えても いまだにわからない。
いまだに終わらない 私の混乱と怒りを 思い出した。

互いに友だちの少なかった十代の頃から 深く本音で語り合う
友情を育んだつもりだったのに、あなたは私に
なぜ こんな仕打ちをしたのだろう、消えない傷・・・



田崎つくるさん、あなたは少なくとも その理由を知った。
私は いまだにこの魂の隙間に「どうして?」という痛みを残したまま。
あなたほど苦しみもしなかったし、他にも友達はいたけれど。

だから、主人公のやるせなさ、人を信じることの怖さが 
私にもわかる気がした。
とくに 理由がわからないということに対しての混乱が。

その後の人生を「色彩を持たない」自分として 生きる辛さが
身に沁みる。
こころの内側は 閉じてしまっている。
それだけ 怖くてたまらないのだ。

ひとり、親友と言えるほどの友だち、灰田とよい関係を築いたかに
思えたが、突然灰田は去ってしまう。
忽然と つくるの前から姿を消した。

人生の不条理を 作者はこのエピソードで描きたかっただろうか。
あんなにすばらしい友情を得たかに思えた瞬間に 友が去った。
理由も 何もかもわからないまま。
最後まで その謎は明かされない。


しかし、中年になった今、恋人の後押しによって、
十代に出会ったすばらしい仲間たち、自分の居場所を 
中年の今辿り歩く。
それこそが 彼の「巡礼」なのだ。

出会った3人と本音で話すことで つくるは癒されていく。
それぞれの友は つくるを失ってしまったことで もうあの5人の輝きは
帰ってこなかった、失ったと語る。
完全なバランスをとっていた5人は だれが欠けても元通りにはならない。

そして、つくるのなかでは だれもが傷つかずに生きていけなかった
という意味において 仲間は まだ仲間のままなのだ。
失われたかに思えた絆を 確かめる巡礼でもあった。
死と再生の物語。
この文章が 深く心に残った。

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。
魂のいちばん底の部分で田崎つくるは理解した。
人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。
それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。
痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。
悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、
痛切な喪失を通り抜けない受容はない。
それが真の調和の根底にあるものなのだ。

この言葉に 魂は深く打たれた。



by yuko8739 | 2017-05-26 12:10 | 読書 | Trackback | Comments(0)

共謀罪/「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」

まさに狂暴な「共謀罪」が5月19日、衆院法務委員会において
またまた強行採決されてしまった。
これは民主主義ではない。
多数者の横暴だ。

討議を尽くし、共に考えて 練りあげていくということが 
この国の政治から 消えてしまった。
安部一色の政権で 本当にいいのか?
安部首相が先導して ひた走るこの国の将来は 戦争へと直結している。
自民党内部から なぜ反乱が起きないのだろうか・・・

なにもかも 安倍氏の個人的意向、意思ですべてが進み、
誰の反対の声も聞こえない、不気味だ。
独裁者の匂いがする。
 
憲法改悪も、2020年を目標にするとは どういう意図?
何かを隠ぺいするのに 眼をそらすということ?

国連の人権侵害などを調査し、報告していている「特別報告官」
J・カナタチ氏が、人権侵害の恐れがあるとして
「プライバシーに関する権利と表現の自由への過度の制限につながる
可能性がある」との書簡を 22日までに安倍首相宛てに送った。

その理由として、法案の「組織的犯罪集団」や「計画」
それに「準備行為」の定義があいまいなうえ、処罰の対象となる
277の犯罪の中には、テロや組織犯罪とは無関係なものも
広く含まれ、法が恣意的(しいてき)に適用される危険があると指摘。

菅義偉官房長官はこの書簡を「一方的」「書簡の内容は明らかに不適切」
などと批判。カナタチ氏からは 質問点が4つ出されているが、
それに答えるどころか、外務省に「強く抗議」させている。

このような日本の感情的な対応は、国連をはじめ海外に
「日本は人権侵害国家」と自ら喧伝しているようなもの。

恥をさらし続ける安部政権、このことが海外にも知れわたると、
海外メディアからも厳しい指摘が 寄せられている。
人権意識全くなし、憲法違反など 批判の声は高い。

共謀罪法案を整備したら テロを未然に防げると
単純に考えることが誤りなのである。
「テロ対策」という美名の下に隠された政府や国家権力の
罠を見抜く必要があるのだ。    弁護士  山下幸夫

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「色彩をもたない田崎つくると彼の巡礼の旅」

「ねじまき鳥」のあまりにスリリングな 深い世界に魅了された私。
本棚にしまってあった 古本市で買った数冊のなかに
村上春樹の本を発見、「色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年」

娘が今日手術を受けるので、病院にこの本を持っていったら・・・
読むのをやめられない。(娘の手術は無事終了)
10時過ぎに 病院に出かけて午後2時頃に帰宅した。
家で仕事をしながらも合間を縫って また本を開いてしまう・・・

この調子なら・・・1日で読み終えるのではないか。
恐ろしい。
今まで嫌っていた村上春樹の本が こんなにおもしろいなんて!
どうしよう・・・私もハルキストという病気に なりかかっているのかな?

「春樹の本には サンドイッチだのパスタだのトーストばかり出てきて
白めしが全く出てこないのがおかしい!日本人だろ!」
そんな読後感を書いていた人がいたが、ちょっと笑ってしまった私。
でもきっと春樹さんだって、白いご飯を食べていることでしょう。

「一千一秒物語 」(新潮文庫)      稲垣 足穂(著)
「傷だらけのカミーユ 」(文春文庫)   ピエール・ルメートル (著)
など、おもしろそうな本が 私を待っているのに・・・

田崎つくるさんと また同行している私です。
by yuko8739 | 2017-05-25 18:25 | 社会 | Trackback | Comments(0)

洞爺湖3人ドライブ/大人になるということⅡ

先日、娘と仲のよい帰省中の甥と3人で 娘の運転で洞爺湖にドライブ。
気持のよい快晴の青空に 気分はうきうき。
長く北海道から出て暮らした甥は、食べるものがおいしくて 食べ過ぎて困っている。 

この日の洞爺湖ランチも、あの店?こっち?と、
さんざん迷った挙句に ドイツ仕込みのウインナソーセージの店で。
ドイツ風の三角屋根のきれいな店だ。
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ウインナソーセージメニューとハンバーグカレーを注文。
ビールと手作りウインナーは、すごくマッチしておいしかった。
私は手製のベーコンも大好き。
ビールでほろ酔いになってから 壮瞥の梅公園に行く。
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前にここに来たときは 梅は三分咲きだったがこの日は最盛期を過ぎていた。
花の時期は難しいが、駐車場は車でいっぱいだった。
それでも遠くに羊蹄山、洞爺湖には中島が浮かび、空は快晴。
なかなか絵になる風景だ。
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甥は「洞爺湖にこんな場所があるなんて 知らなかった!
すごい景色だね!」とびっくり!
「洞爺湖は、キャンプの印象ばかり強くて」
満開のときに 見せてやりたかった・・・
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そこから 向洞爺の「水の駅」そばの農園に行き、お目当ての
なつみ(カラマンダリンとポンカンの掛け合わせ)みかんを、
買おうとしたが、売り切れだった。

このみかんを先日買い、そのおいしさに感動。
せっかく買いにきたのに買えなくて 果物好きの私と甥は残念無念・・・ 
(後日FAXで頼んで 購入できた)
そうこうしているうちに、あっというまに3時過ぎて、
娘に用事があったので、高速で帰宅した。
慌ただしかったが なかなか楽しい洞爺湖ドライブだった。

その日の夕方、妹宅で山菜仕事。
たけのこは少しだったが 初物を賞味。
味噌マヨつけて うっとりと味わう。
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夜は今年初の「新生姜の佃煮」を仕込んだ、ピリリとおいしい!
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<大人になるということⅡ>

前のブログで書いたことに 付け加えたいことが どんどん湧いてきた。
今の時代は 人間の成熟ということに特に自覚的でなくてはならないと思う。
何歳になっても どんな人間を目指すかと 考えることはとても大事なこと。
なぜなら、今は大人にならなくても済むような時代だとも 言えるから。

また、どういうことが人間の成熟かと誰かに問えば、
その返事で 相手の個性がわかる気がする。

私の場合は・・・
自分のなかの善と悪、暴力性には 自覚的であること。
自分のしたこと、言説には責任を果たすこと。
人間の権利を 尊重すること。

人の間違いには 寛容であること。
間違いを犯した場合は 誠意をもって謝罪すること。

あらゆる差別を(内なる差別も意識的に)排斥すること。
歴史の事実を知る努力を 怠らないこと。
社会や政治に深く関わり続け、意思を明言すること。
行動で 示すこと。

自分のなかに 不偏的な「正義」を育てること。
そして してもらうより、なにかをしてやることを歓びとする。
考えれば いくらでも出てきそうだが。


でもひと言でいうのなら、こう言う。
「ひとりを 遊ぶ」
「他人と 笑う、食べる」

大人になるって、こういうことでしょ?

それが できる人でしょう?




by yuko8739 | 2017-05-23 13:31 | 家族・親族 | Trackback | Comments(0)

大人になるということ

以下、「内田樹研究室」
~村上春樹の系譜と構造~より引用

男たちは誰も人生のある時点で少年期との訣別を経験します。
「通過儀礼」と呼ばれるそのプロセスを通り過ぎたあとに、
男たちは自分がもう「少年」ではないこと、
自分の中にかつてあった無垢で純良なもの、傷つきやすさ、
信じやすさ、優しさ、無思慮といった資質が決定的に
失われたことを知ります。

それを切り捨てないと「大人の男」になれない。
そういう決まりなのです。けれども、それは確かに
自分の中にあった自分の生命の一部分です。

それを切除した傷口からは血が流れ続け、傷跡の痛みは
長く消えることがありません。ですから、男子の通過儀礼を
持つ社会集団は「アドレッセンスの喪失」(少年期との決別)が
もたらす苦痛を 癒すための物語を用意しなければならない。

それは「もう一人の自分」との訣別の物語です。
弱く、透明で、はかなく、無垢で、傷つきやすい
「もう一人の自分」と過ごした短く、輝かしく、心ときめく
「夏休み」の後に、不意に永遠の訣別のときが到来する。

それは外形的には友情とその終わりの物語ですけれど、
本質的には おのれ自身の穏やかで満ち足りた少年期と訣別し、
成熟への階梯を登り始めた「元少年」たちの悔いと喪失感を
癒すための自分自身との訣別の物語なのです。

もちろんすべての男たちがそのような物語を
切望しているわけではありません。
そのような物語をとくに必要としない男たちもいます。

「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことの
なかった男たちはおのれの幼児性をそのままにひきずって
外形的にだけ大人になります。
私たちのまわりにもたくさんいます。

外側は脂ぎった中年男であったり、不機嫌そうな老人で
あったりするけれど、中身は幼児のままという男はいくらでもいます。

彼らは「アドレッセンスの喪失」を経験していないので、
その喪失感を癒すための物語を別に必要とはしていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人間の成熟って どういうことだろう。
内田樹氏が、村上春樹の小説を論じた文章は、「男」の成熟について、
書いてあって なかなか興味深いが、女は?
男の成熟があるのなら 女の成熟ってどういうことだろう。

男女問わず、青年期には自我の確立に伴い、葛藤や痛みが生じる時期。
一心同体だった親と離れなくては 大人になれない。
つまり「子ども」だった自分との決別。

でもそのことは もしかしたら一生をかける「仕事」だという気がする。
大人になっても強い形で 親への依存が消えない場合もある。
肉体的にも 精神的にも(可能なら)ずっと 子どもでいたい根源的な願望が
人間には あるのかもしれない。
シニア男性が妻を子守り役にしたがるのは、そういうことではないか。

しかし、人は大人になる階段を登っている。
親だけにすがるのではなく、自分の理想や希望、親以外の友や仲間と
新しく関係を創って いかなくてはならない、つまり自分だけの人生を
創っていかなくてはならない。
もちろん、それは「親捨て」ということではない。

親への愛と敬意を大事にしながら、「依存しない」という覚悟が子どもには必要だ。
依存しないで生きていくことを、自覚しなければならないと思う。
まさに「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことの
なかった男たち(女たちも?)はおのれの幼児性をそのままにひきずって
外形的にだけ大人になります」
その通り!!!

成熟ということに関しては 男女差はないだろう。
現代に多い、「母子密着型」の親子は、一見友達のように仲がよい。
しかし 仲良きことは 本当に「美しい」だろうか。
母子ともに 互いに無批判で 同じ価値観だけで人生に向かうのでは、
そこに人間の「個」としての輝きは薄い、まるで双子のように同じ形に見える。

男も女も すべて「個人」として生きるのでなくては 成熟した生き方には
ならないのではないか。
依存させ続ける親、過干渉の親は子どもの成熟をどこまでも 阻むことになる。

親には、依存したいが 依存しないと覚悟を決める。
そして ひとりの大人として 親への愛と敬意は惜しみなく注ぐ。
親を含めて 他人と適正な距離を取ることは 大事なこと。

ひとりの時間、自分と対話する時間を持つこと。
そして自分の流儀は 他人には通用しないと認識すること。

そういう人間の形が 私の理想かもしれない。
by yuko8739 | 2017-05-21 09:25 | | Trackback | Comments(0)

新緑の今を生きる/我が家の庭

昨日から 快晴の青空!!!
やっと長くて寒い雨が 去っていった~
10日ぶりの紺碧の青空が まぶしい。
こころがどんどん軽く 明るくなっていく。

母の日に、時間をかけて 心尽くしのごちそうを作って。
ヨモギ餅といっしょに ケアハウスのふたりの母たちに届けた。
とても喜んでくれた、ふたりの母。
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娘と息子からは 母の日に かわいい花束とすてきな
手紙グッズをプレゼントしてくれた、ありがとう・・・
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そして、1昨日はやっと1日空いた日に、忙しくて放置してあった
ウドの後始末。皮をむいて茹でて 母の好物の酢味噌和えに。
あとはウドの味噌漬けやご飯の友には 香り高いうどのきんぴら。
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わが庭にも オオバナノエンレイソウがやっと
咲いたのに、雨ばかり。
大きな白い花が ずっとうつむいていたが、
お日さまが照ったので 花もうれしそう。
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Mさんから頂いたホダ木から また大量のシイタケを収穫。
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淀川ツツジも もうすぐ咲くだろう。
八重桜のつぼみも紅く膨らんで ちらほらと咲き始めた花も。
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観葉植物として コゴミを植えているが、その浅緑の独特の姿は
なかなか絵になる、これもずいぶん増えた。
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Mさん宅で見た、あのまっ白な可愛い花が咲くジューンベリーの姿が
忘れられない、苗木を買おうと思っている。

家のなかのサクラランの鉢にも たくさんの花のつぼみが。
かわいい花が これからずっと咲き続ける。
昨日午後から 玄関前のミニグリーンコーナーに、
買ってあったウエルカムフラワーなど、7鉢ほど植えた。

私は自然志向なので、コゴミや可愛いチゴユリなどの野草も入れる。
Mさんの庭のように なるべく自然の庭の雰囲気にするのが夢。
今、欲しい木はジューンベリーとオオカメノキ。
オオカメノキは どこかの山で小さな木を探せないかな・・・
昔もらった植木などを整理して これからは好きな樹を植えたい。

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今日は、名古屋から帰省している甥のTと、フキとヨモギを採りに行った。
昔よく採った川渕のフキは Tがどんどん刈り取ってくれて
あっというまに いいフキが採れた。
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その間、私は野原で 長雨の後の水分をいっぱい吸った
柔らかなヨモギを摘んだ。
ヨモギ餅をいつでも食べられるように こうしてヨモギの旬の時期に 
1年分のヨモギを摘んで、刻んで冷凍する。

いい香り・・・フキとヨモギのいい香りで ドライブも気持ちがいい。
帰りに、甥が小さい頃よく遊んだ、里山のカタクリ群生地と神社に寄ってみた。
もう花は終わったが ほとんどのカタクリには 青いひし形の実が付いていた。
命は受け継がれていた、しっかりと確実に。
そして7年たったら 花が咲く。
神社の土手には ユキザサやマイズルソウ、シロバナエンレイソウが咲いていた。
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さて、帰宅して よもぎを茹でて細かく切って 採りたてのヨモギで
甥に 感謝のヨモギ餅を仕込んだ。
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「なんだこれ! うめえ~!」と甥が叫び、 家人も、たまたま家に来た友も、
今年初摘みの絶品ヨモギ餅を 喉を鳴らしながら にこにこ顔で食した。
5月のしあわせ・・・
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by yuko8739 | 2017-05-18 20:15 | 自然・季節 | Trackback | Comments(0)

「ねじまき鳥クロニクル」を読んで

(物語のあらすじも多少書いてあります、ご注意ください)
私が「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ印象は・・・
作者は、魂の内界で起きることを象徴的な「人物」や「事柄」で
描こうとした気がする。

それはやはり神話の世界の隠喩(メタファー)を散りばめた世界。
魂の深い場所に降りれば降りるほど、その世界は集合的無意識に近づき、
神話の世界と同じような物語となる。

この本のテーマは、やはり「異界に去った妻を見つける話」と、
「善と悪の戦い」だろう。世界各地に伝わる 神話の定型だ。

多彩で不思議な登場人物が織りなす 複雑で怪奇な世界が魅力的。
そういう人物からの掲示や予言、そして井戸や顔のあざも
なんと象徴的だろうか!


そしてもうひとつのテーマは「暴力と死」そして再生。
人間を損なう究極の悪や集団的暴力、つまり戦時の満州国の、
ノモンハン事件や同じく終戦のころの中国の動物園での
動物や中国人殺傷事件が リアルな臨場感を持って描かれていた。

思わず、胸が詰まり、読み進めるのが痛くなるほど。
その残虐さに 恐怖で鼓動が高まる。
しかし読むのが辛くなるほどの暴力性が自分のなかに「ない」と
言い切れるのか?
殺されるよりは 殺すのではないのか、私も。
そう自問する自分もいた。

時代の闇に隠れている本質的で凶暴なパワーを わかったふりをして
無視していいのか?
その無責任と無関心は 自分をどこに運ぶのだ?

暴力を最大化したものが戦争ならば その現象のリアルに直面し、
顔をそむけずに正対し、それでもその苦悩からも 
なお深い命のメッセージを受け取り・・・
妻を取り戻すために、人間を損なうものと闘うために 
主人公はすべてを 経験する。

多くの不思議な出会いは このためにあったのだ。  
起きたことの意味は 分からないままでも。
そんな主人公にとっては 異界と通じる井戸が必要だった。

そこでは現実世界の自分は消失し、違う世界の違う自分になる。
その自分でなければ できないことがあるのだ。
井戸のなかでのできごとは 禁欲的な修行のようで
どきどきするほど スリリング。

昔、似たような感覚を持ったことがあるかもしれない。
デビット・リンチのドラマ「ツインピークス」
はじめて出会った不思議なドラマに 夢中になった。

壁を抜けた主人公は 宿敵ワタヤノボルをバッドで殴り殺す。
ラスト、妻はまだ戻らない。
しかし、確実に妻は戻るだろう、いつかは・・・


そのために 主人公の意識下の異界への旅は必要なことだった。
ある意味で 私たちが生きている現実世界と異界とは 通じていて
「共時性:意味のある偶然の一致」をも示したことは感動的だった。

傷つきながらも諦めなかった主人公の強い願いが 
成就した終章に 安堵と深い満足を感じた。

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「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
1日で この本を読み終えた。

作者自身が 自己治癒のための方法のひとつとして小説を書いた。
そんな言葉が 新鮮だった。
また、なぜさまざまな人物が出てきたのかも わからないと作者は語る。
書いたのは自分でも 書いたことの意味は解らない。

この本で作者は はじめて妻を描いたらしい。
そして、今まで「デタッチメント」(かかわりのなさ)を描いてきたが、
ねじまき鳥クロニクルで はじめて「コミットメント」(かかわり)を描いたという。
この本は、作者の魂がそのようにダイナミックに変換した作品だったのか。

作中で ノモンハンを描いたのは・・・
「ぼくが思ったのは、日本における個人を追求していくと、
歴史に行くしかないんじゃないかという気がするのです。
歴史という縦の糸をもってくることで 日本のなかで生きる
個人というのは、もっとわかりやすくなるのではないかと
いう気がなぜかしたのです」

「今の日本の社会が、戦争が終わって、いろいろつくり直されても、
何にも変わっていない、ということに気がついてくる。
それが僕がノモンハンを書きたかったひとつの理由でもあるのです」

「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずの
ない壁を超えてつながる、というコミットメントのありように、
僕は非常に惹かれたのだと思います」

「小説の方が先へ行って、自分自身はそのイメージを
まだ探している途中」・・・
本質的には 多分、それはこの小説自体が「心理療法」のようなもの、
と河合隼雄さんは言う。

ふたりの対話は相当に奥深くて 心理療法や歴史などにも言及した
知的興奮を感じる 豊かな世界だった。


もしかして ワタヤノボルという人物こそ「裏返しの自分」だった
かもしれない。つまり自分の影。

自分と自分の影が よい形で統合できることこそ、
人が生きる究極の目的かもしれない。
そんな深読みを 自由にできることも 読書の最大の快楽だろう。

共時性といえば、こうして村上春樹や河合隼雄氏のことを考えていたら。
内田樹氏のブログで「村上春樹の系譜と構造」という文が掲載されていた。

なんだか、ねじまき鳥は、いろんなものを連れてくる!



by yuko8739 | 2017-05-16 11:31 | 読書 | Trackback | Comments(0)

ねじまき鳥、河合隼雄の空を飛ぶⅠ

5月15日
過日、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル(年代記)」を読了。
この季節は自然観察が続き、体力以上に歩きまわり、
多少疲れがたまって、少しづつしか読み進められなかったが。

しかし夜毎にベッドのなかで 読書灯に浮かび上がる文章を
追うことは 深い歓びだった。
読み終えるまで、読書の快楽に溺れた!

物語がどこに向かって運ばれるのか、予想もつかない。
ジェットコースターに 乗っている感じ。
空を浮遊したり、深い井戸に沈下したり。
ただ、深い旅だということだけは わかっていた。

作者はこの小説を書いていたアメリカ在住の頃に 
河合隼雄さんに会っていたという。
その影響があるのでは?そう書いていた読者がいた。
河合隼雄さんは、私の魂の導師だから 彼を通して
ユング心理学関係の本も 多数読んでいた私。

なるほど、アニマ、アニムス(ユングの精神分析の言葉:
男性の中の女性像がアニマ 、女性の中の男性像がアニムス、
男性における女らしさ、女性における男らしさ)を使って
説明するのが わかりやすい物語のような気もした。

アニマもアニムスも 成長するというのはすごいこと。
つまり女性である私のなかの「男性性」は 人生のなかで
さまざまな経験や思いを経て 変化してゆく。
「人は とどまるということがない」、すばらしい!

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以前に読んだ本を 本棚の奥から引っ張り出してきた。
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
当時この本を読んだときも興味深く読んだのだが、今ねじまき鳥を
読み終えた今、ぱらぱらとこの本のページをめくると 
作者が「ねじまき鳥」のことに言及している部分が 少なくない。

読む前には不可解だったその箇所は 今再び私のなかで
「星座のような全体的布置」(コンステレート:ユング心理学の用語)を
獲得できる気がする。

河合隼雄さんの懐かしい言葉の宝石を 再び味わいながら、
今私の周りを飛びまわるねじまき鳥に ガイドしてもらえるなら
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本も「ねじまき鳥クロニクル」も、
完璧な読書となるだろう、今はそんな気がしている。

「ねじまき鳥クロニクル」と「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本は、
星座のように まさに今 ひとつの意味のある形を形成するだろう。
感想は、それからにしようと思っている。



by yuko8739 | 2017-05-15 10:20 | 読書 | Trackback | Comments(0)