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カテゴリ:読書( 60 )

「1Q84年」を読みはじめて

昨年春、私は今までどうしても苦手で 読み進められなかった
村上春樹の最高傑作と称される「ねじまき鳥クロニクル」を読んで
一気にひき込まれた。

物語のおもしろさ、予想を覆すさまざまな仕掛け、
以前はあんなに 嫌だったのに・・・
この作家は深層心理のなかのできごとを 物語っているのだと
わかってから、彼の本が好きになり次々と読み進んだ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「海辺のカフカ」
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
短編も読んだが、彼の魅力はやはり長編にあると思う。

「海辺のカフカ」のHPが一冊の本になったと聞いて、
中古本を購入したが これはとてもおもしろかった!
厚い本だが 読者のメールにときにはユーモアたっぷりに
だが真摯に 誠実に作者は応えていた。

なんだか、ハルキストになりかけたが、他の本も読んでいた。
今年になって初夏に、G・オーウェルの「一九八四年」を読んで
衝撃を受けた。

全体主義の恐怖というものを深く味わうためには この本以上の
書物はないと思う。
長い間、この本の恐怖と不安から 私は離れられなかった。

そしてふと思った。
村上春樹も書いている、「1Q84年」という小説を。
これは G・オーウェルへのオマージュだろうか・・・
そういうことなら読んでみなくては!と思って 中古の文庫本6冊を購入。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この本には ちょっとした思い出がある。
数年前の真冬に、洞爺湖温泉のホテルで夜に取材の仕事があった。
早目に着いたので ホテルのロビーの書棚に「1Q84年」という
本があったので 何気なく手に取り 読みはじめた。
その頃は まだ村上春樹は苦手だった。

青豆という変わった名前の女性が タクシーから降りてゆく
冒頭からひき込まれたが 仕事が始まる時間になった。
残念ながらタイムアップ!この先を読みたいなあと思いながら本を戻した。
またいつか この本に出会うのかもしれないと思った。

今、その本を読む就寝前の時間が 至福の時間。
今は5冊目を読んでいるが、読み終わるのが惜しい。
だが、どうなる?どうする?と どんどん目が先走ってしまう。

本が 私を特別な「1Q84年」に、
月がふたつ夜空に浮かぶ世界に 連れて行く・・・

確かに村上春樹の本は 自己陶酔的かもしれないし
男女差別意識も感じないわけではない。
やっぱり究極的には「男の成長物語」なのだ。

そしていくら深層心理の物語だとしても セックスや暴力の描写も。
ときとして 顔を背けたくなるほどに。
でも、そういうものが 私のなかにないのか?と問えば 
どこかに・・・そういうものが潜んでいないとはいえない。

それをそのように描かなくては 彼は真実に近づけないのだろう。
自由になれないのかもしれない。
書くことで、作者は最高のエクスタシーを感じているのかもしれない。

この本は基本的には「boy meets girl」のお話し。
果たして運命の人に 青豆は生きて出会えるのだろうか・・・

リトル・ピープルのいる世界は こわい。
私はずっと ふたつの月が浮かぶ世界で どきどきしている。
by yuko8739 | 2018-11-02 23:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで2

鴻上さんは2015年に、 佐々木さんの亡くなる直前にも、
計5回の長いインタビューを行っている。
どうにか幸いに お話を直接聞くことができて この本ができたのだ。

鴻上さんは 何冊もの本や資料から科学的に検証しているが、
戦力としては 特攻隊は多くの成果をあげられなかった。
新聞やラジオでは そのような真実は報道されなかった。
実体のない勇ましい戦果が 美しい軍神の物語として繰り返し語られた。

戦艦に体当たりして沈没など、可能性としてあまりにも低い。
あっという間に 米軍のグラマン機に狙撃されてしまう。
軍上層部にも この作戦を疑問視する者もいたという。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この本の第4章に、私が深く感動したエピソードがある。
昭和20年2月には、赤トンボと呼ばれた「九三式中間練習機」を
特攻に投入することが 木更津の海軍航空基地で発表された。

赤トンボの翼は羽布張りの複葉機で最大速度は200キロ。
迎え撃つグラマンはおよそ600キロ。
零戦による爆装特攻でさえ、成功が難しいのに・・・
この赤トンボによる特攻は無意味だ。

その会議で、末席に居た29歳の美濃部正少佐が立ち上がった。
階級としては一番下位の飛行隊長だった。 
「劣速の練習機でグラマンの防御陣を突破することは不可能です。
特攻の掛け声ばかりでは勝てるとは思えません」
参謀たちは、怒鳴りつけた。

「私は箱根の上空で零戦一機で待っています。
ここにおられる方50人が 赤トンボで来てください。
私が1人で全部たたき落として見せましょう」

「今の若い搭乗員に、死を恐れる者はだれもおりません。
ただそれだけの目的と意義が要ります。
精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。

「ここに居合わす方々は、幕僚であって、自ら突入する人がいません。
敵の弾幕をどれだけくぐったというのです?
失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか?!」

誰しも無言だったという。
しかしこのあとも練習機を含む「全機特攻化」は続いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

特攻兵として9回出撃して 9回帰ってきた佐々木友次さんや、
この美濃部正少佐のような存在を 知ることができて 
私は深く感動し、希望を抱いた。

あの時代にも正しいことを言ったり したりした人間が
軍隊のなかにも存在したのだ!
命令を受ける側の無念や苦しみ それを思うとき
私の涙は 枯れることがない。
「日本を救うため」の その勇気と死を 深く深く悼みます。

しかし命令した側の無謀、非科学的な作戦、部下の命を軽くみて、
自分たちだけが安全圏に隠れる卑怯。
軍の上下関係を最大限に利用して、多くの若者の命と未来をつぶした。
そのことだけは、断じて許さない。
決して忘れない。

東條 英機は「精神で勝つ」というのが 口癖だったらしい。
しかしアメリカ相手の戦争に 精神では勝てない。
最高司令官とは思えない、まるで子どものようではないか。

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軍隊を象徴する日本的な「ムラ社会構造」や幼稚な「精神主義」が、
特攻隊という形式をとって 多くの若者の命を奪った事実。

そのことを9回特攻兵として出撃し、生きて帰ってきた
陸軍の操縦士、佐々木友次さんらの体験を丁寧に辿ることで 
「特攻を命令した側」でなく、「命令された側」からの真実を知ること。

そこから考え、日本人として学ばなければならないことは
実に明らかだった。

鴻上さんはこう書く。
~「命令された側」になり、特攻隊員として亡くなった人たちに対しては、
僕はただ頭を垂れるのみです。一部の「自ら志願した」人たちも同じです。
深い尊敬と哀悼を込めて、魂よ安らかにと願うだけです。

「特攻はムダ死にだったのか?」という問いを立てるそのことそのものが、
亡くなった人への冒涜だと思っています。死は厳粛なものであり、
ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないからです。

全ての死は痛ましいものであり、私たちが忘れてはならないものだと思います。
特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して
冥福を祈りつづけるべきだと思います。

しかし「命令した側」の問題点を追及することとは別です。
「命令した側」と「命令された側」を ごちゃ混ぜにしてしまうのは、
思考の放棄でしかないのです。

特攻隊員の死は、「犬死に」や「英霊」「軍神」とは関係のない、
厳粛な死です。
日本人が忘れてはいけない、民族が記憶すべき死なのです。~

鴻上さんは本の終わりに、こう書いている。
~佐々木さんの存在が僕と日本人とあなたの希望になるんじゃないか。
そう思って、この本を書きました。~

鴻上さん、この本をありがとう・・・
by yuko8739 | 2018-10-09 11:41 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで1

 
8月末の新聞で、この本と作者鴻上尚司さんの思いを知り、
なるべく早く 読みたいと思っていた。

なぜかというと、この新聞記事により 特攻隊という作戦の
核心を正確に知ることが、今、この現代においても
深い指針と意味を持つと 私は感じたから。

亡き父が海軍飛行予科練習生(予科練)だったということも、
関係があるかもしれない。
父が予科練時代に、制服姿で写っている訓練生の写真を見たことがある。
15歳だった父の 凛々しく精悍な表情が印象に残っている。
天皇の赤子としての、これが父の青春だったのかと 私は今感じる。


昨夜、「不死身の特攻兵」を読了。
何度か、涙を止めることができなかった。
特攻兵に 美談はなかった。

出撃前夜の特攻兵の壮絶な苦悶の姿、それを隠して上官の前では、
晴れやかな明るい笑顔で 翌朝出撃してゆく兵士たち・・・
ふたつの顔を持つ特攻兵の姿に 涙がとまらなかった。

作者 鴻上尚司さんは繰り返し言う。
特攻隊のことを考えるときに、それを命じた側と
命じられた側のことを 混同してはならない。
自分が描きたいのは「命じられた側」のことだと。

あくまでも志願した形での出撃を 兵士たちは命じられた。
出撃を拒めなかった兵士たちがほとんどだという。
戦艦ではなく 桟橋を壊せという命令に
「いくらなんでも違う目標にしてください」という特攻兵に、
「何を攻撃するかは関係ない。死ぬことが目標なんだ」そう言い放つ上官。

だから9回特攻兵として出撃し、9回生きて戻ってきた特攻兵、
佐々木友次さんの存在は 奇跡としかいいようがない。
繰り返し戻ってくる彼に、上官は怒り「次こそ、死んで来い」と繰り返す。
それでも生きて戻ってくる彼を 最後は撃ち殺そうとしていたらしい。

佐々木さんは、どうして上官の「死んで来い」という命令に
逆らうことができたのか・・・
卓越した飛行技術と なによりも少年時代から憧れだった
空を飛ぶということが 好きで好きで たまらなかったのだ。

鴻上さんも指摘しているが、空を飛ぶときは上官からも
嫌なことからも 自由になれたのだろう。
父の教え「人間はそう簡単に死ぬものではない」
その言葉も 佐々木さんのお守りだったろう。

上官も軍も世間も、マスコミも特攻隊を どうしても美談に
しなければならなかったのだ。
国民もそれを求めたし、新聞は繰り返しその物語を掲載した。
国民の戦意高揚のためにも 軍隊の志気を上げるためにも、
必要な装置が「特攻隊」だった。

戦後、故郷北海道に生還した佐々木さんに、周囲の目は冷たかった。
生きて帰ってきたことを 責められている気がしたという。
佐々木さんは家業の農業を継ぎ、夫婦で4人の子どもを育て
2度と飛行機に乗ることはなかった。

そして、2016年2月9日、92歳で呼吸不全のため
札幌の病院で亡くなられた。
by yuko8739 | 2018-10-08 14:01 | 読書 | Trackback | Comments(0)

初夏の読書いろいろ

G・オーウエルの「一九八四年」を読み終えた後で
しばらく放心しながら、何度も読み返し、読み直していた私。
なかなかこの本から 離れられなかった・・・

その後、同じ番組で紹介されていた山本七平著「空気の研究」を
読みはじめたが、シニカルな文章がどうも不得意。
またの機会に読み直すことにした。

次に読みはじめたのが、春の憲法講演会で講演を聞いた、
東京新聞の新聞記者、望月衣塑子(いそこ)さんの本。
望月さんの話は、国家権力に果敢に立ち向かう彼女の
勇気と無鉄砲を感じた。講演を聞き終わったころには
力の限り私は彼女に エールを送りたくなった。

その彼女が書いた本を 講演会場で買った。
題名は「新聞記者」
その本で、彼女は自分の成長や家族のことも丁寧に綴っている。

小さなころは母親の影響で演劇の楽しさに魅せられ、
一時は舞台女優に憧れた。
大きな声、人に見られていても物怖じしない度胸、
そして感情移入しやすい性格。
演劇を通して身についたものは、今でも衣塑子さんを支えてくれる。

しかし中二のときに、母親から薦められたフォトジャーナリストの
吉田ルイ子さんの著書「南ア・アパルトヘイト共和国」に出会い、
衝撃を受けたという。

世界を歩き、社会の矛盾、困っている人たちの生の姿を
伝えられるような仕事、生き方ができたらと思うようになった。
そして、大学受験の頃は「ジャーナリストになりたい」という思いを抱く。

その後、苦手だった英語を猛勉強して メルボルン大学に留学。
その後、多くの就職試験に挑戦し、中日東京新聞に入社。
千葉支局担当の事件取材の記者となり、奮闘する。

新聞記者としての成長やスクープした事件、先輩などのエピソードも綴る。
そして2004年「日歯連のヤミ献金疑惑」の一連の事実をスクープ。
自民党と医療界の利権構造を暴く。

その後は東京地検、高裁での裁判を担当し、17年4月以降は森友学園、
加計学園問題の取材チームの一員となり、取材をしながら、
(ネトウヨに激しく罵倒されながらも) 菅官房長官にひるむことなく
質問を繰り返している。

メディア界全体の委縮を感じながらも、権力が隠したがることを 
常に探り、それらを国民の前に明らかにすること。
そのことだけを、新聞記者として望月さんは目指している。

そして、最後のページには 講演会でも資料に記してあって 
私は胸を打たれたが、衣塑子さんが大切にしている、
ガンジーの言葉が掲げられていて、私の胸は、また感動で熱くなった。

ガンジーの言葉
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、
 それでもしなくてはならない。
 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、
 世界によって、自分が変えられないようにするためである」


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今後読む予定の本は「子どもの脳を傷つける親たち」
これは、朝日新聞で紹介された友田明美さんの著書。
友田さんは日本の脳科学者、福井大学教授、ハーバード大学との
児童虐待が脳を委縮させる共同研究で有名。

「一九八四年」を書いたG・オーウェルの著作「動物農場」と
「オーウェル評論集」も待機。
また、これも「一九八四年」への一種のオマージュと
いわれている村上春樹の「1Q84年」6冊を、中古本で購入。

なによりも私は物語=小説が好きだから 長い(本の)旅は気にならない。
昨年ハルキストになりかけた私だが、少し距離を置くことも覚えた。

さて、「1Q84年」・・・天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、
誰もいない放課後の小学校の教室で黙って手を握り、 
目を見つめ合うが、そのまま別れ別れになる。
といういわゆる「Boy Meets Girl」の物語。
オウム事件や阪神大震災、911、地下鉄サリン事件などが執筆の背景とか。

村上春樹はこう語っている。
物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。
目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。
深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです
 」
深く強くその言葉に共感する、読むのがたのしみだ。

この大物?を横目で見ながら、まずはオーウェル評論集に
手を伸ばしてしまった私。
by yuko8739 | 2018-07-12 11:52 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「一九八四年」を読んで~その3

その3

愛情省で、彼はどれだけの拷問を受けたことだろう。
空腹、殴打、電気ショック、抜歯、骨折、窓のない部屋、
ただただ 恐ろしかった。

あれから何日、何か月、何年経ったのか わからない。
一刻も早い死を!ウィンストンは それだけを願う。

毎晩この本を開くのが辛かった・・・また拷問が待っている。
なによりも驚愕したのは、党中枢にいながらも革命組織の一員だと
ウィンストンに近づいた男、オブライエンの出現だった。
ウィンストンは、だまされていたのだ。

度重なる拷問に 憔悴しきったウィンストンは、早く殺してくれ、
なぜ、殺さないのかと彼に問うが。
オブライエンは・・・
「最終的にわれわれに屈服するときには、本人の自由意思から
出たものでなければならない、
殺す前にわれわれの一員にさせるわけだ。
われわれはまず脳を完全な状態にし、それから撃ち抜くのだ。」

まさに狂っているとしか 思えない。

そんな自己陶酔する狂人の手中に ウィンストンの命は握られている。

わたしの胸は 激烈な熱い怒りでいっぱいになる。

その恐怖、その非情を ふるえながら読んだ。
何度も繰り返しては このページを読み直した。
人間が思いつく最大の罰が ここにあると思う。

拷問を加え、思想を入れ替え、国が望む人間に作りかえたとたんに、
後ろから銃で 頭を撃ち抜かれるとは・・・
そのことに どんな意味があるのだ?


その後のウインストンの運命は、書けない。
どうか 自分で読んでその最後を味わってほしい。
私には ショッキングだった。
そして、いまだに感情は激しく揺れ続けている。


そして私は、この本の衝撃から離れられないでいる。
次に読む山本七平著「空気の研究」(同番組で紹介されていた本)
と村上春樹の「IQ84」6冊が待っているというのに。

この小説「一九八四年」は、1948年に書かれた小説。
その時代から G・オーウェルは 私のこの時代を完全に予言している。
これ以上のディストピア小説は この世に存在しないだろう。

小説の最後に、アメリカの小説家トマス・ピンチョンが
多少難解な 長い解説を書いている。
その最後に、彼はこう書いている。(抜粋)

オーウェルが養子にした、小さな2歳くらいの少年を
慈愛に満ちた思慮深い目で見ている写真がある。
「『一九八四年』において、オーウェルが自分の息子の世代の将来を
想像した、警告こそすれ、現実となることなど望まない世界を
想像したのだと推測するのは難しくない。
彼は予測される不可避の情況に苛立ちを感じる一方で、
その気になれば変革をもたらす能力を普通の人々が持っていることを、
一貫して信じていた。

いずれにせよ、我々が立ち返るべきは少年の笑顔だ。
まっすぐで、輝いている。
その笑顔は、1日の終わりに世界は善としてあり、
人間としての品格は、親の愛情と同じで、当然のごとく
消えることなく存在しうる、という揺るぎない信頼から生まれている。

その信頼の美しさゆえに、我々はオーウェルが、あるいは我々自身までが
少しの間だけでも、こう誓う姿を想像することができるー
その信頼が決して裏切られることのないように、
やらなくてはならないことは何でもやるのだ、と。」
by yuko8739 | 2018-06-06 10:21 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「一九八四年」を読んで~その2

その2

「ニュースピーク」により 言葉の豊かさは失われ。
「二分間憎悪」では、自分のなかに抑圧されていた劇烈な憎しみが
周りの人間と激しく同調する。

希望の全くない暮しということを 私は初めてリアルに実感した。
耐え難い苦しみのなかにいると、感覚はしだいに麻痺してしまう。

主人公のウィンストンは ノートを買って日記をつけ始める。
そうでもせずには、やっていられない。
こんなことがばれたら大罪なのだ、死刑かもしれない。

ささやかな自分の自由を こういう形にして確かめずには 
これ以上 生きていられない。


日本でいえば戦前戦中は このような暮しだったろうか・・・
大義のために命を奪われ、衣食住にも事欠き、密告、スパイなどが暗躍し 
憲兵たちが罪のない多くの人を検挙し、殺した。

人間の自然で個人的な感情は「不自然」とされた。
息子を兵士として見送るのは栄誉とされ、万歳を叫ぶ。
母として 死なずに帰っておいでといえない。
泣くなどとんでもない。

敗戦後は 今までの鬼畜米英が「正しい民主国家」になった。
間違っていたのは 誤りを犯したのは「日本」・・・
大人たちは、この国に何をしたのだ、私たち子どもにも?

日本の軍国主義の時代と「一九八四年」はよく似ている。
全体主義とは こういうことだ。

毎晩、暗鬱な気分で ああまたあの世界に戻るのか・・・
そう思いながらも ページを繰る手を止められない。
そのうちにウィンストンに ひとつの光が差す。

同じ真理省に務める若い女性ジュリアが、彼が好きだと
書いたメモを渡す!
それは歓びのない貧しい暮しのなかでは、なによりも大きな救い!

決して周囲に気づかれないように 異常に気を遣いながら、
2人は会い続け、愛を交わすようになる。
彼女との逢瀬の歓びが 歪んだ暮しのなかに咲く花のよう。

彼には 生きる悦びができたのだ。
恋人たちの描写は 生き生きと美しい。
それでも そのことがいつか露見した場合には ふたりとも
死を覚悟しなければならない。

多分このことが露見したら、国家の愛情省で想像もできないような
拷問を受け、そして殺されるだろう。
そのことだけは ふたりとも確信していた。
この国にとっては 男女の性愛は不要なもの。
性愛の歓びなどは論外で 子孫を残す以外の性欲はいらない。

それでも 2人は会わずにいられない。
未来も希望もない恋、今だけの。
隠れ家に借りた骨とう品店2階の部屋のベッドの中が
ふたりの大切な場所。

ふたりで 抱きしめながらウィンストンは言う。
「ぼくたちはもう死んでいる」・・・
「わたしたちはもう死んでいる」彼女は忠実に繰り返した。

「君たちはもう死んでいる」背後から鉄の声が響いた。


2人は一瞬で凍りつく、そして悟る、すべてが盗聴されていたことを。
もう終わりだ、拷問と死が待っている・・・
by yuko8739 | 2018-06-06 09:23 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「一九八四年」を読んで~その1

(あらすじと結末が書いてあります、ご注意ください)
前からこの本のことは、知っていた。
ユートピアの反対の「ディストピア(暗黒世界)」を描いた
SFだと分かっていた。

いつか出会いたい本だとは ずっと思っていた。
NHKEテレ「100分de名著メディア論」(スペシャル版)の再放送を
みることができて 番組中で高橋源一郎が、この本を薦めていたのをみて、
読んでみたいと強く感じた。

全体主義の恐怖と聞いても、そうか・・・
歴史をみても そうだろうなあと思う人が多いと思う。
以前は私もそうだった、他人事なのだ。

しかし実際にこの本を読んで そのことがはじめて自分の体験となった。
背筋が凍る思いをした、辛かった。
恐怖を感じた。
今はすでに読了して 1週間以が経ってしまった。

その間には、母の手術もあったし、家族のイベントもあり多忙だった。
だが、どういうわけか 私はこの本からいつまでも離れられないでいる。
気になる部分を 再び繰り返し読んでしまう。
大切なところを 自分は読み逃がしてはいないか・・・
と思うと この本をまた手に取っている。

この本を読むきっかけとなったNHKEテレスペシャル
「100分de名著メディア論」は今年2月に放映された。
4月の再放送を、私は録画したが、今でもときどき見返している。

教育TVとしては 驚異の反響と多くのリクエストがあったという。
とても深くて大切なメッセージが この本とこの番組にはある。
NHKが、よくこんな番組を作れたものだなあと感じた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

作者オーウェルは、イギリス人で生誕地はイギリス植民地時代のインド。
ジャーナリストとして パリやロンドンで過ごす。
その後スペイン内戦で国際義勇軍に参加したが、共産主義や社会主義の
仲間同士の内ゲバに 深く幻滅する。

その悲惨な体験が元になって、この小説を書いたそうだ。
それでも共産主義や社会主義の告発をしたわけではない。
全体主義と一党独裁による、ディストピアの本質を描いた。

この本は「歴史書」ではなく、小説(物語)だから、
主人公ウィンストン・スミスに同化した、
長い「私の物語」が始まった。

「一九八四年」という本のなかでは、世界は3つの国に分かれている。
そのなかの一党独裁、全体主義の国オセアニアという国に 
主人公ウィンストン・スミスは生きている。

その国に君臨するのは「ビッグ・ブラザー」
彼が実在するのか? それさえわからない。
そしてこの国の階層社会のパラミッドのトップは「党上層部」
その下の「一般党員」

そして支配される労働者階級プロームは、圧倒的多数の最下層だ。
体制に従い、疑いなど持たないし、思考力などない。
上から与えられる低級な娯楽に その日暮らしを続ける。

ウィンストンは「真理省」で働く一般党員だ。
仕事は、過去の歴史や新聞、メディアのすべてを「現実」に合わせて
常に書き換えている、過去が日々改ざんされている。
そのことに 疑問など持ってはいけない。

二重思考で乗り切る。
戦争をするのが「平和省」
思想統制の拷問、殺人を行う「愛情省」
現在の制度と矛盾する過去を消す「真理省」

いつも自分をみて監視する、双方向映像媒体の「テレスクリーン」
一瞬たりとも 油断ができない。
誰かがなにかを見て 密告でもされたら、拷問されて死刑になる。
常に誰かに見られている恐怖。

はじめは、読み進めるのが苦しかった。
自由のない人生を 実体験する私。
耐えきれない思いに、何度も繰り返し 深くため息をついた。
重苦しい描写が延々と続く。

読み始めると どきどきして胸が苦しい。
テレスクリーンに見張られて 怒声がいきなり飛んでくるとしたら、
私はきっと 発狂してしまうのではないか・・・
by yuko8739 | 2018-06-05 12:57 | 読書 | Trackback | Comments(0)

2018年3月の読書

「「悪」と戦う」高橋源一郎 著
「ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた」は
名著「君たちはどう生きるか」の高橋源一郎バージョンだったが。

この本は、東日本大震災のあとの2013年に書かれた作品。
これもなんとも不思議な作品。
3歳のランちゃんと弟の1歳半のキイちゃん、ふたりのきょうだいの物語。

ランちゃんは「悪」と戦う、行方不明になったキイちゃんを
救い出し、世界を救うために。
突然現れた少女マホさんにそういわれて ランちゃんは言う。
「どうやって戦うの。『悪』がどこにいるのかわからないのに」

マホさんは「自分で見つけなきゃなんないの」
「自分で戦わなきゃなんないの」
3歳のランちゃんは13歳のランちゃんになって、KUMOに乗って
さまざまな「世界」で 試練を受ける。

さまざまな世界は 少し似ているようで違う世界。
ミアちゃんという、残酷で美しい女の子がいる世界だ。
その子は現実の世界でも 公園で出会った子だったが。

そこで「なにが正しいのか」「なにが悪と戦うということか」
ランちゃんは必死で考え、わからないままに自分のやり方で対応する。
間違ったかな・・・?と思うたびに マホさんが現れて「合格」
次の戦いの場に連れて行く。

村上春樹がそうだったように これも高橋源一郎という、
障がいを持った子どもの父として、作家として 
自身が生きるためのよりどころとして この物語を
描いたのかもしれない。

もちろん、作家の魂の救済は すべての人の魂の奥深くへと
浸透するパワーがある。
本を読み終えて、こんな言葉に私は深く心が動き、鳥肌が立つ思いだった。
「「わたし」の、「ひとつの『世界』は、他の『世界』によって
支えられているのだ。
お互いの『世界』によって、支え合っているのだ」
美しくて 不思議な本だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~「奇跡の脳」脳科学者の脳が壊れたとき~
は、はじまりから最後まで興味深く、ドキドキしながら読んだ。
現役の脳科学者だったアメリカの女性、ジル・ボルト・テーラーさんが
仕事と夢と人生の真っ盛り、30代半ばの12月の朝に脳出血を起こす。 

順調そのものように見えた彼女の人生に起きた、思いもかけない病気。
その病気を通して苦しいリハビリを進めるなかで、
脳との深い対話を通して導かれた、奇跡的な人生の記録。

 
左脳に脳出血を起こした朝、時間を追うごとに 自分の感覚や知能、
運動能力を刻々と失っていく。
その様をまるでドキュメンタリーのように 詳細に記録している。

壊れていくからだの機能を 数年にわたり必死に繰り返して
思い出しながら 記述を重ねたのだろう。
これだけ客観的で冷静な観察と記述が 著書として完成したのは
脳神経研究者ならではの緻密な観察眼と怜悧な分析があってこそ。

・・・彼女の脳出血の原因は「脳動静脈奇形」
生まれながらの血管の奇形が原因だった。
脳卒中という経験をしてから、彼女のものの考え方は劇的に変化する。

左脳と右脳の圧倒的な違いについて彼女が語るのは、実に感動的。
宇宙との一体感を奏でる「右脳」は、豊かな解放感と癒しに満ちている。
計画し、情報を処理し、自己との絶え間ない会話をくり返す「左脳」
このふたつの脳の関わりのおかげで 人間は生きていける。

彼女が失ったのは、左脳の機能。
話すことができない。誰かの話の意味が分からない。
簡単な足し算もできない、空間認識も失う。

靴下を履いてから、靴を履くということもわからない。
TVやラジオの音がうるさすぎて 陽の光もまぶしすぎて激しい頭痛。
そんななかで、愛情深い母親による適切なリハビリが 彼女を救う。

脳出血から8年たって、彼女は自分の人生をほぼ完全に取り戻す。
というよりも、病気の前には気づけなかった右脳の幸福感を
強く感じるようになったという。

自然や宇宙との一体感、豊かな満足感が 彼女の新しい人生に
今までとは違う幸福感を与えてくれるようになった。

この彼女の姿をNHKBSの番組でみたことがきっかけで、
私はこの本を買った。

自宅近い美しい林のなかで、自然と交感し、エネルギーや癒しを得て
脳出血を体験して、右脳の福音を感じるこんな私に
なれたのですよ、と自然のなかで 彼女は満ち足りた深い笑顔だった。
自分の体に興味のある人にはお薦めの、感動的な物語だった。

ただいま読書中の本は NHK100分で名著」がきっかけの
哲学的SF「ソラリス」、不思議な惑星 ソラリスの「お客さま」とは・・・?

文体(翻訳?)が少し読みにくいが でもどんどんひき込まれはじめた。
読書は 最高の楽しみ。
わたしを 別の世界に誘う。
by yuko8739 | 2018-03-26 00:10 | 読書 | Trackback | Comments(0)

2月の本たち

明日の最高気温はマイナス5度、最低気温はマイナス8度。
今冬一番の寒さになる。
こういう日には ぬくぬく読書が最高。 

頼んでいた本が続々と到着して うれしい悲鳴、
さてどれから読もうかな。
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「ソラリス」
「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」
「おらおらでひとりいぐも」
「悪と戦う」
「ラッセル幸福論」


「奇跡の脳」は、知人の脳梗塞のあと、NHKBSのドキュメンタリー
再放送に本人(著者)が出演していた。
ハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた彼女は
37歳のある日、脳卒中になるが一命は取りとめたが、
言語中枢や運動感覚にも大きな影響が・・・

以後8年に及ぶリハビリを経て、復活を遂げた彼女の驚異と感動の物語。
是非 読んでみたいと感じた。

「おらはおらでひとりでいぐも」
芥川賞受賞、63歳若竹千佐子さんの
書く物語には興味津々。
評価もすばらしく「老い」を生きる感動作とか。
青春小説ではなく、高齢化の日本にはこんな「玄冬小説」がもっと必要。

「ソラリス」スタニスワフ・レム作。
NHK「100分で名著」をみて 前から知っていた本だが 
ちゃんと読んでみようと注文。

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「ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することを決めた」を読了。
この本を読みはじめて すぐに連想したのは「君たちはどう生きるか」
子どもの視点からでなければ 描けない深淵というものが
あるのだと思う。

読み終える頃に この本のカバーの言葉に気づいた。
「この本は21世紀の『君たちはどう生きるか』を目指して書きました」
やっぱり!そうだった。

この本の帯の寸評では 内田樹の言葉がよかった。
「子どもの言葉で語られる、国家と天皇制の本質についての、
穏やかで、優しく、根源的な省察」

そうなのだと思う。
物事が複雑になり過ぎた現代では なかなか本質が見えにくい。
原点(本来の形)に戻るために 子どもの視点から「国」や「憲法」を
考える、というのは画期的ではないか。 

柔らかな自由なこころが 私たち大人が当たり前と感じることを、
解体してゆく。
暴力ではなく くすぐるみたいに融かしてゆく。

いかに私たち大人が 固定観念でがんじがらめになっているのか、
鎧を着ているのか、守るために攻めているのかに ふと気づく。
主人公 ランちゃんのひとりごとで 優しい言葉で。 

ふしぎな大人が たくさん出てくる。
ふしぎながらも 嘘は言わない。
本質を語る大人でいたい、私も。

どんなに世界が嘘をつこうと、子どもたちよ、
大切なのは 自由と人権ということです。

子どもの自由を守れよ、大人!
そのために 世界に大人がいるのだ、きっと。
 
この本の終わりに出てくる、図書室の奥の森にすむ
不思議な男は もしかしたら粘菌研究の南方熊楠さん?

子どもたちに キャラメルの箱をくれるその男の話は、
川上弘美のあの美しい寓話「七夜物語」を連想させて、
わくわくどきどきした。

こんな世界に 行ってみたい。
もしかしたら夢のなかでは 行ったこともあるかな・・・
by yuko8739 | 2018-02-12 09:57 | 読書 | Trackback | Comments(0)

Rの紙芝居/読書から

我が家と妹宅が近いということもあり、妹の初孫Rは、
帰省するたびに 赤ちゃん大好きな私と いつもいっしょ!
「ゆうばあ」と呼ばせようと思ったが いつのまにか「ぶーばあ」と 私を呼ぶ。
 
わが家には 昔から2階の踊り場に 絵本などを置いた、
「子ども絵本コーナー」がある。
もう中学生になった孫たちが 小さい頃にここから本を選び、
ばぁば、読んで!と 持って来たものだ。

Rも、我が家の絵本コーナーが 大のお気に入り! 
わが家に来ては 絵本を何10冊も読んでやって そのうちに
絵本が大好きな子になった。


この頃は 自分の子どもが小さい頃に 私がいっしょに作った
「紙芝居」を見せて読んでやると それに夢中になった。
娘と作った「こねことありさん」
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二男と 30年以上も前に作ったのは「うんちくんとおならさん」
これは 病気のお化けを ふたりがやっつける話、
うんちとおならを主人公にするのは難しかったが、今でも我ながら
ちょっと いいなあと感心する話。
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Rが特に気に入ったのは「うんちくんとおならさん」
子どもは こういうテーマが大好き。
Rは この紙芝居を読んでやると ゲタゲタ大笑いする。

そのうちに「Rもかみしばいつくる!」と言い出して、
画用紙にいろいろと 絵を描いたこともあった。

昨夜、とてもうれして驚いたことがあった。
姪から Rの動画が届いた。
なんと、Rが自分で描いた絵に 自分で言葉(物語)を書いて
Rの「かみしばい」完成!
それを自分で読み上げている。すごい!まだ5歳なのに。

<Rとたべもののせかい>
「あるとき、ぶらんこをしていると うちゅうにとびだした」
「たべもののせかいに きちゃった」
「ぼくは ごはんのやまをのぼって うめぼしをたべたら すっぱかった」
「きゃべつのうみで パーティをした」・・・  ・・・

小学校に入る前の子が字も書いて 紙芝居を作るなんて!
Rといっぱい遊んできた甲斐が あったかな。
とても うれしかった。

どんなに小さなことであれ、創造的なことは みんなで褒めまくって
どんどんその力を 伸ばせたらいいなあ。
そういうことができる子は 内側からパワーが湧き出て
幼くても 生きる歓びの萌芽のようなものを 感じているだろう。

また、いっしょに紙芝居作ろうね!!!
「こんなことをする子は 見たことない、ぶーばあ効果だよ、きっと!」と姪。

私もRのその姿に 感動した。
子どもって なんてすてきだろう・・・

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いくつになっても 私のなかの子どものこころはなくならない、失われない。
シニアになっても 死の手前にいても 子どもの「魂」は 私と共にある。

そんな子どもの精神を豊かに描くなかで「大人」や「くに」のことを
小説の形にしたのが、高橋源一郎の本、
「ぼくたちはこの国を こんなふうに 愛することに決めた」
この本を読みはじめて また魂を打つ言葉の数々と出会っている。

この本を読む前には、内田樹「困難な成熟」を読んだが、
これもすばらしい本だった。
折々の人生のなかで、 再びこの本を手にすることがきっとあるはず。
示唆と思索に満ちた 豊饒な世界観に胸を打たれた。

高橋源一郎の本は 寓話的。
公立の小学校では 受け入れがたい個性豊かな子どもたちの姿が
生き生きと 描かれる。

毎日、釣りをする子。
だれも なにも言わず ときおり釣りをする子の隣に 
静かに座る先生・・・なにも言わず。

その子にとっては そのことが必要なのだ、きっと。
その時間、その空間、それらから すべてを受け取り終えたとき、
子どもは 釣り道具を片付けて 池から去って行く。

新しいことを はじめるために。
その姿は 感動的だ。
こういうとき、その時間(おわりとはじまり)を共に待てる大人の存在が 
絶対に必要なのだと思う。
「とっとちゃん」が通った トモエ学園の先生のように。

そんな不思議な学校?の子どもたちが 不思議な先生?から学ぶこと。
それが 実にすばらしい!!!
子どももすばらしいが 大人もすばらしい。

まだ読みはじめたばかりだが、魂がひき込まれてしまう。
こんな言葉に 出会う。

「では」肝太先生はいった。
「わたしの考える『おとな』についてはなしましょう。
『おとな』というのは『ひとり』ではなすことができるひとのことです。
たったひとり。条件というのは、そのひとに、名前があること。
他には、なにもいらない。

その人が歳をとっているとか、中学生であるとか、左足に障害があるとか、
大きな通信会社の課長をしているとか、そういうことはすべて関係なく、
ただ『ひとり』で、自分の名前を持っていて、それだけの条件で
なにかをはなす、あるいはなにかを考える、それが『おとな』であることです。」


う~ん、いいなあ。
もしかしたら肝太先生はカント?で 理想先生はルソー?かな。
ここまで読んで そんな気がした。
じゃあ、謎の園長ハラさんは・・・?

とにかく、おもしろい。
こういう子どもの視線で物語る本は 大好き!
私が数年前に読んで 深く感動した今話題の
「君たちはどう生きるか」も そういう本だった。

因みに 今年の芥川賞「おらおらでひとりでいぐも」
この本のテーマと心情、同世代の作者 若竹千佐子さんの
文学への情熱に打たれて 本を注文した。
早く読みたい!

小説を書けるなんて なんてすばらしいのだろう。
一生に一編、物語が書けたら、どんなに幸せだろうか。
by yuko8739 | 2018-02-02 00:41 | 読書 | Trackback | Comments(0)