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カテゴリ:読書( 69 )

2019「ペスト」を読んで

NHKの教育TVの「100分de名著」を見て、

カミュの「ペスト」を購入。


町では、ネズミが1匹、3匹と死にはじめる不気味な前兆

そこから始まって ペストという凶悪な厄災が 

アルジェリアのフランス領 オランという港町を襲う。


ネズミの死体が驚異的に増える中、リンパ腺が腫れて

亡くなる人が出はじめる・・・

恐怖がじわじわと高まる。


この小説は、厄災が人に及ぼすあらゆる混乱と絶望を

主観を交えずに 客観者の立場で描いている。

運命として受け入れなければならない悲劇や立ち向かう苦しみ、

愛する者を永遠に失う悲劇などを 分析するように記録している。


近年の日本にも頻発している 多くの激烈な自然災害や

事故などにも通じる「厄災」

逃げたくても 逃れられない・・・わが身に降りかかってくる死。

人間が生まれ 生きて、年をとって老いて死ぬ。


そういうことも 普遍的で逃れようもないこと。

人がどんなことをしても 抗えないもの。

その象徴が「ペスト」なのかもしれない。



隔離された死の町で 個性豊かな人物たちが織りなす

それぞれの人間模様に、深い洞察が光る。

医師のリウー、流れ者のタルー、自殺未遂をしたコタール、 

小説を書いているグラン、新聞記者ランベール、

司祭のパヌルー、予審判事のオトン。


こういうときに、人はどんなことをするのか、考えるのか。

明日のない暮らしのなかで 自分ならばどんな生き方が可能だろうか・・・

カミュの文節はとても長く、どの修飾語がどの部分にかかるのか 

よくわからなかった、何度も読み直した。

宮崎嶺雄訳は、とても読みにくかった。

読み進むのに 難儀した。


しかし後半になるころから 物語に引き込まれてしまい、

読みづらさも さほど気にならなくなった。

たとえようもなく美しい友情の描写もあって 魅了された。


主人公リウーと流れ者タルーが 暗い海で泳ぐ美しいシーンに

感動した、そのシーンが目に浮かぶようだった。

ペストに覆われて町全体が隔離される状況のなかで、

夜の海で泳ぐという ささやかな自由を二人の男は

友情の証しとして満喫した。


その直前に、タルーが自分の半生を初めて語る部分には、

強い印象を受けた。

子どもだったタルーは 父を尊敬し愛していた。

しかしある日 父は自分の職場(法廷)にタルーを誘った。


判事である自分の父親が 死刑判決を言い渡すその法廷で、

タルーは 測り知れないショックを受けてしまう。

人を殺すという判決を 自分の父が出している・・・ 

なぜ、父はそんなことができるのだろう・・・


どんな罪であれ、死刑は許されないこと。

タルーはそのことが原因で、自分の人生において、

二度と父を許さなかったし 若くして家も出た。


その後、タルーは社会運動に進み、オランを訪れた。

そしてオランで医師のリウーに出会ったのだった。

死刑制度に反対している私は リウーの思想に深く感動し共感した。


それが原因で 父と息子が二度と人生で関わることが

なかったのは 大きな悲劇だったが・・・



タルーの主張は、

いくら戦争や殺人を批判的だとしても、社会的に合法な

死刑制度を認めている限り、死刑という殺害に 

加担していることは否定できない。

それを容認する限り「やむを得ない殺人」が、

際限なく繰り広げられることを 止めることはできないと、

タルーは考えている。

この小説は、対ナチス闘争の体験直後に書かれた小説で、

圧倒的共感を呼んだということには納得するし 深く共感できる。


医師リウーの言葉

「今度のことは、ヒロイズムなどと言う問題ではないんです。

これは誠実さの問題なんです。

こんな考え方は笑われるかもしれませんが、

しかしペストと闘う唯一の方法は、誠実さと言うことです」


タルーの言葉

「僕は、災害を限定するように、あらゆる場合に犠牲者の側に

立つことにきめたのだ。

彼らの中にいれば、僕はともかく探し求めることはできるわけだ

どうせすれば第三の範疇に、つまり心の平和に到達できるかということをね」




人間を襲う不条理な厄災や死のなかで 人間というものを

正確に描こうとしたカミュの冷静な筆力と誠実さに 強い印象を受けた。

読後には、また初めから読んでみたくなった長い小説だった。

さて、NHKのテキスト「100分de名著」を注文しよう、愉しみだ。


最後に リウーは言う。

ペストと生とのかけにおいて、およそ人間が勝ちうることの

できたものは、それは知識記憶であった。

おそらくこれが、勝負に勝つとタルーが呼んでいたところのものなのだ!


死を超える人間の勝利は「記憶」・・・

その言葉から、ノーベル文学賞受賞の英国の小説家

カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を連想した。


作者自身がTVで語っていたが、この小説のテーマは「記憶」ということ。

この美しい本の「わたし」とは、記憶のことだ。


記憶は 死を超える・・・




by yuko8739 | 2019-07-02 12:23 | 読書 | Trackback | Comments(0)

私は以前に、映画「サウルの息子」をみて衝撃を受けた。

主人公の視点で動くキャメラが 異常な強制収容所のリアルな

現実を見事に表現していて圧倒された。


この映画は 第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=

ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンド(特殊任務)の

囚人であるハンガリー人サウルに起きる1日半の出来事を描いている。


2015年カンヌ映画祭のグランプリのほか、アカデミー賞外国語映画賞など 

世界中で数々の賞に輝いた。


この映画をみて以来、強制収容所での「特殊任務」の

当事者が書いた本を読んでみたいと思い、ようやく先日読み終えた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「~私はガス室の『特殊任務』をしていた~

知られざるアウシュビッツの悪夢」

証言したのは、ギリシャ生まれのイタリア系ユダヤ人、

シュロモ・ヴェネツィアさん。

彼はこの体験を長く語ることができず、開放から47年後に

やっと話し始めた。


「証言するのは恐ろしい犠牲を伴うからです。

一時も離れない、刺すような苦しみを再び甦らせることなのです」

シュロモさんは 生涯この体験に苦しみ続けた。

しかし、再びユダヤ人排斥運動が浮上してきたことなどを契機に、

自分のおぞましい体験を 語るようになった。


この本を読み始めることに 私自身躊躇がなかったとはいえない。

知らないままでいいとは思わないが、真実を知ることには

恐怖感もあった。

しかしこのことは、実際に起きたこと。

映画をみただけで 知ったような気になってはいけない。

私は、毎晩読み進めた、シュロモさんと同行した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


なぜ人間はこうも残酷になれるのか。

人が苦しみ死んでゆくことを おもしろがって見物したり、

より苦しむように より痛むように 仕向けたりする。

なぜ?なぜそうできるのか?

生きている人間が 生きている人間に対して なぜ?


ユダヤ人だけではない。

反政府主義者、ソ連軍捕虜、共産主義者、精神病患者、

障がい者、ジプシーなど。

ナチスは あらゆる人々を徹底的に大量に殺戮した。


毎日貨車から降りてくる多くの人々・・・

絶望のまなざしで並ぶ痩せこけた人々、その衣類を脱がせ

ガス室に送る。

苦しみの叫び声が消えてから 床に横たわる遺体を運ぶ。


脱いだ服から金目の物を探し、遺体から髪の毛を切り、

金歯を外し、ガス室を空にして掃除し、

それから遺体を焼却場に運び、遺灰を川に捨てる。


こういう仕事は、強制収容されてきたユダヤ人のなかから

体格のいい若者で構成され、ゾンダーコマンドと呼ばれた。

シュロモさんは20歳のそんな若者だった。


次々と効率よく仕事をこなさなければ 遺体が滞る。

それがゾンダーコマンドの仕事。

はじめは食欲も失せ、呆然自失だったシュロモさんは 

すぐに「適応」してゆく。

考えては 動けなくなる。

考えずに作業に没頭した。


仕事ができなければ すさまじい暴力を受け、

自分もガス室に送られる・・・

横たわる遺体にも 慣れる。

何も感じない自分に なる。

衣類を脱げず、ぐずぐずしている老女には いらだつ。

早く、早く、次のガス室送りが待っているぞ!


この特殊任務には 強制収容所の人たちよりは

食べ物も多く支給された。

しかし外部に秘密が漏れないために、定期的に抹殺された。

 

読みながら 何度か泣いた。

今もこう書いていて 涙がこみ上げる。


過去の出来事だが このことは多くの人が知るべきだと思う。

この本は、2005年アウシュビッツ解放60周年を機に、

フランスで出版されるやいなや 読者の間で大きな感動を

呼びおこしてベストセラーになった。

世界十五か国以上で翻訳されている話題の本。


人は これほどのことができるのか。

地獄は天になく 地上にあった。

修羅の場、死の悪魔、すべてがこの世の人の世界にあったのか。

神は 人類を見捨てたと思う。

ヨーロッパ全体では ホロコーストの犠牲者は600万人。

強制収容所では 150万人が犠牲となった。


シュロモさんは、最後にこう語る。

「すべてがうまくいっているのに、突然、絶望的になる。

少しでも喜びを感じると、すぐに私のなかで何かが拒絶反応を起こす。

私は『生き残り病』と言っています。


チフスとか結核とか、人が一般にかかる病気じゃない。

人の内面を蝕み、喜びの感情を破壊する病気です。

私はそれを収容所で苦しかったときから引きずっています。

この病気は、私に一瞬たりとも喜びや気苦労のない瞬間を

与えてくれません。


この極限の経験で奪われたものは、人生です。

うまくいくとは思ったことがなかったし、

他の人のように、ダンスに行ったり、無心に楽しむこともなかった・・・

すべてが収容所に結びつきます。


何をしても、何をみても、心が必ず同じ場所に戻るのです。

あそこで強いられた<仕事>が頭から出ていくことが決してない・・・

焼却棟からは永遠に出られないのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


シュロモさんが 自分の経験を語り始めたのが70歳。

本が出版されたときは 80歳になっていた。

収容所での話を 多くの人に伝えることを使命として、

アウシュビッツにも 研究者や学生と共に50回近く訪れている。

そして2010年に、パリで亡くなった。

88歳だった。


この無残なホロコーストを正確に記憶し 

わが身を削るようにしながらも 誠実に公平に証言し続けた。

ゾンダーコマンドという仕事が この世に存在したことを

広く世界に知らせてくれた。


言葉にできないことを証言し、教えてくれてありがとう。

人類史上二度と このようなことを起こさないために

シュロモさんの意思を 深く胸に刻みたい。


合掌・・・




by yuko8739 | 2019-05-14 22:27 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」を読んだ感想は・・・

この「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という本を巡って、

これほど深い対話が可能だということが 驚きだった。


私には、こちらの本がとても興味深かった。

小説家村上春樹と、アメリカ文学研究者、翻訳家、

東大名誉教授の柴田元幸氏との対話は

知的好奇心に満ち満ちていて、スリリングで愉しい。


(昨年末に わたしは柴田元幸訳で

レアード・ハント作「優しい鬼」を読んだ。

魂を揺さぶる不思議な物語に 胸の鼓動が高鳴り 

夢中になった・・・)


ふたりは、主人公ホールディンの隠れた感情や劣等感を読み解き、

怜悧なまなざしで サリンジャーの人生にも迫る。

夢中で読み終えた。


<以下一部引用> 

村上春樹

~だってこの本を読む人がみんな、ライ麦畑に潜んで

子どもの捕まえ手になりたいと思っているわけではないですよ。

そういう問題ではないんですね。


ホールディンが精神的にそういう場所に行かざるを得ないという

ルートは、それなりにひしひしと理解できる、とそういうこと

だと思うんですよね。


ホールデンがちょっと特殊だということは、

ほとんどの読者にはわかるんです。

でもホールデンは特殊であることによって、

読者のいろんな事情を吸い上げていくんです。

それがホールデンという人物の機能なんです。


イノセントへの傾斜というのは、その機能のひとつに過ぎません。

事象の流動性と関連性の中に、ホールデンが自分の魂の託し場所を

探し求めるという動きに、いちばん大事な意味があると思うし、

その動きをはずして、イノセンスみたいなものを梃子にして

この話を解析していくことには、かなり無理があるだろうと。


もっとスパンを大きくとって、文学という容れ物に

あてはめて考えれば、イノセンスに代わるものは必ずあります。

たとえばそれは愛情です。

広義な意味での愛情。

それは消費され尽くしたりしません。アイテムじゃないから。


そういうふうに考えていくと「キャッチャー」という小説のなかには、

ほんとうの意味での愛はないですね。

ホールデンは優しさを持っているけれど、だれかを真剣には愛さない。


しかしこの本をほめるのって、なかなか難しいですね。

あれこれ文句をつけるのは簡単なんだけど。

でもそれにもかかわらず、だれがなんと言おうと、

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というのは、

はっきりとした力を持った素晴らしい小説なんです。


五十年以上、どんなに消費されても、

輝きを失わずに生き残っているんです。




by yuko8739 | 2019-05-03 12:27 | 読書 | Trackback | Comments(0)

ある文章を読んで 青春時代に読んだ本を再読しようと思った。

それは「ライ麦畑でつかまえて」


「主人公ホールディン(=作者サリンジャーの分身)が

崖から落ちないように ライ麦畑で捕まえたかったのは「兵士」なのだ」

そういう文章を どこかで読んだ。


それで村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んだ。

(前に読んだのは 野崎孝訳だった)

神経症的なホールディンの過敏な反応や

会話体が砲弾のように連射されるスタイルには

なかなか馴染めなかった。


確か高校生の頃に読んだときも あまり印象はよくなかった。

というより なぜこの本がそんなに有名で広く読まれているか

わからなかった。

でも主人公の心情は 理解できなくもない。


その年代には 自分の中に「異邦人」を内蔵している。

ほとんどの青春の苦悩とは 多分こういう形だ。

つまり誰も理解してくれない・・・孤独と不快。 

内蔵している自分と 会話せずにはいられない。


今の私がシニアだということは 関係がない。

若くなくても 若者の苦悩は充分に理解できる。

かって私も、若者だったから。

でもしかし、この本が青春文学の金字塔などといわれると

今でも戸惑うし 疑問に思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この本を読み終えてから

「兵士たちを救いたかったサリンジャー」を

理解するために もう1冊の本を買った。


「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」村上春樹 柴田元幸 

この本を読み始めたが、なかなか興味深い。

サリンジャーは、やはり戦争の悲惨さの真っただ中に

身を置いた兵士で、帰還してもそのPTSDからは

生涯抜け出せなかったようだ。


かなりの変人として 長く間隠遁生活を送っている。

村上春樹によると、

「これは彼自身による自己のトラウマの分析と、

その治療の道を見つけるための自助的な試みなんだな、

と捉えるわけです」


まさに村上春樹の小説を読んで 私が感じたことは

それと似ている。

作者(村上春樹)は 自分の魂で起きる物語を書いている。 

それは「自己治癒」のひとつの方法なのではないか、

私はそう感じている。


サリンジャーは 戦争後遺症を持ち続けているので 

やっぱりライ麦畑で「落ちないように」捕まえたかったのは

悲惨な戦場で 無残極まりない姿で死んでいった兵士たちだろうか。


生涯サリンジャーは 戦争で見聞きしたことを

一度も語ろうとはしなかった。

それは多分、語れなかったということだろう。

それほど 傷は深い・・・





by yuko8739 | 2019-05-03 11:42 | 読書 | Trackback | Comments(0)

先日、朝日新聞は平成時代に刊行された本の中から

ベスト30を選出した。

これは、識者の方々にアンケートを実施し、

120人から回答を得たランキングだ。

1位は村上春樹の「1Q84」、

2位はカズオ・イシグロの「私をはなさないで」

その2冊ともが、私の大好きな本だったので 

とてもうれしかった!

因みに、ランキング30位以内で私が読んだ本は・・・

8位の「博士の愛した数式」小川洋子

10位「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹

11位「コンビニ人間」村田沙耶香

20位「もの食う人々」辺見庸

読書人にとっては 魅力的な30冊のランキングだった。

このランキングから、湯浅誠さんの「反貧困」を読みたい。

このランキングから 何冊かを選びたいと思っている。

去年の暮れにレアード・ハント「優しい鬼」         」

今年のはじめには、A・ホロヴッツの「カササギ殺人事件」

を読み終え、先日は村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読了。

今は「NHK100分de名著」のオルテガ「大衆の反撃」を
読んでいる。

読書は 別な世界への誘い。

どんな遠くで起きる過去の、未来の不思議な物語でも

すぐ隣に 自分がいるような気持ちになる。

年齢を重ねても こうして本好きな自分でいられるのがうれしい。

日々新しい本と出会うことに 深い歓びを感じる・・・

新しい本の1ページめを開くときの高揚感は、

読書が好きになった小さい頃と同じ。

なんだか本を読んでいると 年をとらない気がする。


by yuko8739 | 2019-03-15 00:09 | 読書 | Trackback | Comments(0)

ユング派心理学者、河合俊雄氏の著書
『村上春樹の「物語」~夢テキストとして読み解く』を読了。

この本は、ユング心理学に興味がない人には少し難解かもしれない。
私は河合隼雄さんを通して ユング関係の本も30代に
何冊か夢中で読んでいたので、その総集編?ともいえる
この本の解説は 興味深かった。

村上春樹の物語は・・・
家族という縛りのない、つまり家族という血族との葛藤のない
孤独な浮遊状態の個人を描くが、突如としてそんな暮らしのなかに、
古代や原初の神々や呪術めいたことが(意識階層が移行)
起きて、その通路を行き来するうちに 自己実現の回路が開ける。

そんな河合俊雄さんの説明に、そうか、そういうことか、と
深く納得した私。
私はユング研究者でもないし、心理学者でもないが、
河合隼雄さんの説く、自己実現するためには「物語」が必要
という考えを 今までの人生で深く実感して生きてきた。

自分の言葉で それを語ることができるのが生きていると
いうことだと、どこかで確信している。
ユング心理学の専門家が 村上春樹を読み解くという
この本興味深く、画期的だった。
「1Q84年」を深読みしたい私にとっては 最適の本だった。

ユング心理学という光を当てることによって、物語の意味が
際立った気がする。
物語の陰影が深く、くっきりとなった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その後、「コンビニ人間」を読み、普通ということを考えた。
自分自身は、普通ではない時期?もあったので、今思えば
人は普通でない時期や 普通でない部分を持つので、
「普通」に縛られることは、ないと思う。

「普通」とは崩れやすいものだから そこにこだわると
自分を見失う。
自分は 自分を生きればいいのではないか。
自分の好きな形であれば いいと思う。

善し悪しをいうのではなく、自分自身を懸命に生きている形を
嫌われてもそれはしょうがない!
相手が嫌ったり 好きになったりすることには 自分は関与できない。
だって他人事だから。

いいですよ、私が嫌いならどうぞ離れていってください。
あなたは自由なのですから。
私を好きでいてくれる方と 私はいっしょに生きていきます。
こんなふうに 言えるようになった。

だから本音も建前も そんなに違わないで生きていける。
私もウソを言わないので あなたもウソを言わないで。
他人に どう見えるかということよりも 
自分がどうしたいかなのだ、今は。

自信過剰?というよりも淡々としているのかもしれない、今は。
だから、年をとるって こういう意味ですてきなのだ。
若さを失う苦悩も 確かに存在するが、
自分も相手も 自由な世界・・・

今、ここにそんな思いで ゆうゆうと立っていられる・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今は 前から読みたかった(評判のいい)「楽園のカンバス」を
読んでいる。
この本には、絵画がたくさん出てくる。

サイドストーリーのように絵画の豆知識を検索しながら
読んでいる。
名画をめぐって なにか事件が起きそうでどきどき・・・

この本を読んでいて アンリ・ルソーという画家に興味がわいた。
小さな画集を注文した。
ピカソや藤田嗣治にも 影響を与えたらしい。

私はフジタの絵も大好き。
特に フジタの子どもや女性や猫の絵が好き。
息子からもらった小遣いで 画集を買った。
届くのを 興味津々で待っている。

甥が帰省し、翌朝3時まで語り合った。
言葉で通じ合うことは すてきです・・・

俳句 
限界の村抱きしめて冬の月
by yuko8739 | 2018-12-26 19:09 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「コンビニ人間」 村田沙耶香 著 2016年芥川賞受賞
前から気になっていたこの芥川賞受賞の小説が文庫化されたので、
読んでみた。世界24か国語に翻訳が決定とか。

世界中で読まれているということは、この本のテーマ
「普通であること」の苦悩が、普遍的で現代的な問題だということか。
長くはない小説なのであっという間に読めた。
そして、考えてしまった。

自分も含めて、世間の人はたいがい「普通」であることを求める。
しかしごく普通の人間にだって、普通とは言えない時期もある。
それに心の奥に秘めた「普通ではない自分」の存在については、
多くの人も 自覚しているだろう。

普通ということが 正しいということになってしまうのなら、
この本の主人公恵子も、十代後期の頃の私も、
かなり?の「異常者」か、発達障害者ということになる。

10代後半の自分を考えると、他者とのコンタクトの方法が
わからなかっただけかもしれない。
たまたまそれが 思春期の自意識過剰状態と重なった。

中年以降の自分の姿は、あの頃の自分とは全く違っている。
つながりを求めて、自ら与える人になっている。
こんなふうに「普通」でない時期があっても、なにかの契機で
「普通」になれるし、「普通」に暮らせるものなのだ。

普通にみえても、魂は自由奔放だから
普通でないことを妄想したりすることもあるが、
それは罪ではない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

でも今は、時代が違うだろう。
誰もが身の内に深い意味不明のストレスを抱え、
それを発散、解消できずに 他者に負の感情をダイレクトにぶつける。
そしてすべての人に「仲間内」であることを 強要する。

そんな現代に生きる、発達障害気味の女性の物語が
多少ショッキングに この本には描かれている。
本のなかで主人公恵子は、どんなふうにすれば「普通」なのかと悩む。

どういうふうな受け答えを すればいいのだろう・・・
みんながぎょっとした顔で 不思議そうに自分を
見ないようにするためには。

それがわからない恵子は、コンビニのバイトを通じて、
先輩たちの完ぺきな受け答え、店内の商品の把握、接客の基本、
売り出し商品のディスプレイなど、あらゆることを学んでいく。
そして数年経ったとき、彼女はアルバイトながら完ぺきな
「コンビニ人間」となる。

ここでだけは彼女は充実し、必要とされ、よく労働し、役に立つ。
ここ以外では 命の輝きもなにもない。
そんな彼女の平穏な暮らしに よくサボるバイトの男が現れる。

恵子は怠け者の彼を、別に好きでもなかったが、中年になった自分に
「男」がいないのは普通?ではないと感じて同居を提案。
浪費家の自己中男は、次第に彼女に横暴になり、
自分の論理に従うように 強要する。

アルバイトでなく ちゃんと就職しろ。
お前の給料で 俺は食わせてもらう。
どうせお前なんか、普通じゃないんだ。
同居してもらえるだけで ありがたいと思え。
・・・もちろん、ふたりに感情の交流やセックスなどない。


ラスト、男に薦められて無理に就職試験を受けに行く途中で、
恵子はコンビニに 呼ばれた気がした。
ふらりと引き寄せられてしまう。
「私の完ぺきな世界が私を呼んでいる」きっとそう感じたのだ。

この世界のどこにも 普通でない人の生きる場所が他にないのなら、
自分が生きて充実する場所が そこに在るのなら、
ムラ社会の厄介者、「お前なんか人間じゃない!」と
罵倒する怠け者の男よりも 自分が全機能する場、
コンビニを選ぶのは 当然!

普通の女も 普通でない女も バカな男の言いなりに
なることなどない。
それにしても「普通」であることを求める世間の圧力は、
日々加速しているのかもしれない。
人間を潰してしまうほどの とてつもない圧力・・・

普通の人は、普通でないことに傷つく人を敏感に察し、
深い理解と共感を示して 共に生きていくパワーを
持つべきだと思う。

普通でなくても いい。
自分らしく のびのびと自由に生きられるのなら。
普通でないことを排除しない生き方を 私は選びたい。

どんなときでも 私は日本型のムラ社会の「普通」に
縛られるのは嫌だ。
自分だって、普通でなくなる時がそう遠くない未来に 
やってくるかもしれない・・・

「普通」なんて、はかないものなのだ。
by yuko8739 | 2018-12-15 21:29 | 読書 | Trackback | Comments(0)

12月の読書から

村上春樹の「1Q84年」を読み終え、しばらくは放心し、
しばらく未だに気になる部分を 読み返していた。
そして今は、ユング派心理学者、河合俊雄さんの
『村上春樹の「物語」~夢テキストとして読み解く』を読みはじめた。

この本は、村上春樹の本「1Q84年」を中心にして、
ユング心理学の視点で、その物語を読み解くという本。

今年の夏にNHKEテレ、「100分de名著」で、
故河合隼雄氏のシリーズが放映され、彼を魂の導師とする
私としては そのテキストももちろん読んだ。

隼雄さんの子息で同じくユング心理学者の河合俊雄さんの
テキストの文章はとても明快で わかりやすかった。
その河合俊雄さんが書いたこの本を 読書欄で見つけたので
「IQ84年」読了後に読もうと思い、購入してあった。

読みはじめて村上春樹の物語の構成のおもしろさに驚いた。
作者は意識的かどうか、わからないが。
人物造形も、過去の来歴も、不思議な共通点=符合がある。

この物語が村上春樹の「夢」だとしたら、心理学者は
こういう「符合」を こんなふうに読み解くのか・・・
なかなか興味深いテーマの本だと思う。

河合俊雄さんは「1Q84年」以外のことにも、
丁寧に心理学者として、自我の目覚め、近代の自意識、
自己との対話、そして自由と責任について語っていて 
知的興奮を呼び覚ます本となっている。

まだこの本は半分ほどしか読んでいないが、
昨夜読んだ部分では、10歳前後に現れる、
「自我=自意識」の解説で、自分のその瞬間を
ありありと思い出した。

小学2年生の頃、昼休みの校庭で遊んでいた私は、
ブランコのそばで、いきなり感じたのだった。
こんなにたくさんの子どもたちが 遊んでいるけれど 
私はこのなかの誰とも 違う。
私はこの世界のなかで たったひとりなんだ、と。
その衝撃を思い出した。

作者は、父河合隼雄の著作からもその部分を引用して解説している。
そして青豆と天悟についても、親からの強制から逃れた時期を
自我の目覚めの時期ではないかと 推測している。

しかし、自我が確立する過程では
(社会的に大人として認められるために)
自分との対話を経て、責任という概念が生まれてくるが、
青豆と天悟には、「責任」という概念がないと指摘する。

淡々と孤独なひとり暮らしを続けている。
性的な関係もその場限りで精神のつながりはない。 
誰ともつながらず、責任を負わない生活・・・
これが「1Q84年」の主人公が生きている1984年なのだ。

これからの読み解きが どんなふうに進むのか。
非常におもしろい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

北海道では、気温が乱高下している。
10度近い小春日和と真冬日が 交互に現れる。
異常気象で 世界は確実に狂いはじめているのだろう。
冬らしい冬が来ないので なんだか奇妙だ。
まるでまともな2018年ではないみたい。

長年使った 美しいバラ柄のイギリスのカーペットが
傷んできたので、行きつけの家具屋さんでシンプルなウールの
カーッペットを注文した。

新潟から毎年頼んでいる麹が届いたので 
来週には、2019年用の「味噌の仕込み」も予定している。
by yuko8739 | 2018-12-03 11:14 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「1Q84年」を読んで

冒頭からこの物語に 一気にひき込まれた。

高速道路の渋滞から逃れようと、タクシーを降りて非常階段を
降りる青豆という女性、その秘密の仕事、現在と過去。
家族が所属していた宗教団体のために 過酷でハードで、
孤独な幼少期を過ごした。

小学4年生の時に ただ一度万感の思いで 自分を守ってくれた
男の子天悟の手を握った。
そしてその男の子を一生愛し続けると 自分に誓った。


その男の子天悟には 母がいない。
NHK集金人の父に連れまわされ、「集金」に同行する。
普通の子どものように 休日を楽しむこともなく。
同級生の目を意識して 自分を恥じて育った。

いつの頃から、父ではない男に抱かれている母の幻影が脳裏に浮かぶ。
小学4年生の時に 孤独で無口なひとりぼっちの女の子に
強く手を握られた。
その女の子を 忘れることができない。


運命というのだろうか、宿命か?
ここは1984年ではなく1Q84年なのか。
運命の糸は次第に 生きもののように絡まり伸びてゆく。
求めて焦がれる恋の相手に 近づいてゆく。

人生に一度だけの運命の恋を 村上春樹が描くと
こんなふうになるのか・・・
普通ではない世界。
宗教とさまざまな暴力と孤独な人々。
ふたつの月が夜空に浮かぶ世界。

誰かの口から出てくる小人 リトルピープルがつむぐ
空気さなぎってなんだろう、こいつらは誰だ?

青豆と天悟の恋と孤独はリアルなので こんなに不思議な世界のなかを 
つい先を読みたくて 走ってしまう私。

村上春樹の小説は 理屈で読む本ではない。
彼の魂のなかで紡がれた 心理的で個人的、かつ象徴的な物語。
象徴だから 不思議は当然。

読み手の私は 青豆と天悟を次第に深く理解し愛してゆくので、
このふたりの恋の成就だけを祈ってしまうが、
なにせ月がふたつある世界、在り得ない危険が迫ったり、
最後まで 親のことはわからなかったりと謎だらけ。

説明ですべてがほどけてゆく物語ではないから、その世界で起きる
全てのことを受容しながら この永遠の恋人たちと
歩かなくてはならない。
違う世界で起きている 孤独なふたりの「道行き」に同行している気分。

主人公2人を取り巻く人々も 最高に魅力的な人物たちだった。
青豆を守るという指令を受けている タマル。
孤独でかなしい生い立ちで 親の顔も知らずに育ち、
そのまま裏の世界で生きてきたプロだが、その教養も感性もすばらしい!

命令とあれば、躊躇いなく人を殺しかねないし、どんなことも
しかねない恐ろしさを持つ彼だが、
青豆に対しての「プロ同士の友情?愛情」を感じることは すてきだった。
弧独な人間の間にも 通じ合う感情と信頼が確かにある。

そして忘れがたいのが、もうひとりの私立探偵?勘が鋭い牛河。
醜悪な容姿ゆえに 他人に好かれることなどなく。
人生の幸福をすべて失いながら 鋭い勘で裏社会を渡り歩くことを
仕事にしている。 

そういう人生を、牛河は良くもないが 悪くもないと感じている。
感情を交えない観察眼で 鋭く真実を見抜く。
諦めないで 着実に狙った事実に迫る。
この孤独と不幸を重く背負いながらも 懸命に生きる。

彼自身も 一度は経験した普通の暮らしの幸せを幻のように 
胸に抱いている。
夫であり 父であったあの頃・・・あれは現実だったのだろうか。
牛河はなぜか 滑稽の極みでかなしい。


そして私が深い印象を受けたのは、「さきがけ」という宗教団体の
リーダーと青豆が会う場面。
このシーンは つい何度も(今でも)読み返してしまう。
この出会いの意味も運命的で 肉体と人生の不思議に満ちて
示唆に富んでいる。

この大柄な体躯を持つ預言者のような男は 未来も過去も
見通せるパワーを持つが 激しい痛みに苦しんでいる。
このリーダーの人物造形が なんと魅力的だろう!

そして 透明で人間離れしている、ふかえり(深田絵里子)は
リトル・ピープルに対抗するパワーの象徴か・・・?
彼女にも大いに好奇心を揺さぶられた、興味深い。
巫女のようだった彼女は ふいに現れ 不意に消えるが。

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このように、この本では主人公の男女以外の登場人物についても、
生まれや来歴がかなり詳しく 記述されている。
それぞれの人物の複雑で過酷な人生に 深い理解と愛情が
自然に生まれてくる。

6冊もの本を 毎晩夢中になって読み進めてきた。
もちろん 彼の小説には説明のない事象も多く現れる。
魂深くの冒険には 謎が多い。

しかし、月がふたつ浮かぶ世界「1Q84年」でなければ、
青豆と天悟は出会わなかったのだ。
この世界の転換、往来は ごく普通の私たちにも
魂のできごととしては 大いに起こり得ることだろう。

何かのできごとが人生に起きる意味とは まさに魂のこの転換を
促すためでもあるのかもしれない。
村上春樹の「1Q84年」ほどではないにしても 
人生の不思議は私の周りにも 誰の隣でも起きることなのだと思う。

私たちのすぐそばで 新しい世界は今まさに 
ドアを開こうとしているのかもしれない。
出会いと別れ、病気や死、誕生もすべて新しい扉か・・・

それにしても村上春樹の物語は なんと興味深くておもしろいのだろう!
by yuko8739 | 2018-11-21 10:04 | 読書 | Trackback | Comments(0)

昨年春、私は今までどうしても苦手で 読み進められなかった
村上春樹の最高傑作と称される「ねじまき鳥クロニクル」を読んで
一気にひき込まれた。

物語のおもしろさ、予想を覆すさまざまな仕掛け、
以前はあんなに 嫌だったのに・・・
この作家は深層心理のなかのできごとを 物語っているのだと
わかってから、彼の本が好きになり次々と読み進んだ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「海辺のカフカ」
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
短編も読んだが、彼の魅力はやはり長編にあると思う。

「海辺のカフカ」のHPが一冊の本になったと聞いて、
中古本を購入したが これはとてもおもしろかった!
厚い本だが 読者のメールにときにはユーモアたっぷりに
だが真摯に 誠実に作者は応えていた。

なんだか、ハルキストになりかけたが、他の本も読んでいた。
今年になって初夏に、G・オーウェルの「一九八四年」を読んで
衝撃を受けた。

全体主義の恐怖というものを深く味わうためには この本以上の
書物はないと思う。
長い間、この本の恐怖と不安から 私は離れられなかった。

そしてふと思った。
村上春樹も書いている、「1Q84年」という小説を。
これは G・オーウェルへのオマージュだろうか・・・
そういうことなら読んでみなくては!と思って 中古の文庫本6冊を購入。

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この本には ちょっとした思い出がある。
数年前の真冬に、洞爺湖温泉のホテルで夜に取材の仕事があった。
早目に着いたので ホテルのロビーの書棚に「1Q84年」という
本があったので 何気なく手に取り 読みはじめた。
その頃は まだ村上春樹は苦手だった。

青豆という変わった名前の女性が タクシーから降りてゆく
冒頭からひき込まれたが 仕事が始まる時間になった。
残念ながらタイムアップ!この先を読みたいなあと思いながら本を戻した。
またいつか この本に出会うのかもしれないと思った。

今、その本を読む就寝前の時間が 至福の時間。
今は5冊目を読んでいるが、読み終わるのが惜しい。
だが、どうなる?どうする?と どんどん目が先走ってしまう。

本が 私を特別な「1Q84年」に、
月がふたつ夜空に浮かぶ世界に 連れて行く・・・

確かに村上春樹の本は 自己陶酔的かもしれないし
男女差別意識も感じないわけではない。
やっぱり究極的には「男の成長物語」なのだ。

そしていくら深層心理の物語だとしても セックスや暴力の描写も。
ときとして 顔を背けたくなるほどに。
でも、そういうものが 私のなかにないのか?と問えば 
どこかに・・・そういうものが潜んでいないとはいえない。

それをそのように描かなくては 彼は真実に近づけないのだろう。
自由になれないのかもしれない。
書くことで、作者は最高のエクスタシーを感じているのかもしれない。

この本は基本的には「boy meets girl」のお話し。
果たして運命の人に 青豆は生きて出会えるのだろうか・・・

リトル・ピープルのいる世界は こわい。
私はずっと ふたつの月が浮かぶ世界で どきどきしている。
by yuko8739 | 2018-11-02 23:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)