ゆうゆうタイム

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カテゴリ:読書( 64 )

2018年最後の読書から

ユング派心理学者、河合俊雄氏の著書
『村上春樹の「物語」~夢テキストとして読み解く』を読了。

この本は、ユング心理学に興味がない人には少し難解かもしれない。
私は河合隼雄さんを通して ユング関係の本も30代に
何冊か夢中で読んでいたので、その総集編?ともいえる
この本の解説は 興味深かった。

村上春樹の物語は・・・
家族という縛りのない、つまり家族という血族との葛藤のない
孤独な浮遊状態の個人を描くが、突如としてそんな暮らしのなかに、
古代や原初の神々や呪術めいたことが(意識階層が移行)
起きて、その通路を行き来するうちに 自己実現の回路が開ける。

そんな河合俊雄さんの説明に、そうか、そういうことか、と
深く納得した私。
私はユング研究者でもないし、心理学者でもないが、
河合隼雄さんの説く、自己実現するためには「物語」が必要
という考えを 今までの人生で深く実感して生きてきた。

自分の言葉で それを語ることができるのが生きていると
いうことだと、どこかで確信している。
ユング心理学の専門家が 村上春樹を読み解くという
この本興味深く、画期的だった。
「1Q84年」を深読みしたい私にとっては 最適の本だった。

ユング心理学という光を当てることによって、物語の意味が
際立った気がする。
物語の陰影が深く、くっきりとなった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その後、「コンビニ人間」を読み、普通ということを考えた。
自分自身は、普通ではない時期?もあったので、今思えば
人は普通でない時期や 普通でない部分を持つので、
「普通」に縛られることは、ないと思う。

「普通」とは崩れやすいものだから そこにこだわると
自分を見失う。
自分は 自分を生きればいいのではないか。
自分の好きな形であれば いいと思う。

善し悪しをいうのではなく、自分自身を懸命に生きている形を
嫌われてもそれはしょうがない!
相手が嫌ったり 好きになったりすることには 自分は関与できない。
だって他人事だから。

いいですよ、私が嫌いならどうぞ離れていってください。
あなたは自由なのですから。
私を好きでいてくれる方と 私はいっしょに生きていきます。
こんなふうに 言えるようになった。

だから本音も建前も そんなに違わないで生きていける。
私もウソを言わないので あなたもウソを言わないで。
他人に どう見えるかということよりも 
自分がどうしたいかなのだ、今は。

自信過剰?というよりも淡々としているのかもしれない、今は。
だから、年をとるって こういう意味ですてきなのだ。
若さを失う苦悩も 確かに存在するが、
自分も相手も 自由な世界・・・

今、ここにそんな思いで ゆうゆうと立っていられる・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今は 前から読みたかった(評判のいい)「楽園のカンバス」を
読んでいる。
この本には、絵画がたくさん出てくる。

サイドストーリーのように絵画の豆知識を検索しながら
読んでいる。
名画をめぐって なにか事件が起きそうでどきどき・・・

この本を読んでいて アンリ・ルソーという画家に興味がわいた。
小さな画集を注文した。
ピカソや藤田嗣治にも 影響を与えたらしい。

私はフジタの絵も大好き。
特に フジタの子どもや女性や猫の絵が好き。
息子からもらった小遣いで 画集を買った。
届くのを 興味津々で待っている。

甥が帰省し、翌朝3時まで語り合った。
言葉で通じ合うことは すてきです・・・

俳句 
限界の村抱きしめて冬の月
by yuko8739 | 2018-12-26 19:09 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「コンビニ人間」を読んで普通ということを考える

「コンビニ人間」 村田沙耶香 著 2016年芥川賞受賞
前から気になっていたこの芥川賞受賞の小説が文庫化されたので、
読んでみた。世界24か国語に翻訳が決定とか。

世界中で読まれているということは、この本のテーマ
「普通であること」の苦悩が、普遍的で現代的な問題だということか。
長くはない小説なのであっという間に読めた。
そして、考えてしまった。

自分も含めて、世間の人はたいがい「普通」であることを求める。
しかしごく普通の人間にだって、普通とは言えない時期もある。
それに心の奥に秘めた「普通ではない自分」の存在については、
多くの人も 自覚しているだろう。

普通ということが 正しいということになってしまうのなら、
この本の主人公恵子も、十代後期の頃の私も、
かなり?の「異常者」か、発達障害者ということになる。

10代後半の自分を考えると、他者とのコンタクトの方法が
わからなかっただけかもしれない。
たまたまそれが 思春期の自意識過剰状態と重なった。

中年以降の自分の姿は、あの頃の自分とは全く違っている。
つながりを求めて、自ら与える人になっている。
こんなふうに「普通」でない時期があっても、なにかの契機で
「普通」になれるし、「普通」に暮らせるものなのだ。

普通にみえても、魂は自由奔放だから
普通でないことを妄想したりすることもあるが、
それは罪ではない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

でも今は、時代が違うだろう。
誰もが身の内に深い意味不明のストレスを抱え、
それを発散、解消できずに 他者に負の感情をダイレクトにぶつける。
そしてすべての人に「仲間内」であることを 強要する。

そんな現代に生きる、発達障害気味の女性の物語が
多少ショッキングに この本には描かれている。
本のなかで主人公恵子は、どんなふうにすれば「普通」なのかと悩む。

どういうふうな受け答えを すればいいのだろう・・・
みんながぎょっとした顔で 不思議そうに自分を
見ないようにするためには。

それがわからない恵子は、コンビニのバイトを通じて、
先輩たちの完ぺきな受け答え、店内の商品の把握、接客の基本、
売り出し商品のディスプレイなど、あらゆることを学んでいく。
そして数年経ったとき、彼女はアルバイトながら完ぺきな
「コンビニ人間」となる。

ここでだけは彼女は充実し、必要とされ、よく労働し、役に立つ。
ここ以外では 命の輝きもなにもない。
そんな彼女の平穏な暮らしに よくサボるバイトの男が現れる。

恵子は怠け者の彼を、別に好きでもなかったが、中年になった自分に
「男」がいないのは普通?ではないと感じて同居を提案。
浪費家の自己中男は、次第に彼女に横暴になり、
自分の論理に従うように 強要する。

アルバイトでなく ちゃんと就職しろ。
お前の給料で 俺は食わせてもらう。
どうせお前なんか、普通じゃないんだ。
同居してもらえるだけで ありがたいと思え。
・・・もちろん、ふたりに感情の交流やセックスなどない。


ラスト、男に薦められて無理に就職試験を受けに行く途中で、
恵子はコンビニに 呼ばれた気がした。
ふらりと引き寄せられてしまう。
「私の完ぺきな世界が私を呼んでいる」きっとそう感じたのだ。

この世界のどこにも 普通でない人の生きる場所が他にないのなら、
自分が生きて充実する場所が そこに在るのなら、
ムラ社会の厄介者、「お前なんか人間じゃない!」と
罵倒する怠け者の男よりも 自分が全機能する場、
コンビニを選ぶのは 当然!

普通の女も 普通でない女も バカな男の言いなりに
なることなどない。
それにしても「普通」であることを求める世間の圧力は、
日々加速しているのかもしれない。
人間を潰してしまうほどの とてつもない圧力・・・

普通の人は、普通でないことに傷つく人を敏感に察し、
深い理解と共感を示して 共に生きていくパワーを
持つべきだと思う。

普通でなくても いい。
自分らしく のびのびと自由に生きられるのなら。
普通でないことを排除しない生き方を 私は選びたい。

どんなときでも 私は日本型のムラ社会の「普通」に
縛られるのは嫌だ。
自分だって、普通でなくなる時がそう遠くない未来に 
やってくるかもしれない・・・

「普通」なんて、はかないものなのだ。
by yuko8739 | 2018-12-15 21:29 | 読書 | Trackback | Comments(0)

12月の読書から

村上春樹の「1Q84年」を読み終え、しばらくは放心し、
しばらく未だに気になる部分を 読み返していた。
そして今は、ユング派心理学者、河合俊雄さんの
『村上春樹の「物語」~夢テキストとして読み解く』を読みはじめた。

この本は、村上春樹の本「1Q84年」を中心にして、
ユング心理学の視点で、その物語を読み解くという本。

今年の夏にNHKEテレ、「100分de名著」で、
故河合隼雄氏のシリーズが放映され、彼を魂の導師とする
私としては そのテキストももちろん読んだ。

隼雄さんの子息で同じくユング心理学者の河合俊雄さんの
テキストの文章はとても明快で わかりやすかった。
その河合俊雄さんが書いたこの本を 読書欄で見つけたので
「IQ84年」読了後に読もうと思い、購入してあった。

読みはじめて村上春樹の物語の構成のおもしろさに驚いた。
作者は意識的かどうか、わからないが。
人物造形も、過去の来歴も、不思議な共通点=符合がある。

この物語が村上春樹の「夢」だとしたら、心理学者は
こういう「符合」を こんなふうに読み解くのか・・・
なかなか興味深いテーマの本だと思う。

河合俊雄さんは「1Q84年」以外のことにも、
丁寧に心理学者として、自我の目覚め、近代の自意識、
自己との対話、そして自由と責任について語っていて 
知的興奮を呼び覚ます本となっている。

まだこの本は半分ほどしか読んでいないが、
昨夜読んだ部分では、10歳前後に現れる、
「自我=自意識」の解説で、自分のその瞬間を
ありありと思い出した。

小学2年生の頃、昼休みの校庭で遊んでいた私は、
ブランコのそばで、いきなり感じたのだった。
こんなにたくさんの子どもたちが 遊んでいるけれど 
私はこのなかの誰とも 違う。
私はこの世界のなかで たったひとりなんだ、と。
その衝撃を思い出した。

作者は、父河合隼雄の著作からもその部分を引用して解説している。
そして青豆と天悟についても、親からの強制から逃れた時期を
自我の目覚めの時期ではないかと 推測している。

しかし、自我が確立する過程では
(社会的に大人として認められるために)
自分との対話を経て、責任という概念が生まれてくるが、
青豆と天悟には、「責任」という概念がないと指摘する。

淡々と孤独なひとり暮らしを続けている。
性的な関係もその場限りで精神のつながりはない。 
誰ともつながらず、責任を負わない生活・・・
これが「1Q84年」の主人公が生きている1984年なのだ。

これからの読み解きが どんなふうに進むのか。
非常におもしろい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

北海道では、気温が乱高下している。
10度近い小春日和と真冬日が 交互に現れる。
異常気象で 世界は確実に狂いはじめているのだろう。
冬らしい冬が来ないので なんだか奇妙だ。
まるでまともな2018年ではないみたい。

長年使った 美しいバラ柄のイギリスのカーペットが
傷んできたので、行きつけの家具屋さんでシンプルなウールの
カーッペットを注文した。

新潟から毎年頼んでいる麹が届いたので 
来週には、2019年用の「味噌の仕込み」も予定している。
by yuko8739 | 2018-12-03 11:14 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「1Q84年」を読んで

冒頭からこの物語に 一気にひき込まれた。

高速道路の渋滞から逃れようと、タクシーを降りて非常階段を
降りる青豆という女性、その秘密の仕事、現在と過去。
家族が所属していた宗教団体のために 過酷でハードで、
孤独な幼少期を過ごした。

小学4年生の時に ただ一度万感の思いで 自分を守ってくれた
男の子天悟の手を握った。
そしてその男の子を一生愛し続けると 自分に誓った。


その男の子天悟には 母がいない。
NHK集金人の父に連れまわされ、「集金」に同行する。
普通の子どものように 休日を楽しむこともなく。
同級生の目を意識して 自分を恥じて育った。

いつの頃から、父ではない男に抱かれている母の幻影が脳裏に浮かぶ。
小学4年生の時に 孤独で無口なひとりぼっちの女の子に
強く手を握られた。
その女の子を 忘れることができない。


運命というのだろうか、宿命か?
ここは1984年ではなく1Q84年なのか。
運命の糸は次第に 生きもののように絡まり伸びてゆく。
求めて焦がれる恋の相手に 近づいてゆく。

人生に一度だけの運命の恋を 村上春樹が描くと
こんなふうになるのか・・・
普通ではない世界。
宗教とさまざまな暴力と孤独な人々。
ふたつの月が夜空に浮かぶ世界。

誰かの口から出てくる小人 リトルピープルがつむぐ
空気さなぎってなんだろう、こいつらは誰だ?

青豆と天悟の恋と孤独はリアルなので こんなに不思議な世界のなかを 
つい先を読みたくて 走ってしまう私。

村上春樹の小説は 理屈で読む本ではない。
彼の魂のなかで紡がれた 心理的で個人的、かつ象徴的な物語。
象徴だから 不思議は当然。

読み手の私は 青豆と天悟を次第に深く理解し愛してゆくので、
このふたりの恋の成就だけを祈ってしまうが、
なにせ月がふたつある世界、在り得ない危険が迫ったり、
最後まで 親のことはわからなかったりと謎だらけ。

説明ですべてがほどけてゆく物語ではないから、その世界で起きる
全てのことを受容しながら この永遠の恋人たちと
歩かなくてはならない。
違う世界で起きている 孤独なふたりの「道行き」に同行している気分。

主人公2人を取り巻く人々も 最高に魅力的な人物たちだった。
青豆を守るという指令を受けている タマル。
孤独でかなしい生い立ちで 親の顔も知らずに育ち、
そのまま裏の世界で生きてきたプロだが、その教養も感性もすばらしい!

命令とあれば、躊躇いなく人を殺しかねないし、どんなことも
しかねない恐ろしさを持つ彼だが、
青豆に対しての「プロ同士の友情?愛情」を感じることは すてきだった。
弧独な人間の間にも 通じ合う感情と信頼が確かにある。

そして忘れがたいのが、もうひとりの私立探偵?勘が鋭い牛河。
醜悪な容姿ゆえに 他人に好かれることなどなく。
人生の幸福をすべて失いながら 鋭い勘で裏社会を渡り歩くことを
仕事にしている。 

そういう人生を、牛河は良くもないが 悪くもないと感じている。
感情を交えない観察眼で 鋭く真実を見抜く。
諦めないで 着実に狙った事実に迫る。
この孤独と不幸を重く背負いながらも 懸命に生きる。

彼自身も 一度は経験した普通の暮らしの幸せを幻のように 
胸に抱いている。
夫であり 父であったあの頃・・・あれは現実だったのだろうか。
牛河はなぜか 滑稽の極みでかなしい。


そして私が深い印象を受けたのは、「さきがけ」という宗教団体の
リーダーと青豆が会う場面。
このシーンは つい何度も(今でも)読み返してしまう。
この出会いの意味も運命的で 肉体と人生の不思議に満ちて
示唆に富んでいる。

この大柄な体躯を持つ預言者のような男は 未来も過去も
見通せるパワーを持つが 激しい痛みに苦しんでいる。
このリーダーの人物造形が なんと魅力的だろう!

そして 透明で人間離れしている、ふかえり(深田絵里子)は
リトル・ピープルに対抗するパワーの象徴か・・・?
彼女にも大いに好奇心を揺さぶられた、興味深い。
巫女のようだった彼女は ふいに現れ 不意に消えるが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このように、この本では主人公の男女以外の登場人物についても、
生まれや来歴がかなり詳しく 記述されている。
それぞれの人物の複雑で過酷な人生に 深い理解と愛情が
自然に生まれてくる。

6冊もの本を 毎晩夢中になって読み進めてきた。
もちろん 彼の小説には説明のない事象も多く現れる。
魂深くの冒険には 謎が多い。

しかし、月がふたつ浮かぶ世界「1Q84年」でなければ、
青豆と天悟は出会わなかったのだ。
この世界の転換、往来は ごく普通の私たちにも
魂のできごととしては 大いに起こり得ることだろう。

何かのできごとが人生に起きる意味とは まさに魂のこの転換を
促すためでもあるのかもしれない。
村上春樹の「1Q84年」ほどではないにしても 
人生の不思議は私の周りにも 誰の隣でも起きることなのだと思う。

私たちのすぐそばで 新しい世界は今まさに 
ドアを開こうとしているのかもしれない。
出会いと別れ、病気や死、誕生もすべて新しい扉か・・・

それにしても村上春樹の物語は なんと興味深くておもしろいのだろう!
by yuko8739 | 2018-11-21 10:04 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「1Q84年」を読みはじめて

昨年春、私は今までどうしても苦手で 読み進められなかった
村上春樹の最高傑作と称される「ねじまき鳥クロニクル」を読んで
一気にひき込まれた。

物語のおもしろさ、予想を覆すさまざまな仕掛け、
以前はあんなに 嫌だったのに・・・
この作家は深層心理のなかのできごとを 物語っているのだと
わかってから、彼の本が好きになり次々と読み進んだ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「海辺のカフカ」
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
短編も読んだが、彼の魅力はやはり長編にあると思う。

「海辺のカフカ」のHPが一冊の本になったと聞いて、
中古本を購入したが これはとてもおもしろかった!
厚い本だが 読者のメールにときにはユーモアたっぷりに
だが真摯に 誠実に作者は応えていた。

なんだか、ハルキストになりかけたが、他の本も読んでいた。
今年になって初夏に、G・オーウェルの「一九八四年」を読んで
衝撃を受けた。

全体主義の恐怖というものを深く味わうためには この本以上の
書物はないと思う。
長い間、この本の恐怖と不安から 私は離れられなかった。

そしてふと思った。
村上春樹も書いている、「1Q84年」という小説を。
これは G・オーウェルへのオマージュだろうか・・・
そういうことなら読んでみなくては!と思って 中古の文庫本6冊を購入。

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この本には ちょっとした思い出がある。
数年前の真冬に、洞爺湖温泉のホテルで夜に取材の仕事があった。
早目に着いたので ホテルのロビーの書棚に「1Q84年」という
本があったので 何気なく手に取り 読みはじめた。
その頃は まだ村上春樹は苦手だった。

青豆という変わった名前の女性が タクシーから降りてゆく
冒頭からひき込まれたが 仕事が始まる時間になった。
残念ながらタイムアップ!この先を読みたいなあと思いながら本を戻した。
またいつか この本に出会うのかもしれないと思った。

今、その本を読む就寝前の時間が 至福の時間。
今は5冊目を読んでいるが、読み終わるのが惜しい。
だが、どうなる?どうする?と どんどん目が先走ってしまう。

本が 私を特別な「1Q84年」に、
月がふたつ夜空に浮かぶ世界に 連れて行く・・・

確かに村上春樹の本は 自己陶酔的かもしれないし
男女差別意識も感じないわけではない。
やっぱり究極的には「男の成長物語」なのだ。

そしていくら深層心理の物語だとしても セックスや暴力の描写も。
ときとして 顔を背けたくなるほどに。
でも、そういうものが 私のなかにないのか?と問えば 
どこかに・・・そういうものが潜んでいないとはいえない。

それをそのように描かなくては 彼は真実に近づけないのだろう。
自由になれないのかもしれない。
書くことで、作者は最高のエクスタシーを感じているのかもしれない。

この本は基本的には「boy meets girl」のお話し。
果たして運命の人に 青豆は生きて出会えるのだろうか・・・

リトル・ピープルのいる世界は こわい。
私はずっと ふたつの月が浮かぶ世界で どきどきしている。
by yuko8739 | 2018-11-02 23:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで2

鴻上さんは2015年に、 佐々木さんの亡くなる直前にも、
計5回の長いインタビューを行っている。
どうにか幸いに お話を直接聞くことができて この本ができたのだ。

鴻上さんは 何冊もの本や資料から科学的に検証しているが、
戦力としては 特攻隊は多くの成果をあげられなかった。
新聞やラジオでは そのような真実は報道されなかった。
実体のない勇ましい戦果が 美しい軍神の物語として繰り返し語られた。

戦艦に体当たりして沈没など、可能性としてあまりにも低い。
あっという間に 米軍のグラマン機に狙撃されてしまう。
軍上層部にも この作戦を疑問視する者もいたという。

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この本の第4章に、私が深く感動したエピソードがある。
昭和20年2月には、赤トンボと呼ばれた「九三式中間練習機」を
特攻に投入することが 木更津の海軍航空基地で発表された。

赤トンボの翼は羽布張りの複葉機で最大速度は200キロ。
迎え撃つグラマンはおよそ600キロ。
零戦による爆装特攻でさえ、成功が難しいのに・・・
この赤トンボによる特攻は無意味だ。

その会議で、末席に居た29歳の美濃部正少佐が立ち上がった。
階級としては一番下位の飛行隊長だった。 
「劣速の練習機でグラマンの防御陣を突破することは不可能です。
特攻の掛け声ばかりでは勝てるとは思えません」
参謀たちは、怒鳴りつけた。

「私は箱根の上空で零戦一機で待っています。
ここにおられる方50人が 赤トンボで来てください。
私が1人で全部たたき落として見せましょう」

「今の若い搭乗員に、死を恐れる者はだれもおりません。
ただそれだけの目的と意義が要ります。
精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。

「ここに居合わす方々は、幕僚であって、自ら突入する人がいません。
敵の弾幕をどれだけくぐったというのです?
失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか?!」

誰しも無言だったという。
しかしこのあとも練習機を含む「全機特攻化」は続いた。

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特攻兵として9回出撃して 9回帰ってきた佐々木友次さんや、
この美濃部正少佐のような存在を 知ることができて 
私は深く感動し、希望を抱いた。

あの時代にも正しいことを言ったり したりした人間が
軍隊のなかにも存在したのだ!
命令を受ける側の無念や苦しみ それを思うとき
私の涙は 枯れることがない。
「日本を救うため」の その勇気と死を 深く深く悼みます。

しかし命令した側の無謀、非科学的な作戦、部下の命を軽くみて、
自分たちだけが安全圏に隠れる卑怯。
軍の上下関係を最大限に利用して、多くの若者の命と未来をつぶした。
そのことだけは、断じて許さない。
決して忘れない。

東條 英機は「精神で勝つ」というのが 口癖だったらしい。
しかしアメリカ相手の戦争に 精神では勝てない。
最高司令官とは思えない、まるで子どものようではないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

軍隊を象徴する日本的な「ムラ社会構造」や幼稚な「精神主義」が、
特攻隊という形式をとって 多くの若者の命を奪った事実。

そのことを9回特攻兵として出撃し、生きて帰ってきた
陸軍の操縦士、佐々木友次さんらの体験を丁寧に辿ることで 
「特攻を命令した側」でなく、「命令された側」からの真実を知ること。

そこから考え、日本人として学ばなければならないことは
実に明らかだった。

鴻上さんはこう書く。
~「命令された側」になり、特攻隊員として亡くなった人たちに対しては、
僕はただ頭を垂れるのみです。一部の「自ら志願した」人たちも同じです。
深い尊敬と哀悼を込めて、魂よ安らかにと願うだけです。

「特攻はムダ死にだったのか?」という問いを立てるそのことそのものが、
亡くなった人への冒涜だと思っています。死は厳粛なものであり、
ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないからです。

全ての死は痛ましいものであり、私たちが忘れてはならないものだと思います。
特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して
冥福を祈りつづけるべきだと思います。

しかし「命令した側」の問題点を追及することとは別です。
「命令した側」と「命令された側」を ごちゃ混ぜにしてしまうのは、
思考の放棄でしかないのです。

特攻隊員の死は、「犬死に」や「英霊」「軍神」とは関係のない、
厳粛な死です。
日本人が忘れてはいけない、民族が記憶すべき死なのです。~

鴻上さんは本の終わりに、こう書いている。
~佐々木さんの存在が僕と日本人とあなたの希望になるんじゃないか。
そう思って、この本を書きました。~

鴻上さん、この本をありがとう・・・
by yuko8739 | 2018-10-09 11:41 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「不死身の特攻兵」を読んで1

 
8月末の新聞で、この本と作者鴻上尚司さんの思いを知り、
なるべく早く 読みたいと思っていた。

なぜかというと、この新聞記事により 特攻隊という作戦の
核心を正確に知ることが、今、この現代においても
深い指針と意味を持つと 私は感じたから。

亡き父が海軍飛行予科練習生(予科練)だったということも、
関係があるかもしれない。
父が予科練時代に、制服姿で写っている訓練生の写真を見たことがある。
15歳だった父の 凛々しく精悍な表情が印象に残っている。
天皇の赤子としての、これが父の青春だったのかと 私は今感じる。


昨夜、「不死身の特攻兵」を読了。
何度か、涙を止めることができなかった。
特攻兵に 美談はなかった。

出撃前夜の特攻兵の壮絶な苦悶の姿、それを隠して上官の前では、
晴れやかな明るい笑顔で 翌朝出撃してゆく兵士たち・・・
ふたつの顔を持つ特攻兵の姿に 涙がとまらなかった。

作者 鴻上尚司さんは繰り返し言う。
特攻隊のことを考えるときに、それを命じた側と
命じられた側のことを 混同してはならない。
自分が描きたいのは「命じられた側」のことだと。

あくまでも志願した形での出撃を 兵士たちは命じられた。
出撃を拒めなかった兵士たちがほとんどだという。
戦艦ではなく 桟橋を壊せという命令に
「いくらなんでも違う目標にしてください」という特攻兵に、
「何を攻撃するかは関係ない。死ぬことが目標なんだ」そう言い放つ上官。

だから9回特攻兵として出撃し、9回生きて戻ってきた特攻兵、
佐々木友次さんの存在は 奇跡としかいいようがない。
繰り返し戻ってくる彼に、上官は怒り「次こそ、死んで来い」と繰り返す。
それでも生きて戻ってくる彼を 最後は撃ち殺そうとしていたらしい。

佐々木さんは、どうして上官の「死んで来い」という命令に
逆らうことができたのか・・・
卓越した飛行技術と なによりも少年時代から憧れだった
空を飛ぶということが 好きで好きで たまらなかったのだ。

鴻上さんも指摘しているが、空を飛ぶときは上官からも
嫌なことからも 自由になれたのだろう。
父の教え「人間はそう簡単に死ぬものではない」
その言葉も 佐々木さんのお守りだったろう。

上官も軍も世間も、マスコミも特攻隊を どうしても美談に
しなければならなかったのだ。
国民もそれを求めたし、新聞は繰り返しその物語を掲載した。
国民の戦意高揚のためにも 軍隊の志気を上げるためにも、
必要な装置が「特攻隊」だった。

戦後、故郷北海道に生還した佐々木さんに、周囲の目は冷たかった。
生きて帰ってきたことを 責められている気がしたという。
佐々木さんは家業の農業を継ぎ、夫婦で4人の子どもを育て
2度と飛行機に乗ることはなかった。

そして、2016年2月9日、92歳で呼吸不全のため
札幌の病院で亡くなられた。
by yuko8739 | 2018-10-08 14:01 | 読書 | Trackback | Comments(0)

初夏の読書いろいろ

G・オーウエルの「一九八四年」を読み終えた後で
しばらく放心しながら、何度も読み返し、読み直していた私。
なかなかこの本から 離れられなかった・・・

その後、同じ番組で紹介されていた山本七平著「空気の研究」を
読みはじめたが、シニカルな文章がどうも不得意。
またの機会に読み直すことにした。

次に読みはじめたのが、春の憲法講演会で講演を聞いた、
東京新聞の新聞記者、望月衣塑子(いそこ)さんの本。
望月さんの話は、国家権力に果敢に立ち向かう彼女の
勇気と無鉄砲を感じた。講演を聞き終わったころには
力の限り私は彼女に エールを送りたくなった。

その彼女が書いた本を 講演会場で買った。
題名は「新聞記者」
その本で、彼女は自分の成長や家族のことも丁寧に綴っている。

小さなころは母親の影響で演劇の楽しさに魅せられ、
一時は舞台女優に憧れた。
大きな声、人に見られていても物怖じしない度胸、
そして感情移入しやすい性格。
演劇を通して身についたものは、今でも衣塑子さんを支えてくれる。

しかし中二のときに、母親から薦められたフォトジャーナリストの
吉田ルイ子さんの著書「南ア・アパルトヘイト共和国」に出会い、
衝撃を受けたという。

世界を歩き、社会の矛盾、困っている人たちの生の姿を
伝えられるような仕事、生き方ができたらと思うようになった。
そして、大学受験の頃は「ジャーナリストになりたい」という思いを抱く。

その後、苦手だった英語を猛勉強して メルボルン大学に留学。
その後、多くの就職試験に挑戦し、中日東京新聞に入社。
千葉支局担当の事件取材の記者となり、奮闘する。

新聞記者としての成長やスクープした事件、先輩などのエピソードも綴る。
そして2004年「日歯連のヤミ献金疑惑」の一連の事実をスクープ。
自民党と医療界の利権構造を暴く。

その後は東京地検、高裁での裁判を担当し、17年4月以降は森友学園、
加計学園問題の取材チームの一員となり、取材をしながら、
(ネトウヨに激しく罵倒されながらも) 菅官房長官にひるむことなく
質問を繰り返している。

メディア界全体の委縮を感じながらも、権力が隠したがることを 
常に探り、それらを国民の前に明らかにすること。
そのことだけを、新聞記者として望月さんは目指している。

そして、最後のページには 講演会でも資料に記してあって 
私は胸を打たれたが、衣塑子さんが大切にしている、
ガンジーの言葉が掲げられていて、私の胸は、また感動で熱くなった。

ガンジーの言葉
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、
 それでもしなくてはならない。
 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、
 世界によって、自分が変えられないようにするためである」


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今後読む予定の本は「子どもの脳を傷つける親たち」
これは、朝日新聞で紹介された友田明美さんの著書。
友田さんは日本の脳科学者、福井大学教授、ハーバード大学との
児童虐待が脳を委縮させる共同研究で有名。

「一九八四年」を書いたG・オーウェルの著作「動物農場」と
「オーウェル評論集」も待機。
また、これも「一九八四年」への一種のオマージュと
いわれている村上春樹の「1Q84年」6冊を、中古本で購入。

なによりも私は物語=小説が好きだから 長い(本の)旅は気にならない。
昨年ハルキストになりかけた私だが、少し距離を置くことも覚えた。

さて、「1Q84年」・・・天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、
誰もいない放課後の小学校の教室で黙って手を握り、 
目を見つめ合うが、そのまま別れ別れになる。
といういわゆる「Boy Meets Girl」の物語。
オウム事件や阪神大震災、911、地下鉄サリン事件などが執筆の背景とか。

村上春樹はこう語っている。
物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。
目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。
深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです
 」
深く強くその言葉に共感する、読むのがたのしみだ。

この大物?を横目で見ながら、まずはオーウェル評論集に
手を伸ばしてしまった私。
by yuko8739 | 2018-07-12 11:52 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「一九八四年」を読んで~その3

その3

愛情省で、彼はどれだけの拷問を受けたことだろう。
空腹、殴打、電気ショック、抜歯、骨折、窓のない部屋、
ただただ 恐ろしかった。

あれから何日、何か月、何年経ったのか わからない。
一刻も早い死を!ウィンストンは それだけを願う。

毎晩この本を開くのが辛かった・・・また拷問が待っている。
なによりも驚愕したのは、党中枢にいながらも革命組織の一員だと
ウィンストンに近づいた男、オブライエンの出現だった。
ウィンストンは、だまされていたのだ。

度重なる拷問に 憔悴しきったウィンストンは、早く殺してくれ、
なぜ、殺さないのかと彼に問うが。
オブライエンは・・・
「最終的にわれわれに屈服するときには、本人の自由意思から
出たものでなければならない、
殺す前にわれわれの一員にさせるわけだ。
われわれはまず脳を完全な状態にし、それから撃ち抜くのだ。」

まさに狂っているとしか 思えない。

そんな自己陶酔する狂人の手中に ウィンストンの命は握られている。

わたしの胸は 激烈な熱い怒りでいっぱいになる。

その恐怖、その非情を ふるえながら読んだ。
何度も繰り返しては このページを読み直した。
人間が思いつく最大の罰が ここにあると思う。

拷問を加え、思想を入れ替え、国が望む人間に作りかえたとたんに、
後ろから銃で 頭を撃ち抜かれるとは・・・
そのことに どんな意味があるのだ?


その後のウインストンの運命は、書けない。
どうか 自分で読んでその最後を味わってほしい。
私には ショッキングだった。
そして、いまだに感情は激しく揺れ続けている。


そして私は、この本の衝撃から離れられないでいる。
次に読む山本七平著「空気の研究」(同番組で紹介されていた本)
と村上春樹の「IQ84」6冊が待っているというのに。

この小説「一九八四年」は、1948年に書かれた小説。
その時代から G・オーウェルは 私のこの時代を完全に予言している。
これ以上のディストピア小説は この世に存在しないだろう。

小説の最後に、アメリカの小説家トマス・ピンチョンが
多少難解な 長い解説を書いている。
その最後に、彼はこう書いている。(抜粋)

オーウェルが養子にした、小さな2歳くらいの少年を
慈愛に満ちた思慮深い目で見ている写真がある。
「『一九八四年』において、オーウェルが自分の息子の世代の将来を
想像した、警告こそすれ、現実となることなど望まない世界を
想像したのだと推測するのは難しくない。
彼は予測される不可避の情況に苛立ちを感じる一方で、
その気になれば変革をもたらす能力を普通の人々が持っていることを、
一貫して信じていた。

いずれにせよ、我々が立ち返るべきは少年の笑顔だ。
まっすぐで、輝いている。
その笑顔は、1日の終わりに世界は善としてあり、
人間としての品格は、親の愛情と同じで、当然のごとく
消えることなく存在しうる、という揺るぎない信頼から生まれている。

その信頼の美しさゆえに、我々はオーウェルが、あるいは我々自身までが
少しの間だけでも、こう誓う姿を想像することができるー
その信頼が決して裏切られることのないように、
やらなくてはならないことは何でもやるのだ、と。」
by yuko8739 | 2018-06-06 10:21 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「一九八四年」を読んで~その2

その2

「ニュースピーク」により 言葉の豊かさは失われ。
「二分間憎悪」では、自分のなかに抑圧されていた劇烈な憎しみが
周りの人間と激しく同調する。

希望の全くない暮しということを 私は初めてリアルに実感した。
耐え難い苦しみのなかにいると、感覚はしだいに麻痺してしまう。

主人公のウィンストンは ノートを買って日記をつけ始める。
そうでもせずには、やっていられない。
こんなことがばれたら大罪なのだ、死刑かもしれない。

ささやかな自分の自由を こういう形にして確かめずには 
これ以上 生きていられない。


日本でいえば戦前戦中は このような暮しだったろうか・・・
大義のために命を奪われ、衣食住にも事欠き、密告、スパイなどが暗躍し 
憲兵たちが罪のない多くの人を検挙し、殺した。

人間の自然で個人的な感情は「不自然」とされた。
息子を兵士として見送るのは栄誉とされ、万歳を叫ぶ。
母として 死なずに帰っておいでといえない。
泣くなどとんでもない。

敗戦後は 今までの鬼畜米英が「正しい民主国家」になった。
間違っていたのは 誤りを犯したのは「日本」・・・
大人たちは、この国に何をしたのだ、私たち子どもにも?

日本の軍国主義の時代と「一九八四年」はよく似ている。
全体主義とは こういうことだ。

毎晩、暗鬱な気分で ああまたあの世界に戻るのか・・・
そう思いながらも ページを繰る手を止められない。
そのうちにウィンストンに ひとつの光が差す。

同じ真理省に務める若い女性ジュリアが、彼が好きだと
書いたメモを渡す!
それは歓びのない貧しい暮しのなかでは、なによりも大きな救い!

決して周囲に気づかれないように 異常に気を遣いながら、
2人は会い続け、愛を交わすようになる。
彼女との逢瀬の歓びが 歪んだ暮しのなかに咲く花のよう。

彼には 生きる悦びができたのだ。
恋人たちの描写は 生き生きと美しい。
それでも そのことがいつか露見した場合には ふたりとも
死を覚悟しなければならない。

多分このことが露見したら、国家の愛情省で想像もできないような
拷問を受け、そして殺されるだろう。
そのことだけは ふたりとも確信していた。
この国にとっては 男女の性愛は不要なもの。
性愛の歓びなどは論外で 子孫を残す以外の性欲はいらない。

それでも 2人は会わずにいられない。
未来も希望もない恋、今だけの。
隠れ家に借りた骨とう品店2階の部屋のベッドの中が
ふたりの大切な場所。

ふたりで 抱きしめながらウィンストンは言う。
「ぼくたちはもう死んでいる」・・・
「わたしたちはもう死んでいる」彼女は忠実に繰り返した。

「君たちはもう死んでいる」背後から鉄の声が響いた。


2人は一瞬で凍りつく、そして悟る、すべてが盗聴されていたことを。
もう終わりだ、拷問と死が待っている・・・
by yuko8739 | 2018-06-06 09:23 | 読書 | Trackback | Comments(0)