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ゆうゆうタイム

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カテゴリ:社会( 196 )

私たちができること

誰かと手をつないで 夕陽を見ながら散歩した防波堤も、

春になって 花が咲くのを楽しみにして 球根を植えた庭も、

新鮮な魚とセリの声であふれていた 魚市場も、

我が子のように慈しみ 手入れをして 守ってきた水田や田畑も、



おむつを替えてから いっしょに昼寝をしようと思っていた母子も、

猫に餌をやろうとしていた ひとり暮らしのおばあちゃんも、

次のデートで 新しい口紅をつけようとしていた娘も、

今月の給料で 親に何か買ってやろうかな、そう決めていた若者も、

けんかしたけど 明日はあいつと仲直りしたいと思っていたおじいちゃんも、

明日が来ることを 信じて疑わなかった多くの人が、


すべて 消えた。

すべて、地獄のような 黒い波に 一瞬で飲み込まれた。
さらわれた。

もう2度と帰ることはない。


人と景色が 町が 消えた。

有史以来の地震で、千年に一度の津波だという。
特に 宮城沖の震源は 30年以内、99%の確率で地震や津波が
やってくることはわかっていたという。


避難訓練や防波堤があっても それでも 地形が変わるような地震は
予測も回避も 不可能だったのか・・・




地震から5日、やっと私に言葉が戻ってきた。
ショック状態で胸がつぶれ TVから離れられず 涙ばかりこぼれていた。
しかし、言葉は戻った。


まるで 戦争のような事態になった。
避難所は すべてを失って疲れて呆然とした 多くの避難民で
あふれかえっている。

生き延びた人々の「生きているだけでいい」「家族が無事であれば・・・」
このふたつの思いが 深くて大きなメッセージとして 私の胸にしみこむ。

いかに私は 多くのものに恵まれて 暮らしていたか。
家族はときには煩わしく 傍にいるのがあたりまえだった。
日常のなかでは つい ありがとうの気持ちも 言葉にしないまま・・・

そして電気は あるのが当たり前で。
こうしてブログを綴るのも 車で仕事や買い物に出かけることも、
部屋が暖かいのも 好きなときにお風呂に入ることも、
自分のベッドで眠ることも ありがたいというよりも ごく普通のことだった。

しかし、それは 今のこの時代に 日本人としての日常に生きていてこそ
可能なことなのだと、いまさらながら実感した。

世界の多くの国の人々が家もなく 食べられず 眠れずにいることを思えば。
戦争の最中にいて 爆弾や銃の恐怖のなかで 暮らすことが日常だとすれば。


電気や水、ガスやガソリンのない暮らしを わが身に置き換えては、
言葉もなくしてしまう自分・・・

非常時には 二重、三重の備えに守られていたはずの原発は、
どんな必死の対応をも あざ笑うかのように 次々と爆発が続いている。

有事の際にも 日本の原発は安全だったはずだが 炉心冷却という作業が
実施できない現実。

私は以前から 原発建設に反対してきた理由は まさにこういう事態が
起きる可能性があると 確信していたからだ。

原発の事故は 想定外ということは許されないのだが 増々危険度を高めながら
緊迫した状況が 続いている。

放射線が 漏れ始めている。
汚染は どこまで進むのか・・・



ひとつ、ひとつの命、ひとり、ひとりの人生がある。
失われた多くの命、人生に思いを寄せる・・・
深く 深く 冥福を祈ります。


尊い多くの死を 決して 無駄にすることなく、これからの困難な道を 
同胞として共に運命を背負いながら 同じ道を歩いていく。

「不屈の日本」と海外のメディアは日本人の行動に感動し マーケット(市場)も
そのことを 高く評価しているという。

計り知れぬ悲しみを超えて 多くの日本人が 寡黙な面持ちですべてを分け合いながら 
再建へ向けて 歩み出している。


今、私たちの祈りを 力にするために 国民にできうる最も有効な援助は寄付だという。
今日、私は寄付をしてこようとと思っている。

何もできそうもないが できることもある。


国民のひとりとして 再生に向けて 共に歩き出したい・・・
by yuko8739 | 2011-03-15 09:18 | 社会 | Trackback | Comments(0)

進化するパソコン

私の生活に パソコンという便利な機械との付き合いが始まってから、
もう10数年になるだろうか。

機械に弱い私は 初めは大いに緊張した。
少し文章を打つだけで肩はこり、首は痛み、
よくフリーズして動かない画面におびえて 真っ青になったものだ。

その頃は パソコンも夫婦共有だった。
よくわからない世界に 私がおずおずと歩み始めたのには理由があった。
私には やりたいことがあったのだ。
  
自分の思いを綴るmy新聞を作りたかった。
大それた望みに思えたが、ブログというものにも興味があった。
できるか できないか それはわからなかったが。

私の毎日のなかで メールチェックをすることが とても楽しみになった。
送り先は 横浜のSさんと親友Hのふたりだけ。

手紙魔の私は 書くことが好きなのでメールは大好きだった。
少しづつ キーを打つスピードも速くなった。慣れていった。

そして5年前に 初めて買った自分のパソコン!うれしかった。
パーソナルという言葉が象徴するように、あくまでも個人の使用には
個人の機械が必要なのだ、自由な時間に 自由に使うためには・・・

自分の機械を持てた私は 新聞作りのテキストを読み
「ゆうゆうタイム」と名付けて 発行した。
一歩づつできないことを できることに変えていった。
それは 大いなる興奮だった・・・

文を書くことも 写真を撮ることも 上手ではないが 好きなので
そして書くことは いくらでもあるので、こうして版を重ねてきた。
3月で51号になる。

休むことなく発行し続けてきたことは 私の大きな誇りのひとつかもしれない。

夢だと思っていたブログにも テキスト片手に2年前の秋に挑戦した。
「ゆうゆうタイム(ネット)」と、同じ名前でUPした。

日々思いをつづる場があると、このように 思いはあふれ出てくるのか・・・
泉のように とどまることをしらない自分の感情が自分でも新鮮で 不思議だった。

書くという趣味を生かせる 自分にとっては最高の方法だったと実感している。

そしていつしか仕事の原稿書きでも 始終この機械を酷使し。
2度故障して 修理を依頼し、2年前には 原因不明の決定的なダメージを受けた。
再セットアップで どうにか生き延びたが・・・


今年になって 画面が真っ暗になることが 頻繁に起きるようになった。
時々画面は 縞模様にもなる。
今では生活のあらゆる場面で この機械を手放せない私は 大いにあせった。

恐怖のあまり、私は必死で短時間で パソコン購入のためにネットで学び、
欲しいタイプの型番を決めて ネットショップに注文した。

ときどき真っ暗になるパソコンが 行ってしまう前に、
なんとかデータを移さなければ・・・と脅迫&興奮状態で。

それでも日々は なかなか多忙で。
母の入院や手術、仕事や家事のなかで、苦労して データの整理や移行を
し続けた。

今週始めから 少しづつデータを移行し、今年の写真も新PCに移した。
写真も「自然&サークル」「仕事」「ファミリー」とファイルに分けて
使いやすくして いい感じになった。

夜、新PCの画面が明るすぎるので それも調節し、
大好きなグーグルバーも貼り付けて、お気に入りにも
「仕事」「情報」「趣味」「買い物」と4つの分類ホルダを作った。

デスクトップにも 使用頻度が高いものを表示した。
好きな写真も貼り付けたが、新PCは画面の縦横比が違うので、
写真の貼り付けは 苦労した。(リサイズ必要)

マウスも ワンクリックに設定。
そして私は今、2月5日に到着した新しいパソコンで、
このブログ用の文章を打っている。

ワード2003から2010に変わった。
はっきり言うと 慣れない!極めて不便だ!

しかし 慣れるしかない。
まだよくわからないままでワード2010を、よちよち歩きのように使っている。
習うより慣れろ!と心のなかで繰り返しながら。

ああ進化するパソコン!
日々進化して、いつか私の手の届かないところに行ってしまうのではないか・・・

幸いに 旧PCは 患いながらも 健気に頑張って 私のそばで見守ってくれた。
その色、その形 馴染んだ使い勝手・・・君が永遠に動いてくれたなら・・・
別れることもないのに。

気心知れた長い付き合いの親友と 別れる寂しさ・・・

新PCは まだ私に打ち解けてはくれない。
若くて 美しくて 少し傲慢な君、計り知れない能力を秘めながらも、
クールな眼で じっと私を見つめる。

早く君と仲良くなって どんなことも分かち合いたいものだが、
私という人間を 君に受け入れてもらえるのかな・・・

さあ、明日はメールソフトをダウンロードしよう!

願わくば 迅速かつ快適に ウインドウズライブメールが、
私のネット生活を 長く支えてくれますように・・・




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by yuko8739 | 2011-02-12 23:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)

弧族の国

朝日新聞 新年のシリーズ取材「弧族の国」が大きな反響をよんで 
第一部を終えた。
私もシリーズの初回から 深い興味を持って 読み続けてきた。

家族の機能が失われ この日本という国が みなひとりひとりの
「弧族」の国になっている現実を、さまざまな角度から照射する
意欲的に継続する 特集取材だ。

第一部では 今 最も「弧族」の傾向が強く現れている「男たち」の現実をルポした。
老親の介護を、老年となった男たちが背負う。
非婚の中高年男性の孤独と 自身の老後を若い他国の女性に託したい結婚願望も取り上げていた。

その苦しさと孤独。
親の介護のために 仕事を辞めた男たちにとっては、この不況社会の高い失業率の壁に
はばまれて、再就職は難しく。

生きていくためには、しかたなく死んだ親を放置しても 
遺体に手を合わせながら 親の年金で生きていくしかない現実があった・・・

そして、果てしない介護の辛さに 
「1日に何度も 母親を殺してやろうと思う」と 老いた男たちは泣く。
それなのに「助けて!」と言えないのだ、男たちは。



私は、思う。
一昔前の家庭が持っていた その機能の豊かさを、すばらしさを。

病気の親を介護しながら 子を育て 辛い家事をこなし 夫の世話に 
地域やPTAの仕事、時には 親戚の介護までも担ってきた家庭の女たち・・・

歯を食いしばっても 寝る時間がなくても 女がその全てを担っていた。
職業を持つこともなく 高い教育を受けることもないままに。

母は強し、女は強しというけれど、強くならなければ
どうやって生きてこられただろうか・・・

家庭の豊かな機能や地域の一体感は ほとんど女たちが黙々と背負い続けてきたのだ、
一昔前までは・・・
つまり女たちの犠牲的な献身が 今までは家庭のほとんどの機能の根源なのだ。

しかし 時代は変わる。
やっと女たちは自意識に目覚め 家を出て行くようになった。
教育を受け、職業を持ち 自己実現に向かって羽ばたき始めた。

家庭の豊かさを保っていたエネルギーは 外に向かうことになった。
このことを 家庭の崩壊というには あたらない。

女性力がベクトルを外に移し始めたとき、男性たちは家庭力をわが身に
つけなければ ならなかったのだ。
それが バランスというものだろう。

家庭と社会の活動を どちらも疎かにせずに 担うこと。
男も女も そのような生き方をすべきだった。
社会もそのような形に 変容すべきだったのだ。

しかし、社会は男が動かしているので 働き方は変わらない。
今までの男の働き方を 女たちにも強要する企業も 未だに多いのではないか。



職場をなくした中高年の男たちが増え、非婚の男性たちも増えた。
介護の必要な親も増えた。
しかし そこに女たちはいない。

建前に生き、本音を隠して生きてきた 誇り高い男たちは 
今 助けてといえずに 困難な状況を 孤独に生きている・・・

この国の「弧族」の深い闇のなかから これからどんな生き方が
見えてくるのだろうか・・・

しっかりと眼をみはって このシリーズ取材を見つめていきたい。

闇のなかにさす ひとすじの光を 探したい・・・


<現在 朝日新聞「弧族の国」第二部 家族代行 掲載中> 
by yuko8739 | 2011-01-26 13:10 | 社会 | Trackback | Comments(0)

ハーツアンドマインズ/ベトナム戦争の真実

私の風邪は インフルエンザではなく、喉の腫れの発熱で 1週間経って、
2度病院で受診し、ほとんど回復した。
しかし まだ本調子でない先週末から 追われるように仕事も始まっている。

取材、原稿書き、ボランティアの会議、自然勉強会など いろいろと忙しくて 
ブログの更新も なかなか できなかった。


そんななか・・・昨夜 1月22日(日) 夜10:50pmから0:35まで、 
NHKBSchで ある映画が放映された。
「ハーツアンドマインズ/ベトナム戦争の真実」

この映画を みはじめて 私は釘付けになった。
画面から一瞬も 目が離せなかった。


1975年、ベトナム戦争のさなかで作られた このドキュメンタリーは、
47回アカデミー賞の 最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品。
以来、日本では TV版は放映されたが、昨年 はじめて劇場公開された。


「ハーツ・アンド・マインズ」はベトナム戦争に関わったあらゆる階層の人々の
証言と実写フィルムで構成されている。
衝撃的な 悲惨な戦争の実態を ナレーションなしで 描いている。

ドキュメンタリーとしての完成度の高さから 発表当時、世界的に大きな話題となったらしい。
この映画はその後、「地獄の黙示録」や「ディア・ハンター」「プラトーン」など、
70年代後半以降に多く製作された ハリウッドのベトナム映画の傑作にも多大な影響を与えたという。

私が忘れられないベトナム戦争の映画は、「ディア・ハンター」と
「7月4日に生まれて」だが そういう映画の源流を 見る思いがした。

なぜ、アメリカはベトナムと戦うことになったのか? 
そこで 彼らは何をしたのか? 
そしてそれはどのような結果を生み、どんな影響を及ぼしたのか? 

ベトナム戦争の意味は いったいなんだったのか・・・
今も続く 現代史のなかのアメリカという国の覇権主義は あの当時と何も
変わらないのではないかと 思わずには いられない。

ケネディのあとに 大統領となったジョンソンが演説する。 
「ベトナム派兵は進めなければならないが、勝利の行方はベトナム人の
意欲(ハーツ)と気質(マインズ)次第だ」
そこから題名がつけられたという。


ベトナムの一般の人々が、理由のない戦争で殺される。
家を焼かれ、赤んぼうを焼かれ、米を奪われ 拷問を受け
なす術もなく立ちつくし、放心してカメラを見つめるベトナムの人々。

私たちと似た顔の アジアの同胞が その呆然とした眼差しが
心に突き刺さる・・・

私たちは なにをしたのか・・・
私たちに 世界は なにをするのか・・・
世界は 
あなたたちは 
私たちを 見過ごすのか 見捨てるのか。

共産主義から この国を 守るため?
守るためなら 人を殺してもいいのか。
子どもから 親を奪い 親から子どもを奪い 全てを奪い・・・
拷問しても いいのか。
何をしても いいのか。

全てを焼き尽くし、その後遺症に今も多くの人が苦しむ 猛毒の枯葉剤
(ダイオキシン)を撒き・・・


彼らの瞳は 確かに そう語っていた。

私は 何度も泣いた。
嗚咽が 止まらなかった。
なんということか、この戦争に 意味があったのだろうか・・・

また、白人のアジア人やマイノリティの人々への 人種差別という側面をも 
この映画は見事に描きだしていた。

あるアメリカの政府高官は こう発言している。
「アジア人は 命を重く見ていない。生きることや死ぬことを そんなに重要だとは思っていない」
なんという偏見、差別。憤るあまり 私の鼓動は激しくなった・・・



ベトナム戦争のとき、沖縄からも 数多くの戦闘機が
ベトナムへと飛び立っていった。

日本人である私たちも ある意味では ベトナム戦争の加害者だといえる。
アメリカの世界戦略、他国への軍事介入を受容し 支えた。

このように 世界じゅうの平和と戦争とは 自分自身も無関係では 
生きられないのだと、強く 深く 悲しく 意識した。

ベトナムの悲劇の映像が なかなか 去っていかなかった。
波のように 私のなかで繰り返された。

どんな戦争にも 反対をしていかなければならないと 
今一度 こころに誓った。

映画のなかで流れた 反戦歌「500マイル」が 私の魂に 永遠に響き続ける・・・


失われた命への鎮魂の思い深く その歌に 耳を澄ます・・・



  
by yuko8739 | 2011-01-24 15:47 | 社会 | Trackback | Comments(0)

母性を育てる

子どもの助けを求める叫びを聞いたら、すぐ通報する。
明らかに暴行が疑われる様子だったら、すぐ通報する。
私たちは それが市民の義務だと思い、そのことを意識してきた。

それでも。
新聞には 虐待されて亡くなった子どもたちの報道が 絶えることなく続く。
泣き叫び 怪我をする子どものそばにも 大人はいただろうに。
すべてが 手遅れだということか・・・

先週、朝日新聞の1面に、母親から育児遺棄されて亡くなった
ふたりの子どもの写真が 大きく掲載された。

ふっくらと 幸せそうな ふたつの笑顔。
その子たちの写真を見つめながら 私は また泣いた。

空腹で 暑い部屋で おむつも取り替えてもらえず 入浴させてもらえず、 
逃げ出せずに生きるとは・・・まさに 想像を絶するこの世の地獄。

死に至るまでの 壮絶な苦しみと悲しみ、痛みを思う。
極限の渇きや空腹を 思う。
身も心も 引き裂かれそうで 涙があふれる・・・

どうして 3度も通報があったのに この子らは助けて もらえなかったのか・・・
誰が住んでいようと、そうでないとしても 子どもの声がするのに
なぜ その部屋を開けて 警察はなかに入らなかったのか。


私には わからない。


私たち大人は 若い母親を責めるだけでは 足りない。
こうした事件は 母親だけの罪だろうか。
この女性は 小さい頃に母親と離別し、父親は忙しくて 寂しかったそうだ。

父から 母から 身を寄せて 愛を手ほどきされなかったとしたら 
娘はどうしてそれを受け継いで、自分の子どもに 手渡せるだろう・・・
彼女は 寂しさのあまり 心が育たず 安心や満足を知らないままで大人になったのだろうか。

いつか こういう言葉を聞いたことが ある。
「母性とは 育つもの。この国は 母性を育てていない・・・」

親から子へ、愛情や社会規範を 継承できない。
そういう仕組みを守る 地域や共同体も消え、人と人との係わりも 希薄になっていく現代。
そうだとしても・・・なにか できないか。

少子化をとめるより先に なすべきことは なんだろう・・・
今、生きている子ども達の日常や安全を守り、生きる困難から救うためには、
親を支える仕組みが なによりも必要なのではないか。

特に 虐待される子どもの問題では 女性がひとりで仕事をして、
子育ても担う 母子家庭のなかで 起きてしまうことが 多い。
貧困とも 無関係ではないと思う。

このことから 何が明らかになるのか?

決して男女が平等ではない日本の社会、本音と建前が、
極端に違うこの国の 生き難さの問題があると思う。

それは 賃金にも昇進にも 男女格差が歴然と存在し 女性議員が極端に少ない
日本の政治とも 無関係ではない。
そして そのことは母子家庭に対する 社会の蔑視や偏見を生む心理と 無関係ではない。
 「困っている人を助けない」地域社会の問題も そこにある。 

ドラマ「Mother」で 典型的に描かれたように、子どもへの虐待は、
母親が心理的にも 身体的にも 追い詰められたときに起きることが ほとんどだ。



これから 虐待される子どもを ひとりでも少なくするために、
それが原因で 命を落とす子どもを なくすために、
政府は国を挙げて あらゆる手段を行使して欲しい。

行政にしか できないことがある。
どんなことよりも このことを優先させて欲しい。


そして 私たち大人は どんなに小さなことでも 地域のなかで 
その兆候を 見逃さないようにする。
近隣で 子育て中の女性には 声をかけたい。
そして必要なら おせっかいを焼こう、手を貸そう。

時間に余裕のある 中高年の先輩ママは 小学校の空き教室など利用して
助け合いの子育てサークルなどを作るのも 一考だろう。

地域で 若い母親を どんな形でもいいから 支えられないか・・・
母性を育て、守るために 思いつく すべてのことを始めなくては。
子どもは 決して無残に死んではならない!


幼い子らの 多くの虐待死を前にして、 私たち大人は 責任をとらなくてはならない。
行動を 起こさなくてはならない。
私は、 今 そう思う・・・
by yuko8739 | 2010-08-27 10:27 | 社会 | Trackback | Comments(0)

無縁社会の無縁死

昨日1月31日のNHKスペシャル「無縁社会~無縁死 3万2千人の衝撃~」
すさまじい孤独死に 絶句した。

今このときも やりきれない孤独のなかで、
すべての「縁」を失い、ひとり自分の死の始末の
手配をする人々。「無縁死」を恐れる独居の人々・・・

見終わって 胸に苦しい 塊のようなものが 残った。


有縁の人に見守られ 悼まれ 祈りのなかで 尊厳に満ちた死を迎えることは
誰もが 最期に望むことだろう。

しかし 生きているということさえも 忘れられている人がいる、という現実。
その骸は 名前をつけられることもなく 無縁仏となっている事実。


しかし この現象は 誰にでも 起こりうること。
故郷から離れたり 離婚したり 子どもが遠くにいたり 会社が倒産したり、
親兄弟のために働き続けて非婚だったり、そういうことが 無縁死とつながってしまう。

親族との絆「血縁」が壊れ 故郷から離れて 都会で生きれば「地縁」は薄くなり、
会社の人間関係は構造改革で崩れ 終身雇用も夢となって「社縁」もなくなる。

その結果、誰にも知られず、引き取り手もないままに亡くなっていく人が
急増していく。その数 年間3万2千人・・・この衝撃!
そんな「新たな死」の軌跡を 番組は丹念に追った。

人は ひとりで生きられるのだろうか・・・

私は 自問する。

自分は ひとりで 生きられるか。

ひとりで生きて ひとりで 死ねるのか、誰ともつながらないままで。


この国、この社会が作り出した この底冷えのするような風景。
これはいったいなんだろう・・・無縁のお骨が どんどん積み上げられてゆく。
そして 「誰も 知らない」 

無縁死を処置する商売「特殊清掃業」が 急速に増えていく。
血縁は どこにいった・・・地縁は?
会社の仲間も 幻想だったか。

ひとは生まれるときも 死ぬときもひとりだけれど、
生きているあいだは 分かち合い 支えあい 誰かと笑ったり、
泣いたり けんかしたり しなければ 生きられないのに。

番組の最期に 救われるエピソードひとつ・・・

血縁 地縁 社縁のすべてを失って 故郷から離れて暮らす人がいた。
その男性が 隣家の姉妹の少女の声かけが きっかけで
互いに親しくなり、 それ以後は 「家族」のように
かけがえのない人として 共に過ごしたと。

無縁社会を生きる人を 少女の無垢なひと言が 救った。
人は 血縁でなくても 地縁や社縁がなくても
ささいなきっかけで 互いに 「大事な人」になれるのだ・・・

このエピソードは 新しい絆について 深い示唆を与えてくれる。
しかし 無縁の人の隣に 天使が必ずいるとは限らない。
だから 無縁死という現象には 社会の病理として 政治的な対応が急務だ。

絶対に 人間は こんなふうに 死んではならない・・・
人と人が つながる社会を 身近なところから 
強く意識していきたいと 思った。



かって マザーテレサはこう言った。
「誰でも 死んでゆく人には そばにいて 共に祈ってやる人が必要です」と。

「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです」と。

「世界で一番恐ろしい病気は、孤独です」と。

今、日本に必要なのは マザー・テレサなのだろうか。

宗教以外に なにが このような死を救えるのだろう・・・


 
by yuko8739 | 2010-02-02 00:21 | 社会 | Trackback | Comments(0)