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カテゴリ:社会( 203 )

2019選挙に想う

この頃、山本太郎氏の「れいわ新撰組」の街頭演説を

見て興奮し、ひきつけられている。

昨日16日は、札幌駅前での街頭演説だった。


政治は、難しい。

ずっと私はそう思ってきたし、より多くの情報を吸収し、

より深く経済や政治のことを 学ぼうと努力してきた。

正しい判断のために。


選挙権を持ってからも、選挙に行かなかったことはない。

私が票を入れた候補者は 当選したことがないが・・・


国民として徒労感はありながらも 

その時に熟慮して 最善と思う人を選んできた。

しかし・・・投票する候補者は いつも落選する。



自民党政権内部は 長い時間を経て崩壊しているのではないか。

そう感じることがあまりにも多くなり、徒労感はときとして

絶望感になる。


私は今、前川喜平氏の講演会で買い求めた本「面従腹背」を

読んでいるが ショックを受け 怒りがこみ上げている。

上級公務員は 自分の金では酒を飲まず、ゴルフもしない。

私的な旅も公務に付け替えるなど 公権乱用は常態化。


また、国家公務員の政治家への忖度は驚くほど。

憲法による人権の擁護よりも 国家に忠実な民を育てるために

教育基本法の改正なども 正しい審議なし、

大臣の意向ひとつで決まる。


これが民主主義の国家だろうか…

これでいいのか?

国民はこういうことを 知らされているのか?

大手メディアまでも 政治家に忖度する。


多くの事実はうやむやにされ 責任の所在は不明になる。

公文書も消える。

これでいいのか?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


よくない!と山本太郎は叫ぶ。

「国民のための国を 作ろうじゃないか」

「青少年の自殺者が世界一多いこの国は これで先進国だといえるか」

「消費税も廃止、若者が返済に苦しむ奨学金は 返済不要にする」


貧困家庭を減らす。

企業が潤い、国民がこれだけ困窮し病弊するのは間違っていないか?

こうしてひとりで「れいわ新撰組」を旗揚げした。


「国民ひとりひとりが主人公の国を作るために、

みなさんの力が必要です。」そういって 広く募金を募った。

日本の選挙の供託金は世界一高く、選挙区では1人300万円、

比例区では1人600万円かかる、世界中でも稀だという。


「選挙費用が600万円もかかるこの国の選挙は

貧乏人は選挙に出るなと いうことだよ」と太郎さん!

一般国民には とても払えない金額だ。

そういう法外な供託金を設定することで、日本の政治は

普通の人が国会議員になることを 確実に阻んでいる。


しかし「れいわ新選組」は、寄付金という解決策で

高額な選挙資金問題を 見事に乗り越えた。

普通の人から集まった浄財によって 9人の候補者を擁立した。


募金は7月半ば現在で 3億円を超えたそうだ。

そして、9人の候補者を擁立した。

一般人が500円、1000円と浄財を寄付した。


今まで、こんな選挙はみたことがない。

新しい風が ふく。


当事者の声を届けるために、この党は障害を持つ当事者を候補者にした。

コンビニ問題で苦しむ当事者を 候補者にした。

普通の人が、当事者が国会議員にならなければ、

本質は明らかにならない


選挙は難しくない!

税金をどう使うか、どう分配するのか。

生活が苦しい人には より手厚く。

楽に暮らせる人には 少し税金を多く払ってもらう。


山本太郎はときに涙ぐみ、底辺の国民と共闘しようとする姿に、

その熱さに、私は胸を打たれる。

予定調和なんて くそくらえ!」


私のなかにある、40年以上の長い選挙の

絶望と悲しみが、新しいパワーに変わっていくようだ。

私のなかにある怒りに 過激な思いに火がついた。


私もずっと思ってきた。

最小不幸の国、それを目指すべきだと。


それなら山本太郎と仲間たちを 国会に送るしかない。 

これは 日本という国に生まれた革命だ。

奇跡かもしれない・・・


開きかけた奇跡の花、そのつぼみの色や形を

この目で見てみたい。

そうできるかどうかは国民のひとり、ひとりの投票にかかっている。


どうかこの新しい風が 火山噴火のような

すさまじいエネルギーとなって 国民の怒りを燃やし、

この国の形を 変えていきますように!


そう わたしは願っている。

祈っている。

そして あさっては投票に行く。



by yuko8739 | 2019-07-17 10:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)

日本の難民認定の非情

先日NHK教育TVで、トルコ政府からの迫害から逃れた

クルド人の難民家族のドキュメンタリーをみた。

絶句し、言葉がない。


人間は、救いを求めている他者に対して

このように「非情」になれるものだろうか・・・


ある家族は日本国内に12年も住んでいるのに 

就労も許可されないし、移動の自由もない。

日本が言うのは、ただ、トルコに帰ること。

だが、迫害や拷問の国から逃げてきたのに、

どうして そこに戻ることができるだろうか。

命も危ういのに。


一族の父親はトルコでの拷問から逃れて 家族を連れて日本に来たが、

拷問の後遺症と日本での難民申請が受理されない暮らしに絶望し、

近くの公園で自ら命を絶った。


生活の糧は日本女性と結婚し、日本国籍を持った三男の就労が頼り。

21歳の次男は 国内での移動の際の不手際で 

茨城県牛久にある 東日本入管に収容された。


いつ出られるのかもわからないまま 罪人のような扱いを受けた。

日本に三か所ある入国者収容所は、以前から人権無視が指摘されている。

以前から多くの自殺者や自殺未遂者が出ている。


弁護士や市民団体が「刑期なき獄舎」のような収監に対して  

強く抗議を続けているのだが 一向に改善はされていない。

次男は 窓もない収容施設の一室で数人と居住。


ストレスで自殺寸前の彼だったが、

「どんなことになっても 希望を捨てるな」という

父の遺言を胸に なんとか持ちこえた。

3年近く収監されて 何の理由もなく解放された。


この施設でもただ「トルコに帰れ」としか言われなかった。

苦しみやストレスの多い家族のなかで 感じやすい小学生の弟は

不登校になり、泣き叫ぶ。

「私が家族をここに連れてきたので 私に責任がある」と泣く母。


涙なくしては みられないドキュメンタリーだった。

なぜ?

きちんと手続きをしたうえで 特別な問題がなければ、

難民として認定すべきではないか。

なにか事情があるとしても これほど個人を犠牲にした政策は 

間違いではないか。


日本では拷問されたことを、個人が証明しなければならない。

どうやったら そんなことが可能になるのか。

日本のそのようなやり方は 世界的に批判されている。

日本の難民認定の基準は 余りに過酷。


こんなことなら、日本は難民認定を行わない。

はじめから そういうべきではないか。

働く許可もなく 12年も生殺しのような状態で

彼ら家族は この日本で今も生き続けている・・・


国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計によると、

2017年に主要7カ国(G7)で最も多く難民認定したのは

ドイツでは4万人超、日本は20人で 次に少ないイタリアの

5895人に比べても 大きく差が開いた。



こういうことの情報が国民に知らされ、共有されなくてはならない。

難を逃れてきた人たちが この国でこれほど苦しみ続けて

暮らす事実を知り、人権を守るためには日本の難民認定の推進を

為政者に強く 要望すべきではないか・・・




by yuko8739 | 2019-06-27 10:32 | 社会 | Trackback | Comments(0)


父の薔薇が 咲き始めた。

家を建てた30年前に、実家の庭から息子と苦労して掘り出して、

我が家に移植した、父の好きだった薔薇・・・


63歳の若さで あっけなく亡くなった父の薔薇は、

今はわが家の6月を象徴する花だ。

内側がクリーム色で 外が淡いピンクのおしゃれな薔薇だ。


その隣のバイカウツギも 満開となった。

すてきな香りの愛らしい白い花に憧れて もらった木を植えた。

毎年どんどん木は大きくなっていく。

この花の香りに誘われて 小さな虫たちが飛び回る。

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いつのまにか、知らないうちにさまざまな木が増えてきた。

野性のバラ、ノイバラの淡いピンクの花も咲き始めた。

植えた覚えはないが、数年ほど前に芽を出して

あれよ、あれよという間に、隣の木を伝って大きくなった。

~童は見たり、野中の薔薇~と歌われているのが、このバラ。

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我が家の北側の庭には いつのまにかカエデの幼木が

芽を出して、数年経って立派な2mほどの木となった。

秋には紅葉して美しいが、これも植えた覚えがない。


今年の春に気づいたが、その紅葉の隣に私の大好きな

クロモジを発見したので、びっくり!

20cmほどの幼木だが、どこに移植しようか・・・

庭のあちこちにイボタの木も 芽を出す。


こうして知らないうちに さまざまな花や木が増えていく。

多分、野鳥の「贈りもの」だろうと思う。

彼らの置き土産は なかなかおもしろい。


おもしろいけれど 野山の自然は 増えすぎる。

園芸種ではない植物を 私は好んで植えているが、

時々は 後悔する。


オオバナノエンレイソウは増えないが、ニリンソウ、チゴユリや

コゴミ、コンロンソウなどの勢いはすごい。

異常に増殖するので 園芸種を駆逐してしまう。


愛すべき野の林野の風情だが、可憐な姿に違わずたくましい。

さて、なにを抜いてなにを育てようか・・・

(我が庭の花をアレンジ)

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<DV子どもの居場所ボランティア>

この日は、子どもたちを水族館に連れて行く予定だったが

あいにくの雨・・・まずは子ども食堂でランチをして、

そのあとで市民活動センターに連れて行った。

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この施設は、市内の中学校跡地に昨年暮れに完成した。

さまざまな市民活動に有効な場所として 子どもから高齢者

まで、多くの世代の多様なニーズにこたえて 大人気の施設。


全天候型の「キッズパーク」は、乳幼児や小学生まで、

さまざまな異年齢の子どもたちが こころとからだを存分に

解放させて、自由に遊べる場所だ。

「とんで! のぼって! ころがって!
全身をつかって遊べるキッズパーク」というのが、

キャッチコピー。

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ネットで編まれた空中ジャングルジム、壁を登るボルダリング、

ままごとのお家、見たこともないもじゃもじゃブロックなど、

大人もやってみると おもしろい。

ここで 子どもたちは大喜び!

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ボランティアの中高生のお姉さんふたりが同行したので、

存分に駆け回り、追いかけっこなどで楽しんだ。

みな汗だく・・・

元気なお姉さんふたりが面倒を見てくれて 

私はずいぶん助かった。


いったんアイスクリーム休憩のあとは 静かに座って

もじゃもじゃブロックを楽しんだ。

雨の中、帰りたくないという子どもたちを送って夕方帰宅。

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今日は、最高に楽しそうだったなあ・・・

雨の日は ここがいいなあ。

来月は母子で ここの調理室でお菓子作りをする。


8月は交流会、貸し切りバスで果樹園で「さくらんぼ狩り」

みんなで行って さくらんぼいっぱい食べようね!!!





by yuko8739 | 2019-06-22 19:06 | 社会 | Trackback | Comments(0)

そして6月9日、再び20年後の彼らに 私は会うことができた。

3、4回目の放送

「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡(前編)(後編)」


2018年、地下資源で潤う経済のなか、モンゴルの首都周辺には

広大なスラム街がひろがる。

ダシャは結婚し、4人の子どもの父となっていた。

ゴミ分別の腕を買われて 区のごみ収集職員となっていた。


ボルトは酒浸りで廃人同様の6年間を過ごしたが、

更生施設の代表、ウーレーさんに救われた。

「君にもいい人生を送る未来がある。

君は価値のある人間だよ」


彼に支えられながら、ボルトはなんと半年で断酒に成功した。

母を探し出し和解し、モンゴル式の家ゲルで妹の息子と3人で住む。

施設を出てからタイヤ修理の技術を身に付け、今は小さな店を持つ。

昔の自分のようなストリートチルドレンを援助する活動も 始めた。

NPOの夜間見回りにも 同行する。


ダシャのふたりの子どもの入学資金の不足を ボルトが快く貸していた。

「俺たちは誓ったんだ、自分の子どもには教育を受けさせると。

自分たちのようには 決してさせない」と。


そしてふたりの初恋の女性、オユナは・・・亡くなっていた。

子どもを親戚に預けて 再びマンホールに戻り 

そして突然亡くなった、まだ24歳だった・・・


ふたりは、オユナの亡くなったマンホールで 

小さい頃にオユナが食べたがっていたソフトクリームを

3つ供えてオユナを供養する。

オユナの不幸とボルトとダシャの悲しみが 胸に迫る。


小さいころに別れたが、オユナが生んだ娘は14歳になっていた。

ボルトはプレゼントを贈り、再び娘に会えるようになった。

SNSで 会話をするようになっていた。


そして今、ふたりは無料のボランティア教師から

読み書きを学んでいる。

字が書けて読めるようになったら ダシャは運転免許を取りたい。

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あのどん底の暗いハエだらけのマンホールから 

二人の少年が 運命に翻弄されながらも

すべてを失った後でさえ、こうして希望を再び胸に灯しながら

今を生きている。


この世に生まれたことを後悔し、こんな自分を生んだ母を憎み、

それでも どうにかもがいて這い上がり、 

つかみ取ったもののすばらしさに、私は心底打たれた。


絶望を希望に変えた その彼らの生きるパワーに感動。

これこそ作り物ではない映像、言葉、笑顔。

人は どんな人でも どんな境遇にいても 

食べるものがなくても 人として尊い。


だが、貧しさというものが どれほど人を切り裂くか。

愛憎が 自分のすべてを奪うこともある。

しかしどん底から ボルトとダシャは常に懸命に寝る間もなく働き、

家族を思い、ここまで歩いてきた。


どん底からの20年、彼らの今を私は感動の涙と共に祝いたい。

そして、この真実の物語をみせてくれたNHKの番組に

深く 深く感謝したい。

ありがとう!

(この番組にかかわったスタッフは20年間で500人に上るという)


人が困難のなかで生きるすばらしさを 

このように長い20年をかけて みせてくれてありがとう。

さまざまな紆余曲折や試練を越えて生き抜いた、

このふたりの友情と絆を 私は忘れない。


ラストのふたりの笑顔を いつも心のなかに置こうと思う。


それは、私を導く「希望への意思」そのもの・・・


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by yuko8739 | 2019-06-10 11:22 | 社会 | Trackback | Comments(0)

「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」

NHKBS1スペシャル

<第56回 ギャラクシー賞特別賞受賞> 制作「えふぶんの壱」

(第1回放送は1998年放送、その後取材撮影は続き、

20年の間に4作が放送された)

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初回の放送1998年「混迷するモンゴルからの報告」をみて 

衝撃を受け 言葉を失った。

モンゴルという国の 私は何を知っていたのか・・・


1998年、社会主義が崩壊したモンゴル、国民の半数が職を失うという

過酷な体制のなか、首都ウランバートルでは親の暴力から逃れ

困窮した親に捨てられた子どもたちが 家を出てマンホールで暮らす。


冬は気温マイナス40度のなか、首都ウランバートルの

暖房温水用のダクトが走るマンホールのなかで、

ゴミ捨て場のゴミをあさりながら4000人以上の子どもたちが 

暮らしている。


その過酷な環境のなかで、二人の少年13歳のボルトと14歳のダシャ、

13歳の少女オユナを追った、ドキュメンタリーがこの作品。

4月末にも 朝日新聞の記事で紹介されていた)

幸いについ最近67日、9日と再放送が続き、

最初の放映から10年後、20年後の彼らにも 

出会うことができた・・・


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子どもたちを巡る環境は 過酷で壮絶だった。

まず 食べるものがない。

住んでいるマンホールも ときに他のグループに

力ずくで奪われてしまう。

そうなると凍死の危機。


マンホールのなかで強姦され 暴力を振るわれることも。

マンホールでの出産は 年間200人にのぼる。

そんななかで・・・「学校に行きたい」

「夢は詩人になること」と朗々と 詩を暗唱する女の子もいる。


そんな子どもたちを 守ってくれる大人はいない。

親友の少年2人、ボルトとダシャは助け合い、

過酷な環境のなかで たくましく生きていた。

オユナは女の子グループのリーダーで、笑顔が可愛い少女だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

10年後、第2回目の放送「10年後のマンホールチルドレン」

モンゴルは順調に経済を立て直しつつあった。

6年後、職を得て最底辺の生活から脱したボルトは、

ウランバートル郊外の自分が建てた小さな家に 

母と妹を呼びよせるという夢を実現し、そこにはダシャの姿も。 


それから4年、ボルトの希望の家は朽ち果てていた。

23歳になったボルトは、廃品回収の仕事をしていた。

草原に建てた家は、登記をしていなかったために

追い出されたのだ。


ボルトはオユナと結婚したが、母と妻の諍いが元で

オユナは去り、母も家を出た。

オユナが頼ったのは、親友ダシャ。

オユナを巡って、2人は決裂。


すべてを失ったボルトは酒浸りになり 

再びマンホール暮らしに転落。

オユナは子どもを連れて、ダシャと暮らしていた。

ダシャはオユナに献身し、彼女の多くの親類さえも

養うが、彼女は酒に酔い、死にたいと泣く。

ここで2回目のドキュメンタリーが終わる。


2回目の放送ラスト、その暮らしの救いのなさに、

私は深く絶望した。

なんと希望のない 貧しい暮らし。

愛する妻や母を失い、親友との関係も途絶して

心も引き裂かれるボルトの孤独。 


働いても、働いても、楽にならない。

食べていくのでさえ やっとの暮らし。

よりどころも 希望も見えない。


あんなに憧れ 夢みていた家庭さえボルトは失った・・・

孤独と辛さゆえに 酒におぼれた。

母の行方を捜しながら 夜の街をさまようボルト。

会えない母を思って 号泣する。


彼らは どうなる・・・

死にたいと酒をあおるオユナと

多くのオユナの親族がダシャの肩にも

重くのしかかっていた。


希望も、未来も見えない。




by yuko8739 | 2019-06-10 10:16 | 社会 | Trackback | Comments(0)

先日、放映されたNHKの「不登校」についての番組を見て、

胸が詰まった。

ある中学では 掃除の時間に生徒に無言を強いていた。

とても異常な気がした。


私があの中学にいたら、絶対に息が詰まる。

不登校になるような気がする。

そういうことを子どもたちに強制しながら、教師はそのことの

意味を分かっているのだろうか?


なぜ、学校が管理しやすくするためだけに 

こんなにバカバカしいことをするのか。

にこにこと笑いながら、おしゃべりしながら掃除をしてなにが悪いの?


こんなことをするから、子どもはますます学校嫌いになる。

登下校時、学校の門の入り口で たくさん居並ぶ教師や生徒に

元気ににこにこ挨拶をする、やめてくれ!

こんなことをしたくないのが思春期だと、知らないの?


元々小学校や中学校の運動会や全校集会の形式は

日本軍の軍隊の軍事教練のやり方をそのまま継承したものだが、

あまりではないか。


全校集会の整列や、事細かに生徒の緊張を強いる校則。

今の時代、こんなバカげた縛りや規則には 意味がないと思う。

それを守らせるため時間を取られて より大切なことや

本質が見えなくなる教師たち。


内心それを小ばかにしながら ストレスや学校への憎しみを

募らせながら、表面だけは従順で無表情な生徒たち。

こういう学校と教師の在り方や、教師が本気で取り合ってくれない

激しい暴力(いじめ)に、子どもは不登校という形で

「NO」と訴えている。



教育の目的は なんだろうか。

自分が好きで 生きていくのが楽しいと

思える大人に育てることではないのか。


大人っていいなあと思う子どもを 増やすこと。

大人になったら こんなに愉しいことが待っているんだ。

つまり、生きているっていいなあ、

そんな子どもを 増やさなければ・・・


こどもひとりひとりが 自分を好きになるように導くことが 

何よりも必要だと思う。

学力ではない。

学力をつけるのは 人生を楽しくするため。

物事の意味が分かり、自分の問いに 自分でこたえられる人に

なるため。


あとは基本的な生活習慣をつけて 健やかな人生を目指す。

心が通うひと時を 教師も子どもと共有する。

学校は、生徒の人権を守り、あくまで子どもを支える場として

存在すべきだと思う。


今の学校は、それと真逆。

学校が 管理しやすい生徒を作るために必死になっている。


教師たちよ、子どもの顔色を見て ちゃんと寄り添っていますか。

なにが彼、彼女たちの幸せなのか 共に考えてますか。


先生、子どもたちひとりひとりを かけがえのない存在として

その命のきらめきや輝きを 感じていますか・・・


あなたと同じように 地球にたったひとつの「尊い命」として

子どもたちは 存在しているのです。





by yuko8739 | 2019-06-07 15:24 | 社会 | Trackback | Comments(0)

またも、何の関係もない子どもたちを包丁で襲うという

むごい事件が起きた。

小学6年生の女児、そして子どもを送った父親が亡くなった。

その他、20名ほどの児童が包丁で切りつけられた。


はじめは 現場でなにが起きているのか 誰もわからなかっただろう。

数十秒のできごとのあと 犯人は自死した。


動機や詳しいことは なにもわからないままだ。

だが、「他人を巻き込まないで 死にたかったらひとりで死ね」

という声が多い。

初めてこの事件を知ったときは 私もそう感じた。

あまりにもむごい事件に ショックで心が凍った。


だが、こういう事件が起きないようにするためには・・・ 

犯人に「ひとりで死ね」というだけでは 足りない。

防ぐ方法を模索しても 限りがある。


万人、特に弱者(子どもたち)に対する憎悪は、

多分、この社会への憎悪だったか。

犯人は ひとりでは 死ねなかったのだろう。

このように他人を殺傷することで こう訴えたか?

「私はあなたを憎んでいる、あなたとこの社会を憎む。

私が生きられなかったこの国を 憎む」と。


社会に「NO」と言いたかったか・・・

このような激烈な事件を 起こさないではいられないほど、

内心の憎悪や嫌悪、生き難さが身ををさいなみ 沸点に達したのか。

生きる喜びや存在する意味も 全くない暗黒の世界だったか。


事件が起こった日、数時間が経って私はそう思った。

自死した犯人を断罪するだけでは これから起きうる同じような事件を

防ぐことはできない。

このような人を なくさなくてはならない、と。


犯人にも 適切な援助や助言、手助けや真剣に話を

聴いてくれる人がいれば、事件は起きなかったかもしれない。

もちろん人生のどの場面で どんな手助けができるのかを

見極めることの難しさはある。


だが、同居していた親族も彼のことで10数回も

市に相談していたという。

そのときに 誰かが真剣に彼の話を聴いていたら・・・

適切な援助が始まっていたら・・・

そう思わずにはいられない。


怪我をされた方々の1日も早い回復を 心より祈ります。

どうか適切な心のケアも 充分に受けられますように。


亡くなった 栗林 華子さん、

小山 智史さんのご冥福を 心から祈ります・・・


ご家族に 深く哀悼の意を捧げます。




by yuko8739 | 2019-06-01 11:25 | 社会 | Trackback | Comments(0)

「8050問題」とは?

先日、新聞に記事が載っていた「8050問題」

その深刻さに、驚いた。

家庭内のひきこもりの子どもは1980年代頃から増えていたが、

その子どもたちが今は50代となり、80代になった親が

面倒をみ続けている。


以前は、引きこもりとは若者の問題とされていた。

しかし、それから30年もたった今では、

社会に出る機会を逃したまま、ひきこもりの子どもは

50代となっているのだ。


ひきこもりの中高年の調査が、はじめて政府によって行われ、

329日に発表された。

40代から64歳までのひきこもり状態の人は全国で613万人!

初めて明らかになったその数に 驚く。

つまり、民生委員などが以前から指摘していた

8050問題」は 特殊なことではなかった。


また「就職氷河期世代」(現在の30代後半から40代後半)の

多くが40代になったということもあり、中高年の引きこもりが

多いという原因になっているらしい。


若年と中高年のひきこもりを合わせると、その総数は「110万人」!

男性が765%を占める。

暮らしは、以前と同じように親の収入に頼るが、

親世代は80代となり、年金暮らしで家計も厳しい。


親子の老化は避けがたいし、病気も多発する。

親子共々、互いに面倒をみきれなくなったら・・・

いったいどうなるのだろう?

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この問題に詳しい精神科医(筑波大)斎藤環氏は・・・

「中高年のひきこもりが社会問題化してこなかったのは、

国による調査がなされなかった影響が大きい。


全国の自治体や研究者から、ひきこもりの半数が40歳以上という

調査結果が次々と出ていたにもかかわらず、国は放置してきた。

こうした国の姿勢は『ひきこもりは青少年の問題』という

先入観を広げることにもつながった。

その責任は重い。


今回の調査をきっかけに、中高年の当事者のニーズを

丁寧にくみ取った就労支援に加え、当事者や経験者らが集まって

緩やかに経験を共有できる居場所を全国につくることが必要だ。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

自分のまわりをみても 確かにそういう家庭は存在する。

定職につけなかったり、定職につかなかったりする、

未婚の息子や娘が 親と同居する世帯は存在する。


今まで国が 全国的な調査を放置していたのは、なぜだろう?

そういう家庭は どうしても内向きに閉じてしまう。

閉じてしまった家庭に 他者が介入して新しい風を入れる。

地道で誠実な取り組みや働きかけによって、

新しく自立への道が 開けるかもしれない。


日常は、ときに非日常の思いがけない介入で変化する。

滞ったからだと心、親子の固定化した関係を変えるために、

地域力も試されるだろう。

何かできるといいのだが・・・


例えば・・・

地域には 今たくさんの「子ども食堂」ができている。

それの夜の部?などで 「大人のしゃべり場」

「隠れ場」みたいなことは できないだろうか?

そこに、話を聴いてくれそうな人間通の大人がいたら、

救われる中年のひきこもりの人も いるのではないか・・・


人が、人の役に立つためのシステムを作るには、

専門家の知恵を生かした国の有効な施策こそが第一段階。

そこから地域の特性も踏まえて 人間力を生かして

人のつながりを育てていくことは 可能ではないのか。


日々 人は老いてゆく・・・

早急に有効な手当てを 考えなければならない。 

閉じた家庭のなか 親子に悲劇が起きないように

「他者」という 風や光を入れなければと思う。





by yuko8739 | 2019-04-11 09:53 | 社会 | Trackback | Comments(0)

元号ってなんだろう

「令和」という元号を 私は好きではない。

世間のおめでたムードに 水を差す気はないが。

最初から そう感じていた。


言いにくいし、「れい」という言葉のイメージが悪すぎる。

多分、これからは西暦を多用するだろう。


あれから数日が過ぎて 元号が決まるときの

首相主導?の実態なども徐々に 報道されている。

ますます嫌な不快な気分だ。


だいたいが、その異常な秘密主義はなんのため?

オープンで明るいイメージが 全くない。

どうしてさまざまなことが この国では「閉じて」しまうのか。

秘密裏に 行われてしまうのか。


だいたい平成という元号が決まった経緯さえ、

30年経った今でも 明らかにされていない。

日本の古典から元号の漢字を引用するということも、

「日本会議」の意向とか。

安倍総理も同じ考えだろう。


日本の漢字は すべて中国から伝わった。

大陸から文化や儒教など暮らしの思想も伝わった。

今までの漢詩からの元号引用は、ごく自然だったと思うが。

 

日本の古典からの引用に これほどこだわるのは

どんな理由だろう、なんだか気味が悪いと感じるのは

私だけだろうか・・・

そして令和は命令の令、この国の行方を示しているようだ。


朝日新聞46日 朝刊より引用。

「令和フィーバー 報道も過熱」

災害・不況・・・平成リセット願望?

「批評や検証、弱かった」指摘も(一部引用)

情報法などを研究する早稲田大法学学術院の

波多江悟史講師(憲法学)は、こう語った。


「ネット時代の今、新聞やテレビに求められるのは事実の紹介では

なく、批評や検証の役割だが、今回はそれが弱かった。

元号にはもともと為政者が時を支配するという意味が伴うため、

首相の発言を報じる際は権力者に追随する結果にならないように、

問題提起や批判的な態度をもつことが重要」


「改元をめぐっては象徴天皇と政府の関係はどうあるべきか、

保守層の動きは天皇の元首化につながらないかなど、

論じるべき問題がたくさんあった」


ある民放関係者はいう。

「新元号発表は、大型イベントだった。

お祭り騒ぎに乗っかるのはテレビの性質。

ただ、背景を深く掘り下げる報道も必要で、

そのバランスをもっと意識する必要がある。」


どんなことでも 為政者の言うこと、行うことには、

どんな意図が隠されているのか、どこへ行こうとしているのか。

国民はいつでもメディアと共に、厳しい監視者でなくてはならない。


祭りを楽しむのはいいが、浮かれ気分でいるだけではなく、

為政者の眼がどこを 何を見ているか 

私たち国民は 注意深く考えなくてはならないと私は思う。


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もうすぐ終わる、福寿草の金色に輝く命のときが・・・



by yuko8739 | 2019-04-07 23:34 | 社会 | Trackback | Comments(0)

新PCのメール送受信が可能になって 一安心したのもつかの間。

次には、データを整理しながら 旧PCから移行していた。

それがなかなか順調には 進まない。


多分緊張しすぎてしまい、年齢のせいか?あたふたして

クリックが誤作動?してしまう。

データがヘンな場所に 飛び込んでしまい・・・

それを削除したり、あれこれとやっていると

あっという間に数時間・・・


こんなはずじゃなかったのに。

なんでこんなに 手間取るの?

そのひと山をやっとの思いで越えたと思えば、

次は写真データの取り込み。


SDカードを入れても 新PCは認識しない?

なぜ?またネットで 対策を探りtry&try

やっと3日めにして あれこれ試してやってみて、

どうにか デジカメからの写真取り込みに成功!


ああ、このように頭が真っ白になる思いで W10の修行は

果てしなく続く・・・肩はこりこり、腕は腱鞘炎気味。

文明の利器とは なかなか手強いものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そんななか、3月の子ども食堂がオープン。

前日に買い物に出かけ、食材を揃え、

調理室で 翌日使う食器を洗っておく。


自宅で寄贈された白花豆とパンダ(白黒)豆を 

大鍋で5時間かけて煮豆にしたものと、頼まれた

わが家の漬物も2種用意。 


当日は9:00に集合し、5名の調理チームで40人分のランチを作った。

メニューは、3月らしくちらし寿司、ジャーマンポテト、煮豆、漬物

お吸い物、果物、そして毎月寄贈のケーキ。

だれも食べ残す人がいないくらいに 好評だった。

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ちらし寿司の具材は 椎茸と小揚の煮たものやカニカマ、

千切りキュウリ、錦糸卵、酢れんこんなど。

ただ、大量のじゃがいもを小分けにして何度もチンする作業には 

手間取ったし 炊飯器の電源が抜けていたのに気づかず、

ご飯が炊きあがる時間が遅くなったのには ハラハラドキドキ。


間に合うかなと、かなり焦った。

というわけで、ほとんど子どもたちの写真を撮る

余裕がなかったのが、残念でたまらない。。


でも、お客さまはにっこり。

「ちらし寿司なんて久しぶり、家ではほとんど作らないから

今日食べられてうれしかったし、とてもおいしかった。

煮豆もおいしかった」

子どもたちのだれもが煮豆を残さずに 
喜んで食べたてくれたのは意外だった。


この年齢で?よくがんばった私。
汗まみれになりながら、6時間近く立ち働いた。

帰宅して 夕飯後には立ち上がれないほどぐったり。


いつもは 夜でもそんなに長時間目覚めないで
寝たことはないのに・・・
なんと!夕食後には強烈な睡魔に襲われて、
9時間も寝続けてしまった~

気がついたら なんと翌朝4時!

ずいぶん 疲れていたのだなあ・・・


このブログは、新PCからの記念すべき初投稿
写真も!ようやく ここまで来たぁ~~~





by yuko8739 | 2019-03-20 00:09 | 社会 | Trackback | Comments(0)