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カテゴリ:社会( 188 )

第21回全国シェルターシンポジウム2018

毎年開催されているこのシンポジウムが 今年は札幌市で開催と知り、
所属するDV被害者支援NPOを通じて、9月に参加を決めていた。
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初日はかでる2・7(北海道立道民活動センター)の基調講演から参加した。
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開会セレモニーのあと、ヨーロッパでDV防止のために作られ、
現在は最も先進的かつ統括的な条約「イスタンブール条約」の
専門家監視委員会の第一副委員長、ローザ・ローガーさんの講演。
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午後からは、シンガポールから、カサ・ラウダ(女性の家)の
前理事長のハムザ アダブル ムタリブさんと
シンガポール女性団体協議会の女性シェルターのマネージャー、
ロレイン・リムさん、日本からはNPO法人全国女性シェルターネット
代表理事の北仲千里さんらが参加して、シンポジウムが行われた。
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初日最後には 共産党の紙智子さんや立憲民主党の
福島みずほさんら数名で野党議員フォーラムが行われた。
大ホールには、全国各地区から集まったDV支援団体の
メンバーやサバイバーの方々が満席状態だった。

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「イスタンブール条約」は、ヨーロッパにおいて、女性に
対する暴力とドメスティック・バイオレンスの根絶を目的とした、
法的拘束力のある条約で、2014年に施行が開始された。

この条約は、防止、規定保護、追訴など包括的政策で、
ヨーロッパ共通の基準となった。
EU加盟国だけでなく、あらゆる国が批准できる開かれた条約で、
2018年現在に、この条約を批准している国は、今や世界で33カ国。

現在の日本の DV被害者支援活動に比べたら、夢のような基準だ。
このような条約を 日本でも1日も早く批准してほしい。
しかし各国が国内法として適用をしているなか、死刑を廃止した
国でなければ批准資格はないので、道ははるかに遠い。

基本的人権と男女不平等意識の欠如が 今の日本には最も
顕著に現われていると 私は日々実感している。
日本は決して「世界仕様」の国ではない。

また、ロレインさんの国オーストリアでは、DV被害者当事者に
対しての手厚い保護と支援のすべてが 国の費用で賄われている
ことを知り驚いた、なんてすばらしいことだろう!

シンガポールや台湾からの支援の報告もあった。
議員フォーラムでは 野党の女性議員たちがなんとか
知恵を絞って DV被害者支援の包括法案を作りたいと願って
日々活動している。

しかしその法案作りも 与党の協力や同意がないままでは、
なかなか進展しない・・・
今の日本で 多くの被害者が救済策もなく これほど放置されている
分野は他にはないだろう。

女性たちの救いを求めるその声が、男社会の与党には
なかなか届かない。
暴力の被害者が保護も 金銭的、社会的援助も手薄ななかで
どれほど苦しんでいるのか、広く国民の理解が必要だと感じる。

全国でDV被害者支援に係る多くの女性たちが、
寄付も激減するなか、活動資金の工面に奔走し、
知恵を絞り、ときには身銭を切っている姿を
私はよく知っているので、政府の無策に怒りを感じる。

こういう活動のほとんどを 資金のない貧しい民間NPOに
任せているのが日本という国なのだ。

交流会会場(センチュリーロイヤルホテル)にて
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翌日の分科会でも活動継続のため DV被害者を
「障害者」と認定してもらい 「障害福祉サービス」の認可で
ようやく「DV女性の居場所」を確保しているケースも紹介された。

また、シングルマザーの貧困については 
「母子家庭の貧困の原因は 日本の女性の労働への評価が低すぎるため」
「女性の貧困は、戦後一貫した社会問題で社会構造から生み出されている」
ということを 大学の研究者も強く指摘した。

男女の賃金格差、正規、非正規の賃金格差と、二重の賃金格差が
女性にはある。
シングルマザーが働ける職種の限定、労働条件の厳しさなど、
労働市場や労働現場の課題はそのままで シングルマザーには
就労が求められている現実の厳しさ・・・


このシンポジウムでは ヨーロッパのすばらしい条約
「イスタンブール条約」に感動した。

しかし、国内各地からの報告からみても 日本のDV被害者支援の
包括的法案を1日でも早く成立させることが なによりも最優先の
課題だと思う。

苦しんでいる女性を 子どもを救うために
あらゆる活動に参加して 今後も社会的な認識を喚起していきたい。

分科会会場の窓から
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by yuko8739 | 2018-11-05 23:50 | 社会 | Trackback | Comments(0)

今「不死身の特攻兵」を読む意味2

朝日新聞 8月23日に掲載されていた、
作家で演出家の鴻上尚史さんのインタビューから。
以下引用 著書「不死身の特攻兵」についての論考。
続き

――日本社会の息苦しさについては以前から指摘していました。
「僕は四国の愛媛県の出身で、両親は小学校の教師でした。
教師は理想を語るので、おかしいと思えばおかしいと言う。
その影響か、子どものころから朝の6時に役場や公民館が
サイレンや歌を流すのはおかしいと思っていました。
これは、朝6時に起きる人たちを前提にした社会でしょう。
しかし朝寝ていたい人もいるだろうし、家によって生活習慣も違う。
こういう慣習を、何十年も残してきたのが『世間』です」

――戦後、高度経済成長期やバブル時代を経ても、「世間」は
なかなか変わらなかったと。
「高度経済成長は、日本のナショナル・アイデンティティー(国民意識)
になった。豊かになることに向かいこの国は進んできたけど、
バブル経済の崩壊後、失われた20年が来ました。
我々は今、ポジティブに言えばどこに向かうべきかを探している時代で、
ネガティブに言えば喪失した時代です」

「一部の人は、世間の人々がみな仲良く助け合っていた、
古き良き伝統ある日本に回帰することを目指しています。
僕はそれを『世間原理主義者』と呼んでいます。

しかし、世間と呼ばれる共通の価値観で生きていく前提は
既に崩れているのに、それを取り戻そうとすると、
同じ価値観に染まらない人たちへの排斥が始まります。

それがLGBTの人は『生産性がない』という驚くべき発言に
つながるわけです。世の中が多様になる流れは必然で、
排斥しても何も始まらないはずです」

「そういう面では実にスリリングな時代、おもしろい時代だと思いますね。
『生産性』というような視点でしか語れない政治家がいる一方で、
すぐに抗議デモが起こる。
しかしこれは、両者の分断が進む危険性もはらんでいます。
おそらくネットが普及した影響が大きいと思います。

新聞がメディアの一番手だった時代は、自分が読みたくないものも
目に入りましたが、今は自分の読みたい文章だけ読んで
一生を終えられるようになりました。
情報がたこつぼ化しているのです」

「他人に合わせて行動するということは、自尊意識が低いことと
セットなのですが、それをどれくらい問題だと考えているかで、
人はずいぶん違うんだろうと思うんです」


「本が話題になって、右側からも左側からもいろんな意見がきましたが、
結局、同調圧力を求める人たちは、右にも左にもいます。
この状況をなんとかしない限り、この国が本当に、
健全に一人ひとりが思考することは難しい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は今、この「不死身の特攻兵」という本を読み、
もうすぐ 読み終えようとしている。
感想は 読後に書くことにする。

先日も 新聞の読書欄で ある言葉に出会って はっとした。

「戦後70年をもうワンサイクル続ければ日本は立派な国家になる。
ただしそのためにはデモス(人民)がアクティブデモス、公共観念を
持った人民にならなければならない。」
 (三谷太一郎著「近代と現代の間」より)

「すべての人の中心部分には苦しみがある。
必ず終わりが来ること、その終わりに至るまでに
多くの喪失を経験しなければならないこと」
(G・ソーンダース著「リンカーンとさまよえる霊魂たち」より)

この言葉は 真実だと思う。
ただ、私たちには 終わりのある長い苦しみのなかにも
なにか意味のある、花のようなものを だれかに
遺せるのかもしれない。

それらのことが 誰か知らない人の苦しみ、かなしみを
慰撫することも あるのかもしれない。
言葉でつながること、感情を共有すること。

すべての「中心部分には苦しみがある人間」にとっては
文学や美術、音楽、映画など すべての芸術は、 
究極の慰めだと 私は感じている。
by yuko8739 | 2018-10-04 00:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)

今「不死身の特攻兵」を読む意味1

8月23日に、朝日新聞に掲載されていたインタビューを読んで、
作家で演出家の鴻上尚史さんの本の内容に 私は驚愕した。

それは、特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんについて書いた本、「不死身の特攻兵」
についてのインタビューだった。

私はそういう事実があったことを 全く知らなかった。
生きて帰った特攻兵がいるなんて、それも9回も!!!

私の亡き父は15歳で特攻隊に志願し 予科練で訓練を受けたが
空を飛ぶことのないまま終戦を迎え その後に結婚して私が生まれた。

興味深く私は新聞のインタビューを読み、鴻上さんの思いに強く共感した。
そして今、この本「不死身の特攻兵」を 毎晩読みふけっている。
以下、記事を引用する。
今の日本人にとって とても重要な示唆をしてくれると思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

太平洋戦争末期、飛行機ごと敵艦に体当たりする特攻作戦により
約4千人の若者が命を落とした。
軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦に
突き進んだ空気感は、戦後73年たって変わったのか。

――著書では特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんに話を聞き、彼の生き方を描きました。
まずその事実に驚きました。
ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、
参謀や司令官たちはまったく評価しない。

『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と
佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。
死ぬことが目的になっているのです。
これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのかを知りたかった」

――結局、なぜ帰ってこられたのでしょう。
「色々な要素があるのですが、最大の理由は、
佐々木さんが空を飛ぶことが大好きだったからだと思います。
彼が乗った九九式双発軽爆撃機はあまり評判のよくない
飛行機でしたが『乗りこなすと鳥の羽みたいになるんだ』と言っていた。

自分の手で大好きな飛行機を壊すことに
耐えられなかったんじゃないでしょうか」
なおかつ上官にいくら文句を言われても、パイロットだから
飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思います。

『飛ぶことが好き』なんて考えは、当時の軍隊のような
超ブラックな組織ではまず言えないことです。

日本型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数意見と
合わせるよう求める同調圧力が強い。
これに対抗する最も強力な武器は、『本当に好きだ』という気持ちを
持ち続けることだと思います


 ――若者たちは自ら特攻兵になったのですか。
「上官が隊員を並ばせて、『志願する者は一歩前に出ろ』と言い
全員が出るまで待ち続けた例や、『行くのか行かないのかはっきりしろ』と
突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあったといいます。
好きでなったとは言えないでしょう。

中には、予科練や少年飛行兵など14~15歳から軍隊教育を
受けて外部の価値観を知らないまま成長し、
志願した人もいたと思いますが、それは1割か2割です。
残りは志願という名の強制、命令だったのは明らかです」

命令した側は自分たちの責任を明確にしたくないので、
『我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために
散った若者を馬鹿にしないで欲しい』という、実に卑劣で巧妙な
言い逃れをしています。
特攻を命令した側と命令された側を、ひとまとめに
『特攻』と呼んではいけません


――特攻を賛美する論調が近年、目立ちます。
「特攻兵が『ほほ笑んで自らを犠牲にして散っていった』のような
わかりやすい物語はどの時代でも受け入れられやすい。
ただ、その裏というか、本当は何があったのかを伝えていくのも、
大切な仕事だと思っています


――特攻を生み出した日本社会のあり方は変わりましたか。
「日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造が、
特攻の構造とあまりに似ていて、怒りを通り越してあきれました。
指導者側は選手が自発的にやったと言い、選手側は指示だったと言う。
ただ選手は従わざるを得なかったわけで、僕らは同調圧力の強さの中で、
つい忖度(そんたく)してしまう国民性なのです


――国民性ですか。
日本の文化の奥底には村落共同体を守ろうとする意識があって、
これを壊そうとするのは天災ぐらい。天災にはあらがっても
しょうがないと、与えられたものを受け入れ、現状を維持することが
一番重要なんだという文化が根づいているのだと思います


――共同体は悪でしょうか。
「もちろん良い面もあって、東日本大震災で壊滅状態だった道路の
大半が1週間で通れるようになったのは共同体が機能した例です。
復旧工事にかかわった人の中には、まだ肉親が見つかっていない人も、
家が壊れたままの人もいました。
それでも復興のためなら、何をおいてもやる。
絆をもとに動くことが、すべて悪いこととは言えません」

続く
by yuko8739 | 2018-10-02 22:07 | 社会 | Trackback | Comments(0)

9月の新聞から思うこと

戦争を語る証言や報道と 深く出会った8月。
さまざまなことを感じた9月。
しかし地震も家族の病気もあり 自分の魂が動いたことに 触れずに過ごした。
起きたことが あまりに大きくて・・・


少しだけ先も見えてきた今、そのことを記しておきたい。
性的少数者であるLGBTを念頭に「生産性」がない、
とした杉田水脈(みお)衆院議員の雑誌寄稿とその後の顛末について。

LGBTの方に対して 杉田氏の『嗜好(しこう)』、
衆院議員の谷川とむ氏の『趣味みたいなもの』という言葉には、
心底怒りがこみあげた。
許せない!と怒りのあまりに振り上げた拳を おろしようがない。
そんな気持ちだった。

全ての人は 生まれてくることを選べない。
どんな父や母か、どういう家か、そう生まれたとしかいいようがない。
性別と同じように 性的指向も選べることでない。
そのように 生まれついたのだ。
それをひとつの「劣性」のように断じるとは!
そしてなんだろう、生産性がないという表現を使うとは。

それでは言う。
生産性がないのは 子どもを持てないLGBTの人たちだけか?
障がいのある人も そうだろう。
子どもや老人も そうだろう。

どんなに生産性がない人でも 誇らしく生きる権利を持つ。
社会全体で生きるための手立てを作り 制度を整え
市民同士でも 小さな手助けに参加する。
それが社会というものだ。

あなたもわたしも いずれ生産性のない弱者になろうとも
憲法の人権を保障される「誰にも捨てられない社会」を目指すべき。
反論するのも バカバカしい論議だと思う。
いったい子どもは生産物なのか???
G・オーウェルが描いた「一九八四年」、その全体主義国家の
政府高官がいかにも言いそうな言葉だ。

杉田発言の後、日本文学研究者のR・キャンベル氏がブログで同性愛を公表。
その後、朝日新聞のインタビューの言葉が 深く感動的だった。

「性的指向は、形としては必ずしも現れないけど、
感性や共感の仕方といった『資質』に関わるようなものだと思います。
その人が他者とどのような交流をして、恵みや痛みを受け、
思いやりを持ってきたかという堆積(たいせき)が資質となり、
人格に行き渡るようなイメージを持っています。
なので外形もそうであるように、この指向だからこういう人だ、
と即断ができないわけです」
~中略~
例えば、同性間でもパートナーが病気になった時に
家族として支えることを認められ、婚姻が可能になって
税制や法律上の立場で不利益を被らないようにするなど、
一人ひとりが壁にぶつからずに充実して生きることができれば、
社会で発揮できるポテンシャルは全く違ってくるでしょう。
そうした個々人の望む自己実現ができることこそ、
僕は『生産性』だと思います。」


バカバカしい杉田発言を掲載した新潮社はその後に、より過激な
テーマで再び杉田発言を取り上げたが、社内からも、読者からも、
原稿寄稿の作家や出版業界、大手メディアからも抗議が殺到。
結局「新潮45」は廃刊となった。

今後は杉田氏の原稿を掲載した理由や責任、
掲載の経過などを詳細に調べて 公表してほしい。
そういう「過程」を「検証」できるかどうか?
それは民主主義、人権にかかわる とても大事なことだと感じる。

基本的には、「あなたはわたしと違うから おかしい」
杉田発言とは 結局はそういうことと 同じではないか。

わたしと違うから「あなた」なのに!
そこに出会いも 感動もあるのに!

ひとつひとつがちがう命・・・
by yuko8739 | 2018-10-01 11:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)

2018無謀で悲惨なノモンハンの戦い

8月15日 NHK「ノモンハン 責任なき戦い」をみた。
モンゴルの草原には 今もおびただしい塹壕のあとが大地に
深く刻まれて、胸を打つ・・・

塹壕の総延長は100kmにもわたり、何千何万の塹壕・・・
草原には 今も白い遺骨はあちこちに 野ざらしのまま。
時代遅れの銃で戦っていたらしく、明治時代の薬きょうも発見。
破壊された戦車の残骸も 放置されている。

日米開戦の2年前、1939年5月から9月の4か月間、
日本はソビエトと戦争をしていた。
ノモンハン事件と呼ぶが、事件というより 実際は国境をめぐる戦争だ。

日本陸軍の上層部が ノモンハンを赤裸々に語った音声テープが 
アメリカや日本で新たに発見され、それらの音声記録から 
その実態に迫ったのが、この番組だ。

関東軍は ソ連の最新兵器の戦力を過小評価し、
曖昧な個人の意思決定によって戦争を決め、またたく間に
主力部隊の8割を失った。
結局は、強力な最新戦車部隊を繰り出したソビエトに負ける。
日本はその後、ノモンハンの情報を隠匿した。
ノモンハンでの戦死者数は 2万人にのぼる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この戦争を強硬に主導したのが、関東軍参謀の辻政信少佐。
彼の強硬な「国境紛争処理要項案」が作戦の原型となった。
ほとんどなにも考えもせず、他の上司はそれを承認。
そして言う 「たまたま 紛争になった」・・・

陸軍参謀も天皇も ソビエトとの新たな紛争を避けたかったが、
しかし関東軍の行動を 黙認してしまった。
参謀本部にも 容易に口出しできないほど関東軍の力が高まっていた。

中央の了解もないまま、辻は越境爆撃を主張。
彼は陸軍参謀本部に 国家の一大事をはかることもなかった。
正当な手続きさえ彼は無視し、反対意見は握りつぶした。
参謀本部内にも 反対の意見があったのに。
 
なぜ、辻はこのような暴走を許されたのか・・・
陸軍内の人間関係(縁故:情実)が 強く影響した。
公正で公明な判断が必要な国家の一大事に このような
個人的な感情が 国を危うくした。

信じがたいが、しかし続く世界大戦にも 顕著に現れる、
日本の指導者たちの無責任体質。
この紛争で日本が敗れることは 明らかだった。
多くの情報も報告されたが、ソビエトの情報は無視され、
国際情報をも 日本は見誤っていた。

辻は歩兵戦を指揮した。
だが、ソビエトの総力を挙げた戦車や飛行機に対して 
歩兵戦は 無力だった。

多くの戦友を失った、101歳の元兵士、
島根県に住む柳楽林市さんは こう語る。
身を隠す場のない草原で 必死に塹壕を掘った。
「兵隊は鉄砲の弾のようなもの、なんであんなことをさせられたんだ。
死んだ者は 生き返ることができない・・・むだな戦争だった」

また元兵士 曽根辻清一さんは言う。
「鉄砲ひとつで 戦車に向かって行った」
長野近松さん(101)は、「殺すか、殺されるか 命がけ・・・」
各戦陣では 持ち場を死守するよう命令を受けていた。
4カ月で 死者2万。


この戦争が終わった後で 関東軍は現場の部隊長などに
責任を転嫁し、密かに自決を強要された数人が自決。
捕虜になって戻ってきた兵士にも ピストルを渡し自決を促した。

この紛争は、今では第二次世界大戦へのつながる重要なできごととして
位置づけられている。
もし、この国境紛争が起きなかったら 
日本の歴史は 大きく変わっていたかもしれない。


のちに辻は参謀本部に復帰、フィリピンやビルマ戦線で 
米国人捕虜の虐殺などにもかかわったが、終戦後戦犯容疑から
逃れるために逃亡、変装してタイに潜伏。

戦後は国会議員にもなったが、1968年に消息不明になった。
CIAの機密文書には「機会があるならばためらいもせずに
第三次世界大戦を起こすような男」(1954年の文書)と酷評されている。

結局は、このノモンハンの戦争で日本は 多くのものを失った。
そして同じ参謀たちによって 2年後に同じ無責任体質のまま
世界大戦へと突き進んだ結果 310万人の国民が犠牲となった。

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101歳の元兵士、柳楽林市さんは おぼつかない足取りながらも 
今も戦友の慰霊碑への墓参を欠かさない。
161人いた部隊は ほぼ全滅した。
「みなさん 林市が会いに来ましたよ、
ハルハ川の水をお供えするから しっかり飲んでくださいね」

この醜悪な無責任戦時体制を 国民のひとりとして糾弾する!
個人の立案した 根拠なき無謀な戦略を だれも止められないとは!

世界地図をみれば、アメリカという国がどんなに強大な国か、
わからないはずがないだろう、負け戦になるのは自明だと思うが、
それでも日本は戦争に突き進む、神国日本には神風が吹くといって。

ノモンハンの兵士たちのあまりの苦難と 取り返しのつかない犠牲!
指導者の無知無謀無責任!
涙と怒りが 怒涛のように押し寄せた・・・

 
by yuko8739 | 2018-08-17 12:55 | 社会 | Trackback | Comments(0)

2018悲嘆と祈りの8月

8月は連日 戦争に関しての新聞記事や報道番組が続く。
証言者が高齢化するなかで、こういうことを見聞きする機会は、
ますます 減っていくことだろう。

私は、見逃さないように予約しては 番組を見る。
そして泣く。
怒り、また何度も 泣く。


「駅の子の闘い~語りはじめた戦災孤児~」NHK

少し前にブログでも書いたが(朝日新聞から引用)
戦災孤児について NHKでも番組が放映された。
横浜市 金子トミさん(88)をはじめ、駅で浮浪児として
生きていた経験を持つ数人の証言者が 番組で涙ながらに
今まで語ってこなかった その過去を語った。

ある男性は、「食べものよりもなによりも ぬくもりが欲しかった」
大人は なにもしてくれなかった。
せめて優しい言葉ひとつ かけてほしかった。
犬猫のように 狩りこみされる屈辱と恐怖。
施設に入ってからも 浮浪児と執拗にいじめられた。

「船乗りたちの戦争」NHK
日本は先の戦争で 民間貨物船や小型の漁船までも容赦なく動員し、
「黒潮部隊」と呼ばれ 軍の管理下に置かれた。
アメリカ軍の動きを監視し 無線で通報する任務だ。
哨戒と呼ばれる敵の監視は 寝る時間もなく過酷なものだった・・・

無線は敵に傍受され、またたく間にアメリカの大戦艦から 
容赦なく砲撃されて船は木端微塵、
小さな漁船で沖に出た10代の漁師もいたという黒潮部隊の 
男たちは あっけなく海の藻屑と消えた。
まるで 海の特攻隊だ・・・

ガダルカナル島では 貨物船は物資を運ぶために深夜の海岸に
強行上陸の命を受ける。
どうにか命からがらで 生き残って島に辿りついた船員たち。
 
だがなんと船の船員たちは 島での戦闘では隊列の先兵にされた。
そして撃たれ、火炎銃で焼かれ あるいは餓死した。
沈没した民間船は、わかっているものだけで2277隻、
犠牲者は6万人。 

しだいに沈没した民間船があまりにも多くなり、
司令部は情報隠しで沈没船の数をごく少なく発表。
そのうちに沈没船の数は 気にならなくなったという。

「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇~」
NHKBS1

原爆についての詳細な証言と記録映像も放映。
アメリカの原爆開発科学者たちの ほぼ自己満足の功名心と、
政治的駆け引きの結果が 原爆投下だったという真実!
私は 激怒した。

それまでの秘密だった莫大な予算を 無駄に使ったと非難されたくなくて、
原爆の成功を「形」にする必要があった。 
戦略的には意味のない投下で 一瞬に12万人と7万人を殺した。

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8月に報道されるすべての戦争に関する番組を 私は見逃したくない。
今生きている証言者が 来年も語れるかどうかはわからない。
今のうちに 真剣に聞いておかなければ。
どれほど筆舌に顕わしがたい苦悩と苦痛を 戦争は人に強いるのかを。

そのことを脳のしわの奥深くに刻み込みたい、繰り返し何度でも。
そしてわが魂の底の涙の池が涸れ果てるまで 泣き続けたい。

それが多くの犠牲者への鎮魂と祈り、そして平和への願い
そのものになると思う。

そして「あなたのおかげで・・・今私は生きているのです」
そんなふうに 死者にはメッセージを伝え続けたい。


今朝も朝刊は 伝える。
消された戦争 軍の機密 焼き捨てた18歳
「戦友の命の集積。悪いことした」と。
by yuko8739 | 2018-08-14 09:33 | 社会 | Trackback | Comments(0)

2018多くの死、おにぎり一つくれぬ国

2018年8月9日 朝日新聞朝刊より引用

「浮浪児」助けなき路上の日々
戦争孤児が見た社会の姿 より


誰も助けてくれなかったー
73年前の終戦後。
東京・上野駅など各地の大きな駅には「浮浪児」と呼ばれた子どもたちがいた。
親を失った戦争孤児。
多くの命が路上に消えた。
駅の子どもたちの目に写った社会、大人の世界とは。

多くの死 おにぎり一つくれぬ国 (一部引用)
横浜市 金子トミさん(88)は眼に涙を浮かべて、上野駅の
地下道や上野公園で暮した日々を振り返った。

母の実家がある山形県に疎開したが、そこで父が死去。
終戦の年の空襲で母を失った。
残されたのは当時15歳の金子さんと小学4年の弟、
小学2年の妹の3人。親類の家に居続けることができず、
東京に戻って働こうと自宅を目指したが、東京は一面の焼野原。
きょうだい3人は上の駅の地下道で寝起きする「浮浪児」となった。

夜は地下道の壁にもたれ、両脇に弟と妹を抱えるようにして寝た。
「浮浪者」「不良児」であふれ、足の踏み場もないほどだった。
昼は上野公園の「西郷さん」の銅像の周りで過ごした。
雨風が強い日はトイレの個室に隠れ、和式便器の上に板を渡して
3人で身を寄せ合った。

食事は1日サツマイモ1本。行商の女性から買った。
親類からもらったお金が命綱だった。
地下道では、朝になっても起きず、そのまま死んでいる子もいた。
みな栄養失調だった。
「かわいそうで涙がでたけれど、食べ門をあげることはできません。
妹と弟を連れて自分の生きていかないといけなかった」

胸の刻まれているのは国への不信感だ。
「政府はおにぎり一つくれなかった、ウソは申しません」
金子さんは幾度も繰り返した。
「死んで行く子を見るたび、国の偉い人がなぜおにぎり一つ
だしてくれないんだろう、どういうことなんだろうって、
数え切れないほど思いました。
孤児が死んでいくのをしっていたはずなのに・・・」

「狩り込み」(行政強制収容)で捕まったら、
牢屋に入れられると信じていた。
路上の孤児に食べものもくれない政府が保護してくれるはずが
ないと思っていた。

地下道の暮らしは数か月続いた。
その後、弟と妹は両親の郷里に別々に引き取られた。
金子さんは住込みの女中に出された。

今も当時の記憶で涙があふれる夜がある。
行き着くのは「戦争さえなければ」の思いだ。
「ひどい言葉ですけどね、もし戦争するっていう人がいたら、
ぶっ殺してやりたい。そんな気持ちです」


by yuko8739 | 2018-08-10 08:41 | 社会 | Trackback | Comments(0)

敗戦から73年

鎮魂の季節が やってきた。
310万人の国民が 犠牲になった先の戦争。
頭を垂れて 深い思いを抱いて祈りたい。

私は戦争で亡くなった犠牲者の累々たるご遺体の その上を歩いている。
その上を歩き続けて 生きている。
いつからか、そうイメージし、そう実感するようになった。


尊い日常から ふいに切り離され 兵士たちは補給路を断たれて
南方のジャングルで 餓死した。 

闘う力さえ残っていない日本各地で 必要のない空襲や艦砲射撃を
繰り返したアメリカ。工場や家が焼かれ 人々は焼け死んだ。
なんのために 多くの人々をあれほど殺したのだろう、アメリカは。
Japは 人間ではなかったのか・・・

天皇の言葉は 間に合わなかった。
3月10万人が犠牲になった 無差別の東京大空襲にも。
8月のヒロシマ14万人、ナガサキ9万人の原爆死者にも。
戦災孤児や引き上げ孤児など 親を亡くした12万の浮浪児にも。
間に合わなかった・・・

政府は浮浪児を「1匹、2匹」と数え、「狩り込み」しては 
子どもたちを 夜の山奥に捨てた。


ヒロシマ、ナガサキと違うタイプの原爆を落としたのは 
アメリカの実験だったらしい。
実験のために あれほどの日本人が殺された・・・

それでも 今も「敗戦」と言わない。
「終戦」という。
なにも終らせない国・・・

8月14日ポツダム宣言受諾後に 責任追及を怖れた政府は
証拠隠滅のために 大量の公文書焼却を閣議決定。
空が黒い灰だらけになるまで 数日間あらゆる公文書を焼き続けた。
 
沖縄では 今も戦争は続いているのだが・・・
誰が、なぜ、この戦争をはじめたのか!
そんな問いには 無言と空白の虚無。

証拠も何もかも 燃えてなくなった。
責任者不在の日本では そんなことは不明のまま。

軍命を死守させられ 兵士たちはただ死んだ。
異国のジャングルに 塹壕に 太平洋の島々の海底に、
今も故郷日本に帰ることのできない白い遺骨は
どんな夢を見ているのだろう・・・

この犠牲者の屍の上に 生きている私。
この国の尊い多くの犠牲者に 報いる形で自分は生きているのか、
ときどき自らに問う、そのことは。

日本人として 今生きる意味を問わずには 生きられない。
私の父は 特攻隊の生き残りだ。
あと数日敗戦が遅ければ わたしという存在もない。

鎮魂のこの季節を、63歳で逝った天の父は どう思うのだろう。
軍国少年兵から 一気に社会運動や組合運動に目覚めて活動した父。
不当に扱われる底辺の労働者に 寄り添い続けた。

生きているうちに じっくりとこの父に 聞いておきたかった・・・
by yuko8739 | 2018-08-09 11:47 | 社会 | Trackback | Comments(0)

沖縄「慰霊の日」平和の詩2

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、
絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を超え、あらゆる利害を越えて、
平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
 




by yuko8739 | 2018-07-30 15:45 | 社会 | Trackback | Comments(0)

沖縄「慰霊の日」平和の詩1

6月23日「沖縄慰霊の日」に 14歳の相良倫子(りんこ)さんが読んだ 
平和の詩に深く感動して 涙がこぼれた。
沖縄という島の歴史の悲劇と平和への希求を14歳の少女が 誇り高く暗唱した。

今年も忌まわしい季節が 巡りくる。
その鎮魂の季節の前にこそ 今一度この詩を胸に刻みたいと願う。
そして沖縄を思い、すべての戦争犠牲者を思い、深く静かに祈りたい・・・

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生きる
        浦添市立港川中学校3年 相良 倫子(りんこ)

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。


七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。
手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。


by yuko8739 | 2018-07-30 15:40 | 社会 | Trackback | Comments(0)