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カテゴリ:社会( 194 )

W10の修行続く/子ども食堂

新PCのメール送受信が可能になって 一安心したのもつかの間。

次には、データを整理しながら 旧PCから移行していた。

それがなかなか順調には 進まない。


多分緊張しすぎてしまい、年齢のせいか?あたふたして

クリックが誤作動?してしまう。

データがヘンな場所に 飛び込んでしまい・・・

それを削除したり、あれこれとやっていると

あっという間に数時間・・・


こんなはずじゃなかったのに。

なんでこんなに 手間取るの?

そのひと山をやっとの思いで越えたと思えば、

次は写真データの取り込み。


SDカードを入れても 新PCは認識しない?

なぜ?またネットで 対策を探りtry&try

やっと3日めにして あれこれ試してやってみて、

どうにか デジカメからの写真取り込みに成功!


ああ、このように頭が真っ白になる思いで W10の修行は

果てしなく続く・・・肩はこりこり、腕は腱鞘炎気味。

文明の利器とは なかなか手強いものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そんななか、3月の子ども食堂がオープン。

前日に買い物に出かけ、食材を揃え、

調理室で 翌日使う食器を洗っておく。


自宅で寄贈された白花豆とパンダ(白黒)豆を 

大鍋で5時間かけて煮豆にしたものと、頼まれた

わが家の漬物も2種用意。 


当日は9:00に集合し、5名の調理チームで40人分のランチを作った。

メニューは、3月らしくちらし寿司、ジャーマンポテト、煮豆、漬物

お吸い物、果物、そして毎月寄贈のケーキ。

だれも食べ残す人がいないくらいに 好評だった。

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ちらし寿司の具材は 椎茸と小揚の煮たものやカニカマ、

千切りキュウリ、錦糸卵、酢れんこんなど。

ただ、大量のじゃがいもを小分けにして何度もチンする作業には 

手間取ったし 炊飯器の電源が抜けていたのに気づかず、

ご飯が炊きあがる時間が遅くなったのには ハラハラドキドキ。


間に合うかなと、かなり焦った。

というわけで、ほとんど子どもたちの写真を撮る

余裕がなかったのが、残念でたまらない。。


でも、お客さまはにっこり。

「ちらし寿司なんて久しぶり、家ではほとんど作らないから

今日食べられてうれしかったし、とてもおいしかった。

煮豆もおいしかった」

子どもたちのだれもが煮豆を残さずに 
喜んで食べたてくれたのは意外だった。


この年齢で?よくがんばった私。
汗まみれになりながら、6時間近く立ち働いた。

帰宅して 夕飯後には立ち上がれないほどぐったり。


いつもは 夜でもそんなに長時間目覚めないで
寝たことはないのに・・・
なんと!夕食後には強烈な睡魔に襲われて、
9時間も寝続けてしまった~

気がついたら なんと翌朝4時!

ずいぶん 疲れていたのだなあ・・・


このブログは、新PCからの記念すべき初投稿
写真も!ようやく ここまで来たぁ~~~





by yuko8739 | 2019-03-20 00:09 | 社会 | Trackback | Comments(0)

震災から8年

8年経った今も 黒い津波が町を、人を飲み込む
映像を見るたびに 私は泣きながら絶叫してしまう。
「逃げて、早く、早く!」と。


その8年は 被災者にとってはどのような地獄だったか・・・

自分の愛した風景のなかをあてもなく彷徨いながら 

帰らない家族を捜し続ける・・・

その絶望と孤独は 悲嘆の極みだろう。

その心根を思うと子どものように私は泣くしかない、今も。 

家族を ふるさとを 仕事を 共同体を失った。

求めても 求めても 帰ってこない。

果たして このようにすべてを失ってからでも

人は生きられるものだろうか・・・

8年のむごい月日が 過ぎていく。

喪失感は埋まらないまま、虚無と孤独と無力感が人を苛む。

高層の真新しい避難者アパートで 孤独死が相次ぐ。

誰ともかかわらず、口も利かないまま年老いた人が亡くなる。

仮設住宅に住むことが可能なのは、家屋が全壊した人だけ。

自宅半壊の老人には 家屋修繕の250万円しか支給されない。

修理しきれない腐った土台から、床の間に冬のすき間風が

吹き込むが 段ボールで覆うしかない。

ぼろぼろの半壊住宅に住み続けて 8年の月日が経つ。 

どんな歓びが 希望があるのだろう。

口数少ない老人は 何も語らずただ横たわっている。

一食30円のうどんに 15円のもやしを入れて食べている。

これが被災者の終の棲家だ、8年経った今も。

地獄だ・・・

華やかなオリンピックのために 大規模な工事が進む東京の

政治家の目には この過酷な現実が写っているのだろうか。

私は この現実から目をそらすことなく 見つめ続けて 

その苦難と孤独と悲嘆に、寄り添いたい。

助けにはなれなくても この東北の民と共に泣きたい。


by yuko8739 | 2019-03-12 11:52 | 社会 | Trackback | Comments(0)

女性議員を増やして社会を変える/道路の氷が割れる

今週は市議選に立候補予定の女性を囲んでの集まりがある。

残念だが、私が応援して当選した女性市議は今期限りで
議員をやめることに。 

そのあとを継ぐ女性として、若い世代の女性が
選挙に出ることになった、しっかりと応援したい!

どんな理由でも 女性議員が増えることを
私は心から願っている。

人口の半分が女性なのに なぜこんなに極端に
女性議員が少ないのか。

国会でも、地方議会でも、なぜ?

答えは簡単だ!

先日の朝日新聞にも そのことが特集されていたが、

その原因は・・・この国日本が「超男性社会」だから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

男性議員は子育ても家事も 妻に任せて 

夜の会議でも視察や出張でも 自由にどこにでも行って働ける。

しかし女性議員は、家事育児をすべて夫に任せて 

自由に活動できるだろうか・・・無理だ。

家庭を営む暮らしの大きな(際限のない)負担が 

女たちだけに背負わされがちなのだ、日本では。

お金も必要だ、選挙資金はどうする?

家庭を持っていれば、自分の親は当然だが、

夫や夫の親族の理解協力がなければ なかなか難しいだろう。

この国の、日常的な面倒で手のかかる仕事は
すべて「女」の仕事。

そのような男女不平等な国で 女性が議員になるのは

空を飛ぶほど 難しい。

また議員になった妻は 家庭の外で「議員」の仕事だけ

していられるのだろうか・・・?

熱のある子どもは気になる。

親の介護もはじまるかもしれない。

すべての悪条件をなんとかクリアして 
もし幸運にも選挙で当選し、議員になったとしても 
多分議会は古色蒼然。

伝統的な家族観を持つ、年配の男性議員がほとんどだろう。

そういうなかで せっかく議員になったのに

女たちはお飾り的にしか 扱われないとしたら?

興味本位でしか 見られないとしたら?

げすなセクハラ、パワハラまがいのジョークも
うまくかわして 生きていくのだろうか・・・

男性諸君、そういうことを考えたことありますか?

食事作りや掃除、洗濯、買い物、子育て、介護などなど

生活のすべてを自分で担いながらでも 

今の仕事を続けられますか? 

多分、どれも真剣にやろうとすると生活は行き詰まり
睡眠時間は減り、優先順位のバランスをよほどうまく考えないと 

精神的にも肉体的にも すぐに追い詰まるだろう。

男性たちよ、あなたたちが女に任せてしまっていることは、

あまりにも莫大な時間を使う、大切な子育てや家事労働です。

そしてあなたは生まれてから それをほとんど免れて生きてきた。

誰か(母や妻)に任せっぱなしで生きている・・・

男に生まれたというだけで。

私たちは女に生まれたというだけで、可能性や
あるべき未来までが無惨に奪われる・・・
医学部入試の信じがたい女性差別!

女であることを理由に家庭のなかでも教育や職業でも、

人生のあらゆる機会に さまざまな差別がある。 

そういうことを 国民のすべてが真剣に考えてほしい。

あなたが変われば 未来は変わる。


未来のために どんな意味でも女性議員が増えてほしい。

そうでなくては この国に希望も未来もない。

私は心底そのことを 願っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

我が家前の氷が割れた!

昨日までは つるはしでもどうしても割れなかった厚い氷が、

今日割ってみたら 以外にサクサクと崩れはじめた!
例年なら 3月末でないと割れないのだが。
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明日から薄い氷の部分から 少しづつ割っていこうと思う。
ここにも春が やってきた気がする。
我が家の前の「氷の道」が ようやく開きはじめた。


by yuko8739 | 2019-03-11 10:31 | 社会 | Trackback | Comments(0)

虐待でまた子どもが死んだ

何度、同じことが繰り返されるのだろう。

いつもどこかの子どもが 虐待されて死んでからでないと、

社会も 大人も 学校も 児相も 警察も動かない。

子どもは 何度も助けてと声をあげていたのに、

近所の大人は「殺してやる」という父親の怒鳴り声を

聞いていたのに。

心愛ちゃんの叫びを 我が身のこととして

聞いた人はいたのだろうか、この世にたったひとりでも・・・

たったひとりぼっちで 

あの子は 理由のない痛みや屈辱に耐え続け 

救いのない苦しみを 受け続けて

ついに命が 消えた。

あの笑顔を取り戻すすべはない、永久に。

子どもが虐待死すると もう取り返すすべもない。

私は ただうなだれて泣いている。

私たちが、大人が殺したのだ、何度も助ける術はあったのに。

どうして 父は娘に手紙まで偽装させて 
学校を脅迫してさえも 虐待を続けたのか。

母はそばで なにを感じていたのか。

もしこの世に ひとりでもこの子の叫びを受け取った

まともな大人がいたら、この子を救えたのではないのか。

悔しくて 私は泣き続ける。


by yuko8739 | 2019-02-06 15:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)

朝日新聞新年インタビューより/映画「サウルの息子」再び

朝日新聞 1/9 新年インタビュー
民主主義を生かすために
政治学者 ダニエル・ジブラット さん
(1972年生まれ、ハーバード大学で教え、現在は教授、
共著「民主主義の死に方」は15か国語に訳されている)

以下引用
民主主義を脅かす指導者の特徴とは?
「民主主義のルールを軽んじること、対立相手の正当性を
否定すること、暴力を許容・促進すること、
メディアを含む対立相手の市民的自由を奪おうとする姿勢です」


民主主義を機能させるために、権力を持つ指導者の側に
問われることは何でしょう?
「政治で競い合う相手は敵ではなく、正当な存在であると認める
『相互的寛容』。政治家が特権を行使するときに節度をわきまえるという
『自制心』これらが何よりも大事でしょう。
このふたつを私たちは、民主主義を守る『柔らかいガードレール』と
よんでいます。」 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

朝日新聞 1/10
オピニオン&フォーラム
戦争なき世界への道 (新年インタビュー)

法哲学者 スコット・シャピーロ(イエール大教授) 
国際法学者 オーナ・ハサウェイ(イエール大教授)
以下 一部抜粋
シャピーロ
「日本の憲法9条はそれだけで独立で存在しているのではありません。
唐突にマッカーサーが思いついて特殊な条文が日本の憲法に
付け加えられたというわけでもありません。

歴史的な背景と思想的な系譜があり、パリ不戦条約以降に
形作られていった、現代の世界に息づく平和に関する法体系の
有機的なネットワークにおける、とても重要な部分を構成しています。

それを変える、つまり憲法9条を改正することは、ただ言葉を変えることに
とどまりません。予期できないような影響を、国内や国外に及ぼす可能性があります。」


ハサウェイ
「その通りです。憲法9条の文言を変えても、
まったく何も変わらないのだ、という保証は
だれにもできないのです。
憲法改正をめぐる議論にあたり、日本の方にはそれもぜひ、
考えていただきたいと思います。」


シャピーロ
「1928年の不戦条約の調印の際、当時の仏外相は、
『平和は宣言されたが、平和を形作る仕事が残されている』と語りました。
世界は、暴力を減らし、平和を構築しなければなりません。
権力者や有名人でなくても、その取り組みを薦める機会と
責任があると思います。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

映画「サウルの息子」について再び 
作品の映画評をネットで探すうちに、さまざまなブログで
すてきな言葉に数多く出会った。
『個人的には個の祈りというか、個の救済は全体の救済に
 繋がると思いたいもんではあるけどなぁ
(この映画のラストは、ちょっとだけそれを信じさせてくれるのだ)』

『この映画を見るひとがひとりでもふえれば 世界は善いほうにすすむ、
これはそういう映画です。』


監督本人は本作に対し、
『メッセージを未来に伝えていかねばならない。
そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でも
それでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです』
と語っている。
by yuko8739 | 2019-01-13 09:41 | 社会 | Trackback | Comments(0)

「ホッブスとカントのメッセージ 弱者が生きづらい時こそ」

先日、朝日新聞の「政治季評」として、政治学者の豊永郁子さん
(早稲田大学教授)が書いていた文章が深く心に残った。

(政治季評)ホッブズとカントのメッセージ 弱者が生きづらい時こそ 
豊永郁子     

弱者は生きづらい。何らかの困難を抱えているから弱者である上に、
弱者であることによる困難を負う。
一つに、尊厳を保つのが難しい。

何しろ世には広く「弱肉強食」が言われている。
弱者は常に脅されているようなものであり、
萎縮し、卑屈になる。

弱者への支援や配慮も、強者からの施しと解され、
強者の一存でいつでも改廃され得る(先月行われた、
唐突で根拠の乏しい、生活保護費の切り下げなどは好例である)。

弱者は強者に負い目を感じ、翻弄されることに慣らされる。
この弱者の尊厳が困難である状況に一石を投じてくれるのが、
17世紀英国の哲学者ホッブスだ。(中略)

ホッブスが言う平等は、人間の総合的な能力の平等である。
つまり、人間の間には大した能力の差はないということだ。
これには驚かされる。

規範として、希望として、平等を論じる思想は多数あっても、
事実としての平等を告げる思想は稀だ。
さらにホッブスは「最も弱い者が最も強い者を殺すことができる」ことを、
人間のそうした平等の根拠とする。

ギョッとするが、そうかもしれない。
ホッブスが好んで引く旧約聖書では、少年が大男を倒し、
か弱い女性が英雄を滅ぼす。
これらは勇気や奸智の物語である以前に、人間の平等を伝える
物語であったのだろう。

要するに、ホッブスはこう言っているようである。
「弱者と強者は平等であり、強者は弱者をなめてはいけない」。
これは「弱肉強食」の主張を封じ、弱者に尊厳を取り戻す論に他ならない。
さて、弱者に生じるもう一つの困難は、しばしばその人生や生命の価値が
問われる局面に置かれることだ。

弱者に限らないが、ある人が生きていることの価値が、その人自身によって、
または他の誰かによって、否定されることがある。
これは最悪の場合、自殺や殺人につながる。

ここで「待った」をかけるのが、18世紀ドイツの哲学者カントだ。
カントの論理によれば、むしろこうなる。
価値がないと思われる生を生きる行為こそ尊い。
その行為が、生きるという義務に従うことの道徳的価値を持つからだ。

カントの議論では、義務にもとづく(従う)行為には格別の意味がある。
それはただその義務のためだけに行われる行為であり、人間に純粋な
「善い意志」が存在することを示す。
生きるという義務にもとづく行為は、従って、生きることの意味や目的が
見出せない場合にこそ、行われ得ることになる。

老いや病気や障害や大きな不幸によって、生きることが苦痛である、
あるいは人生に希望を持つのが難しい、そう思っていたり見えたりする
人たちの生きる姿が、我々に深い感動を与えることがあるのは、このためだ。
生きるという義務を敢然と果たす彼らの姿は、道徳的価値に輝くのである。

このように二人の大哲学者は弱者への敬意を説く。
ホッブスは「平等」を主張して「弱者をなめるな」と言い、
カントは「『価値のない生』の価値」を論じて弱者に「生きよ」と言う。


国家・社会・個人の弱者への態度は、
彼らの議論を踏まえたものでなければならない。
ことあるごとに唱えられる「弱者の人権」や「いのちの尊さ」も、
彼らの議論に照らすことで、その意味や根拠が明確になるだろう。
何より二人の声が、弱者に届いてほしいと思う。
by yuko8739 | 2018-11-22 21:19 | 社会 | Trackback | Comments(0)

第21回全国シェルターシンポジウム2018

毎年開催されているこのシンポジウムが 今年は札幌市で開催と知り、
所属するDV被害者支援NPOを通じて、9月に参加を決めていた。
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初日はかでる2・7(北海道立道民活動センター)の基調講演から参加した。
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開会セレモニーのあと、ヨーロッパでDV防止のために作られ、
現在は最も先進的かつ統括的な条約「イスタンブール条約」の
専門家監視委員会の第一副委員長、ローザ・ローガーさんの講演。
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午後からは、シンガポールから、カサ・ラウダ(女性の家)の
前理事長のハムザ アダブル ムタリブさんと
シンガポール女性団体協議会の女性シェルターのマネージャー、
ロレイン・リムさん、日本からはNPO法人全国女性シェルターネット
代表理事の北仲千里さんらが参加して、シンポジウムが行われた。
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初日最後には 共産党の紙智子さんや立憲民主党の
福島みずほさんら数名で野党議員フォーラムが行われた。
大ホールには、全国各地区から集まったDV支援団体の
メンバーやサバイバーの方々が満席状態だった。

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「イスタンブール条約」は、ヨーロッパにおいて、女性に
対する暴力とドメスティック・バイオレンスの根絶を目的とした、
法的拘束力のある条約で、2014年に施行が開始された。

この条約は、防止、規定保護、追訴など包括的政策で、
ヨーロッパ共通の基準となった。
EU加盟国だけでなく、あらゆる国が批准できる開かれた条約で、
2018年現在に、この条約を批准している国は、今や世界で33カ国。

現在の日本の DV被害者支援活動に比べたら、夢のような基準だ。
このような条約を 日本でも1日も早く批准してほしい。
しかし各国が国内法として適用をしているなか、死刑を廃止した
国でなければ批准資格はないので、道ははるかに遠い。

基本的人権と男女不平等意識の欠如が 今の日本には最も
顕著に現われていると 私は日々実感している。
日本は決して「世界仕様」の国ではない。

また、ロレインさんの国オーストリアでは、DV被害者当事者に
対しての手厚い保護と支援のすべてが 国の費用で賄われている
ことを知り驚いた、なんてすばらしいことだろう!

シンガポールや台湾からの支援の報告もあった。
議員フォーラムでは 野党の女性議員たちがなんとか
知恵を絞って DV被害者支援の包括法案を作りたいと願って
日々活動している。

しかしその法案作りも 与党の協力や同意がないままでは、
なかなか進展しない・・・
今の日本で 多くの被害者が救済策もなく これほど放置されている
分野は他にはないだろう。

女性たちの救いを求めるその声が、男社会の与党には
なかなか届かない。
暴力の被害者が保護も 金銭的、社会的援助も手薄ななかで
どれほど苦しんでいるのか、広く国民の理解が必要だと感じる。

全国でDV被害者支援に係る多くの女性たちが、
寄付も激減するなか、活動資金の工面に奔走し、
知恵を絞り、ときには身銭を切っている姿を
私はよく知っているので、政府の無策に怒りを感じる。

こういう活動のほとんどを 資金のない貧しい民間NPOに
任せているのが日本という国なのだ。

交流会会場(センチュリーロイヤルホテル)にて
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翌日の分科会でも活動継続のため DV被害者を
「障害者」と認定してもらい 「障害福祉サービス」の認可で
ようやく「DV女性の居場所」を確保しているケースも紹介された。

また、シングルマザーの貧困については 
「母子家庭の貧困の原因は 日本の女性の労働への評価が低すぎるため」
「女性の貧困は、戦後一貫した社会問題で社会構造から生み出されている」
ということを 大学の研究者も強く指摘した。

男女の賃金格差、正規、非正規の賃金格差と、二重の賃金格差が
女性にはある。
シングルマザーが働ける職種の限定、労働条件の厳しさなど、
労働市場や労働現場の課題はそのままで シングルマザーには
就労が求められている現実の厳しさ・・・


このシンポジウムでは ヨーロッパのすばらしい条約
「イスタンブール条約」に感動した。

しかし、国内各地からの報告からみても 日本のDV被害者支援の
包括的法案を1日でも早く成立させることが なによりも最優先の
課題だと思う。

苦しんでいる女性を 子どもを救うために
あらゆる活動に参加して 今後も社会的な認識を喚起していきたい。

分科会会場の窓から
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by yuko8739 | 2018-11-05 23:50 | 社会 | Trackback | Comments(0)

今「不死身の特攻兵」を読む意味2

朝日新聞 8月23日に掲載されていた、
作家で演出家の鴻上尚史さんのインタビューから。
以下引用 著書「不死身の特攻兵」についての論考。
続き

――日本社会の息苦しさについては以前から指摘していました。
「僕は四国の愛媛県の出身で、両親は小学校の教師でした。
教師は理想を語るので、おかしいと思えばおかしいと言う。
その影響か、子どものころから朝の6時に役場や公民館が
サイレンや歌を流すのはおかしいと思っていました。
これは、朝6時に起きる人たちを前提にした社会でしょう。
しかし朝寝ていたい人もいるだろうし、家によって生活習慣も違う。
こういう慣習を、何十年も残してきたのが『世間』です」

――戦後、高度経済成長期やバブル時代を経ても、「世間」は
なかなか変わらなかったと。
「高度経済成長は、日本のナショナル・アイデンティティー(国民意識)
になった。豊かになることに向かいこの国は進んできたけど、
バブル経済の崩壊後、失われた20年が来ました。
我々は今、ポジティブに言えばどこに向かうべきかを探している時代で、
ネガティブに言えば喪失した時代です」

「一部の人は、世間の人々がみな仲良く助け合っていた、
古き良き伝統ある日本に回帰することを目指しています。
僕はそれを『世間原理主義者』と呼んでいます。

しかし、世間と呼ばれる共通の価値観で生きていく前提は
既に崩れているのに、それを取り戻そうとすると、
同じ価値観に染まらない人たちへの排斥が始まります。

それがLGBTの人は『生産性がない』という驚くべき発言に
つながるわけです。世の中が多様になる流れは必然で、
排斥しても何も始まらないはずです」

「そういう面では実にスリリングな時代、おもしろい時代だと思いますね。
『生産性』というような視点でしか語れない政治家がいる一方で、
すぐに抗議デモが起こる。
しかしこれは、両者の分断が進む危険性もはらんでいます。
おそらくネットが普及した影響が大きいと思います。

新聞がメディアの一番手だった時代は、自分が読みたくないものも
目に入りましたが、今は自分の読みたい文章だけ読んで
一生を終えられるようになりました。
情報がたこつぼ化しているのです」

「他人に合わせて行動するということは、自尊意識が低いことと
セットなのですが、それをどれくらい問題だと考えているかで、
人はずいぶん違うんだろうと思うんです」


「本が話題になって、右側からも左側からもいろんな意見がきましたが、
結局、同調圧力を求める人たちは、右にも左にもいます。
この状況をなんとかしない限り、この国が本当に、
健全に一人ひとりが思考することは難しい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は今、この「不死身の特攻兵」という本を読み、
もうすぐ 読み終えようとしている。
感想は 読後に書くことにする。

先日も 新聞の読書欄で ある言葉に出会って はっとした。

「戦後70年をもうワンサイクル続ければ日本は立派な国家になる。
ただしそのためにはデモス(人民)がアクティブデモス、公共観念を
持った人民にならなければならない。」
 (三谷太一郎著「近代と現代の間」より)

「すべての人の中心部分には苦しみがある。
必ず終わりが来ること、その終わりに至るまでに
多くの喪失を経験しなければならないこと」
(G・ソーンダース著「リンカーンとさまよえる霊魂たち」より)

この言葉は 真実だと思う。
ただ、私たちには 終わりのある長い苦しみのなかにも
なにか意味のある、花のようなものを だれかに
遺せるのかもしれない。

それらのことが 誰か知らない人の苦しみ、かなしみを
慰撫することも あるのかもしれない。
言葉でつながること、感情を共有すること。

すべての「中心部分には苦しみがある人間」にとっては
文学や美術、音楽、映画など すべての芸術は、 
究極の慰めだと 私は感じている。
by yuko8739 | 2018-10-04 00:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)

今「不死身の特攻兵」を読む意味1

8月23日に、朝日新聞に掲載されていたインタビューを読んで、
作家で演出家の鴻上尚史さんの本の内容に 私は驚愕した。

それは、特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんについて書いた本、「不死身の特攻兵」
についてのインタビューだった。

私はそういう事実があったことを 全く知らなかった。
生きて帰った特攻兵がいるなんて、それも9回も!!!

私の亡き父は15歳で特攻隊に志願し 予科練で訓練を受けたが
空を飛ぶことのないまま終戦を迎え その後に結婚して私が生まれた。

興味深く私は新聞のインタビューを読み、鴻上さんの思いに強く共感した。
そして今、この本「不死身の特攻兵」を 毎晩読みふけっている。
以下、記事を引用する。
今の日本人にとって とても重要な示唆をしてくれると思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

太平洋戦争末期、飛行機ごと敵艦に体当たりする特攻作戦により
約4千人の若者が命を落とした。
軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦に
突き進んだ空気感は、戦後73年たって変わったのか。

――著書では特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんに話を聞き、彼の生き方を描きました。
まずその事実に驚きました。
ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、
参謀や司令官たちはまったく評価しない。

『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と
佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。
死ぬことが目的になっているのです。
これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのかを知りたかった」

――結局、なぜ帰ってこられたのでしょう。
「色々な要素があるのですが、最大の理由は、
佐々木さんが空を飛ぶことが大好きだったからだと思います。
彼が乗った九九式双発軽爆撃機はあまり評判のよくない
飛行機でしたが『乗りこなすと鳥の羽みたいになるんだ』と言っていた。

自分の手で大好きな飛行機を壊すことに
耐えられなかったんじゃないでしょうか」
なおかつ上官にいくら文句を言われても、パイロットだから
飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思います。

『飛ぶことが好き』なんて考えは、当時の軍隊のような
超ブラックな組織ではまず言えないことです。

日本型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数意見と
合わせるよう求める同調圧力が強い。
これに対抗する最も強力な武器は、『本当に好きだ』という気持ちを
持ち続けることだと思います


 ――若者たちは自ら特攻兵になったのですか。
「上官が隊員を並ばせて、『志願する者は一歩前に出ろ』と言い
全員が出るまで待ち続けた例や、『行くのか行かないのかはっきりしろ』と
突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあったといいます。
好きでなったとは言えないでしょう。

中には、予科練や少年飛行兵など14~15歳から軍隊教育を
受けて外部の価値観を知らないまま成長し、
志願した人もいたと思いますが、それは1割か2割です。
残りは志願という名の強制、命令だったのは明らかです」

命令した側は自分たちの責任を明確にしたくないので、
『我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために
散った若者を馬鹿にしないで欲しい』という、実に卑劣で巧妙な
言い逃れをしています。
特攻を命令した側と命令された側を、ひとまとめに
『特攻』と呼んではいけません


――特攻を賛美する論調が近年、目立ちます。
「特攻兵が『ほほ笑んで自らを犠牲にして散っていった』のような
わかりやすい物語はどの時代でも受け入れられやすい。
ただ、その裏というか、本当は何があったのかを伝えていくのも、
大切な仕事だと思っています


――特攻を生み出した日本社会のあり方は変わりましたか。
「日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造が、
特攻の構造とあまりに似ていて、怒りを通り越してあきれました。
指導者側は選手が自発的にやったと言い、選手側は指示だったと言う。
ただ選手は従わざるを得なかったわけで、僕らは同調圧力の強さの中で、
つい忖度(そんたく)してしまう国民性なのです


――国民性ですか。
日本の文化の奥底には村落共同体を守ろうとする意識があって、
これを壊そうとするのは天災ぐらい。天災にはあらがっても
しょうがないと、与えられたものを受け入れ、現状を維持することが
一番重要なんだという文化が根づいているのだと思います


――共同体は悪でしょうか。
「もちろん良い面もあって、東日本大震災で壊滅状態だった道路の
大半が1週間で通れるようになったのは共同体が機能した例です。
復旧工事にかかわった人の中には、まだ肉親が見つかっていない人も、
家が壊れたままの人もいました。
それでも復興のためなら、何をおいてもやる。
絆をもとに動くことが、すべて悪いこととは言えません」

続く
by yuko8739 | 2018-10-02 22:07 | 社会 | Trackback | Comments(0)

9月の新聞から思うこと

戦争を語る証言や報道と 深く出会った8月。
さまざまなことを感じた9月。
しかし地震も家族の病気もあり 自分の魂が動いたことに 触れずに過ごした。
起きたことが あまりに大きくて・・・


少しだけ先も見えてきた今、そのことを記しておきたい。
性的少数者であるLGBTを念頭に「生産性」がない、
とした杉田水脈(みお)衆院議員の雑誌寄稿とその後の顛末について。

LGBTの方に対して 杉田氏の『嗜好(しこう)』、
衆院議員の谷川とむ氏の『趣味みたいなもの』という言葉には、
心底怒りがこみあげた。
許せない!と怒りのあまりに振り上げた拳を おろしようがない。
そんな気持ちだった。

全ての人は 生まれてくることを選べない。
どんな父や母か、どういう家か、そう生まれたとしかいいようがない。
性別と同じように 性的指向も選べることでない。
そのように 生まれついたのだ。
それをひとつの「劣性」のように断じるとは!
そしてなんだろう、生産性がないという表現を使うとは。

それでは言う。
生産性がないのは 子どもを持てないLGBTの人たちだけか?
障がいのある人も そうだろう。
子どもや老人も そうだろう。

どんなに生産性がない人でも 誇らしく生きる権利を持つ。
社会全体で生きるための手立てを作り 制度を整え
市民同士でも 小さな手助けに参加する。
それが社会というものだ。

あなたもわたしも いずれ生産性のない弱者になろうとも
憲法の人権を保障される「誰にも捨てられない社会」を目指すべき。
反論するのも バカバカしい論議だと思う。
いったい子どもは生産物なのか???
G・オーウェルが描いた「一九八四年」、その全体主義国家の
政府高官がいかにも言いそうな言葉だ。

杉田発言の後、日本文学研究者のR・キャンベル氏がブログで同性愛を公表。
その後、朝日新聞のインタビューの言葉が 深く感動的だった。

「性的指向は、形としては必ずしも現れないけど、
感性や共感の仕方といった『資質』に関わるようなものだと思います。
その人が他者とどのような交流をして、恵みや痛みを受け、
思いやりを持ってきたかという堆積(たいせき)が資質となり、
人格に行き渡るようなイメージを持っています。
なので外形もそうであるように、この指向だからこういう人だ、
と即断ができないわけです」
~中略~
例えば、同性間でもパートナーが病気になった時に
家族として支えることを認められ、婚姻が可能になって
税制や法律上の立場で不利益を被らないようにするなど、
一人ひとりが壁にぶつからずに充実して生きることができれば、
社会で発揮できるポテンシャルは全く違ってくるでしょう。
そうした個々人の望む自己実現ができることこそ、
僕は『生産性』だと思います。」


バカバカしい杉田発言を掲載した新潮社はその後に、より過激な
テーマで再び杉田発言を取り上げたが、社内からも、読者からも、
原稿寄稿の作家や出版業界、大手メディアからも抗議が殺到。
結局「新潮45」は廃刊となった。

今後は杉田氏の原稿を掲載した理由や責任、
掲載の経過などを詳細に調べて 公表してほしい。
そういう「過程」を「検証」できるかどうか?
それは民主主義、人権にかかわる とても大事なことだと感じる。

基本的には、「あなたはわたしと違うから おかしい」
杉田発言とは 結局はそういうことと 同じではないか。

わたしと違うから「あなた」なのに!
そこに出会いも 感動もあるのに!

ひとつひとつがちがう命・・・
by yuko8739 | 2018-10-01 11:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)