人気ブログランキング |

カテゴリ:魂( 172 )

人は間違う、だから許そう

83日朝日新聞朝刊のインタビュー

松本サリン事件被害者 河野義行さんの言葉のひと言、ひと言が

魂にしみいるような気がして感動した。

私の魂深くで、その言葉は光り輝く。


人は、自分を殺人犯として死刑にする間際の執行人に

「あなた方は間違えましたね。

でも許してあげます」 

と言えるものだろうか・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


以下、一部引用

「報道被害とは、報道機関ではなく世間も相手にすることした。

不特定多数の人が敵になるので戦いようがない。

わたしを支えたのは、妻と未成年の子どもたちを

守らなければという思いでした」


~妻の澄子さんはサリンで脳にダメージを受け、自身も神経ガスで

死を意識した。

そんななかで・・・~

「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は、

『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。

最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』

といいました。

もし、死刑執行の日が来たら、お父さんは執行官たちに

『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』というよ、とも」


「子どもには、

『人は間違うものだ。

間違えているのはあなたたちの方だから許してあげる。

そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。

意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで

心を引き上げようということです。

悪いことはしていないのだから卑屈にならずに

平然と生活しようと思いました」


「そうしないと家のなかがどこまでも暗くなる状況でした。

特定の宗教を信仰してはいません」


~その後、翌95年には疑いの目は河野さんからオウムへと転じる~

「その当時、刑事さんから『松本サリン事件の実行犯に極刑を

望みますか』と聞かれて、私は『いえ、罪相応の罰でいいです』

と答えています」


~病床の澄子さんへの教団関係者の見舞いを受け入れましたね~

「断ったことはないです。

実行犯ではない人たちでしたから。

仮に実行犯だったとしても、どうぞといったでしょうね。

妻のためにという思いを大切にしたつもりです」


~オウム信者を社会から排除する風潮を、河野さんは批判しましたね?~

「私自身が社会から悪とされ、排除された人間だからです。

私にかかわるものが全否定されたのです。

同じことが信者たちに降りかかっていました。

信者だというだけで憲法が保障する居住の自由や教育の自由すら

認めてもらえず、人権侵害が是認されてしまっていた。

間違っていると思いました」


~オウムの実行犯に対する恨みや憎しみの気持ちはない、

とも発言していました~

「病床の妻と子と自分の人生をどうやって少しでも充実させるか。

わたしにとってはそれが大事な課題でした。

事件前の元気だった家族に戻りたい、と願うことはできます。

でもどれだけ誰かを恨んでも憎んでも過去は変えられません。

ならば、人生の時計をちゃんと動かして、前に歩いて

行ったほうがいいと、と私は思いました」


「恨んだり憎んだりするという行為は現実には、夜も眠れなくなる

なるほどの途方もない精神的なエネルギーを要するものです。

しかも何もいいことがない。

不幸のうえに不幸を自分で重ねていく行為なのです。

そんなことをあえて自分から選ぶ必要はないでしょう。

ある意味、これは損得の問題です」


~昨年の元オウム幹部が死刑執行された際に、

真実はわからないままになった、と語っています~

「真実がどうだったのかわかっていないと思います。

恨みたい思いは私にも理解できます。

でも、死刑は命を軽視した制度です。

人は間違うからです」


~この先の人生は?~

穏やかに人生を終えていければいい。

それが今の願いです」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


河野さんの、すべてを受け入れるという生き方は、

だれもができることではない。

強い精神力、冷静な判断、感情に流されず、

宗教にも頼らないその魂の在り方が、

私を励まし、大きな力をもらえた気がする。


私自身も死刑には反対しているが、自分が誤認逮捕され、

絞首刑にされるときに、すべてを許す、といえるだろうか・・・

宗教には いっさい支えられないままで。


河野さんの静かながら力強いメッセージを 

胸に抱いて 生きていきたい。

それは一筋の光明であり 福音だった・・・






by yuko8739 | 2019-08-08 11:38 | | Trackback | Comments(0)

こころは子どものままで/絶品鶏ももソテー

私は、ボランティアなどで、子どもと食べものにかかわりが深い。

考えてみると、自分の魂は子どものときのままのような気がする。


野山できれいな花を眺めたり、摘んだり、小さな生き物の

アリやバッタ、蝶々やトンボ、カエルやザリガニにも興味津々。

いつまでもじっと眺めていられる、今も同じ気持ちだ。


小学生の時「世界の不思議」という本が大好きで 

何度も繰り返し読んだ。

ネス湖の怪獣、ヒマラヤの雪男イエティなどが挿絵で描かれてあり、

どきどきして 夢中になった。


子どもながらに 世の中は大人にもわからない「不思議なこと」が

いっぱいあるのだなあ、と思った。


ボランティアで子どもを連れて さまざまな場所に行くと、

自分が子どもだったら、絶対こうする、ああしたいと感じて

夢中になってしまう。


つまり、私は子どものままの心なのではないか。

例えば、本を読んだり 映画をみたり、そういうことも

私にとっては最高の「遊び」のひとつかもしれない。


別の世界に行く。

別の時代に 飛んで行く。

自分とは 別の物語を生きる。

違う人生を 体験する。


つまり・・・

(梁塵秘抄:平安時代末の流行歌より)

「遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ」

すべてが遊びなのだ、きっと


この年齢まで生きていると、もちろんより深く

遊ぶための学びもある。

この頃は体の衰えや不調に 自分の終わりを

イメージすることも増えた。


しかし私のなかの子どもは あれも見たい!

これもしよう!と騒ぎ続け、跳ねまわる・・・

厄介なこと!でもそのどちらも 私なのだろう。


さて、もうすぐイルカの泳ぐ外洋巡りのクルージングだ。

絶壁の奇岩が連なる、この町自慢の「ピリカメノコ」(美しい場所)

想像をはるかに超える、地球の営みの痕跡とその絶景!


そしてイルカやミズナギドリたちなどの

海の生きものたちとの出会いを 

わくわくしながら 愉しみにしている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


先週、朝日新聞の「おかずラボ」の焼き方で、

鶏もも肉を正しく?ソテーしてみた。

自分流とそんなに違うのかな?と思いながら。

そうしたら、まったく違ってびっくり仰天!


焼き上がった鶏もも肉は 皮目は焦げ目がついてパリッパリ!

肉は信じられないくらいの柔らかさ!

そのジューシーさに目を見張った。


ふたりの息子が

「旨い、旨い、どうやって焼いたの?この柔らかさはすごい!」と絶賛。

結論、厚みのある肉は 強火厳禁なのだった。


ただ塩胡椒して オリーブオイルで焼いただけの

シンプルな料理が、なぜ、こんなにおいしいのか・・・

科学に基づいた基本を守り、ひと手間を惜しまず、

そうして初めて到達する味わいと食感に 深く感動した・・・

やはり料理は 奥が深い・・・


ちなみに この料理を監修したのは、

高良康之シェフ フランス料理「銀座レカン」料理長。

「料理をおいしくするには理由がある。

レシピの文字や数字に追われず、

楽しく身につく方法を伝えます」・・・深く納得。






by yuko8739 | 2019-07-11 15:41 | | Trackback | Comments(0)

センチメンタルな船に乗って

気持ちが 落ち込んでいる。

解決できないことや 抗うことのできないことが

自分の人生にも たくさんあるのだなあと強く感じる。


今までの私らしくないし、いつもの私でもない。

自分でも よくわからない。

どうしようもないことが多くて かなしい。

運命も人生も かなしい。


思えば、この背中にさまざまなものを

背負って 今まで生きてきた自分。

なぜ今までこの重荷を感じなかったのか 不思議な気がする。


立ち止まると けっこう辛いのだ、この重さが。

そんなことは しょうがない。

解決できないことを くよくよ悩んでもしょうがない。


そう思って 気にせずに 今まではすたすた歩いてきたが。

今を生きようとしてきたが。

この頃、自分のなかで 時間が停滞したように感じる。

そうなると やけに気になるのだ。

自分の背負うものが。


あれも これも それも 全部気になる。

生も死も病も、将来の不安も。

人間が、いつもいつまでも 元気はつらつで

いられるわけはない。


こうして ときに落ち込んでバランスを取るのだろう。

そういうことなのかな・・・

まあ、そういう時だってある。

そのうち、楽になる。

気に病むことでもないか。


身の内から そんな声も聞こえるけれど。

そういう声が聴こえても、

なにかが、どこかで かなしくて辛い。


なにが そんな私を救うのか・・・

それはわかる。

書くことと 料理すること。

そのふたつに 私は深く救われる。


どちらも 祈ることと 似ているかもしれない。




by yuko8739 | 2019-07-05 14:51 | | Trackback | Comments(0)

だれかが

だれかが わたしのなかのかなしさに

きづいてくれるのだろうか

だれも きづきはしない きっと

それは わたしのひみつだから


ひみつのかなしみだから

だれもわかりはしない


どこかで このおもいをはきだしたくなる

だから おおいなるしぜんのなかにでかけては 

やさしいかみさまに つたえたくなるのかな


りふじんなことに

ただ たちつくす


ちいさな ことりのように どきどきして

あらしがすぎるのをまつだけ

あらがうこともできないままで


いきていると さまざまなかなしみにであう

おとなになると はきださずに のみこむのが

だんだんうまくなる


はきださないからといって かなしみがないわけではない

きえるわけでもない


ためこんだかなしみは ふかくしずんでゆく

ふかいかなしみは ひとりのじかんをほっする

ためいきと ゆめまぼろしのじかんだけが

わたしをなぐさめる


わたしは ふかいそらにとび

みどりのもりにまぎれて じゆうにかけまわり

はなやとりとかたり 

くもとたわむれ 

あめになぐさめられ

ゆきにきよめられ・・・

つきよに ほろほろとなく


もう わたしはにんげんでなく しぜんのいちぶ


ながいじかんがすぎて いつか かみさまとであうだろう


そのときに にんげんのかなしみは きえるのだろうか




by yuko8739 | 2019-05-31 12:49 | | Trackback | Comments(0)

わたし年をとるのは初めてなので

少し前に、朝日新聞に 医師に対しての

ある患者さんの言葉が書いてあった。

「私、年をとるのは初めてなので・・・」


病気なのか 老化というのはこういうことなのか

どっちか、わからないと言いたかったのだろう。

その言葉に 深く共感した。


シニアとよばれる年代になって 老化が進む。

60代初めのころは なぜ?と思うことが多かった。


なぜ? このくらいの重さのものが持てないのか、

なぜ? こんなに疲れやすくなったのか、

なぜ? 寝つきが悪くなったのか、

なぜ? 傷が治りづらいのか、


なぜ? いろんなところが痒いのか?

なぜ? 原因不明の肩痛や腱鞘炎が治らないのか?

なぜ? また痛みは繰り返すのか?


なぜ? 風邪がこんなに長引くのか、

なぜ? なぜ?・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今は、もう、なぜとは思わなくなった、体は経年劣化する。

それが自然、この世に生きたらいつか死ななければならない。

生まれ直しはあの世?で体験するかもしれないが、

今自分の体とこころは 死に向かって進んでいる・・・

この自覚は しっかりと持っていたい。


だがしかし・・・戸惑いは大きい。

つまり、「はじめての経験」なのだ、毎日の痛みが、不都合が。

冒頭の患者さんのように。


劣化する自分の体を 日々実感する。

能力が増すのではなく、能力が失われるのはやっぱりかなしい。


経験によって知識や知恵もつき、臨機応変の対応力も増し、

多少の狡さやジョークで茶化しながら ごまかしながら、

難しい対人関係も こなせるようになったのに。


こころは、やっとシニアになって落ちついて

過ごせるようになった。

ひりひりするような 胃が痛むようなストレスからも、

いぶ解放されてきたのに。


中年になってからは・・・これでいいなあ、

あるがままの自分がいいなと 思えるようになった。

CMではないけれど「なにもたさない、なにもひかない」

私という人間は こういう形 こういう魂 それでよし。

あなたという人間が それでいいのと同じように。 


でも体が、こんなふうになる。

この年になると、どこも痛くない人はいないよ、

と椎間板ヘルニア後遺症の友は 慰めてくれるが。


よろけるし、19歳の時にケガで傷めた左ひざは一生の重荷だ。

いつまで経っても 伸ばせず、曲がらず不自由なまま。

長くも 早くも歩けない。


指は関節が太くなり 曲がりかけている。

使い過ぎが原因の、家事労働者に多いという

「ヘパーデン結節」の兆しだろう・・・


でもこの手は どんなに多くの仕事をこなしてきたのか。

ときどき自分の不格好な手を眺めながら しみじみそう思う・・・

美しい手ではないが、膨大な仕事をこなしてきた尊い手。


先日も日の当たらない車庫前で 冷たい水で

大小7個くらいの漬物樽を 感謝を込めて洗った。

残りの漬物を片付けながらも、手が寒さでしびれ、

トイレに何度も駆け込み、すべての仕事が終わったのは4時間半後。


思えば、この手を使わない日はない。

毎食のご飯を作り 卵焼きを焼き、カツや天ぷらを揚げる。

おやつにケーキも焼き、あんドーナツも揚げ、

ヨモギ餅も作り、魚も煮て、イカを茹で 山菜の下ごしらえをし、

何種類もの漬物を漬けて・・・常にこの手が 働いている。


今までこの手が どれだけの笑顔や幸せを作り出したことだろう・・・

こういう手が、こういう体が、今死に向かっている。

死に向かう日々は 私には「はじめての経験」・・・


こういうことが老化というのなら 老化はかなしくて、

なんだか滑稽でもあり、静かなようで ざわめいて。


ただ、高齢化する人生のひと時にも 生きる歓びは

生きている限り 存在する。

雪が降る冬の夜空を見上げる、白い世界の美しさ。

春、初めて出会う早春の野花の可憐な愛おしさ。

夏の海の子どもの笑い声。

秋の原生林の水辺に映る、燃えるような美しい紅葉。


語り合う うれしそうな友の笑顔、

季節ごとの旬で彩る 家族の食卓。

ああ、人生は美しい・・・

自然の一部となって 私はこの時を生きている。


私の手が動かなくなって なにもできなくなっても、

私の笑顔が最後まで

だれかを温められると いいなあ。


最期の最後まで・・・




by yuko8739 | 2019-04-24 09:27 | | Trackback | Comments(0)

故郷の小さな町で暮らす

私は故郷から出ないで 生まれ育ったこの小さな町で

ずっと生きている。

海外旅行にも国内の旅行にも 数えるほどしか行かなかった。

締め切りのある取材や原稿書きを長く続けたので、

旅の余裕がなかった。


時間やお金を 自由に使えるようになったら 

すでにシニアになっていた。

10代の頃怪我で痛めた左ひざのために 長く早くは歩けない。

そういう体のせいか、しだいに気持ちは旅から離れてしまった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私の親友は 大学時代にイギリスに留学し、最初の子は

ヒューストンで出産している。

彼女は 毎年のように世界各地に旅しているし、

その話を聴くのも 私は好き。


高校の同級生のなかには、スウェーデンやオランダなど

世界各地の海で 魚の買い付けの仕事をした人もいる。

数か国で 日本人学校の校長をした人もいる。

そういう人たちの話を聴くのは 本当に楽しい。


いいなあ、とは思う。

それでも小さな町で一生暮らす自分も、悪くはない。

それはそれでいい。

どこにも行かなくても 私はどこにでも行ける。

時間も場所も越えて・・・そういう時間が持てる。

それで 充分に幸せだ。


小さな町で 満ち足りて暮らしていけるのは、

もしかしたら読書や映画によって 内心の旅をしているから?

そこで自由自在に 生きているからかもしれない。

世界中のさまざまな時代に生きる主人公の隣で

そのとき起きたことを 追体験する。 


五感を刺激する 濃密なめくるめく体験!

魂は 時間空間に囚われずに自由に飛翔する。

その自由がある限り 私は感動と満足を感じて

生きていけるのかもしれない、小さな町でも・・・


読書や映画の創り出す世界は どこまでもリアルで

かなしく 美しく すばらしい。

私に人生の自由と歓びを与えてくれた この最高の

読書と映画というものに 深く感謝したい。


この二つのものがない世界は 考えられない。

人生の最後まで 読書と映画によって

自由な旅を続けながら 生きていきたい・・・





by yuko8739 | 2019-04-17 23:21 | | Trackback | Comments(0)

片付けの魔法?

家の各所の片づけや庭の草取りが進んでくると、

放置してあるさまざまな部分まで、気になりはじめた。

そして15日放送のNHKスペシャル「こんまり流片付け」を見て、

私は ちょっと泣けた。


「こんまり流片付け」とは・・・

片づけコンサルタント・近藤麻理恵が提案する片付け方法。

こころがときめくもの以外は 感謝してから捨てる。


近藤さんは2014年の著書「人生がときめく片づけの魔法」の中で、

家を片づけることは、自分の身の回りや「過去にかたを付けること」

「その結果、人生で何が必要で何がいらないか、

何をやるべきで何をやめるべきかが、

はっきりとわかるようになる」という。


彼女は 2015年にアメリカ「TIME」誌の最も影響力のある人

100人に選出された。

自ら提唱する「こんまりメソッド」で人々の生活を

変えていく様を捉えたNetflixのリアリティーショー

KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』で

今も世界的な注目を集めている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


NHKのこの番組を見ていて感じた。

家を片付けられない人が 自分と向き合いながら 

なぜモノが捨てられないのかをたどっていくと、

その人の生きる不安やかなしさに行きつく。


こころはそのかなしさを埋めようとして モノを囲い込むのか。

見たくない自分を隠すために 膨大なモノが必要なのか・・・

いろんなことを 考えさせられた。

モノとこころは 直結していた。


つまり それは「片付け術」にとどまらない。

講師による 一種のカウンセリングなのだろう。

講師は決して 片付けようとしている人を否定しない。

共感し、かなしさにも寄り添う


だからモノを片付け終えると、新しい自分として生きていける。

モノを捨てられるようになると 昔の自分とさよならできる。


「今、ここ」を大切にして 生きていける。

そうなのだとしたら これは片付け術といより

やっぱり一種の魔法だ。


どういう方法であっても 自分を変えるということは とても難しい。

それも自分で自分を変えるということは 至難のわざ。

自分の住む家や 自分の持ち物を整理することで、

今まで知らなかった自分と会う。


そのことを通して 新しい自分になる(成る)道を 歩いていける。

人間のすばらしさとは、命が尽きるまで 変わることが

できるということ。

変わる可能性を 持っているということ。


それを私は、「希望」と呼びたい。


人は最期まで 希望と共に生きることができる。




by yuko8739 | 2019-04-16 19:34 | | Trackback | Comments(0)

2019自分への旅

先日の朝日新聞で 吉本ばななさんの言葉が
1月初めからの自分のかなしさや、自分の知らない自分と出会う衝撃を
やわらげて、背中を押してくれるような気がした・・・


吉本さんは人間関係について、波風をおそれて表面を取り繕うより、
自分の素直な気持ちを相手に伝えることこそ、
本当に愛ある態度だという信念を持っているという。
「うそをついて無理して接しても、相手はそれを敏感に察知する。
人生には不幸もあるという大前提を忘れずに、
はっきり表現することが一番のやさしさ」



私は、シニアの年齢になった今、今年のお正月過ぎから、
かなしい感情に 取りつかれてしまった。
その感情が刺激されると  ふいに号泣したくなる。

理由もわかっていたが、それを言葉にして 相手に伝えなければ
生きていけない気がした。
不眠にもなった。

そして、私は相手にそれを伝えた。
そのことには 大きな勇気が必要だったが。
それでも 私は長い間我慢してきたから 
話さなくてはならなかった。

自分の勝手な思い込みでもかまわない。
事実認識が間違いでも どうだっていい。
私には 身を裂くかなしみ、辛さがあるだけ・・・

そのときに 感じた。
自分のなかのこの制御できない激しい感情は 
いったいなんだろうと。
そして私は ついに理解した。

私のなかには 幼いさみしい女の子がいることに。
理不尽でも不合理でも そんなことはどうでもいい。
こんなことは嫌だと、女の子が泣いている。


私は驚愕した。
私のなかに そんな子どもがいるなんて。
自分の混乱とは この子のせいだったのか・・・

私はもうシニアの大人、心理的混乱などはもう過去のこと。
日々老いの道を行く この安定した年齢でも 
そんなことがあるのだろうか?
でも それが現実だった。

河合隼雄さんの心理学を 少しは学んだ者として考えると、
それは充分に あり得ること。
多分、これからさまざまなプロセスを体験しながら 
泣いている少女を 私のなかに統合することが私のすべきこと。
きっとこのことは 私が私として生きるために必要なことなのだろう。

私が思いがけなく遭遇したかなしさは、まるで極地の氷山のよう。
海の上にほんの少し氷が浮かんでいるだけかと思っていたら、
冷たい海の下には 巨大な氷の塊が・・・
これってなに・・・?

この巨大な氷のなかに 泣いている女の子がいた。
これも わたし。
これが わたし。
信じられなかった・・・ 

幼い女の子は無知で 幼稚で だたさみしくて泣き続ける。
大人の私は この子の手当てをはじめなければならない。
隣に座って 肩を抱く。
温かい飲み物を 手渡す。
もうだいじょうぶ、これからはずっといっしょだよ。
もうさみしくないよ、と。



考えてみると、私はほとんど 他人に甘えるということがない。
家族にも 甘えない。
だれにも 頼らない。
なんでもひとりでやる。
それでいいと思ってきた。
だからこころは甘えたくて さみしくて分裂したのか。

この世でただひとり、このひとだけには
甘えたかったのかもしれない。
それなのに 長い間拒否されていた気がして
だからきっと かなしかったのだろう。
だから 泣いている女の子が 顕れた。

その人は 泣いて謝ってくれた。
私も うれしくて泣いてしまった。

これからは そんな自分と歩く。
幸いに 自分に起きたことは理解できる。
激烈な怒りやかなしさは 収束しつつある。

それでも、油断すると また魂のなかでは
冷たい氷山のなかで あの女の子が泣く。

人生とは、生きていくとは こんなふうに
知らない自分に劇的な形で 出会うことかもしれない。

そこにこそ、私だけの物語が生まれる。
そして 私はそれを語り続けていこうと思う。
言葉を使って 道しるべを探すのだ。

こうやって。
こんなふうに。

これがわたし、と。
by yuko8739 | 2019-01-26 12:11 | | Trackback | Comments(0)

2018かなしさの果てに

日々、そんなに大きなことは起きない。
幸いなことに 戦争の不幸や悲劇はないし 
飢える苦しみもない。
贅沢さえしなければ 食べものに困らない。

年金は目減りする一方だし、社会に正義は行われないけれど。
さまざまな差別への憤りは 沸点を超えてしまうが。



それでも、そのことに慣れようと 大人の対応で済ませていること、
つまり魂の奥底に沈めていた感情が噴出し、それに支配され 
取りつかれてしまうことがある。
誰かが なにかが それを私のなかから引っ張り出してしまう。
かなしみの爆弾に 点火してしまったか。

誰かにとっては どうでもいいことだろう。
些末なことだ。
でもつまり、当事者の私は 感情の大波を受けて揺れてしまう。
かなしさの果てに、沈みそうになる。

胸の奥深くで固まっていた感情が 溶けだした。
意識のなかに漂いはじめた。
また、しばらくは自問自答しなければならない。
かなしさという名の猛獣を 飼いならさなければならない。


たぶん、生きていくって 生きているって 
こういうことだろう。
私の夢みる世界は 私が生きやすいように創った幻かもしれない。
どんなことにも絶望するのには慣れている、長く生きてきたから。
こんなことは よくあること。


愛には 反逆される。
願いは成就されず、空っぽの希望だけを抱きしめている。
自らの空白に 立ちつくす。

それでも 自らに問い、自らが答えを与える人生を
ひとりで生きるしかない・・・

自分自身を子守りしながら なだめすかしながら
そのかなしみを抱きしめながら 
また歩きはじめる。
by yuko8739 | 2019-01-08 12:23 | | Trackback | Comments(0)

すてきな人形

ひとめぼれした人形を買おうと思い、今日、友だちと
フェアトレードショップに行ってきた。
さまざまな形の人形があって すっかり迷ってしまった。
c0204725_0201258.jpg

店のオーナーのY・Oさんが、また新しいタイプの人形を
2月に再度仕入れるらしいので それを見てから買うことにした。
花を抱く女性のシリーズもあるようで それを見て決めることにした。
c0204725_0203087.jpg


この人形を眺めていると なんともいえず 優しい気分になる。
魂が癒されるような気がする。
居間か寝室において、ときどき人形と会話するのもすてきだろう。
c0204725_0205534.jpg

イギリス女性の作る人形で 世界的中で評判がよく 
何体もシリーズごとに コレクションしている人も多いらしい。
また、子どもの誕生や結婚、記念日などのプレゼントに選ぶ人も。

なんとなく自分を 見守ってくれそうな雰囲気がある。
かなしい気持ちを やさしい気持ちに変えてくれそうで、
ちょっとうれしい。
c0204725_0212385.jpg


生きていると かなしさからは逃れられない。
by yuko8739 | 2019-01-08 00:23 | | Trackback | Comments(0)


北海道yukoの「ゆうゆうタイム」自由なこころ 美しい自然 ゆうゆうと自分時間を遊びます 美しいもの 小さなできごとで 暮らしをつむぎます      


by yuko8739

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新の記事

菅田将暉に会った!夢を見た
at 2019-09-19 15:10
敬老の日特製弁当/友とドライブ
at 2019-09-17 10:02
DV子どもの居場所/子ども食堂
at 2019-09-16 13:44
停電終わった千葉から連絡
at 2019-09-14 11:01
買物難民ようやく解消/台風被..
at 2019-09-11 10:11

以前の記事

2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
more...

カテゴリ

全体
からだ

美術
ドラマ
家族・親族
自然・季節
友達
社会
映画

読書
旅行
おいしいもの
仲間
地域
カメラ

温泉
創作
音楽
ボランティア
未分類

最新のコメント

ありがとう・・・
by yuko8739 at 11:47
dear ryouko ..
by yuko8739 at 21:43
Ataronさま、いろい..
by yuko8739 at 10:49
お訪ねいただき、とてもう..
by yuko8739 at 23:39
はじめまして。 本当に..
by gaya-san at 11:52

お気に入りブログ

今夜もeat it
定年再出発  
自然と仲良くなれたらいいな
楽子の小さなことが楽しい毎日
Photo Album
フィレンツェ田舎生活便り2
Kippis! from...
雪月花廊 喜茂別旧双葉...
ほっこリ日記
小さな森の写真館 (a ...
* bright + l...
ニュージーランド田舎暮ら...

外部リンク

最新のトラックバック

君たちはどう生きるのか ..
from 読書と足跡
吉里吉里人 井上 ひさし
from 粋な提案
蕎麦打ち入門
from 蕎麦打ち入門

ライフログ


太宰治全集〈第9巻〉 (1979年) (筑摩全集類聚)


これが私の優しさです―谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)


みみをすます


二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)


はてしない物語


火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)


たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの)


10月はたそがれの国 (創元SF文庫)


幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))


わたしを離さないで


母性社会日本の病理 (中公叢書)


ユング心理学入門


中空構造日本の深層 (中公文庫)


コンプレックス (岩波新書)


文庫 新版 指輪物語 全9巻セット


影との戦い―ゲド戦記 1


こわれた腕環―ゲド戦記 2


さいはての島へ―ゲド戦記 3


帰還―ゲド戦記最後の書 (ゲド戦記 (最後の書))


アースシーの風 ― ゲド戦記V

検索

タグ

メモ帳

その他のジャンル

ブログパーツ

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
カメラ

画像一覧