ゆうゆうタイム

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カテゴリ:魂( 164 )

2018かなしさの果てに

日々、そんなに大きなことは起きない。
幸いなことに 戦争の不幸や悲劇はないし 
飢える苦しみもない。
贅沢さえしなければ 食べものに困らない。

年金は目減りする一方だし、社会に正義は行われないけれど。
さまざまな差別への憤りは 沸点を超えてしまうが。



それでも、そのことに慣れようと 大人の対応で済ませていること、
つまり魂の奥底に沈めていた感情が噴出し、それに支配され 
取りつかれてしまうことがある。
誰かが なにかが それを私のなかから引っ張り出してしまう。
かなしみの爆弾に 点火してしまったか。

誰かにとっては どうでもいいことだろう。
些末なことだ。
でもつまり、当事者の私は 感情の大波を受けて揺れてしまう。
かなしさの果てに、沈みそうになる。

胸の奥深くで固まっていた感情が 溶けだした。
意識のなかに漂いはじめた。
また、しばらくは自問自答しなければならない。
かなしさという名の猛獣を 飼いならさなければならない。


たぶん、生きていくって 生きているって 
こういうことだろう。
私の夢みる世界は 私が生きやすいように創った幻かもしれない。
どんなことにも絶望するのには慣れている、長く生きてきたから。
こんなことは よくあること。


愛には 反逆される。
願いは成就されず、空っぽの希望だけを抱きしめている。
自らの空白に 立ちつくす。

それでも 自らに問い、自らが答えを与える人生を
ひとりで生きるしかない・・・

自分自身を子守りしながら なだめすかしながら
そのかなしみを抱きしめながら 
また歩きはじめる。
by yuko8739 | 2019-01-08 12:23 | | Trackback | Comments(0)

すてきな人形

ひとめぼれした人形を買おうと思い、今日、友だちと
フェアトレードショップに行ってきた。
さまざまな形の人形があって すっかり迷ってしまった。
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店のオーナーのY・Oさんが、また新しいタイプの人形を
2月に再度仕入れるらしいので それを見てから買うことにした。
花を抱く女性のシリーズもあるようで それを見て決めることにした。
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この人形を眺めていると なんともいえず 優しい気分になる。
魂が癒されるような気がする。
居間か寝室において、ときどき人形と会話するのもすてきだろう。
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イギリス女性の作る人形で 世界的中で評判がよく 
何体もシリーズごとに コレクションしている人も多いらしい。
また、子どもの誕生や結婚、記念日などのプレゼントに選ぶ人も。

なんとなく自分を 見守ってくれそうな雰囲気がある。
かなしい気持ちを やさしい気持ちに変えてくれそうで、
ちょっとうれしい。
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生きていると かなしさからは逃れられない。
by yuko8739 | 2019-01-08 00:23 | | Trackback | Comments(0)

2019年新しい年のはじめに

あけまして おめでとうございます

静かな雪に包まれて 穏やかに年が明けてゆきました
日脚もわずかながら伸びて 伸びて・・・ 
春に向かって 季節は歩みを続けています。


こうして、内心の独りごとを書き記し、写真も貼り付けて 
書くこと読むことの好きな、自分自身の記録と共に 
この10年間を 歩いてまいりました。

2000年ごろから PC初心者はmy新聞の発行を夢みて独学。
07年には my新聞を毎月発行し、現在は145号を数えます。
09年には、わけがわからないままブログを開設。

今流行の少ない言葉でリアルタイムを発信し合う
SMSとはほど遠く。
言葉を尽くして 尽くして 本質に近づきたいと願って 
ここまで歩いてまいりました。

じっくりゆっくりと極私的な日々の喜怒哀楽を表現することで 
自らの魂の叫びに気づき 細かな感情の記憶も可能となりました。
自分の今を書き記すことは いつしか自分の生きる実感となりました。


美しいことばかり いうつもりはありません。
しかしこういう場があって 自分のこころを 
声を 言葉にできる歓びは かけがえがない。

書くことと 読むこと 映画をみること
人と共感し ともに歩くこと
食の歓びと幸せを 分かち合うこと

美しい自然や音楽、絵画、子どもの笑顔
世界を正しく認識すること
それらに彩られて 私の人生がある・・・

私のブログで発信しているのは そういうこと。
それが 私の「大事」です。

2019年も そんなふうに歩きたい。
自由に ゆうゆうと 自分を信じて
 
信じるに足る 自分をつくるために 
拙文を長々と綴りながら 今年も歩きます。

このブログに訪れてくださる すべての皆さまが、
新しい年に、新しいよろこびに 出会えますように・・・
by yuko8739 | 2019-01-02 12:19 | | Trackback | Comments(0)

2018年11月朝日新聞「折々の言葉」から

朝日新聞から 私は日々さまざまな恩恵を得ている。
ときどき「魂に響く言葉」が届くことが 最高の歓び。
言葉を指針にして生きている自分にとっては なによりも
そのことが生きるエネルギーになる、自然の恩恵と同じくらいに。

朝日新聞 1面 編者 鷲田 清一
「折々のことば」より

11月24日
なぜ、という問いに答えを与えようとして人は物語をつくる。
幸せのなかに物語はない。            柴田 元幸

11月25日
人はほとんど自分に関するかぎり、その真の動機を知っていない。
                        色川 大吉


まさに至言である。
人間とは一生「私は誰?」「どこから来て どこへ行くの?」
そう問わずにはいられない、そういう生き物なのだろう。

「なぜという問いに 答えを与えようとして物語をつくる
幸せのなかに物語はない」

この言葉が 魂を打つ・・・
この秋の息子の入院と病気、驚愕の病名、一生続く治療。
長い入院、体の変化、そのときの自分が 心に浮かんだ。

「人生に起きることはすべて意味がある。すべて必要なこと」
そんな言葉は あの時は虚しかった。
こんな不幸が私にばかり?なぜ必要なの?
神さま、なぜ・・・混迷のなか なにもわからなかった。

ただひとつ、そのなかで思ったのは。
「自分の好きな自分でいよう」そう決めた。
この世で唯一無二のこの自分を 嫌いになりたくなかった。
その言葉で どうにか自分を立て直してきた。
運命への不安と怒りのなかでさえも。

時間が過ぎて 44日間の入院のあと退院。
実家に戻った息子は 母の手料理を歓び。
なにを食べても しみじみと旨いと言う。

長い間、家族に支えられた。
父母や弟は 深い愛情で彼を包みこんだ。
これからの過酷な治療を思うにつけ、祈りに近い行為だった。
早く仕事に復帰しなければと私は感じたが なかなか独り暮らしに
戻らなかった。


そんな息子が30日間の実家暮らしから 2日前に出ていった。
たくさんあった荷物を片付けて 出ていった。
朝、昼、晩と息子の食べるものを用意した。
病気のために とり過ぎるとよくない成分もあり、
ネットで調べて 味も薄めに、量も少なめに。
それでも 食べておいしく!そんな30日間だった。

息子が家を出て なんだかおかしなことを感じた。
彼の病気とは もしかしたら(それだけではないが)
家族との絆を ゆっくりと時間をかけて結び直すという
深い意味があったのではないか・・・

私はもしかしたら 彼を育て直していたのかもしれない。
そのことの深い意味は 私にしかわからないことだが。
親子の確執を超えて そういうことが
行われていたのかもしれない。

息子がこのような重篤な病気になったことで、
なぜという問いに 答えを与えようとして
こうして 物語が語られていく・・・

問うのは自分、答えるのも自分自身でしかない。
誰も答えてはくれない。
自分の問いに答えられるのは 自分だけ。


そして・・・
「人はほとんど自分に関するかぎり、その真の動機を知っていない」
そうだとしたら、村上春樹の小説のように 心理の深い奥底には
自分では意識できない感情が 存在するのかもしれない。  
                      
つまり「リトル・ピープル」の仕業?かもしれない。 
神であり、悪魔であるリトル・ピープルは  
究極には自分自身の形、かもしれない。

こんなふうに私は自分で物語り 自分の問いに答えながら 
生きていく、幸不幸とは関係なく。

30代の頃は 人生になぜ?という問いばかりだったが。
年を重ねるうちに、自分で答えられるようになった。

だから私は 大人とは(前にも同じことを書いたが)
「自分の問いに 自分で答えられる人」だと思う。

もうひとつ、
大人とは 自分のなかに生き生きとした
「子ども」を持っている人。
これも なかなかいい。
by yuko8739 | 2018-11-26 10:37 | | Trackback | Comments(0)

秋のなかを進む

朝夕は 寒くなってきた。
早足ウオーキングするときの 夜の冷気には驚く。
エンマコオロギやバッタの声が 草むらでうるさいほどだったが、
いつの間にかその鳴き声が少なくなり もう消えそう・・・
ときに夜半は 小さなストーブをつけたり 消したり。

それでも日中は まっ青な秋空の毎日。
夏っぽい日差しの強さもあって 汗をかく。
わが家の庭には 今秋明菊と吾亦紅がいっぱいだ。

春と間違ったのか 春咲くはずの金糸梅が咲き出した。
四季咲きの薔薇も 再び初夏のように咲き始めた。
雑草の茂る庭でも 好きな花たちは季節を忘れずに咲いてくれる。
ありがたい・・・

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8月から9月
<読んだ本>
万引き家族                 ~是枝 裕和 著
100分de名著 河合隼雄スペシャル ~河合 俊雄 著
動物農場                  ~G・オーウェル著
戦争中の暮らしの記録(保存版)    ~暮しの手帖社
子どもの脳を傷つける親たち      ~友田 明美 著

<みた映画(DVD&WOWOW)>
ブランカとギター弾き     ~長谷井宏紀     監督
マリアンヌ           ~ロバート・ゼメキス  監督
灼熱の魂            ~ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督  
静かなる叫び         ~ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督


深い印象を受けたのは、「戦争中の暮らしの記録」
庶民の過酷で悲しい記憶が 綿々と綴られていて 毎晩胸を打たれた。
国民のリアルな戦争体験は「戦争遺産」として語り継ぐべきもの。

「万引き家族」は、映画ではわからなかったシーンの意味が理解できて
より深く映画の世界に入れた気がした。
「動物農場」は、農園の動物たちの人間への反乱と 
その後の体制を通して、権力を持つということの欺瞞や危険を 
寓話のなかで鋭く描いた。全体主義萌芽の本質か?

映画では、「ブレードランナー2018」があまりにもすばらしかったので、
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督(カナダ)の作品を2本。
「静かなる叫び」09年の映画。モノクロ映画で カナダの銃乱射事件を描いた。
ドキュメンタリータッチで描くスリリンで魂を打つ衝撃の映画に 
ショックを受けるほど感動!カナダ映画賞で9部門受賞とか。 

「灼熱の魂」は同じくドゥニ監督の2010年の映画。
この物語の持つ脚本の力に脱帽。戦乱の地の地獄と運命を超えて
今を生きる私たちに 深い愛のなかで 運命を超える力を与える。
必見の名作だと思う・・・ラストでは驚愕し 言葉が出ないほど感動。

日本人監督がイタリア資本で フィリピンの映画を撮った。
「ブランカとギター弾き」スラムの女のこと盲目のギター弾きの
おじいさんの物語。実際にスラムで暮した監督の思いがあふれるような、
心の温まる 美しくすてきな映画だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

悲劇は終わらずに 存在するが。
そのことと 自分が自分の選んだ生き方で
自分らしく生きることとは別のこと。
そう思いたい。

自分自身も昨日再検査の結果、ガンの疑いも晴れたので
とても うれしかった。
家族のなかに ふたりも重い病気だとしたら・・・と
これまでの2週間は 不安だった。

だからもう 自分の生活を再開する。
起きたことは 運命として 受け入れて生きるしかない。

俳句

吾亦紅こんな私でホントにいいの

鳥兜家庭に潜む殺意あり

秋刀魚焼く諍い深く胸に秘め

停電す漆黒の町に銀河湧く

案山子立つ金色の稲穂自慢げに
by yuko8739 | 2018-09-22 10:46 | | Trackback | Comments(0)

穴から出て~敬老の日弁当~

私は 穴から出ることにした。
穴から出ると 世界は変わらず美しかった。
危機が去ったということもある。
峠は 越えたかもしれない。

自分のなかで 相反する全く別の感情に引き裂かれそうだったが。
ありのまま、あるがままの私でいいのだと 
昨夜から やっと思えるようになってきた。
矛盾したさまざまな感情のあいだで 私は生きていく。

これでいい、自然のままで。
私のままで。
違う人間には なれない。
理想の形でなくても いい。


好きなことをする、かなしくても。
私の魂が喜ぶことは おいしいものを作って
だれかに食べてもらうこと。 
だから、料理からはじめた。

ずっと前からメニューも決めていた「敬老の日」のお弁当。
買物に行き、2日かけて仕込んだ。
さんまがおいしいから さんま蒲焼ご飯、小骨抜きは意外と大変・・・

ポテトサラダとボイルホタテの酢味噌和え、エビマヨ、
きゅうりとワカメの酢の物、太なます。

ふたりの母たちが うれしそうにこのお弁当を
食べている顔を思い浮べる。
なんだか幸せな気分になった。
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確かにどんなことが起きても 衝撃の瞬間が去ると笑えるようになる。
人は弱いけれど 人は強い。
私の苦しさ辛さに 寄り添ってもらえたので
穴から 出られたのかもしれない。 

改めて人には人が要る、と思う。
感情に寄り添い、共に泣いてくれる人が私には必要だった。
運命の過酷に 怒ってくれる人が必要だった。
そうしてもらって我慢していた自分も 泣けるようになった。


また、料理を作ろうと思う。
難しいことは まだなにもしたくない。
ボランティアも休んだ。
辛さは かなしみは消えたわけではない。

今は秋の風と共に 淡々と生きている。

俳句
空虚な日花買う我に鰯雲

先日米農家でコメを買い、おいしくて新鮮なビニールハウスの
トマトやナス、とうもろこしをもらった。
田んぼには 無数のバッタやかわいい青ガエル、アゲハの幼虫も!
世界は美しく 命に満ちている!!!
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by yuko8739 | 2018-09-17 12:58 | | Trackback | Comments(0)

穴のなか

私は今 何年かぶりに 深い穴を掘っている・・・
なにも聴こえず なにもない穴の底で ただ膝を抱えている
運命の残酷に 身を焦がしながら

暗くて深い穴の底で 自分が壊れずにすみますようにと
祈っている

こういうことを なんというのだろうか
晴天の霹靂と いうのだろうか
自分の人生に 暗くて冷たいものが 襲いかかってきた。
日常が 消えた

だから穴を掘って 逃げ込むしかない
なにも聴こえないし 誰もいない穴のなか
時間が経ったら 出てゆける
でも今はまだ ここにいる


神さま、そのことは私が受け入れるべき現実なのですか?
あまりにも 酷いではありませんか
なぜ?
なぜ?
なぜ?

重荷を もっと背負えと?
もう私にも 力はそんなに残っていない
自分を保つのだけで 精いっぱいです

そんな穏やかな日常を 運命の尖ったナイフが切り裂いた
取り戻せない時間・・・
日々の穏やかな幸せが 消えていく
 
いやいや、失ったものを追わずに、
今は今のことだけを思おう

それしか考えない
先のことなど わからない
未来を思う力は 今の私にはない
暗くて静かな穴のなかで 今だけを思う
今のこのときだけを 思う



私には こういう人生が また与えられた・・・
今までもずいぶん さまざまなことと闘ってきた。
苦渋と自責、孤立と孤独。
人生の終わりの時期に 再び問われ 自分と闘うことに?

この運命、この人生からは 逃れるすべはなく

今少しだけは ここにいよう
母の胎内のような 暗い穴のなかで・・・

  
by yuko8739 | 2018-09-14 12:55 | | Trackback | Comments(2)

河合隼雄さんと再び出会う2

その後は、さまざまな他者との出会いを鏡にして、
あるがままの自分を自分自身で 受け入れられるようになったと思う。
それまでは 困難だったことだが・・・

ワークショップで出会った言葉の数々。
「他者は自分を映す鏡」
「人=自分以外の人=がいなければ、自分にも成れない」。
「人生に無駄なことなどない」
そのときはよくわからなかったそんな言葉の数々が、
今では 私の信条になった。


今回の「100分de名著 河合隼雄スペシャル」は、
講師は河合隼雄氏の子息で 同じくユング心理学者の河合俊雄さん。
俊雄さんは眼が大きく整った顔立ちで 鋭い印象を受けた。

父の存命中は、父と息子はなにかと確執もあったに違いない。
同じ道を行く父と息子とは 大概そういうものだろう。
しかし今は父の死により 息子は変化したのか。

魂が近づくというより、息子の魂のなかに父は脈々と
さまざまな形で 生き続けているのだろう。
番組をみていて そんな気がした。

「ユング心理学入門」、「コンプレックス」、「昔話の深層」、
「中空構造日本の深層」、「母性社会日本の病理」、
「心理療法序説」もなにもかも 私は読んでいるので、
そのお話しを俊雄さんの解説で 魂と耳に懐かしく聴いた。

感じたのは父隼雄さんよりも 俊雄さんはシャイな方。
偉大な父の亡きあと、同じ道を行くのは
大きな葛藤があったと思う。
憂いを秘めた大きな瞳に そんなことを感じた。

番組が終ると すぐにNHKのテキストを買った。
テキストを読みはじめてすぐに 河合俊雄さんの
文章の見事さに気付き、ほれぼれした。

読みやすくてわかりやすかった。
父の著作や思想を 息子は深く味わい、それを正しく
美しく言葉に紡いでいる。
そのことに感動した。


8月は 戦争の報道を見逃がすまいと録画しては ほぼすべての番組を
見ては、怒りにふるえ 涙を流した私。
夜はベッドのなかで暮しの手帖社の「戦争中の暮らしの記録」の、
言語に尽くしがたい庶民の飢えや空襲、学童疎開の塗炭の苦しみを 
切ない思いで 読み続けた。

しかし今9月になって 8月の戦争の悲嘆と苦しみから、
やっと解放される気がした。
それほど戦争をリアルに感じた2018年の8月だった。


NHKのこの河合隼雄スペシャルのテキストを読みはじめて、
30代の自分に また出会った気がした。
孤独でどう生きたらいいのか わからなかったあの頃の私。

今も孤独だが、「選んだ孤独は よい孤独」と言える。
どう生きたらいいかというと、「あるがまま」に。
孤独のままでも 生きていけると思う。

人と自分が違うことさえわかっていたら 何が起きても
そんなに怖くはない。
あなたは そう感じるのですね…それでいい。

私とあなたは 違ってもいい、それはあたりまえのこと。
でも共感できたときには 大いに喜び感動する。
それが 私が人生から学んだ一番大きなこと。


テキストの最後に 河合俊雄さんの言葉に 希望と勇気をもらった。
河合隼雄さんが強く感じていたことのひとつは、
日本では「男性論理を持った女性の力(パワー)」が必要だということ。

耐える女性ではなく、「意志」し、行動する女性を昔話(炭焼長者)の
なかに見つけて 河合隼雄さんはこう言う。
「このようなすばらしい女性像は、日本の昔話に特異的ではないかと
思われ、従って、日本人の意識を~男女を問わず~示すのに
ふさわしいものと思われる。中略

西洋の近代自我の行きづまり状況に照らして考えるならば、
日本にのみとどまらず、世界全体的においても意味を持つ象徴として
このヒロイン像を提出してもいいのではないかとさえ思われるのである。
それにしても、日本の民衆のこころは素晴らしい女性像を
生み出したものである」
~河合隼雄著「昔話と日本人の心」より引用。

ユング心理学から出発した河合隼雄さんは、日本の昔話や神話、
仏教と深い出会いをする。
その体験から 彼はクライアントとの人間関係を
非個人的な水準にまで広げて持てるようになると、
その底に流れている感情はいとしいという感情も混じった
かなしみだという。

私はこの言葉にも 深く魂が動いた。
「いとしい」「かなしみ」
これは 魂と文学の共通のエッセンスでもあろうか。

過日 こんな言葉にも出会った。
朝日新聞「折々の言葉」鷲田 清一編より
~「存在しないもの」は文化の違いを超えて、
誰にとっても存在しないので、それがもたらす欠落感や
悔恨や恐怖や不安は共有できる~        内田 樹

慣習や財産のように、見えるもの、所有できるものは、
異なる文化の間で共有するのが難しい。
が、見えないし所有もできないけれども、人が生きるうえで
真に拠(よ)り所としてきたものを失ったことの
悲愁は共有できると、哲学者・武道家の内田樹は言う。
だから世界文学の多くが「喪失についての物語」なのだと。

台風一過の青空を眺めながら そんなことを思っていたら、
翌日早朝に 地震が来た・・・
by yuko8739 | 2018-09-08 12:21 | | Trackback | Comments(0)

河合隼雄さんと再びの出会い1

NHKの教育TVで 私の大好きな「100分de名著」という番組がある。
7月のテーマは「河合隼雄スペシャル」
私の本棚には 河合隼雄さんの著作が数多くある。

人生に戸惑うことが多かった30代はじめの頃に出会った、
河合隼雄とユング心理学、そしてカウンセリングの臨床心理学に
深く傾倒して 読んだ本が並んでいる。

私は狭いアパートで3人の子どもを育てる多忙な日常のなかで
子どもたちを寝かしつけると 午後10時からはじまる
NHKの教育番組「人間大学 日本人のこころ」(講師:河合隼雄)に、
かじりついた。
テキストを広げ、ノートを取りながら 河合隼雄さんの講義を聞いた。

フロイトはなんとなく知っていたがく、初めて出会った「ユング心理学」
河合隼雄さんが解説した、母性社会や中空構造などのキーワードによって、
さまざまな疑問の答えを 得たような気がした。

どうしても埋まらなかったクロスワードの空白に 
文字がぴたりとはまるように、私は興奮した。
学ぶ喜びで わくわくした。

自分や自分の人間関係にも 河合隼雄さんの言葉は
当てはまる気がした。
そしてなによりも 自分のこころの謎が解ける気がした。
自己実現(個性化)への過程を 私は歩みはじめたのかもしれない。
数年間、心理学や臨床心理学の本ばかり読み続けた。

河合隼雄さんが 北海道に講演に来たときは、
お話を直に聴けるチャンスを逃がすまいと、3人の子どもを預けて
小樽や札幌に出かけては、最終電車で帰宅したものだ。

その後私は自分の町でロジャーズ派の「カウンセリング研究会」に入会。
エンカウンターグループのワークショップに熱心に参加。
数泊のWSでは 出会いの不思議と困難、そして感動もあった。

毎月の例会では I先生がものの見方や感じ方で
人生が変わるのだと語り、他者を受容する共感の豊かさ、
自分自身の生きる力について 熱く語ってくれた。

しかし私はその頃も今も変わらず こころのなかの師は 
間違いなく 河合隼雄さんだと感じていた。

2007年 文化庁長官だった頃、高松塚古墳の壁画問題で
多忙と心労、ストレスの故か、河合隼雄さんは79歳で亡くなった。
あのときの茫然自失を 私は忘れない。
もし今も存命されていたら どれほどの業績を遺されたか・・・
悔しくてならない。


もしいつか 天の国で会ったら・・・
「しんどいこともあったけど、なかなかうまく生きてきはったなあ」と
あの人なつこい笑顔で 褒めてくれそうな気もする。

「ふたつよいこと、さてないものよ、なあ・・・」
by yuko8739 | 2018-09-05 12:52 | | Trackback | Comments(0)

恋するこころ

誰かを好きとか そういうことではない。
ただ、恋のようなときめきは 私の日常にあふれる。
本や映画や、1枚の絵、思い出と共にあって感情を
かきたてる懐かしい曲の数々。

道行く、名も知らぬすてきな人たち。
年を重ねた女性が しゃんと背筋を伸ばして初夏を行く。
「いいなあ、あのヘアスタイル」
「ストールの色がすてきだなあ」・・・
お洒落なシニア世代の男性を眺めるのも こころ弾む。

ふり返って 何度も見てしまう。
ちょっと ときめく。
ドキッとする。

映画のポスター、新聞の写真、優美なコマーシャル、
すてきな言葉は 私を別の世界に連れて行く。

先日、朝日歌壇で どきっとする短歌に出会った。
もう一度好きだと言ってくれないか裸足で海に駆け出すように                     八幡浜市 木下まゆみ
こんな短歌が、胸の奥深くにぽっと火をともす。

時の洗礼をうけてなお 魂の奥にある切ない「恋するこころ」
私のなかには 優等生の幼い私も どん底の孤独のなかで
恋した10代も、生きることに戸惑った30代も
どんな私も、存在する。

だから色とりどりの経験や 美しい感情に満たされた 
今のこの自分の魂はさまざまに感応して なおさら愛おしい。
だから こころは恋する・・・

人生のときめきは、一生消えない。
これこそが 生きる証。

選んだ「よい孤独」と、それと共に「恋するこころ」は 
私の大切なエッセンス(本質)なのかもしれない。
(フランスのことわざ「選んだ孤独はよい孤独」)
by yuko8739 | 2018-07-02 09:24 | | Trackback | Comments(0)