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ゆうゆうタイム

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カテゴリ:魂( 168 )

わたし年をとるのは初めてなので

少し前に、朝日新聞に 医師に対しての

ある患者さんの言葉が書いてあった。

「私、年をとるのは初めてなので・・・」


病気なのか 老化というのはこういうことなのか

どっちか、わからないと言いたかったのだろう。

その言葉に 深く共感した。


シニアとよばれる年代になって 老化が進む。

60代初めのころは なぜ?と思うことが多かった。


なぜ? このくらいの重さのものが持てないのか、

なぜ? こんなに疲れやすくなったのか、

なぜ? 寝つきが悪くなったのか、

なぜ? 傷が治りづらいのか、


なぜ? いろんなところが痒いのか?

なぜ? 原因不明の肩痛や腱鞘炎が治らないのか?

なぜ? また痛みは繰り返すのか?


なぜ? 風邪がこんなに長引くのか、

なぜ? なぜ?・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今は、もう、なぜとは思わなくなった、体は経年劣化する。

それが自然、この世に生きたらいつか死ななければならない。

生まれ直しはあの世?で体験するかもしれないが、

今自分の体とこころは 死に向かって進んでいる・・・

この自覚は しっかりと持っていたい。


だがしかし・・・戸惑いは大きい。

つまり、「はじめての経験」なのだ、毎日の痛みが、不都合が。

冒頭の患者さんのように。


劣化する自分の体を 日々実感する。

能力が増すのではなく、能力が失われるのはやっぱりかなしい。


経験によって知識や知恵もつき、臨機応変の対応力も増し、

多少の狡さやジョークで茶化しながら ごまかしながら、

難しい対人関係も こなせるようになったのに。


こころは、やっとシニアになって落ちついて

過ごせるようになった。

ひりひりするような 胃が痛むようなストレスからも、

いぶ解放されてきたのに。


中年になってからは・・・これでいいなあ、

あるがままの自分がいいなと 思えるようになった。

CMではないけれど「なにもたさない、なにもひかない」

私という人間は こういう形 こういう魂 それでよし。

あなたという人間が それでいいのと同じように。 


でも体が、こんなふうになる。

この年になると、どこも痛くない人はいないよ、

と椎間板ヘルニア後遺症の友は 慰めてくれるが。


よろけるし、19歳の時にケガで傷めた左ひざは一生の重荷だ。

いつまで経っても 伸ばせず、曲がらず不自由なまま。

長くも 早くも歩けない。


指は関節が太くなり 曲がりかけている。

使い過ぎが原因の、家事労働者に多いという

「ヘパーデン結節」の兆しだろう・・・


でもこの手は どんなに多くの仕事をこなしてきたのか。

ときどき自分の不格好な手を眺めながら しみじみそう思う・・・

美しい手ではないが、膨大な仕事をこなしてきた尊い手。


先日も日の当たらない車庫前で 冷たい水で

大小7個くらいの漬物樽を 感謝を込めて洗った。

残りの漬物を片付けながらも、手が寒さでしびれ、

トイレに何度も駆け込み、すべての仕事が終わったのは4時間半後。


思えば、この手を使わない日はない。

毎食のご飯を作り 卵焼きを焼き、カツや天ぷらを揚げる。

おやつにケーキも焼き、あんドーナツも揚げ、

ヨモギ餅も作り、魚も煮て、イカを茹で 山菜の下ごしらえをし、

何種類もの漬物を漬けて・・・常にこの手が 働いている。


今までこの手が どれだけの笑顔や幸せを作り出したことだろう・・・

こういう手が、こういう体が、今死に向かっている。

死に向かう日々は 私には「はじめての経験」・・・


こういうことが老化というのなら 老化はかなしくて、

なんだか滑稽でもあり、静かなようで ざわめいて。


ただ、高齢化する人生のひと時にも 生きる歓びは

生きている限り 存在する。

雪が降る冬の夜空を見上げる、白い世界の美しさ。

春、初めて出会う早春の野花の可憐な愛おしさ。

夏の海の子どもの笑い声。

秋の原生林の水辺に映る、燃えるような美しい紅葉。


語り合う うれしそうな友の笑顔、

季節ごとの旬で彩る 家族の食卓。

ああ、人生は美しい・・・

自然の一部となって 私はこの時を生きている。


私の手が動かなくなって なにもできなくなっても、

私の笑顔が最後まで

だれかを温められると いいなあ。


最期の最後まで・・・




by yuko8739 | 2019-04-24 09:27 | | Trackback | Comments(0)

故郷の小さな町で暮らす

私は故郷から出ないで 生まれ育ったこの小さな町で

ずっと生きている。

海外旅行にも国内の旅行にも 数えるほどしか行かなかった。

締め切りのある取材や原稿書きを長く続けたので、

旅の余裕がなかった。


時間やお金を 自由に使えるようになったら 

すでにシニアになっていた。

10代の頃怪我で痛めた左ひざのために 長く早くは歩けない。

そういう体のせいか、しだいに気持ちは旅から離れてしまった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私の親友は 大学時代にイギリスに留学し、最初の子は

ヒューストンで出産している。

彼女は 毎年のように世界各地に旅しているし、

その話を聴くのも 私は好き。


高校の同級生のなかには、スウェーデンやオランダなど

世界各地の海で 魚の買い付けの仕事をした人もいる。

数か国で 日本人学校の校長をした人もいる。

そういう人たちの話を聴くのは 本当に楽しい。


いいなあ、とは思う。

それでも小さな町で一生暮らす自分も、悪くはない。

それはそれでいい。

どこにも行かなくても 私はどこにでも行ける。

時間も場所も越えて・・・そういう時間が持てる。

それで 充分に幸せだ。


小さな町で 満ち足りて暮らしていけるのは、

もしかしたら読書や映画によって 内心の旅をしているから?

そこで自由自在に 生きているからかもしれない。

世界中のさまざまな時代に生きる主人公の隣で

そのとき起きたことを 追体験する。 


五感を刺激する 濃密なめくるめく体験!

魂は 時間空間に囚われずに自由に飛翔する。

その自由がある限り 私は感動と満足を感じて

生きていけるのかもしれない、小さな町でも・・・


読書や映画の創り出す世界は どこまでもリアルで

かなしく 美しく すばらしい。

私に人生の自由と歓びを与えてくれた この最高の

読書と映画というものに 深く感謝したい。


この二つのものがない世界は 考えられない。

人生の最後まで 読書と映画によって

自由に旅を続けながら 生きていきたい・・・





by yuko8739 | 2019-04-17 23:21 | | Trackback | Comments(0)

片付けの魔法?

家の各所の片づけや庭の草取りが進んでくると、

放置してあるさまざまな部分まで、気になりはじめた。

そして15日放送のNHKスペシャル「こんまり流片付け」を見て、

私は ちょっと泣けた。


「こんまり流片付け」とは・・・

片づけコンサルタント・近藤麻理恵が提案する片付け方法。

こころがときめくもの以外は 感謝してから捨てる。


近藤さんは2014年の著書「人生がときめく片づけの魔法」の中で、

家を片づけることは、自分の身の回りや「過去にかたを付けること」

「その結果、人生で何が必要で何がいらないか、

何をやるべきで何をやめるべきかが、

はっきりとわかるようになる」という。


彼女は 2015年にアメリカ「TIME」誌の最も影響力のある人

100人に選出された。

自ら提唱する「こんまりメソッド」で人々の生活を

変えていく様を捉えたNetflixのリアリティーショー

KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』で

今も世界的な注目を集めている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


NHKのこの番組を見ていて感じた。

家を片付けられない人が 自分と向き合いながら 

なぜモノが捨てられないのかをたどっていくと、

その人の生きる不安やかなしさに行きつく。


こころはそのかなしさを埋めようとして モノを囲い込むのか。

見たくない自分を隠すために 膨大なモノが必要なのか・・・

いろんなことを 考えさせられた。

モノとこころは 直結していた。


つまり それは「片付け術」にとどまらない。

講師による 一種のカウンセリングなのだろう。

講師は決して 片付けようとしている人を否定しない。

共感し、かなしさにも寄り添う


だからモノを片付け終えると、新しい自分として生きていける。

モノを捨てられるようになると 昔の自分とさよならできる。


「今、ここ」を大切にして 生きていける。

そうなのだとしたら これは片付け術といより

やっぱり一種の魔法だ。


どういう方法であっても 自分を変えるということは とても難しい。

それも自分で自分を変えるということは 至難のわざ。

自分の住む家や 自分の持ち物を整理することで、

今まで知らなかった自分と会う。


そのことを通して 新しい自分になる(成る)道を 歩いていける。

人間のすばらしさとは、命が尽きるまで 変わることが

できるということ。

変わる可能性を 持っているということ。


それを私は、「希望」と呼びたい。


人は最期まで 希望と共に生きることができる。




by yuko8739 | 2019-04-16 19:34 | | Trackback | Comments(0)

2019自分への旅

先日の朝日新聞で 吉本ばななさんの言葉が
1月初めからの自分のかなしさや、自分の知らない自分と出会う衝撃を
やわらげて、背中を押してくれるような気がした・・・


吉本さんは人間関係について、波風をおそれて表面を取り繕うより、
自分の素直な気持ちを相手に伝えることこそ、
本当に愛ある態度だという信念を持っているという。
「うそをついて無理して接しても、相手はそれを敏感に察知する。
人生には不幸もあるという大前提を忘れずに、
はっきり表現することが一番のやさしさ」



私は、シニアの年齢になった今、今年のお正月過ぎから、
かなしい感情に 取りつかれてしまった。
その感情が刺激されると  ふいに号泣したくなる。

理由もわかっていたが、それを言葉にして 相手に伝えなければ
生きていけない気がした。
不眠にもなった。

そして、私は相手にそれを伝えた。
そのことには 大きな勇気が必要だったが。
それでも 私は長い間我慢してきたから 
話さなくてはならなかった。

自分の勝手な思い込みでもかまわない。
事実認識が間違いでも どうだっていい。
私には 身を裂くかなしみ、辛さがあるだけ・・・

そのときに 感じた。
自分のなかのこの制御できない激しい感情は 
いったいなんだろうと。
そして私は ついに理解した。

私のなかには 幼いさみしい女の子がいることに。
理不尽でも不合理でも そんなことはどうでもいい。
こんなことは嫌だと、女の子が泣いている。


私は驚愕した。
私のなかに そんな子どもがいるなんて。
自分の混乱とは この子のせいだったのか・・・

私はもうシニアの大人、心理的混乱などはもう過去のこと。
日々老いの道を行く この安定した年齢でも 
そんなことがあるのだろうか?
でも それが現実だった。

河合隼雄さんの心理学を 少しは学んだ者として考えると、
それは充分に あり得ること。
多分、これからさまざまなプロセスを体験しながら 
泣いている少女を 私のなかに統合することが私のすべきこと。
きっとこのことは 私が私として生きるために必要なことなのだろう。

私が思いがけなく遭遇したかなしさは、まるで極地の氷山のよう。
海の上にほんの少し氷が浮かんでいるだけかと思っていたら、
冷たい海の下には 巨大な氷の塊が・・・
これってなに・・・?

この巨大な氷のなかに 泣いている女の子がいた。
これも わたし。
これが わたし。
信じられなかった・・・ 

幼い女の子は無知で 幼稚で だたさみしくて泣き続ける。
大人の私は この子の手当てをはじめなければならない。
隣に座って 肩を抱く。
温かい飲み物を 手渡す。
もうだいじょうぶ、これからはずっといっしょだよ。
もうさみしくないよ、と。



考えてみると、私はほとんど 他人に甘えるということがない。
家族にも 甘えない。
だれにも 頼らない。
なんでもひとりでやる。
それでいいと思ってきた。
だからこころは甘えたくて さみしくて分裂したのか。

この世でただひとり、このひとだけには
甘えたかったのかもしれない。
それなのに 長い間拒否されていた気がして
だからきっと かなしかったのだろう。
だから 泣いている女の子が 顕れた。

その人は 泣いて謝ってくれた。
私も うれしくて泣いてしまった。

これからは そんな自分と歩く。
幸いに 自分に起きたことは理解できる。
激烈な怒りやかなしさは 収束しつつある。

それでも、油断すると また魂のなかでは
冷たい氷山のなかで あの女の子が泣く。

人生とは、生きていくとは こんなふうに
知らない自分に劇的な形で 出会うことかもしれない。

そこにこそ、私だけの物語が生まれる。
そして 私はそれを語り続けていこうと思う。
言葉を使って 道しるべを探すのだ。

こうやって。
こんなふうに。

これがわたし、と。
by yuko8739 | 2019-01-26 12:11 | | Trackback | Comments(0)

2018かなしさの果てに

日々、そんなに大きなことは起きない。
幸いなことに 戦争の不幸や悲劇はないし 
飢える苦しみもない。
贅沢さえしなければ 食べものに困らない。

年金は目減りする一方だし、社会に正義は行われないけれど。
さまざまな差別への憤りは 沸点を超えてしまうが。



それでも、そのことに慣れようと 大人の対応で済ませていること、
つまり魂の奥底に沈めていた感情が噴出し、それに支配され 
取りつかれてしまうことがある。
誰かが なにかが それを私のなかから引っ張り出してしまう。
かなしみの爆弾に 点火してしまったか。

誰かにとっては どうでもいいことだろう。
些末なことだ。
でもつまり、当事者の私は 感情の大波を受けて揺れてしまう。
かなしさの果てに、沈みそうになる。

胸の奥深くで固まっていた感情が 溶けだした。
意識のなかに漂いはじめた。
また、しばらくは自問自答しなければならない。
かなしさという名の猛獣を 飼いならさなければならない。


たぶん、生きていくって 生きているって 
こういうことだろう。
私の夢みる世界は 私が生きやすいように創った幻かもしれない。
どんなことにも絶望するのには慣れている、長く生きてきたから。
こんなことは よくあること。


愛には 反逆される。
願いは成就されず、空っぽの希望だけを抱きしめている。
自らの空白に 立ちつくす。

それでも 自らに問い、自らが答えを与える人生を
ひとりで生きるしかない・・・

自分自身を子守りしながら なだめすかしながら
そのかなしみを抱きしめながら 
また歩きはじめる。
by yuko8739 | 2019-01-08 12:23 | | Trackback | Comments(0)

すてきな人形

ひとめぼれした人形を買おうと思い、今日、友だちと
フェアトレードショップに行ってきた。
さまざまな形の人形があって すっかり迷ってしまった。
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店のオーナーのY・Oさんが、また新しいタイプの人形を
2月に再度仕入れるらしいので それを見てから買うことにした。
花を抱く女性のシリーズもあるようで それを見て決めることにした。
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この人形を眺めていると なんともいえず 優しい気分になる。
魂が癒されるような気がする。
居間か寝室において、ときどき人形と会話するのもすてきだろう。
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イギリス女性の作る人形で 世界的中で評判がよく 
何体もシリーズごとに コレクションしている人も多いらしい。
また、子どもの誕生や結婚、記念日などのプレゼントに選ぶ人も。

なんとなく自分を 見守ってくれそうな雰囲気がある。
かなしい気持ちを やさしい気持ちに変えてくれそうで、
ちょっとうれしい。
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生きていると かなしさからは逃れられない。
by yuko8739 | 2019-01-08 00:23 | | Trackback | Comments(0)

2019年新しい年のはじめに

あけまして おめでとうございます

静かな雪に包まれて 穏やかに年が明けてゆきました
日脚もわずかながら伸びて 伸びて・・・ 
春に向かって 季節は歩みを続けています。


こうして、内心の独りごとを書き記し、写真も貼り付けて 
書くこと読むことの好きな、自分自身の記録と共に 
この10年間を 歩いてまいりました。

2000年ごろから PC初心者はmy新聞の発行を夢みて独学。
07年には my新聞を毎月発行し、現在は145号を数えます。
09年には、わけがわからないままブログを開設。

今流行の少ない言葉でリアルタイムを発信し合う
SMSとはほど遠く。
言葉を尽くして 尽くして 本質に近づきたいと願って 
ここまで歩いてまいりました。

じっくりゆっくりと極私的な日々の喜怒哀楽を表現することで 
自らの魂の叫びに気づき 細かな感情の記憶も可能となりました。
自分の今を書き記すことは いつしか自分の生きる実感となりました。


美しいことばかり いうつもりはありません。
しかしこういう場があって 自分のこころを 
声を 言葉にできる歓びは かけがえがない。

書くことと 読むこと 映画をみること
人と共感し ともに歩くこと
食の歓びと幸せを 分かち合うこと

美しい自然や音楽、絵画、子どもの笑顔
世界を正しく認識すること
それらに彩られて 私の人生がある・・・

私のブログで発信しているのは そういうこと。
それが 私の「大事」です。

2019年も そんなふうに歩きたい。
自由に ゆうゆうと 自分を信じて
 
信じるに足る 自分をつくるために 
拙文を長々と綴りながら 今年も歩きます。

このブログに訪れてくださる すべての皆さまが、
新しい年に、新しいよろこびに 出会えますように・・・
by yuko8739 | 2019-01-02 12:19 | | Trackback | Comments(0)

2018年11月朝日新聞「折々の言葉」から

朝日新聞から 私は日々さまざまな恩恵を得ている。
ときどき「魂に響く言葉」が届くことが 最高の歓び。
言葉を指針にして生きている自分にとっては なによりも
そのことが生きるエネルギーになる、自然の恩恵と同じくらいに。

朝日新聞 1面 編者 鷲田 清一
「折々のことば」より

11月24日
なぜ、という問いに答えを与えようとして人は物語をつくる。
幸せのなかに物語はない。            柴田 元幸

11月25日
人はほとんど自分に関するかぎり、その真の動機を知っていない。
                        色川 大吉


まさに至言である。
人間とは一生「私は誰?」「どこから来て どこへ行くの?」
そう問わずにはいられない、そういう生き物なのだろう。

「なぜという問いに 答えを与えようとして物語をつくる
幸せのなかに物語はない」

この言葉が 魂を打つ・・・
この秋の息子の入院と病気、驚愕の病名、一生続く治療。
長い入院、体の変化、そのときの自分が 心に浮かんだ。

「人生に起きることはすべて意味がある。すべて必要なこと」
そんな言葉は あの時は虚しかった。
こんな不幸が私にばかり?なぜ必要なの?
神さま、なぜ・・・混迷のなか なにもわからなかった。

ただひとつ、そのなかで思ったのは。
「自分の好きな自分でいよう」そう決めた。
この世で唯一無二のこの自分を 嫌いになりたくなかった。
その言葉で どうにか自分を立て直してきた。
運命への不安と怒りのなかでさえも。

時間が過ぎて 44日間の入院のあと退院。
実家に戻った息子は 母の手料理を歓び。
なにを食べても しみじみと旨いと言う。

長い間、家族に支えられた。
父母や弟は 深い愛情で彼を包みこんだ。
これからの過酷な治療を思うにつけ、祈りに近い行為だった。
早く仕事に復帰しなければと私は感じたが なかなか独り暮らしに
戻らなかった。


そんな息子が30日間の実家暮らしから 2日前に出ていった。
たくさんあった荷物を片付けて 出ていった。
朝、昼、晩と息子の食べるものを用意した。
病気のために とり過ぎるとよくない成分もあり、
ネットで調べて 味も薄めに、量も少なめに。
それでも 食べておいしく!そんな30日間だった。

息子が家を出て なんだかおかしなことを感じた。
彼の病気とは もしかしたら(それだけではないが)
家族との絆を ゆっくりと時間をかけて結び直すという
深い意味があったのではないか・・・

私はもしかしたら 彼を育て直していたのかもしれない。
そのことの深い意味は 私にしかわからないことだが。
親子の確執を超えて そういうことが
行われていたのかもしれない。

息子がこのような重篤な病気になったことで、
なぜという問いに 答えを与えようとして
こうして 物語が語られていく・・・

問うのは自分、答えるのも自分自身でしかない。
誰も答えてはくれない。
自分の問いに答えられるのは 自分だけ。


そして・・・
「人はほとんど自分に関するかぎり、その真の動機を知っていない」
そうだとしたら、村上春樹の小説のように 心理の深い奥底には
自分では意識できない感情が 存在するのかもしれない。  
                      
つまり「リトル・ピープル」の仕業?かもしれない。 
神であり、悪魔であるリトル・ピープルは  
究極には自分自身の形、かもしれない。

こんなふうに私は自分で物語り 自分の問いに答えながら 
生きていく、幸不幸とは関係なく。

30代の頃は 人生になぜ?という問いばかりだったが。
年を重ねるうちに、自分で答えられるようになった。

だから私は 大人とは(前にも同じことを書いたが)
「自分の問いに 自分で答えられる人」だと思う。

もうひとつ、
大人とは 自分のなかに生き生きとした
「子ども」を持っている人。
これも なかなかいい。
by yuko8739 | 2018-11-26 10:37 | | Trackback | Comments(0)

秋のなかを進む

朝夕は 寒くなってきた。
早足ウオーキングするときの 夜の冷気には驚く。
エンマコオロギやバッタの声が 草むらでうるさいほどだったが、
いつの間にかその鳴き声が少なくなり もう消えそう・・・
ときに夜半は 小さなストーブをつけたり 消したり。

それでも日中は まっ青な秋空の毎日。
夏っぽい日差しの強さもあって 汗をかく。
わが家の庭には 今秋明菊と吾亦紅がいっぱいだ。

春と間違ったのか 春咲くはずの金糸梅が咲き出した。
四季咲きの薔薇も 再び初夏のように咲き始めた。
雑草の茂る庭でも 好きな花たちは季節を忘れずに咲いてくれる。
ありがたい・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

8月から9月
<読んだ本>
万引き家族                 ~是枝 裕和 著
100分de名著 河合隼雄スペシャル ~河合 俊雄 著
動物農場                  ~G・オーウェル著
戦争中の暮らしの記録(保存版)    ~暮しの手帖社
子どもの脳を傷つける親たち      ~友田 明美 著

<みた映画(DVD&WOWOW)>
ブランカとギター弾き     ~長谷井宏紀     監督
マリアンヌ           ~ロバート・ゼメキス  監督
灼熱の魂            ~ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督  
静かなる叫び         ~ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督


深い印象を受けたのは、「戦争中の暮らしの記録」
庶民の過酷で悲しい記憶が 綿々と綴られていて 毎晩胸を打たれた。
国民のリアルな戦争体験は「戦争遺産」として語り継ぐべきもの。

「万引き家族」は、映画ではわからなかったシーンの意味が理解できて
より深く映画の世界に入れた気がした。
「動物農場」は、農園の動物たちの人間への反乱と 
その後の体制を通して、権力を持つということの欺瞞や危険を 
寓話のなかで鋭く描いた。全体主義萌芽の本質か?

映画では、「ブレードランナー2018」があまりにもすばらしかったので、
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督(カナダ)の作品を2本。
「静かなる叫び」09年の映画。モノクロ映画で カナダの銃乱射事件を描いた。
ドキュメンタリータッチで描くスリリンで魂を打つ衝撃の映画に 
ショックを受けるほど感動!カナダ映画賞で9部門受賞とか。 

「灼熱の魂」は同じくドゥニ監督の2010年の映画。
この物語の持つ脚本の力に脱帽。戦乱の地の地獄と運命を超えて
今を生きる私たちに 深い愛のなかで 運命を超える力を与える。
必見の名作だと思う・・・ラストでは驚愕し 言葉が出ないほど感動。

日本人監督がイタリア資本で フィリピンの映画を撮った。
「ブランカとギター弾き」スラムの女のこと盲目のギター弾きの
おじいさんの物語。実際にスラムで暮した監督の思いがあふれるような、
心の温まる 美しくすてきな映画だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

悲劇は終わらずに 存在するが。
そのことと 自分が自分の選んだ生き方で
自分らしく生きることとは別のこと。
そう思いたい。

自分自身も昨日再検査の結果、ガンの疑いも晴れたので
とても うれしかった。
家族のなかに ふたりも重い病気だとしたら・・・と
これまでの2週間は 不安だった。

だからもう 自分の生活を再開する。
起きたことは 運命として 受け入れて生きるしかない。

俳句

吾亦紅こんな私でホントにいいの

鳥兜家庭に潜む殺意あり

秋刀魚焼く諍い深く胸に秘め

停電す漆黒の町に銀河湧く

案山子立つ金色の稲穂自慢げに
by yuko8739 | 2018-09-22 10:46 | | Trackback | Comments(0)

穴から出て~敬老の日弁当~

私は 穴から出ることにした。
穴から出ると 世界は変わらず美しかった。
危機が去ったということもある。
峠は 越えたかもしれない。

自分のなかで 相反する全く別の感情に引き裂かれそうだったが。
ありのまま、あるがままの私でいいのだと 
昨夜から やっと思えるようになってきた。
矛盾したさまざまな感情のあいだで 私は生きていく。

これでいい、自然のままで。
私のままで。
違う人間には なれない。
理想の形でなくても いい。


好きなことをする、かなしくても。
私の魂が喜ぶことは おいしいものを作って
だれかに食べてもらうこと。 
だから、料理からはじめた。

ずっと前からメニューも決めていた「敬老の日」のお弁当。
買物に行き、2日かけて仕込んだ。
さんまがおいしいから さんま蒲焼ご飯、小骨抜きは意外と大変・・・

ポテトサラダとボイルホタテの酢味噌和え、エビマヨ、
きゅうりとワカメの酢の物、太なます。

ふたりの母たちが うれしそうにこのお弁当を
食べている顔を思い浮べる。
なんだか幸せな気分になった。
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確かにどんなことが起きても 衝撃の瞬間が去ると笑えるようになる。
人は弱いけれど 人は強い。
私の苦しさ辛さに 寄り添ってもらえたので
穴から 出られたのかもしれない。 

改めて人には人が要る、と思う。
感情に寄り添い、共に泣いてくれる人が私には必要だった。
運命の過酷に 怒ってくれる人が必要だった。
そうしてもらって我慢していた自分も 泣けるようになった。


また、料理を作ろうと思う。
難しいことは まだなにもしたくない。
ボランティアも休んだ。
辛さは かなしみは消えたわけではない。

今は秋の風と共に 淡々と生きている。

俳句
空虚な日花買う我に鰯雲

先日米農家でコメを買い、おいしくて新鮮なビニールハウスの
トマトやナス、とうもろこしをもらった。
田んぼには 無数のバッタやかわいい青ガエル、アゲハの幼虫も!
世界は美しく 命に満ちている!!!
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by yuko8739 | 2018-09-17 12:58 | | Trackback | Comments(0)