ゆうゆうタイム

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2018年 10月 15日 ( 1 )

映画製作応援団最後の炊き出し

思えばもう4年半が 過ぎていったのか。
この町の映画を撮りたいという 坪川監督の言葉を聞いてから。
「こんなにすばらしい町はないです」
そう言って監督は 脚本を見せてくれた。
私の鼓動は高鳴った!

ノスタルジックな港町の風情、工業都市の年輪、
そして町から15分で行ける イルカの泳ぐ太平洋と白い灯台、
ハヤブサの舞う断崖絶壁、ハマナスの咲く鳴り砂の浜、
真珠の首飾りのような大橋夜景と 絶景の工場夜景。

視点を外から見ると 私の町はなかなかドラマティックで美しかった・・・
以前は 何もない町と感じたこともあったが、
今は何でもある町、と本気で思うようになった。


そういえば名作TVドラマ「mother」のはじまりも 
この町が幕開けだった。
「港湾と自然の調和がすばらしい」とディレクターの言葉。

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映画から人生を学び、多くの感動を得て生きている私にとって、
自分のふるさとが映画になるのは なによりも大きな驚きだったし、
すばらしいことだった。

映画の神さま、今までの感謝を込めて私は好きな「炊き出し」で
できる限り映画制作に協力します・・・そんなふうに私は誓った。
初めての撮影手伝いは 牧場の一本桜の撮影。

その周辺の道路に立って 交通誘導をした。
撮影初日ということで赤飯を蒸かし、お菓子を焼いて持参。
甘納豆入りの北海道の赤飯は甘いので 東京から来たスタッフには
珍しがられたが。

食べて「おいしいね!」と好評だったのが うれしかった。
強い風の吹く寒い日で 初日に集まったボランティアの方々の
名前もわからず 緊張していた。

ケータリングという言葉の内容を こういうことか、と実感した。
2日目から 予算節約のため炊き出しボランティアがはじまった。
それ以後は 毎回40人分の食事や汁物などを数人で用意した。

思えば さまざまなものを作って来た。
撮影資金が集まると 1年に数回の撮影が行われた。
長ければ1週間、短くても3~4日。

すべては家族の協力があって できたこと。
炊き出しの際の我が家のご飯は ほとんどコンビニ弁当。
本当に ごめんなさい・・・

それでもさまざまな工夫と同志の協力で 大勢の食事作りも
楽しかったし、達成感があった。
ただ、昨年までは仕事をしていたので、多忙と疲労とストレスで
右耳が難聴になり、残念ながら通院しても完治はしていない。

それでも自分がしたことは後悔していないし、意味があったと感じている。
映画芸術に対しての奉仕活動は実に興味深かった。
東京から来る有名俳優さんやスタッフ。
撮影、照明、衣裳、ヘアメイクさんなど 専門家集団がいてこそ
撮影ができるのが映画だった。

そして膨大な数の専門家でない集団が 映画製作には必要だった。
海岸の清掃、交通誘導、撮影のために家を借りたり、道路のゴミを掃除したり。
役者さんを千歳まで送迎したり。時には 道路に雪を撒いたり、
トラックを借りて資材を運んだり。
馬を借りたり、傘や帽子を借りたり・・・果てしない仕事。

脚本家と監督とプロデューサーと役者がいればいい、というわけではない。
撮影の現場にも数回立ち会わせてもらった、ケータリング要員として。
たった数秒のカットでも 何度も、何度も撮りなおす。
芸術は、まさに辛抱そのもの、そして理想の映像を追求する、
想像を絶する作業だった。


炊き出しは、経費節約と温かい手作りの食べ物を提供したいとはじまった。
定番のカレーライス、わが町名物の焼きとり(正しくは豚串)
ふきのとうのかき揚げ、フキや山菜、クレソン。
しょうが焼きやごぼう飯、豚丼、ナムル、サバ缶入りの味噌汁など。

少しでも安くおいしくと 野山を奔走して工夫したメニューの数々を
おいしいとにこにこ食べてもらえて 最高だった。

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そんな私の炊き出しが あと2日で終わる。
いつかこの日が来ることは わかっていたが・・・

市内各所の町会会館台所などをお借りして 数人の炊き出しメンバーで
長い間 がんばってきた。
最後の撮影が終わる。

こんなに情熱を注いだことは 人生にそうあることではない。
映画製作の現場に たまたま遭遇できたことが 幸せだった。

さて、数日前の献立会議に続いて買い物も。
今日のメニューを 頭のなかで反復する。
さんまの生姜煮60尾や大鍋のキノコけんちん汁の
手順を繰り返す。

私のひとつの時代が 今終わりに近づいている・・・
by yuko8739 | 2018-10-15 08:32 | 映画 | Trackback | Comments(0)