ゆうゆうタイム

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2018年 10月 04日 ( 2 )

ウッドデッキのペンキ塗り

春にウッドデッキの全面的な補修工事をしたが、
ペンキ塗りは 天候のよい日が続いたときに自分でしようと思っていた・・・

しかし長雨ばかりが続き、大工さんが好意?で塗ってしまった、
防腐剤が落ちつくまで 時間もかかった。
夏もけっこう雨が多く。

さて、秋になったらペンキ塗り!と思っていたら大地震!!!
やっと落ち着いたと思ったら、家族の病気・・・
なにかと人生は ままならない。


刷毛もホームセンターで買ってあったし、この2日間は 
天気が良いと知り、え~い、やっちゃおう~!
渋って仏頂面の家人を誘い どうにかペンキ塗りスタート。

ペンキ塗りも 何年ぶりだったろう・・・
デッキの床板が傷んでしまい 足で踏み抜いてしまうのでは?
そんな恐怖もあったので、ペンキも塗らずに数年間放置。

今年春の工事では 床板のほとんどを全てはがして 
土台から新しく作り直したので もう安心!
秋の快晴の青空のもとで ペンキ塗りも楽しかった。
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シニアペンキ職人2人は 悲しいかな・・・
息は合わず?足腰の痛みを嘆き!照りつける暑さに汗をかき・・・
それでも少しづつ ペンキ塗りは進んだ。
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午後から 少し塗ったら もうペンキがなくなってしまった。
2度塗りするつもりだったが、またペンキを 注文しなくちゃ!

ペンキを塗り終えて 家に入りひと休み。
昨日もらった大きな栗を 煮てみた。
食べ応えのある大きな栗を スプーンでほじくって食べた、
う~ん、秋の味わい!素朴な栗の味、ほこほこ。
ついでに 果樹園のりんごも丸かじり。
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今年初めて 去年仕込んだ味噌で味噌汁を作った。
黄金色の味噌は すばらしく深い香り・・・
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まるっきり手前味噌自慢だが、
自分で仕込む味噌作りは おいしくて絶対にやめられない!

市販のものとは 味噌の甘さも香りも全く違う。
しばらくは この黄金自家製味噌の香りに酔う日々?
麹が甘くて、味噌おにぎりも最高・・・

わが雑草の庭では 枯れかけた紫陽花が秋になってシックに変身。
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秋明菊は わが世の春・・・
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by yuko8739 | 2018-10-04 20:10 | | Trackback | Comments(0)

今「不死身の特攻兵」を読む意味2

朝日新聞 8月23日に掲載されていた、
作家で演出家の鴻上尚史さんのインタビューから。
以下引用 著書「不死身の特攻兵」についての論考。
続き

――日本社会の息苦しさについては以前から指摘していました。
「僕は四国の愛媛県の出身で、両親は小学校の教師でした。
教師は理想を語るので、おかしいと思えばおかしいと言う。
その影響か、子どものころから朝の6時に役場や公民館が
サイレンや歌を流すのはおかしいと思っていました。
これは、朝6時に起きる人たちを前提にした社会でしょう。
しかし朝寝ていたい人もいるだろうし、家によって生活習慣も違う。
こういう慣習を、何十年も残してきたのが『世間』です」

――戦後、高度経済成長期やバブル時代を経ても、「世間」は
なかなか変わらなかったと。
「高度経済成長は、日本のナショナル・アイデンティティー(国民意識)
になった。豊かになることに向かいこの国は進んできたけど、
バブル経済の崩壊後、失われた20年が来ました。
我々は今、ポジティブに言えばどこに向かうべきかを探している時代で、
ネガティブに言えば喪失した時代です」

「一部の人は、世間の人々がみな仲良く助け合っていた、
古き良き伝統ある日本に回帰することを目指しています。
僕はそれを『世間原理主義者』と呼んでいます。

しかし、世間と呼ばれる共通の価値観で生きていく前提は
既に崩れているのに、それを取り戻そうとすると、
同じ価値観に染まらない人たちへの排斥が始まります。

それがLGBTの人は『生産性がない』という驚くべき発言に
つながるわけです。世の中が多様になる流れは必然で、
排斥しても何も始まらないはずです」

「そういう面では実にスリリングな時代、おもしろい時代だと思いますね。
『生産性』というような視点でしか語れない政治家がいる一方で、
すぐに抗議デモが起こる。
しかしこれは、両者の分断が進む危険性もはらんでいます。
おそらくネットが普及した影響が大きいと思います。

新聞がメディアの一番手だった時代は、自分が読みたくないものも
目に入りましたが、今は自分の読みたい文章だけ読んで
一生を終えられるようになりました。
情報がたこつぼ化しているのです」

「他人に合わせて行動するということは、自尊意識が低いことと
セットなのですが、それをどれくらい問題だと考えているかで、
人はずいぶん違うんだろうと思うんです」


「本が話題になって、右側からも左側からもいろんな意見がきましたが、
結局、同調圧力を求める人たちは、右にも左にもいます。
この状況をなんとかしない限り、この国が本当に、
健全に一人ひとりが思考することは難しい」


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私は今、この「不死身の特攻兵」という本を読み、
もうすぐ 読み終えようとしている。
感想は 読後に書くことにする。

先日も 新聞の読書欄で ある言葉に出会って はっとした。

「戦後70年をもうワンサイクル続ければ日本は立派な国家になる。
ただしそのためにはデモス(人民)がアクティブデモス、公共観念を
持った人民にならなければならない。」
 (三谷太一郎著「近代と現代の間」より)

「すべての人の中心部分には苦しみがある。
必ず終わりが来ること、その終わりに至るまでに
多くの喪失を経験しなければならないこと」
(G・ソーンダース著「リンカーンとさまよえる霊魂たち」より)

この言葉は 真実だと思う。
ただ、私たちには 終わりのある長い苦しみのなかにも
なにか意味のある、花のようなものを だれかに
遺せるのかもしれない。

それらのことが 誰か知らない人の苦しみ、かなしみを
慰撫することも あるのかもしれない。
言葉でつながること、感情を共有すること。

すべての「中心部分には苦しみがある人間」にとっては
文学や美術、音楽、映画など すべての芸術は、 
究極の慰めだと 私は感じている。
by yuko8739 | 2018-10-04 00:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)