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ゆうゆうタイム

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2018年 10月 02日 ( 1 )

今「不死身の特攻兵」を読む意味1

8月23日に、朝日新聞に掲載されていたインタビューを読んで、
作家で演出家の鴻上尚史さんの本の内容に 私は驚愕した。

それは、特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんについて書いた本、「不死身の特攻兵」
についてのインタビューだった。

私はそういう事実があったことを 全く知らなかった。
生きて帰った特攻兵がいるなんて、それも9回も!!!

私の亡き父は15歳で特攻隊に志願し 予科練で訓練を受けたが
空を飛ぶことのないまま終戦を迎え その後に結婚して私が生まれた。

興味深く私は新聞のインタビューを読み、鴻上さんの思いに強く共感した。
そして今、この本「不死身の特攻兵」を 毎晩読みふけっている。
以下、記事を引用する。
今の日本人にとって とても重要な示唆をしてくれると思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

太平洋戦争末期、飛行機ごと敵艦に体当たりする特攻作戦により
約4千人の若者が命を落とした。
軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦に
突き進んだ空気感は、戦後73年たって変わったのか。

――著書では特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、
佐々木友次さんに話を聞き、彼の生き方を描きました。
まずその事実に驚きました。
ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、
参謀や司令官たちはまったく評価しない。

『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と
佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。
死ぬことが目的になっているのです。
これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのかを知りたかった」

――結局、なぜ帰ってこられたのでしょう。
「色々な要素があるのですが、最大の理由は、
佐々木さんが空を飛ぶことが大好きだったからだと思います。
彼が乗った九九式双発軽爆撃機はあまり評判のよくない
飛行機でしたが『乗りこなすと鳥の羽みたいになるんだ』と言っていた。

自分の手で大好きな飛行機を壊すことに
耐えられなかったんじゃないでしょうか」
なおかつ上官にいくら文句を言われても、パイロットだから
飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思います。

『飛ぶことが好き』なんて考えは、当時の軍隊のような
超ブラックな組織ではまず言えないことです。

日本型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数意見と
合わせるよう求める同調圧力が強い。
これに対抗する最も強力な武器は、『本当に好きだ』という気持ちを
持ち続けることだと思います


 ――若者たちは自ら特攻兵になったのですか。
「上官が隊員を並ばせて、『志願する者は一歩前に出ろ』と言い
全員が出るまで待ち続けた例や、『行くのか行かないのかはっきりしろ』と
突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあったといいます。
好きでなったとは言えないでしょう。

中には、予科練や少年飛行兵など14~15歳から軍隊教育を
受けて外部の価値観を知らないまま成長し、
志願した人もいたと思いますが、それは1割か2割です。
残りは志願という名の強制、命令だったのは明らかです」

命令した側は自分たちの責任を明確にしたくないので、
『我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために
散った若者を馬鹿にしないで欲しい』という、実に卑劣で巧妙な
言い逃れをしています。
特攻を命令した側と命令された側を、ひとまとめに
『特攻』と呼んではいけません


――特攻を賛美する論調が近年、目立ちます。
「特攻兵が『ほほ笑んで自らを犠牲にして散っていった』のような
わかりやすい物語はどの時代でも受け入れられやすい。
ただ、その裏というか、本当は何があったのかを伝えていくのも、
大切な仕事だと思っています


――特攻を生み出した日本社会のあり方は変わりましたか。
「日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造が、
特攻の構造とあまりに似ていて、怒りを通り越してあきれました。
指導者側は選手が自発的にやったと言い、選手側は指示だったと言う。
ただ選手は従わざるを得なかったわけで、僕らは同調圧力の強さの中で、
つい忖度(そんたく)してしまう国民性なのです


――国民性ですか。
日本の文化の奥底には村落共同体を守ろうとする意識があって、
これを壊そうとするのは天災ぐらい。天災にはあらがっても
しょうがないと、与えられたものを受け入れ、現状を維持することが
一番重要なんだという文化が根づいているのだと思います


――共同体は悪でしょうか。
「もちろん良い面もあって、東日本大震災で壊滅状態だった道路の
大半が1週間で通れるようになったのは共同体が機能した例です。
復旧工事にかかわった人の中には、まだ肉親が見つかっていない人も、
家が壊れたままの人もいました。
それでも復興のためなら、何をおいてもやる。
絆をもとに動くことが、すべて悪いこととは言えません」

続く
by yuko8739 | 2018-10-02 22:07 | 社会 | Trackback | Comments(0)