人気ブログランキング |

ゆうゆうタイム

yukotime.exblog.jp
ブログトップ

辺見庸ブログから考えたこと

ときどき辺見氏の思い、つまり個人と国家ということを、
考えるときには「辺見庸ブログ」を読んで 考えている。
(ずいぶん前だが 私の町で彼の講演を聞いて強く心を打たれた)

過日、オウム真理教元代表麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚はじめ、
7名の元幹部の死刑が執行されたことに、辺見氏は繰り返し言及していた。

そのブログの一部に今読んでいる「オーウェル評論集」からの引用があった。
「絞首刑」と題されたその文章は、つい先日私も読んだばかりで、
深く心に残った文章だった・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

辺見庸氏のブログから引用する。

基本的参考文献として、ジョージ・オーウェルのエッセイ「絞首刑」
(『オーウェル評論集』小野寺健=編訳 岩波文庫)に目をとおし
てもらえるだろうか。とくにつぎのパラグラフ。

「妙なことだが、その瞬間まで、わたしには意識のある一人の
健康な人間を殺すというのがどういうことなのか、わかっていな
かったのだ。だが、その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたし
はまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言い
つくせない誤りに気がついたのだった」

「これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じよう
に生きているのだ。彼の体の器官はみんな動いているーーーー腸は
食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は伸び、組織も形成を
つづけているーーーーそれがすべて完全に無駄になるのだ」

「爪は彼が絞首台の上に立ってもまだ伸びつづけているだろう、
いや宙を落ちて行くさいごの十分の一秒のあいだも、かれの目は
黄色い小石と灰色の塀を見、彼の脳はまだ記憶し、予知し、判断を
つづけていたーーーー水たまりさえ判断したのだった」

「彼とわれわれはいっしょに歩きながら、同じ世界を見、聞き、
感じ、理解している。それがあと二分で、とつぜんフッと、
一人が消えてしまうのだーーーー一つの精神が、一つの世界が」

これが原点である。そこからしずかにかんがえるしかない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は死刑廃止論者なので、国家による「殺人」は認めない。
豪雨被害でその災害が刻々と迫り明らかになる渦中で 
なにから目をくらますためか?絶妙なタイミング?で
マスコミによる「ショー」のような 死刑報道はいったいなんだったのか?

日本のマスコミが このオウム関係者ら7人の死刑を次々と
報じ続けたことも含めて、アムネスティや各国報道機関などから
人権無視の野蛮国家として 大きな批判を受けた。

また翌日の彼らの死刑執行を認識していたはずの安部氏や上川陽子法相ら
自民党国会議員30人近くが、その前夜6日に 衆院赤坂議員宿舎内
会議室の「赤坂自民亭」と呼ばれる宴席で 飲食に興じていた。

7人もの死刑の時刻が迫り、豪雨が刻々と大規模化するなか、
河川の氾濫の恐怖がつのるなかで、自民党30人が笑顔でピースサイン。
この感覚って、なんだろうか・・・
ネットでも「おぞましい」「危機管理ってなに?」という声多数。


私はオウム関係者7人の死刑を知ったときは 驚いた。
どんな人間の死刑にも私は反対だが、オウム関係者には、
特に生きて 生涯をかけて 自分が何をしたのか。
なぜそうしたのか。
そのことを 生涯問い続けてほしかった・・・
なにもかも不明のままで教祖を死刑にしては 真相も深層も知ることができない。

何よりも一挙に7人もの人間を死刑にした最大の理由は、
なんと、現政権の都合によるものだとわかった時には
大きな衝撃と怒りを感じた。

~皇室の慶事とバッティングしないように、選びぬかれた日。
婚約、退位、新元号、五輪前祝いムードに水をささないように~
と辺見氏は書いている。

政府の都合で 今このときに絞首刑になった人々を思うとき、
言葉に表しがたい嫌悪感とかなしみを感じる。

死刑にならなければ いつかより深く語る言葉を見つけたかもしれない。

やはり死刑は 国家による殺人だと私は思う。
by yuko8739 | 2018-07-20 10:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://yukotime.exblog.jp/tb/29642455
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。