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虐待の果てに

このことを書くのは、長い間ためらわれた。
あまりに辛すぎて 今こう書くだけで涙がこみあげてくる。

利発な5歳の結愛ちゃんは、こう書き残した。
「もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから
きょうよりもっともっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいします」


2016年8月~9月 
普段から 父親に怒鳴られ泣き叫ぶ声。
12月、クリスマスの夜、父親の暴力で怪我をして外でうずくまっていた。
    児童相談所=児相が一時保護

2117年
2月 警察が傷害容疑で父親を書類送検
4月 施設入所を両親が断る
    児相が2度目の一時保護
5月 警察が父親を書類送検
7月 児相が2度目の一時保護を解除
8月末 病院がけがを確認し、児相に通報
9月  病院がけがを確認し、児相に通報

2018年
1月 香川の児相が指導措置を解除、品川の児相に情報引き継ぐ
東京目黒区での生活が始まる
2月 児相家庭訪問、結愛ちゃんに会えず
   小学校の入学説明会、母親のみ参加
   父親が結愛ちゃんの顔面を殴る
3月 搬送先の病院で死亡
(以上、朝日新聞より引用)

これだけのことが起きながら、児相も警察も繰り返しかかわっていながら、
5歳の結愛ちゃんのその命を 救えなかった。
くやしいことに、父親が何度も警察に検挙されても、
虐待から 幼い命を救い出すことができなかった。 

面会できない場合は警察がその権利を強制的に行使し、
安全確認をすべきではないか?

日本には「家庭のことに口出ししない」「体罰はしつけのうち」という
悪しき社会通念が存在し、それが子どもの命を救うのに
大きな障壁となっているという。

だが、しつけより家庭内のことより、なによりも優先すべきは命だろう!
小さい人の命を救えずに なんのために「大人」や「社会」があるのか。
怒りがこみあげる。

この報道をみた独身の息子が
「殺すくらいなら 俺に(子どもを)くれ!」と怒りの言葉。
また涙がこみあげた。

父母の間に生まれた子ども(結愛ちゃんの弟)を連れて 
親子3人で外食するときも 電気をつけない暗い部屋に結愛ちゃんを
置き去りにしていたという。
そんなことをするのなら なぜ父母は結愛ちゃんを手放さなかったのだろう。

早朝4時に自分で起きて ひらがなの練習をしていたという結愛ちゃん、
その姿を思う。
残された言葉を読むたびに、また泣いてしまう・・・

私たちには もっとできることがあったはず。
悔しくて たまらない。
また、この日本で大人の暴力によって 幼い命が失われた。

親自身にも ケアが必要だったのかもしれないが。
虐待もほとんどが 世代連鎖すると言われている。
閉じた空間では 親子はただ向き合うしかない。

子育てに必要なのは、「社会性」
親子が向かい合うのではなく 他者が介在しなければ子育てはできない!
親子ともどものケアが これほど必要な時代はない。

結愛ちゃんのご冥福を こころから祈ります。
合掌
by yuko8739 | 2018-06-22 10:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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