風邪も嗅覚以外は、ほとんど改善した。
先週に、あることが起きて、私はやりきれない思いを抱えた。
仕事を辞めることに関する できごとだった。
数日間は、そのことを考えはじめると、眠れないほど悲しく、
怒りもこみ上げた。
これが長く自分を捧げてきた仕事の結果なのだろうか・・・
しかし、17日に冬の講演会で講演を聴き、人間は下らない感情に
支配されていてはダメだ、と強く感じた。
今、どうやっても、他人の思惑で起きてしまったできことは、
変えることはできない。
自分のためには、マイナスの感情にとらわれないでいよう。
振り返らないほうがいい。
もっと意味のあることに 自分を向けよう。
講演の最中にも、そんな思いがこみ上げていた。
そして、帰宅して妹に自分の体調不良や転倒して痛む膝、
仕事関連のあるできごと、その悲しさや悔しさ、やりきれなさを話した。
妹の瞳のなかには、私と同じ怒りや悲しみを見た気がした。
私の思いに 深く共感してもらえた気がした。
そんなふうに聴いてもらって、私の魂は救われた。
思いを受け取ってもらえたと感じると、こころはこんなに軽くなる。
やはり「話す」は「放す」なのだった。
しこっていたこころが 柔らかくなっていくのをリアルに感じた。
そして すでにネガティブな感情から 脱しつつある自分を発見した。
~もう、私はここにとどまらない~
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私の長い仕事には 善いことが数えきれないくらいあった。
仕事に支えられて 深い誇りと歓び、感動があり、
脳内快感物質は きっと泉のように湧いていた。
私は 仕事から 今まで多くを与えられている。
だから・・・もう他には なにも望むまい。
もう このことは終わった。
もう 卒業したのだ。
今は、ようやくそんな気持ちで いられるようになった。
所詮は、他人をどうにかすることは できない。
平静な自分になって 年末の家事を切り抜けようと思う。
そのことから時間が経って、昨夜眠りにつくときに ふと感じた。
意思を持った生き方ができるのは 自分だけではないかと。
私だけが 明確な意思を持った 自分だけの生き方を実行できる。
それは 私だけができること・・・