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ゆうゆうタイム

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映画「沈黙」とスコセッシの言葉

スコセッシが 28年をかけた映画「沈黙」をみてきた。
17世紀江戸初期、壮絶なキリシタン弾圧のなかで、
棄教したとされる師の真実を確かめるために、
ポルトガルから日本に密入国した、若き宣教師ロドリゴ。

信仰を貫くか、棄教して信者たちの命を救うか。
隠れキリシタンの残酷な取り調べや処刑を その目で見つめながら、
究極の選択を迫られる、ロドリゴの運命を描く。

スコセッシが描きたかったのは、
「人間にとって 本当に大切なものはなにか」
自然と人間が織りなす 荘厳なドラマだ。
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何度か、涙がこみ上げた。
ロドリゴの苦悩に寄り添ううちに、自分のなかからも声が聴こえた。
「踏みなさい!命を救うために」
「踏み絵を踏んでも 神はあなたを見捨てない」

厳格な教義の元で、神と契約を交わすのがキリスト教とされる。
しかし、遠藤周作は日本のキリスト教は 宣教師の伝えたものとは
本質が違うということも 描きたかったのではないか。

日本人は 神と自然が同一なのだという言葉があったが、
それは 野や山のあちらこちらに神の気配を感じる日本人の
感受性を 端的に現わした言葉だと感じた。

ラストの原作にはないエピソードには、胸を打たれた。
スコセッシの ロドリゴに対する優しさでもあり、ねがいでもあっただろうか・・・
この一瞬のエピソードに込められた思いは 果てしなく重い。

神は沈黙したままだが 私たちと苦悩を共にしている。

それが弱者の神、同伴者だということを強く感じた。

自然の美しさにも 感動した。
荒々しい海や 朝霧に煙る山々。
ひっそりと静かな 茅葺の屋根・・・
監督が愛する映画「雨月物語」を思わせるシーンも。

役者たちが みな見事な演技!!!
とくに日本の役者すべてが すごかった。
窪塚洋介が出色、イッセー尾形、塚本晋也、浅野忠信がすばらしかった!

汝、弱き者キチジロー、神は汝を愛す・・・


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朝日新聞のインタビューで 来日したスコセッシ監督は語る。
「本当に長い旅路だった。
異なる文化への理解が最も必要とされる今の時期に
公開されるというのは感慨深い」

「どう映像にし、解釈していくべきか、
思案を続けて2006年にようやく脚本を書き上げた。
原作とともに生き、自分自身、成長することができた。
それがこの映画をより豊かなものにし、遠藤が言いたかったことを
より明瞭に理解させてくれたと思う」

スコセッシ監督の解釈が象徴的に映し出されているのが、
ロドリゴの最後のシーンだ。
「すべてはあのシーンに集結する。あのラストをどう描くか
決めるのに28年かかったといっても過言ではない」

「今回撮影するなかで様々なロケ地を巡り、
山の中にもいたが、これが一種の巡礼のような体験になった。
人間とは何なのか、良いものなのかあしき存在なのか、
そういったことを考える過程が信じるとは何かを探る過程でもあると思う」

「キチジローが『弱き者に生きる場はあるのか』と言う場面があるが、
弱きをはじかずに抱擁する、否定するのではなく受け入れる、
ということを描いたのでそれが伝わるといい。

今社会で一番危険にさらされるのは若い世代の皆さん。
勝者が歴史を勝ち取っていくということしか知らない。
それはとても危ないことだと思う」

背景には、分断を深め、排他的な空気が漂う米国や
世界の現状への危機感がある。

「精神のよりどころ、信条はひとそれぞれあると思うが、
それに対する互いの理解と尊重が必要だ。
異文化を理解するというのは相当な努力を要するもの。

それでも、自分とは違うものを認めることによって恐怖は緩和できるし、
暴力も減っていくのではないか。
ちゃんと知って認め合うことが大事なんだと思う」

スコセッシの深い言葉が 胸に沁みる。


by yuko8739 | 2017-01-27 09:53 | 映画 | Trackback | Comments(2)
Commented by desire_san at 2017-02-13 09:29
こんにちは、
私も映画『沈黙-サイエンス』を見てきましたので、詳しい鑑賞レポートを読ませていただき、映画『沈黙-サイエンス』の感動が甦ってきました。この映画ではポルトガル人宣教師の目を通し、信ずること、疑うこと、葛藤、懐疑心と、人間の弱さ、信ずることの意味、人間撮って大切なものは何か、生きることの意味は何かについてじっくりと描いて、色々考えさせられました。江戸時代のキリスタン弾圧の時代を、キリスタンのみならず弾圧する側の井上筑後守や通辞など侍たちも飲み込んでいく巨大な蟻地獄のように描いているように感じました。

私も『沈黙-サイエンス』を観て、この映画の魅力と現代人はこの映画から何を学べるのかを整理してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。



Commented by yuko8739 at 2017-02-19 00:13
 いつも映画をみては、個人的で感情的な映画評をブログに綴っています。今回はスコセッシ監督の映画「沈黙」に、あなた様からの長く丁寧で真摯なコメントをいただき、恐縮しながらもうれしく感じております。
 あなた様のブログの映画評も読ませていただきました。実に細かな部分をも深く考察されていて、時代背景や原作者への理解、俳優ひとりひとりの演技、異文化の衝突、富の偏在までも詳細に言及されていることに驚きました。
 それだけこの映画は宗教を越えて深い意味を持ち、大きな問いを私たちに投げかけているということで
しょうか・・・スコセッシの映画の、あの原作にないラストが、私には大きな救いのように感じました。