ゆうゆうタイム

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日本という国の形

今朝 2013年7月25日、朝日新聞の朝刊
13面 論壇時評のおふたりの言葉が 爽やかな風のようだった。
選挙の結果は 重く暗い雲のようで気持ちがずっと晴れなかったけれど。

最も自分の思いに近いと感じる作家、高橋源一郎氏と、
映画監督の森達也氏、ふたりの言葉が美しい鐘のように心に響いた。




論壇時評 歴史を学ぶとは

悲しみ感じるための旅へ

高橋源一郎は こう語る。
投票日の前日に、宮崎駿監督の新作「風立ちぬ」を観たという。
そして・・・
~以下引用~

戦争の被害者は、同時に加害者でもあった。
善きものと悪しきものを区別することはできないのである。
それはいまも変わらない。
そのことを知って、なお、前向きに生きていくこと。
そう映画は告げているようだった。

~中略~
なぜ、「歴史」を学ばねばならないのか。
ぼくたちが不完全な、「善きものと悪しきもの」が混じりあった人間だからだ。
そして、そのことを、ぼくたちがしょっちゅう忘れてしまうからだ。

~中略~
「原子力発電」は、夢の技術であると同時に、
悪夢を呼び覚ます技術でもあった。
そのことに気づいたとき、ぼくたちは、「零戦」も、
同じ存在であったことを思い出す。

だとするなら、「風立ちぬ」もまた、それを見る者に
「哲学的で、エモーショナルな問いかけ」を行う、
時を越えた「ダークツーリズム」ではないだろうか。

(※ダークツーリズムとは、戦争や災害といった人類の
負の足跡をたどりつつ、死者に悼みを捧げるとともに、
地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方である)

「忘れない」ということばだけでは、風化を押しとどめることはできないことを、映画の作り手も、座談の参加者も、チェルノブイリへ旅した者たちも、
よく知っていたのである。
 


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あすを探る

9条の国、誇り高き痩せ我慢

森達也

森達也は、アメリカでの銃の乱射や誤射事件に触れて、
銃社会をテーマにしたドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」から、マイケル・ムーアの言葉を紹介している。
~以下引用~
黒人や先住民族を加虐してきた建国の歴史があるからこそ、アメリカ市民は
銃を手放せないのだと主張した。
報復が怖いからだ。
つまり銃を手元に置く人は勇敢なのではない。臆病なのだ。
こうしてアメリカの正義が発動し、正当防衛の概念が拡大する。

~中略~

新憲法が公布される前の衆議院で共産党の野坂参三議員が、
「侵略の戦争は正しくないが自国を守るための戦争は正しいのでは?」との趣旨で質問した。

これに対して吉田茂首相は「正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということが、結局は戦争を誘発する」との趣旨で答弁した。
記録ではこのとき議事堂では、与野党を超えた議員の大きな拍手が響いたという。

~中略~
その後に冷戦の時代が幕を開けた。
ご近所はすべて銃を持っている。
でも暴力に対して暴力の抑止は成り立たない。

自衛の意識が戦争を起こすのだ。
だから我が家は銃を持たないと決めた。

改憲派は平和ボケなどと嘲笑するけれど、9条は抑止論にとらわれた世界への、とてもラディカルな提言となっている。

戦争地域ではよく、「日本は9条の国だ」と話しかけられる。
世界に対して日本は、身を持って稀有な実例を示し続けている。

この街から銃が消える日はまだ遠い。
でもこの精神だけは手放さない。

誰もが銃を持たない社会。
その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。
怖いけど、高望みを維持し続けてきた。

自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。
意味が分からない。
他の国と同じで何が誇らしいのだろう。

不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを
僕は何よりも誇りに思う。




このような言葉に出会うだけでも 
朝日新聞を読む意味があると 私はいつも実感する。
by yuko8739 | 2013-07-26 18:58 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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