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ゆうゆうタイム

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敗戦の日に

NHKスペシャル 8月15日放映
「終戦・なぜ早く決められなかったのか」

敗戦から67年を迎える太平洋戦争。
その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。
勝敗は決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。

当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。
今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、
英国の公文書館などから発見した。

それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。
また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、
戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。

1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは
活かされていなかったのである。(NHK ホームページより引用)

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つい先日 私は書いた。
~67年前の戦争の、おびただしい無残な遺体の映像を見るにつけて 思う。
これほどの犠牲者を出さずに あの戦争を終わらせる方法も機会も どれほどあったことだろう、と~


その問いに答えるように この番組が放映された。
太平洋戦争では 310万人の国民が犠牲となった。
そして、戦争の最後の3ヵ月で 60万人が犠牲となった。

昭和20年 4月  沖縄 19万人
      3月、4月 各都市での空襲  20万人
      8月6日 広島 14万人
      8月9日 長崎  7万人

この番組を、私はメモを取りながら 見た。
なぜ、もっと早く戦争を終わらせることができなかったのか・・・
それは 今に続く 国の指導者たちの問題だった。

ポツダム宣言よりも半年も前に 軍部はソ連参戦情報を得ていたにもかかわらず、
指導者たちすべてに そのことが 共有されることはなかった。
日本の運命を分けるような 最重要の情報だったのに。

当時の軍部は「本土決戦でアメリカに一撃を与え、有利な条件のもとで降伏する」という
主戦派の思惑から外れた情報を 無視していたのだ。

その情報を知らない首相や外務省幹部は 戦争終結のために ソ連に仲介を頼もうと
して 会議は重ねられた。

ゲストの加藤陽子さんは「なぜ、このような重要なことが共有されなかったのか・・・」
姜尚中さんは
「横、縦のそれぞれのタコツボ化のせいでしょう。
統治構造に問題があるのです。
誰も 責任を取らない。
どこに 責任があるのかもわからない。
情報は 共有されない。
会議の議事録さえない原発事故と 同じです」


戦争末期、会議は数多く開かれ、幹部たちの本音としては 戦争の継続は無理だと
感じてもいるのだが、建前として主戦派としての言説を 変えることができなかった。

会議で 何も決めることができない。
誰も主導権を 取れない。

今にも通じる日本という国の指導者の あまりにも無責任、そして本音と建前の
乖離が 戦争末期最後の3ヵ月で60万人もの犠牲者を生んだ 原因だった・・・

多分、戦争を始める時も 同じだったろう。
誰も反対しなかった、本音では無謀だと感じていても。
勢いで走った。始めた。誰も 止めなかった。

自分たちの聞きたいことしか 聞かない。
見たいことしか 見ない。 
信じたいことしか 信じない。

戦争には 必ず勝つし、原発事故は 起こらない。


67年前と同じ間違いを犯しているのだ、日本は。
ああ、なんと幼稚で 愚かな指導者たち!

この60万人の膨大なる死者の 永久に消えることのない無念と、
嘆き、恨みは 誰がどうやって 受けとめるのだろう・・・ 

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今朝 朝日新聞を読んで 終戦の日に ふさわしい言葉と感じた。
引用したい・・・8月15日 天声人語より

~略~
終戦から67年、日本は幸いにも殺し合いをしていない。
人口の78%が戦後に生まれ、悲惨を語れる人は2割いようか。
~略~
戦没学生の遺稿集「きけ、わだつみのこえ」(岩波書店)にも歌がある。
<激しかりし敵火の中に我と生きし邦子の写真眺めつ想う>
早大を出て、敗色漂う1944年(昭和19年)秋からフィリピンなどを
転戦した陸軍中尉である。

新妻への手紙には「何百枚でも邦子の写真が見たい」とある。
その人を二度と抱くこともなく、24歳の彼は鹿児島沖で戦死した。
~略~

「わだつみ」の出版に尽くした医師中村克郎さんは、1月に86歳で亡くなった。
語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみを
セピア色に染めてゆく。

しかし私たちが時の癒しに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。
by yuko8739 | 2012-08-15 23:21 | 社会 | Trackback | Comments(0)