人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆうゆうタイム

yukotime.exblog.jp
ブログトップ

死刑に反対するⅠ

山口県光市で 13年前に起きた『母子殺害事件』
妻子を奪われた 遺族の本村洋さんは 今まで長い間 遺族の権利を強く訴え
たびたびマスコミにも 登場してきた。

彼をはじめ多くの遺族の方々の切実な訴えによって 
04年には司法制度で犯罪被害者の権利を守るために
「犯罪被害者等基本法」が制定された。

08年からは被害者参加制度ができて、被害者や遺族が法廷で被告に質問や意見を
述べられるようになった。本村さんが遺族の権利を 長く強く訴えたことは 
大きな意味や功績があったと思う。



昨日、この事件の差し戻し後の上告審で 最高裁は上告を棄却する判決を下した。
二審となった 広島高裁判決の死刑が確定する。
しかし 私はこの判決を 受け入れることはできない。

犯行時18歳と1か月。
被告 大月孝行は 幼いころから父親の激しい暴力を 受けて育った。

父の暴力は 母親にもおよび それを見て 育った。
からだじゅうに青あざが絶えず、逆さにされて 浴槽にも浸けられた。

中一のときに 自宅で母親の首つり自殺を目撃する。
父は 若い外国人の妻と結婚して、幼い異母弟も生まれた。
家庭のなかで 孤立感を深めていく。

ペットへの暴力がはじまり、高校生になってから口数が減った。
高校を卒業後に就職するが、すぐに無断欠席をするようになり、事件を 起こした。

家裁の評価では 発達レベル4~5歳で 成長が阻害されているという。
彼のなかでは 多分 意識は混濁し 善も悪もなく 激しい憎しみと暴力への衝動だけが
渦を巻いていたのではないか。自分のなかの憎しみに 唯一道をつけたのが暴力だったのか。
暴力しか与えられていない彼は 暴力しか使えなかったのだろうか。


今、31歳になった大月被告は08年 死刑判決が出たあとで 朝日新聞記者に手紙を寄せた。
~以下 朝日新聞2012年2月21日 朝刊より 引用~

「つらくないわけではない。しかし、ぼくよりつらい御立場の方(遺族)がおられる以上、
ますますつつしみながらかんじゅし、学ばせていただきたいとする気持ちも、
またまぎれもない事実です」


上告後の09年2月には、接見した朝日新聞記者には こう語っている。
「支えてくれた人からいただいたものを胸に、なぜ悪くなったのかを見つめて改善する、
大きな人間になりたい。
判決が自分に有利でも不利でも。死刑でも、そうでなくても」

彼は2年前から、母子の月命日に、支援者に頼んで犯行現場に花を捧げてもらっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

生きていれば、生きてさえいれば 殺人事件を起こした犯罪者も いつか
自分のしたことの意味がわかるときが くるかもしれない。
そのときに 初めて悔悛という感情が 怒涛のように押し寄せるのではないか。

生きていればこそ、そういう場所に立てる可能性も あると思う。

私は生涯、死刑に反対して生きようと思う。
どんな理由があれ、生きている人間を殺すことには 同意できない。

今、この事件のように 世論に押されるように 日本では「厳罰化」が進んでいる。
しかし、死刑は犯罪の抑止力には ならないと思う。
死で 死を贖うことが できるのだろうか。
そして それは 正しいことだろうか。

死刑を望む多くの遺族は 被告が死刑になっても 救われることはないのではないか。
救いは 犯人が 死刑になることではないと思う。

憎しみが晴らされたように感じるのは一瞬で、それは本当の救いではない。
人が殺されることは 人の救いには ならない・・・

今回の判決では、4人の裁判官4名のうち、1人が精神的な成熟度を考慮する必要性が
あると 反対意見がついた。これは ごく異例なことだという。

死刑判決はごく例外的なものから、ひとつの原則へと変化しつつあるのだろうか。
これは 社会的な厳罰化の流れに沿う判決といえるかもしれない。
多くの人々が 少年法の理念を深く理解せず、残虐な殺人事件の被告には
18歳の少年であっても 死刑を望んでいるということか・・・


今、私たちが生きるこの社会では 多くのDVが存在し 増え続けている。
虐待による人格形成への影響を より深く精密に研究し、子どもを暴力の連鎖から
救い出す手立てを 制度として確立しなければならない。
しかし これからも 同じような事件は続くのではないか。

私はDV被害者の支援者のひとりとして 断言する。
暴力を受けるということは 人格や尊厳や人生までも 自分の持つすべてのものを
否定され、奪われる、ということだ。

そこには 奈落の落とし穴だけが 黒々と口を開けている。
叫ぶことさえできずに 助けを求めることもできずに その穴に ただ 落ちていく。

安心のない世界では 感情が育つことなど できない。
全てが 停止するのだ、恐ろしい闇のなかで。
痛みだけを抱えて ひとりぼっちのままで。

暴力の被害によって 人生を歪められた子どもは 増え続けるだろう。
暴力の犠牲となった子どもは 心の闇を抱えながら 犯罪者になるかもしれない。
そしてそういう子には 今回のように死刑の判決が 告げられることになるのだろうか・・・

被告人こそ 暴力の被害者として 人生の全てを奪われた人間だとしても?


どういう理由でも 私は死刑に断固反対する。
by yuko8739 | 2012-02-21 11:13 | 社会 | Trackback | Comments(0)