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ゆうゆうタイム

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生きること

先日のブログ「伝えることの難しさ」には 驚くほどのアクセスがあった。
ひと晩で 通常1か月の半数くらいのカウントだった。

やはり 私のブログを読んでくださる方は カウンセリング的な考察に
興味が深いのだと 思った。

こういうことを 深く真剣に 考えざるをえないほど 人とつながるという実感が 
希薄な時代なのだろうか・・・
ネットや携帯電話など つながる道具は すぐそばに いくらでもある時代なのに。


日常のなかでは 他者とさまざまに関わるなかで 自分自身の心の在り方に 
独特の癖や歪みなどを感じることも多い。
つまり 他者の話を聞くときなどに、自分の心の 受け取り方の特徴に気づくことがある。

それを意識できる、つまり言語化できるのは すべてのはじまりの 第一歩だと思う。

自分の特徴を意識化できても 自分の感情を表出するときには 自分が望むそうなりたい自分に
なることは 難しい。
そう「思うこと」と そう「できること」の間には はるかに大きな隔たりがあるから。

しかし 自己セーブが利かないということは そこに自分特有の「コンプレックス」が
潜んでいるのかもしれない。そういう深い部分に分け入って 
自分で 自分の心の形を理解するのは 大切なことだと思う。

自分の心に どういう特徴があるのかを 意識するための道のりは、
つまり自分自身を知るための行為は、大きな「冒険」のように 私には思える。
~M・エンデの「はてしない物語」の主人公 バスチアンのように~


たとえば私の体験では・・・孤独の苦しさに悶えた10代。
20代、30代の頃 心は謎のままだった、必死で何かを求めていた。
自分自身の心の闇や謎を 知りたかった、感情の源流を 辿りたかった。

ユング心理学の本を読みながら ロジャーズ派のカウンセリングのワークショップに参加した。
毎月の例会で話しながら 聴きながら 友人知人のエピソードから 多くのいただきものをしながら 
長い間「心」というものと向き合ってきた。

ふと気づくと 40代の半ばころからは 心理的な葛藤が激減していると、
感じ始めた。つまり、人生や人とのかかわりの「意味」を 自分の言葉で説明できるように 
なってきた。

自分の感情のコントロールは なかなか難しいのだが 自分の感情の理由が
理解できるようになり、なぜそうなのかと 説明もできるようになってきた。
わけが分からないということが 少なくなっている。



以前は生きることの意味もわからなくて 模索していたが、
今は 「生きる」ことは 至上の喜びそのもの。
生きることに 意味は要らないと思う。

もし 意味があるとしたら 自分自身が生きているそのことに 意味があるといいたい。
なぜこの世に この世界に 自分が存在しているのか。

それは 与えられた自分の人生の物語を 生ききるため。
笑うため。どきどき、わくわくするため。泣くため。怒るため。我慢するため。
待つため。夢見るため。

こんなふうに どうにか自分の問いに 答えられるようになった。
そして これからも きっと そうやって生きていく。



口がひとつで 耳がふたつなのは意味あって 神さまが人間をそんなふうに作ったという
エピソードに 心を打たれる。「自分が話すことの2倍は 相手の話を聴きなさい」と。

長くさまざまなことから カウンセリング的な学びで人生を拓き 人との関係を築いてきたので 
傾聴ということが 最も大切なことだと感じている。

語る相手の話を 中断しては いけない。
横取りしては いけない。
始めから終わりまで 集中してその人の「物語」を 聴きたい。


事柄ではなく 感情に沿って 向かい合い 真剣に耳を傾けたい。


私にとっては そのことこそ 共に生きるということの本質なのだ。


すべてのことに 耳を澄ます人になりたい。
by yuko8739 | 2012-01-09 02:03 | | Trackback | Comments(0)