311のあとの春は 少し不安だった。
すべてが 哀しみに 浸食されはしないかと・・・
17日 前日から泊まっていた孫のそうたと 隣町のアヤメ川自然公園にでかけた。
風は強かったが 春の日差しを受けて キラキラと川面は輝き。
川べりには 野の花がいっぱい。
「わぁ~きれい、花がいっぱいだよ、そうた!」
そうたの笑顔も輝く、春の光を受けて。
キクザキイチゲの白やうす紫、キバナノアマナの黄色、エゾエンゴサクの空色・・・
川のほとりのベンチで お昼を食べた。
おにぎりやフライドチキン、卵サンドやお菓子も。
ふたりでにこにこと 幸せな春の外ランチ。
「あらっ チョウチョ!」と 目ざとい私は 赤い蝶を発見。
この時期に 蝶(クジャクチョウ)が飛んでいるなんて。
あまりにも早い蝶の出現に 戸惑いながらも追いかけて 写真を撮った。
なんだか 哀しみは 忘れていた・・・消えていた。
うれしくて おだってゲタゲタと笑い その笑いがとまらない愛しい小さな男の子と
今、私はここにいる・・・生きて、愛して ここにいる。
春の命の輝きのなかで 生きる喜びが 波のように圧倒的に私を包み 恍惚となった。
私は感じていた。
哀しみだけでは 人は 生きられない。
亡くなってしまったかけがえのない人からも 生きている限り
必ずメッセージは届く。
悦びも 哀しみも 怒りも 涙も 孤独も 連帯も 共生も 愛も
すべてが 生きるためには 必要だと。
そして 必要なものは すべて 与えられる。
いつか必ず そうなる。
春の光のなかで 私はそう感じた。
311のあと 春の奇跡が そう教えてくれた・・・