ゆうゆうタイム

yukotime.exblog.jp
ブログトップ

町が消える?ニュータウンの悲劇

私の町ではただ一軒のショッピングセンターが閉店した。
日々買い物に通った馴染みの店。
大きな声の元気な魚屋のおじさんがが、大好きだった。

この町に住みはじめた30年前は 小さな商店数店の入った
寄り合い所帯だった。
買物に行くと混雑して混みあい、押し合いへし合い歩いたものだ。
人があふれていた。

肉屋さん、魚屋さん、野菜屋さん、
新婚の頃、毎日のように重たい買い物を引きずるようにして 
途中で休み休みしながら 遠いアパートに帰ったものだ。

おいしいものを食べるのは好きだったが、さほど作れる料理が
多かったわけではなかった。
それでも22歳の新米主婦の私は、おいしいと喜ぶ顔が見たくて
買物に足しげく通った。

その後、ニュータウンの人口が増えるにつれて、
ショッピングセンターも新築となった。
2階建てのその複合施設は、1階には市内のスーパーや、
おいしい熟成肉で人気の肉屋さんや 小さいながらセンスのよい洋服店、
花屋さんや雑貨屋さん、薬局、電気屋さん、靴屋さんもあった。

2階には美容室、床屋さん、料理講習のための調理室、
会議室などもできた。
他の町に行かなくても 買物とさまざまな用事には だいたい間に合った。

そのショッピングセンターの道を挟んだ隣には、市のサービスセンターと
バス停があり、図書館分室も会議室もホールもあった。
郵便局や信用金庫もあり、町の中心にコンパクトに
必要な公共施設が集まり、日常生活に困ることはなかった。

しかし、ニュータウンは いつしかオールドタウンになる。
子育て世代が歳を重ね、子どもは他の町へ出て行くようになると、
一気に人口は減り、高齢化率が上がっていく。
この数年で 独居老人も空き家も増えた。

ショッピングセンターも 急激に変化する。
靴屋さんがなくなり、薬局も撤退し 電気屋さんも消えた。
80代過ぎてもがんばっていた雑貨屋さんも 家族の介護で閉店。

そして、昨年12月に このショッピングセンターのストアが撤退。
テナント料金が高く 赤字続きだったらしい。
この町で 日々の暮らしを支えていた店が消えた。

そのストアが消えると、バスに乗って他の町に買い物に
行かなくてはならない。
車を持ち 運転できる人はまだいいが。
それにしても「明日は我が身」・・・
私もいつまで車の運転が可能だろうか。

公共交通機関がほとんど整備されていない地方都市では、
車は「足」そのもの、バスも少ない。

車もなく、運転もできない高齢者は コンビニに行くしかない。
そういう町に なってしまった・・・
住民は署名を集めて 市に嘆願書を出している。
この町は 市の決めた「ニュータウン造成」でできた町。

一刻も早く、暮しに必要な買い物ができる店を誘致してほしい。
そのためにテナント料などの補助も 行政が負担すべきだろう。
このニュータウンで生きるために必要なのだ、買い物のできる店が!

このショッピングセンターの肉屋さんに買い物にくる人も
途方にくれた顔・・・肉だけあっても 野菜が買えない。
肉屋さんの売り上げは激減するだろう。
ついでに買い物ができるから 肉屋さんにも立ち寄るのだ。

私も先日この肉屋さんに買い物にいき、熟成肉を買ったが、
今まであった奥のストアでは 何もない食品棚が暗闇のなかで
ひっそりと静まり返っていた。
だれもいないし、なにもない。
ショックだった・・・

どういう形でもいいが、生きていくために必要な食品を売る店が
1日も早く 再開してほしいとただ願っている。
この町を 助けてほしい!
# by yuko8739 | 2019-01-14 15:03 | 地域 | Trackback | Comments(0)

朝日新聞新年インタビューより/映画「サウルの息子」再び

朝日新聞 1/9 新年インタビュー
民主主義を生かすために
政治学者 ダニエル・ジブラット さん
(1972年生まれ、ハーバード大学で教え、現在は教授、
共著「民主主義の死に方」は15か国語に訳されている)

以下引用
民主主義を脅かす指導者の特徴とは?
「民主主義のルールを軽んじること、対立相手の正当性を
否定すること、暴力を許容・促進すること、
メディアを含む対立相手の市民的自由を奪おうとする姿勢です」


民主主義を機能させるために、権力を持つ指導者の側に
問われることは何でしょう?
「政治で競い合う相手は敵ではなく、正当な存在であると認める
『相互的寛容』。政治家が特権を行使するときに節度をわきまえるという
『自制心』これらが何よりも大事でしょう。
このふたつを私たちは、民主主義を守る『柔らかいガードレール』と
よんでいます。」 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

朝日新聞 1/10
オピニオン&フォーラム
戦争なき世界への道 (新年インタビュー)

法哲学者 スコット・シャピーロ(イエール大教授) 
国際法学者 オーナ・ハサウェイ(イエール大教授)
以下 一部抜粋
シャピーロ
「日本の憲法9条はそれだけで独立で存在しているのではありません。
唐突にマッカーサーが思いついて特殊な条文が日本の憲法に
付け加えられたというわけでもありません。

歴史的な背景と思想的な系譜があり、パリ不戦条約以降に
形作られていった、現代の世界に息づく平和に関する法体系の
有機的なネットワークにおける、とても重要な部分を構成しています。

それを変える、つまり憲法9条を改正することは、ただ言葉を変えることに
とどまりません。予期できないような影響を、国内や国外に及ぼす可能性があります。」


ハサウェイ
「その通りです。憲法9条の文言を変えても、
まったく何も変わらないのだ、という保証は
だれにもできないのです。
憲法改正をめぐる議論にあたり、日本の方にはそれもぜひ、
考えていただきたいと思います。」


シャピーロ
「1928年の不戦条約の調印の際、当時の仏外相は、
『平和は宣言されたが、平和を形作る仕事が残されている』と語りました。
世界は、暴力を減らし、平和を構築しなければなりません。
権力者や有名人でなくても、その取り組みを薦める機会と
責任があると思います。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

映画「サウルの息子」について再び 
作品の映画評をネットで探すうちに、さまざまなブログで
すてきな言葉に数多く出会った。
『個人的には個の祈りというか、個の救済は全体の救済に
 繋がると思いたいもんではあるけどなぁ
(この映画のラストは、ちょっとだけそれを信じさせてくれるのだ)』

『この映画を見るひとがひとりでもふえれば 世界は善いほうにすすむ、
これはそういう映画です。』


監督本人は本作に対し、
『メッセージを未来に伝えていかねばならない。
そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でも
それでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです』
と語っている。
# by yuko8739 | 2019-01-13 09:41 | 社会 | Trackback | Comments(0)

映画「サウルの息子」をみて

2015年制作のハンガリー映画。第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=
ビルケナウ強制収容所で、ゾンダーコマンドの囚人であるハンガリー人の
男サウルに起きる一日半の出来事を描く。
c0204725_21221976.jpg

c0204725_21351582.jpg


(以下wikより一部引用)
ゾンダーコマンドとは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが
強制収容所内の囚人によって組織した労務部隊である。
主な仕事はガス室などで殺されたユダヤ人の死体処理だった。

外部への情報漏えい防止のため、ゾンダーコマンドの囚人は
3か月から1年以内ごとに ガス室に送られて殺された。

40代のネメシュ・ラースロー監督は、この「ゾンダーコマンド」に関する
本(ゾンダーコマンド隊員の証言を収録した本:「灰の下からの声」
「アウシュヴィッツの巻物」としても知られる) を見つけ、本作の着想を得た。

共同脚本家ロワイエとネメシュ監督は 調査に数年を費やし、
その中で歴史学者から助言を得て2010年より脚本の執筆をはじめ、
2011年に初稿が完成した。

2015年、第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で初上映、
グランプリを受賞。第88回アカデミー賞では外国語映画賞、
第73回ゴールデングローブ賞でもハンガリー映画としては
初となる外国語映画賞を受賞。
その後も世界中の映画祭で数えきれないほどの賞を獲得。

「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」など
強制収容所を描いた作品は 世界中で製作されているが、
他のどんな映画とも 全く違う作品だった。

独自の撮影方法と語り口で 説明を一切廃した焦点の合わない画像と、
主人公サウルの顔のクローズアップだけが 延々と続く。
正方形の画面に戸惑っているうちに、いつしかサウルに自分が重なっていく。
他にはない独自性と個性を持つ映像が、世界中で絶賛されている。


最初は、とまどうばかり。
情況が よくわからない。
カメラの焦点が合わず、なにが起こっているのか見えない。
そのうちに、この収容所で シャワーを浴びるためと
裸でガス室に送られ、殺されるユダヤ人の死体処理や
片づけをしているのが サウルの仕事とわかってくる。

ここでも床に転がっている死体には カメラは焦点が合わない。
ただ、焦点が合うのは 主人公の顔のクローズアップのみ。
カメラは阿鼻叫喚のガス室周辺の様子も ピントが合わない。
ただ、労務者たちは機械のように 効率よく殺された人を片づける。

混乱のなか、手振れするカメラの動きに次第に自分が取り込まれていく。
そして観客は主人公と一体となる。
この地獄のなか 無言で無感覚にならなければ、生きていけない。
そのサウルがあるとき、ガス室で生き残った少年をみる。
すぐに医師は口をふさぎ、息をしていた少年を殺す。

その子の遺体を サウルは執拗に追う。
医師には、知っている子どもなので正しく埋葬してやりたいという。
しかし、その頃同僚たちは密かに武力蜂起の準備をしていた。

ガス室の殺戮が間に合わないほど 多くのユダヤ人が運ばれてくる。
穴の前で 次々とユダヤ人が銃殺される銃声が響く混乱のなかで、
ただ、サウルは少年の遺体を探し、自分の寝床に運び、
埋葬のためのラビ(宗教指導者)をさがす。

サウルはいう「息子を正しく埋葬してやりたいんだ」
同僚は言う「なにを言う、お前に子どもなんかいないだろう!」
ここでまた 私たちは混乱する。
サウルに こどもはいない?
誰だ?この子は?


無力蜂起に協力もせず、サウルは埋葬してくれるラビを
狂信的に探し続ける!どこにいる?息子を埋葬するラビは!

大量殺戮と武力蜂起の不穏な混乱状態でサウルは何度も
殺されそうになりながら、一心にラビをさがす。
他のことは何も考えない。

武力蜂起の最中で サウルたちは森に逃亡する。
サウルは 布に包んだ子どもの遺体を抱えながら 
ゾンダーコマンドの仲間と必死で森を駆け抜け 川を渡って逃亡する。
いつしか、サウルの腕から流れ落ちて 子どもの遺体は川に流されてしまう。

ラスト、隠れた小屋の入り口で 村の子どもの姿を見て 
はじめてサウルは笑う。
なぜ、サウルは笑ったのか・・・
そして最後は・・・


謎だらけの映画、意味不明、理解不能。
そう思う人も 多いだろう。

しかし、この地獄のなかで 親子の愛にすがりついて、
他の一切はかまわず そこだけで彼は「正気」を保ったか。
自分には 子どもはいないとしても。

自分もすぐ殺される身で ガス室の死体や
血液や糞尿などの汚物を掃除し 手足のない解剖遺体を
みて暮らすことに 人間が耐えられるわけはない。

人は、人でなくなるのは簡単だろう。
かなしいことに 人は慣れてゆく。
ただ、どこの子かわからないけれど サウルは息子と信じた。
自分を父と 信じたのだ・・・

息子には正しい埋葬を、そう願うのはあたりまえのこと。
それが異常な行為となるのは その場が狂った暴力と
死の蔓延する世界だから。


サウルの笑顔の意味は なんだろう。
混乱と究極の喪失のあとで 川に流れた少年が
生きて戻ったと 錯覚したのか・・・ 
監督はいう。
「観客に その解釈は任せたい」

以下、WIKより
The A.V. ClubのA・A・ダウドは映画に「A-」の評価を下し
「『サウルの息子』は強制収容所という生き地獄に
絶望だけでなく本当のドラマを見出す稀有なホロコースト・ドラマである」
「『サウルの息子』は労苦に人間性を、行動にアイデンティティを見る。
それは、数字に還元されてしまうような何も持たない男が、
主に無意味な悪の巣窟で何らかの意味を見出すことによって、
彼自身を取り戻す様を見つめる」と、映画の独創的な視点を讃えた。
c0204725_2128443.jpg

# by yuko8739 | 2019-01-10 13:13 | 映画 | Trackback | Comments(0)

2018かなしさの果てに

日々、そんなに大きなことは起きない。
幸いなことに 戦争の不幸や悲劇はないし 
飢える苦しみもない。
贅沢さえしなければ 食べものに困らない。

年金は目減りする一方だし、社会に正義は行われないけれど。
さまざまな差別への憤りは 沸点を超えてしまうが。



それでも、そのことに慣れようと 大人の対応で済ませていること、
つまり魂の奥底に沈めていた感情が噴出し、それに支配され 
取りつかれてしまうことがある。
誰かが なにかが それを私のなかから引っ張り出してしまう。
かなしみの爆弾に 点火してしまったか。

誰かにとっては どうでもいいことだろう。
些末なことだ。
でもつまり、当事者の私は 感情の大波を受けて揺れてしまう。
かなしさの果てに、沈みそうになる。

胸の奥深くで固まっていた感情が 溶けだした。
意識のなかに漂いはじめた。
また、しばらくは自問自答しなければならない。
かなしさという名の猛獣を 飼いならさなければならない。


たぶん、生きていくって 生きているって 
こういうことだろう。
私の夢みる世界は 私が生きやすいように創った幻かもしれない。
どんなことにも絶望するのには慣れている、長く生きてきたから。
こんなことは よくあること。


愛には 反逆される。
願いは成就されず、空っぽの希望だけを抱きしめている。
自らの空白に 立ちつくす。

それでも 自らに問い、自らが答えを与える人生を
ひとりで生きるしかない・・・

自分自身を子守りしながら なだめすかしながら
そのかなしみを抱きしめながら 
また歩きはじめる。
# by yuko8739 | 2019-01-08 12:23 | | Trackback | Comments(0)

すてきな人形

ひとめぼれした人形を買おうと思い、今日、友だちと
フェアトレードショップに行ってきた。
さまざまな形の人形があって すっかり迷ってしまった。
c0204725_0201258.jpg

店のオーナーのY・Oさんが、また新しいタイプの人形を
2月に再度仕入れるらしいので それを見てから買うことにした。
花を抱く女性のシリーズもあるようで それを見て決めることにした。
c0204725_0203087.jpg


この人形を眺めていると なんともいえず 優しい気分になる。
魂が癒されるような気がする。
居間か寝室において、ときどき人形と会話するのもすてきだろう。
c0204725_0205534.jpg

イギリス女性の作る人形で 世界的中で評判がよく 
何体もシリーズごとに コレクションしている人も多いらしい。
また、子どもの誕生や結婚、記念日などのプレゼントに選ぶ人も。

なんとなく自分を 見守ってくれそうな雰囲気がある。
かなしい気持ちを やさしい気持ちに変えてくれそうで、
ちょっとうれしい。
c0204725_0212385.jpg


生きていると かなしさからは逃れられない。
# by yuko8739 | 2019-01-08 00:23 | | Trackback | Comments(0)