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残暑に思う/理想の人

残暑が厳しいなか、先日8月の子ども食堂も終わった。

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フードバンクからホタテ、有名な製菓会社からのお菓子の寄贈もあり、

ホタテのバター焼サラダなど充実。

ホイコーローやおいしい出汁巻き卵は大好評だった。


がんで在宅闘病中だった知人が、ついに入院したと聞いた。


敗戦の夏が、鎮魂の8月が、私を通り過ぎてゆく・・・


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多くの社会活動やボランティアに 係わってきた私。

今もいろいろと続けているが、ときどき感じることは

「人間関係の難しさ」

死ぬまで人間は修行中?だということか。

「人間勉強」は、死ぬまで続くのだろう。


どんな場合でも感情的になる人や言葉がきつい人が、私は苦手。

私は、ほとんどそういうことがないまま育った。

だからそういう人が、そういうことが特に苦手なのだ。

怖くなる。

緊張して からだがこわばる。


そういう人と ときに出会う。

ただ、「この人はそういう癖のある人だ」と思えばいい。

しかしそう思っても、胸はどきどきするし頭は真っ白になる。

平静でいられない。


そういう相手は 悪い人でないのは百も承知だし、

優れた能力を 持っていたりする。

尊敬しているし、よい目的のために集まっている仲間だ、

それは充分にわかっている。



でも、この頃年を重ねて思う。

人間力って「能力」だけではない!

ユーモアで周囲のみんなをちょっと「幸せな気分」にさせたり、

穏やかな笑顔や物言いで 和ませたり。

自分の失敗を 自分で笑ったり。


決して「怒りの感情」を 他人に向けたりしない人。

そういう人の「人間力」は 周囲を幸せにするパワーを

持つのではないか。


かなり難儀な社会活動のなかでも そういう人の周りには

明るい光が満ちてくるし、人が集まる。

理想を掲げるだけでは 人は集まらない。

人は、人の周りに集まるものだ。


マイナスのエネルギーを持たない人。

同じ目標のために自分の感情を抑制できて、

自分の一部を 犠牲にできる人。

私自身はそういう人に 憧れる


おだやかで優しくて 人のことを悪く言わない。

他人をよく褒め、よく話を聴き、好奇心を持ち、学ぶことを愛する。

プラスの感情を放出する。

ああ、そんな静かで強い人に私は成りたい!


ちなみに私の理想は・・・宮沢賢治の「雨にも負けず」のような人。


「雨にもまけず」   宮沢 賢 治


雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい


そういう人に、私もなりたい!!!


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こんな夏野菜を食べている。

洞爺湖産絶品トマト、おしりにおいしさの跡があり、

切ると種が緑色、これがおいし~い。

フルーツトマトみたい!今しか食べられない。

酸味も甘みも強くて 味が濃い。


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米農家さんから頂いたきゅうりは、甘くて最高。

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朝採りの甘い枝豆・・・野菜の夏は幸せです。

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# by yuko8739 | 2019-08-19 13:16 | 仲間 | Trackback | Comments(0)

台風が日本列島に近づいたころ、孫と共に出かけた海は

満潮気味で強風、海水温も低くて寒かった。

前回の磯遊びのときと、海は別の顔をしていた。

生きものは何も見えず、冷たい波で荒れていた。


あんなに美しかったアマモは どこにもみえなかった。

引き潮の遠浅の海でだけ みることができるのかな・・・


諦めてすぐ海から上がり、妹に頼まれた

絶品トマトやとうきび、ナスやピーマンなど、

とれたての強い香りを放つ野菜を買った。


洞爺湖も強風で恐ろしいくらいに荒れ狂っていた。

しかし夏休みやお盆の時期なので 周辺のキャンプ場は 

どこもカラフルなテントが林立!交通量も多く混雑気味だった。


洞爺湖沿道の緑のトンネルを抜けて、お目当ての「望羊蹄」に向かったが、

レストランは混んで1時間待ち、客が行列を作っていた。

諦めて昭和新山の近くのレストランにいき、

ハンバーグランチを食べた。

やはりお盆は 自宅で過ごすべきかなあ・・・


帰宅して墓参を終えた母や妹、弟夫婦とおしゃべりし、 

弟には絶品カボチャやトマトをお土産にした。


家に戻って孫のリクエストの鮭ちらし寿司と鶏のから揚げを

作ったが、彼はとても喜んでいっぱい食べた。

夜は約束通りに「ショーシャンクの空に」をふたりでみた。

折り畳みベッドの寝心地はとてもよかったらしい。


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ブランコに乗って 孫は戻ってきたと思った私・・・

でも戻ってきたのは 前とは違う彼だった。

もちろん大人になるとは そういうこと。

それでも 我が家に泊まりに来たいと思う彼もここにいる。


しかし、私は認めないわけにはいかなかった。

もう時は過ぎ去り、2度と戻ってはこないと。

あのときの孫は もう存在しないのだ。


そういう現実を どういう形でも私は受け入れる。

受け入れるけれど 今の彼とは可能ならもっと話したい。

つながりたい。

理解し合いたい・・・


スマホを離さない彼の姿は やはり寂しい。

でも これが現実なのだ。

希望は捨てないけれど 現実は厳しかった。


いつか、より深くこころがつながるときが来ますように。




# by yuko8739 | 2019-08-17 10:40 | 家族・親族 | Trackback | Comments(0)

2019夏が去って孫来る

あんなに暑かったのに・・・

もう秋風が立ち、冷たい雨の日々に戻った。

なかなか洗濯を外に干せない。

涼しすぎて小さなストーブを出したいくらい。

最低気温は20度をきった、北海道の夏が終わる。


大勢の人で混み合うお盆の墓参りでも 冷たい霧雨が降っていた。

お墓から帰宅したら、孫1号から連絡あり。 

我が町のお祭りに 友人たちと来ているとか。

「寄ってもいい?夕ご飯食べてもいい?」

何か月ぶりだろう、そんな言葉を聞くのは・・・


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赤ちゃんのころから 私といつもいっしょだった孫1号は、

私のさまざまな社会活動にも 同行した。

自主上映が決まると、市内外各数か所に

自主上映のポスターを配り歩き、当日の受付けまで担当。


自然観察会でも 様々な美しい場所に同行して自然を満喫。

おいしいお弁当も分け合っていい時間をともにした。

映画製作ボランティアでは小学生ながら、炊き出しも手伝い、

協賛者へのプレゼントのために 小瓶に入れる鳴り砂を

汗をかきながら 炎天下の海辺でいっしょに集めた。


春には我が家でフキやタケノコの皮むき、冬の前の

漬物時期には 大根洗いも手伝ってくれた。

毎週土日は、ほとんど我が家に泊まりに来た。


小学5年生頃までは、同じベッドで長くおしゃべりをした。

人生のこと、趣味や家族のこと。戦争や平和のこと。

生きるということ。

私にとっては 小さな同士のような存在だった。

思いや時間を わけあった。

同じ感動を わけあった。


そんな彼も思春期の中二頃になると 我が家にぴたりと来なくなった。

大人への階段を 上りはじめた・・・

誰もが通る 大人への道。


数年間、私たちに会話やいい時間はなかった。

スマホを持ち 我が家に来ても会話がない。

私とは あまり目を合わさない。

彼のために おいしい料理を作るのが楽しみだったし、

共有することが多かった。

だから孫のいない暮らしは 寂しくなった。



人間の成長ということは 理解はしていた。

でもあのキラキラした大きな目やはじける笑顔のそばに 

自分がいられないと思うと 心に風がふいた。


「子どもはいつかブランコのように遠くに行くけど、

また必ず戻ってきます」・・・

指揮者小澤征爾さんの兄で、ドイツ文学者、昔話研究家として

知られる筑波大学名誉教授の小澤俊夫さんの講演会で

そんな言葉を聞いたことがあった。

そうか、ブランコは戻ってくるのか・・・

でも いつ?


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本当に、そうなのかもしれない。

久しぶりに霧雨のお祭りから 半袖で震えながら

我が家にやって来た孫1号は、依然と同じように 

きらめく眼でにこにこと、よくしゃべった。


彼の好きなミートソースパスタやじゃがいもとシーチキンのサラダを

前と同じように おいしそうに食べた。

スマホばかり眺めて 固い顔をしていた一時期の彼とは 

がらりと雰囲気が変わっていた。



そうか、ブランコは戻ってきたのかな?

また彼と年齢を超えて、時間や感情を共にできるかな。 

私は なにも押し付けるつもりはない。

生き方は 自分で選べばいい。


私が今こうして再び出会った彼に 伝えたいことは以前と同じ。

「自分の人生を 大事に生きてね。

大人になるって自由で愉しいし すてきなことがいっぱいだよ。

たくさんのいい大人やいろんな出来事に出会うと 

世界が広く明るくなるよ」


我が家での数時間に、彼は居間で今年2月に買ったTVの

アマゾンプライム登録をしてくれた!

こうすると大画面で さまざまな無料映画が楽しめる。

夏休みで数日後に泊まりに来る孫と 私の大好きな映画、

「ショーシャンクの空に」を いっしょに見る約束をした。

そして洞爺湖のレストランで、絶品ポークチャップを食べる約束も。



大人の階段を 君はどの辺りまで登ったかな。


視界は、世界の見え方は どんなふうに変わった?


また、ゆっくり話そう。


ばぁばは とてもうれしい。




 


# by yuko8739 | 2019-08-12 10:31 | 家族・親族 | Trackback | Comments(0)

83日朝日新聞朝刊のインタビュー

松本サリン事件被害者 河野義行さんの言葉のひと言、ひと言が

魂にしみいるような気がして感動した。

私の魂深くで、その言葉は光り輝く。


人は、自分を殺人犯として死刑にする間際の執行人に

「あなた方は間違えましたね。

でも許してあげます」 

と言えるものだろうか・・・


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以下、一部引用

「報道被害とは、報道機関ではなく世間も相手にすることした。

不特定多数の人が敵になるので戦いようがない。

わたしを支えたのは、妻と未成年の子どもたちを

守らなければという思いでした」


~妻の澄子さんはサリンで脳にダメージを受け、自身も神経ガスで

死を意識した。

そんななかで・・・~

「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は、

『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。

最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』

といいました。

もし、死刑執行の日が来たら、お父さんは執行官たちに

『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』というよ、とも」


「子どもには、

『人は間違うものだ。

間違えているのはあなたたちの方だから許してあげる。

そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。

意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで

心を引き上げようということです。

悪いことはしていないのだから卑屈にならずに

平然と生活しようと思いました」


「そうしないと家のなかがどこまでも暗くなる状況でした。

特定の宗教を信仰してはいません」


~その後、翌95年には疑いの目は河野さんからオウムへと転じる~

「その当時、刑事さんから『松本サリン事件の実行犯に極刑を

望みますか』と聞かれて、私は『いえ、罪相応の罰でいいです』

と答えています」


~病床の澄子さんへの教団関係者の見舞いを受け入れましたね~

「断ったことはないです。

実行犯ではない人たちでしたから。

仮に実行犯だったとしても、どうぞといったでしょうね。

妻のためにという思いを大切にしたつもりです」


~オウム信者を社会から排除する風潮を、河野さんは批判しましたね?~

「私自身が社会から悪とされ、排除された人間だからです。

私にかかわるものが全否定されたのです。

同じことが信者たちに降りかかっていました。

信者だというだけで憲法が保障する居住の自由や教育の自由すら

認めてもらえず、人権侵害が是認されてしまっていた。

間違っていると思いました」


~オウムの実行犯に対する恨みや憎しみの気持ちはない、

とも発言していました~

「病床の妻と子と自分の人生をどうやって少しでも充実させるか。

わたしにとってはそれが大事な課題でした。

事件前の元気だった家族に戻りたい、と願うことはできます。

でもどれだけ誰かを恨んでも憎んでも過去は変えられません。

ならば、人生の時計をちゃんと動かして、前に歩いて

行ったほうがいいと、と私は思いました」


「恨んだり憎んだりするという行為は現実には、夜も眠れなくなる

なるほどの途方もない精神的なエネルギーを要するものです。

しかも何もいいことがない。

不幸のうえに不幸を自分で重ねていく行為なのです。

そんなことをあえて自分から選ぶ必要はないでしょう。

ある意味、これは損得の問題です」


~昨年の元オウム幹部が死刑執行された際に、

真実はわからないままになった、と語っています~

「真実がどうだったのかわかっていないと思います。

恨みたい思いは私にも理解できます。

でも、死刑は命を軽視した制度です。

人は間違うからです」


~この先の人生は?~

穏やかに人生を終えていければいい。

それが今の願いです」


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河野さんの、すべてを受け入れるという生き方は、

だれもができることではない。

強い精神力、冷静な判断、感情に流されず、

宗教にも頼らないその魂の在り方が、

私を励まし、大きな力をもらえた気がする。


私自身も死刑には反対しているが、自分が誤認逮捕され、

絞首刑にされるときに、すべてを許す、といえるだろうか・・・

宗教には いっさい支えられないままで。


河野さんの静かながら力強いメッセージを 

胸に抱いて 生きていきたい。

それは一筋の光明であり 福音だった・・・






# by yuko8739 | 2019-08-08 11:38 | | Trackback | Comments(0)

8月6日に

この季節が また巡ってきた。

毎年8月は 私にとっては鎮魂の季節。

意味のない戦争で 同胞30数万人が亡くなった。

侵略戦争の国外の犠牲者は 2000万人以上。


このような無残で悲惨な戦争の実態は いくら語っても

これで終わり、ということにはならない。

日本国民すべての共有財産として語り継ぎ、記録されねばならない。


為政者は、都合の悪い資料を焼いたり処分したりする。

その戦いのその時の国民(当時者)が語ることが肝要だと思う。


生死を分ける瞬間に 偽りはないと思う。

長い年月を経てからでないと、語れないこともある。

生き残った高齢の方々が 今だから語れる、

と重い口を開くこともある。


幸いにNHKをはじめ、この時期多くの戦争証言や記録、特集が放送される。

昨年の「孤児たちの戦争」に心はわしづかみにされた。

1年経って今朝も再放送された

「美しき海の墓場トラック島 戦時徴用船の悲劇」にも

再度見入ってしまった。


忘れないために、というよりは自分が伝えるために、

戦争の特集は 見逃さない。


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そんな私の8月の思いを 逆なでするような

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展」

中止のニュース。


「私の意見にあなたが反対でも 

あなたが意見を表明する権利を 私は命がけで守る」

それが 表現の自由ということではないのか。


今回の「表現の不自由展」、脅迫faxや抗議メールや

電話が3000通も届いた。

河村たかし名古屋市長は 表現の自由ということを

全く理解しない、右傾的な個人的意見を表明。

そして・・・結局参加者の安全を守るために、展示は中止になった。


表現の自由、不自由を考える展示会は、

暴力に屈した形になった。

これは、どういうことだろう。

かなり深刻な問題を含むと思う。



姿の見えない右翼系の過激な恐喝で 文化的なイベントが

中止される国、それが日本だということ。

ここまできたのか、日本は。


日本を批判することが すでにタブーなのか。

まるで戦前のような「言論」統制。

それと似たようなことが起きている、危うい・・・


「自由な表現など 許さない。

日本を冒とくするなど とんでもない。

ガソリンをまいて 火をつけるぞ!売国奴」

はたしてこんな言説が 許されていいのか。


これが、敗戦国日本の74年後の姿なのか、やりきれない。

脅迫犯を徹底捜査し、必ず探し出す。

国民の安全を脅かすのはテロと同じ、警察が徹底して守る!

そんな声が、どこからも聞こえないのは、なぜだろう・・・

この問題の本質は、そこにあると思う。


だれかの表現や自由、安全が守られるというのは、

みんなの安全も 同じように守られるということなのに。

異論を封じるということは 戦争へのはじまり。

そのことを手放しては 先進国の名に恥じる。


しかし、希望もある。

愛知県知事 大村秀章氏の言葉。

河村たかし市長の言説を「憲法違反」と強く批判。

「公権力こそ、表現の自由を尊重しなければならない」

その言葉こそが この問題の大いなる救いだ。


「空気を読んではダメ!空気って吸って吐くものでしょ」

(私の好きな凪ちゃん(「凪のお暇」)の言葉より)


しかしこの8月に、こうした事件が起きるとは、 

なにかこの国を象徴しているような気がする。

危ういなあ、日本。





# by yuko8739 | 2019-08-07 11:43 | 社会 | Trackback | Comments(0)