先日の新聞で、人は自分のことを語る(話す)と、食欲や性欲を満たすのと
同じような快感(脳内でドーパミンが放出される)ということが判明、
と掲載されていて、なるほどと深く 納得した。
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5月8日付のウォールストリートジャーナルに
「脳科学で解明、人が自分について語りたがるわけ─氾濫するSNS」の記事が掲載された。
自分について話すことが、食べ物やお金で感じるのと同じ「喜びの感覚」を脳のなかに
呼び起こすことが、5月7日発表された研究で明らかになった。
個人的な会話であっても、フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアでの
発信であっても、それは変わらない。
日常会話の約40%は、自分が何を感じ、どう考えたかを他人に話すことで占められている。
米ハーバード大学の神経科学者らが脳画像診断と行動に関する5つの実験を行い、
その理由を解明した。
脳細胞とシナプスがかなり満足感を得るため、自分の考えを話すことを止められないのだ。
「セルフディスクロージャー(自己開示)は特に満足度が高い」と同大学の神経科学者、
ダイアナ・タミール氏は話す。
一般的に、セルフディスクロージャーを行うと中脳辺縁系ドーパミン経路に関わる
脳の領域の活動が高くなる。ここは食べ物やお金、セックスなどで得られる
満足感や快感と関係している部分だ。
テキサス大学の心理学者、ジェームズ・ペネベイカー氏は
「人は、他人に話を聞いてもらうのが好きなのだ。そうでなかったら、
どうしてツイートをするだろうか」と述べた。
(一部抜粋、引用は以上)
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この記事には 今流行のツイッターやブログもしかり、
人はすべて 自己開示への欲求が本能なのだ、という結論だった。
私が長年かかわってきたカウンセリングの学びでは 自分を語る自己開示の方法と、
開示された「事柄」ではなく 「感情」に どうやって向き合い、
それを どのように受容するのかということが 学びの核心だったように思う。
自分を語る快感があることは さまざまなワークショップ(WS)を経て
自分の実感として 感じてはいた。
自己開示は「言えた」という深い満足で それだけでも すごいことだが、
開示した自分の感情を そのままの形で 誰かに受け止めてもらえたときには
さらに 心が深く癒やされるような体験が 起きる。
心の変化は 体の変化を伴うほどものすごいものだった。
こころのなかの暗い部分が 一瞬陽がさすように明るくなり、物事がクリアに見える。
WSの帰路には 目にする全てのもの、日常の何気ない景色さえ 美しく輝いて見えた。
自分は、自分でいいのだ。
これでいいのだと、涙と共に 深い悦びがこみ上げたものだ。
つまり人の脳は 自分を語ることが好きで 快感物質をも放出するが、
その次の段階「感情の受容・共感」を 究極の目的として求めているのでは
ないだろうか・・・
そこが 人の脳が目指す 快感の頂点なのかもしれない。
共感するという行為は これほど強く深く 脳の働きとも係わりがある。
自己開示できる自分でありたいし、人の話を傾聴できる自分でもありたい、
そう願って カウンセリングの学びを 長く続けてきた。
しかし友人や知り合いには カウンセリングの学びを 生かすことが
できそうな気もするが、しかし・・・自分の家族に対しては これが至難の業。
カウンセリングの師であったI先生も 昔、よくこう言っていた。
「家族にカウンセリングは 無理です・・・」
あれだけ会の仲間の 生の感情にひたりと添ってくれた 温かい先生でも、
ご自分の家族には、カウンセリング的な受容と共感が できなかったらしい。
今、私には その先生の気持ちが よくわかる気がする。
他人だからこそ、自分の感情を 横に置けるのだ。
自分の家族には 痛切な経験や 壮絶な葛藤や嫌悪と その果ての諦めなど
あまりにも複雑で 長い年月を経た 感情のもつれの歴史がある。
それに相対して 空白なこころで相手に向かい、そのときの感情だけを受容することは
困難なことだと思う。
多分 私には できない。
縁あって、家族になった自分の運命の 更なる重さを感じながらも
明るく 哀しく 多少滑稽な あきらめの果てにいても
向き合っていけたらと 願わないことも ない。
しなやかに。
したたかに。
こうして日々の思いを 誰かに聞いてもらい(読んでもらい)そして稀なことだが、
共感します、というコメントなどを 顔も知らない誰かさんから いただくと、
私の脳は悦びで めくるめく幸せを感じて 真っ赤?になる・・・
ブログを書く。
その幸せは 脳の快感なんだもの、やめられない。
しかし 聴かせていただくことにも 喜びを感じる自分でいたい。
書くことは 話すことであり 自分のstoryを 物語ることだ。
ユング派の臨床心理学者で、すでに亡くなった河合隼雄さんが
自分を物語ることの意味を 教えてくれた。
語ると 気づきに至る道が かすかに開く。
心のなかの もうひとりの自分にも 会えるかもしれない・・・
今、ふと気づいた。
語る快感は 相手がいてこそ。
人には 語る相手 聴いてくれる人が 必要なのだ・・・
やっぱり人には 人が 必要なんだなあ・・・