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  • 映画「ミツバチの羽音と地球の回転」 
    [ 2012-02-28 10:18 ]
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    [ 2012-02-08 09:11 ]
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」 
私たち映画の会では 昨年からこの映画の上映を検討し、1か月ほど前からポスターや
パンフを作り、市内外数10か所に配布してチケットも委託し、本格的に上映の準備を始めた。
この映画は震災前に作られたものだが、震災後に自主上映が相次ぎ 今や全国で600か所の
会場で入場者は11万人を超えている。


先日、大雪のなか、この作品の上映日を迎えた。
前日の釧路での上映に招かれた鎌仲ひとみ監督は 昼ごろのJRで到着する予定だ。

朝早く 駐車場所の雪かきを済ませて やっと車を出してくれた友人で仲間のTさんが迎えに来てくれた。10時に上映会場に着き 駐車場の大雪に驚きながら150人ほどの会場で
暗幕を張ったり、イスを並べたりと10数人のスタッフで会場の設営をした。

あっという間に 駅に監督を迎えに行く時間となり Tさんとふたりで駅へ。
気温はさほど低くなく、-3度くらいだが、雪はまだ降り続いている。
駅なかのキヨスクで 鎌仲さんのランチのためにわが町名物のおいしいお弁当と
プリンを買い、改札口から出てきた 満面笑顔の鎌仲ひとみ監督を迎えた。

駅からすぐそばの会場に着き 控え室に案内し お弁当とプリン、珈琲や
前日焼いて持参した手作りのお菓子、フロランタンを添えた。
開場は午後1時だが 時間前にもかかわらず 入り口で待つお客さまの姿も・・・

物販のテーブルには 映画のなかに出てくる 祝島のひじきやびわ茶をが並んだ。
私は小出裕章さんと鎌仲ひとみさんが対談している本「原発のない世界へ」を買った。
大雪で出足が鈍るかもしれない、と心配していたが どんどん入場者が増え始め、
私は前売券のもぎりを担当。


椅子は100席以上セットしたが、足りないようで 再び数十席を増やした。
この様子だと100人以上の入場者は 確実だと確信して うれしかった。
これほどの悪天候にかかわらず 地味な脱原発の映画に このように大勢の方々に
来ていただき、小学生も何人かいて 努力の甲斐があったと私は手ごたえを感じていた。

上映前に司会のMさん、代表のSさんに続き 鎌仲ひとみさんが挨拶した。
そして いよいよ上映が始まった。

映画のはじめ、カメラは山口県瀬戸内海祝島に暮らす島民の生活を 淡々とつづる。
美しい海で おもしろいように採れるひじきや甘いビワ、漁業が島の暮らしを支えている。
島民の暮らしから出る生ごみを餌にして 幸せそうな豚を飼っている人も。
自然と共生して生きる 人々の穏やかな暮らしがそこにあった。

高齢化するこの島に戻った若者は どうやって生きているのか。
すぐ目の前に建設予定の中部電力の一関原発の反対運動を どうやってどんな思いで
続けるのか。

この祝島の平均年齢79歳のほとんどの島民たちが 自分たちの暮らしを守るために 
中部電力に対して、原発反対闘争28年間の歴史を持つと知り、感動で震える思いだった。
長時間の座り込みや東京での陳情は 自分たちの貴重な労働時間と引き換えでもある。
こういう過酷な戦いを 28年もの間、全島民が続けてきたとは・・・

そしてこの映画は 脱原発のあとの希望も描く。
北欧のスウェーデンでは 脱石油、脱原発を決め、着実にエネルギーを自然エネルギーへと
シフトし、持続可能な社会作りが進んでいる。

必要なエネルギーのほとんどを 原発にも 化石燃料にも頼らないで維持している
現在の生活を ある小さな町の人々の証言と映像で綴っていく。

今までは廃棄されていた あらゆる持続可能なエネルギーを使って 本気になれば、
こういうことが可能なのだ、夢ではないのだと 驚きながらも 私は確信していた。
未来を創り出すために できることはあるのだ!
できないのではなく やらないだけだと。


映画が終わり、鎌仲ひとみ監督がパソコンの画面を説明しながら なぜこのような映画を
撮るようになったのか、今までの経緯を説明した。
NHKで医療や経済、環境をテーマに番組を多数制作し、その後1998年のイラク取材を
契機に、イラクの子どもに白血病が多発していることから、劣化ウラン弾のことを知り、
自主制作をはじめたこと。

2006年に発表した「六ヶ所村ラプソディ」の自主上映で祝島を訪れ、一人の若者と
出会ったことが この映画を作るきっかけとなったこと。
長い映画の上映のあとで 鎌仲さんのトークは30分にもなったが、誰一人として 
途中で帰る人は いなかった。

この映画を観た人が みな、脱原発と持続可能なエネルギーを 強く求めていることが 
私にはひしひしと伝わった。この映画を上映できて 本当によかったと 
私はしみじみと感じた。上映後に 祝島から取り寄せたヒジキやビワの葉茶、寒干し大根などの品物や鎌仲さんの本やパンフなどに 多くの人が集まった。



会場を片付けた後で 近くの焼き鳥店で 鎌仲さんと上映スタッフが、短い時間だったが 
打ち上げの会を持った。鎌仲さんは大いに笑い、語り、ご機嫌だった。

私の差し入れたお菓子、フロランタンを 鎌仲さんは「おいしかった!お店よりおいしい。
これ、売れますよぉ~」とおだてるので、持参した可愛い缶に お菓子をいっぱいに詰めて
「荷物になりますが、よかったらお土産に どうぞお持ちください」と手渡した。


鎌仲さんは「うれしい~~~ホントにいいんですか?もちろんいただきますよ。
これから東京に帰って 次回作の編集作業をしますが、疲れてくると甘いものが
欲しくなるんですよね。スタッフと喜んでいただきますね!」と笑顔でリュックに
お菓子の缶を収めた。

和気あいあいと自己紹介などが続き、打ち上げの会は なかなかいい会だった。

鎌仲さん、これからも あなただけにできる善いお仕事を お元気で続けられますようにと 
私は心から祈っています。

今回は無理でしたが 今度は登別温泉で みんなで「いい湯だな~」しましょうね。


私も 脱原発を願うだけではなく、3月には行動する人になりたいと
思っています。

新しいエネルギーをめざして 新しい世界に向けて 一歩を踏み出します。


さわやかな「新しい風」のようなひとみさん、また、お会いできますように!






by yuko8739 | 2012-02-28 10:18 | 映画 | Trackback | Comments(0)
ヤノマミⅡ
生まれた子どもの父親が誰かは 産んだ女に わからない。
性行為は開放的で 結婚していても していなくても フリーなのだ。
嫉妬に駆られた 数々のいざこざは あっても。

本を読んで 森での出産の様子がTVの放映よりも はっきりと分かった。
生んだ赤子は地面に置かれる。母はただ じっと子どもをみつめる。

生まれた赤子は 人間ではなく精霊なので、精霊のまま森に返すなら 
生まれた子どもの背中を足で踏み、手で首を絞める。
そしてバナナの葉でくるみ 白アリの巣に置く。

2週間後、バナナの葉のなかのものは シロアリに喰われて 何もない。
女は白アリの巣を燃やす、時間をかけてゆっくりと。  

~僕たちにとって、その時間はとてつもなく長い時間のように感じられた~
子どもを見つめる母親が何を考えていたのか、僕たちには分からない。

僕たちが聞いても、女たちは何も答えない。精霊のまま我が子を天に送る母親の胸中を 
女たちはけっして語らない。
ワトリキ(集落)では 「命」を巡る決断は女が下し、理由は一切問われない。
母親以外の者は何も言わず、ただ従うだけだ~


14歳の少女が長い陣痛の果てに 森のなかで生まれた子どもを 精霊のまま天に返すのを目撃したときの壮絶な心境を 国分さんはこう記している。

~自分の髪が逆立っているように感じられた。
心臓が口からせり出しそうになるほど、激しい動悸も襲ってきた。そして足が震えて、うまく歩くことができなかった。だが、僕たちは見なければならない。
ここで見なければならない。
僕は、それだけを唱え続けながら、震える足で森のなかに立っていた~


国分さんは こう思うしかなかった。
~もっと大きな理由から 我が子を精霊のまま天に送ったのかもしれない。
その理由とは、言葉で表すことができないくらいの、途轍もなく大きなものなのかもしれない~

何かが崩れ落ちそうだった。考えれば考えるほど、何かが壊れてしまいそうだった。
だから、眠ろうと思った。眠れば救われると思った。それなのに眠ることもできず、心身は憔悴していった。そのうち立っていることさえ辛くなり、歩けば木の根に躓いてよく転んだ~



私がTV放映で 最も衝撃を受けたシーンが まさしくこのシーンだった。
国分さんの衝撃の比ではないが どうしたらよいのかわからなくなり 
立っている地面が ぐらりと 揺らぐような気がした。
心臓の動悸は 激しさを 増した。

まさに現代に生きる日本人の私は 子殺しをこのように 淡々と日常のこととして行う 
ヤノマミの風習は 受け入れがたく・・・
「人ひとりの命は 地球より重い」
そんな言葉など この森では 虚しく風に飛んでいく。

ヤノマミの命とは いったいなんだろう。
1万年前の私たちの祖先も 同じようなことをしていたのだろうか。

もしかしたら 私につながる祖先の命も ただ偶然の所産なのかもしれない。
命の なんという不確かさ。危うさ。
それこそが 森(自然)の摂理なのだろうか・・・

今、自分が生きていることの偶然とその奇跡を 深い畏敬の念を持って 
思わずにはいられない。 

考えてみれば さほど遠くない日本の歴史のなかにも、人減らしのための子殺しや
姥捨ては存在していたし、障がい者や精神を病む人への虐待も 存在していた。
先住民のアイヌへの偏見は 今も なくなりはしない。

ヤノマミと私たちは もしかしたら「文明」という薄皮1枚違うだけの
存在なのかもしれない・・・

そうは思っても 私のなかに 漆黒の闇のなかの森での出産と 精霊のまま天に上る赤子の
運命を思うと 心臓に深く突き刺さるような痛みが 消えなかった。

自らが手をかけても 精霊になってしまった我が子を偲んで 毎晩泣く女もいるという言葉には 救われる思いもあったが・・・



ヤノマミは狩猟採集民族で、定住する農耕民族よりも 古い形の民族だ。
自分たちが生きていける食べ物を 森を駆け回りながら 必死で確保しなければ、
家族は飢えるしかない。

そういう暮らしのなかで 次々と生まれる赤ん坊を すべて育てることはできない。
それは理解できる。しかし頭で理解できることと 実際にアマゾンの原初の森のなかでのヤノマミの習慣を知って 衝撃を受ける自分自身を どうしようもなかった。


それにしても 国分さんが漆黒の森のなかで「僕たちは見なければならない」と震える足で 森のなかに立ち続けたその気持ちは、痛いほど伝わってくる。

私自身、この広い宇宙のなかで なんの力もなく ただ森の掟のすさまじさに、
立ち尽くすほかなかったから・・・



ヤノマミのワトリキ(集落)には 権力もなく、王もいない。善悪や規範によって統べられている社会でもない。ただ、精霊がいるだけだった。しかも精霊には「いい精霊」もいれば「悪い精霊」もいるし、いい精霊が悪い精霊に変ることもあった。

しかし精霊とは、善悪とは無関係にただ在るだけのもので、集団や個人を支配するものではなかった。

このヤノマミの偉大なシャーマン、シャボリ・バタが語る精霊の話、
ヤノマミの起源などは 詩としても 夢のような神話としても 興味が尽きなかった。

言葉を持たないヤノマミの このあふれるような詩情やイメージは どこからきて 
どこへ帰っていくのか・・・

宇宙のなかの小さな星、地球。
そのなかに文明社会があり、そのなかのごく限られた場所に 1万年も変わらない暮らしを
続ける原初の人々が いる。

しかもその民は 精霊と交信し 自然と一体となる悦びに加えて 身分の上下もなく 
獲物は分かち合い 誰を支配もせず 誰からも自由だ。

深遠なる命の賛歌と神秘を 深く魂の底にとどく映像と語りで見せてくれたこの番組に 
今、心から畏敬の念を捧げたい。

まさに10年以上をかけて取材交渉をなしとげ、20kg近くも体重を減らしながら
「ヤノマミ」の人々と共に暮らした150日の記録に、心からの敬意と感謝を現わしたい。
人間とは・・・という問いに 命がけの誠実さで応えられる番組は そうないだろう。


今でも「ヤノマミ」とつぶやくと、私のなかには あの田中泯さんの声が響き、
不思議な世界に トリップする・・・ 





 


 

by yuko8739 | 2012-02-27 23:14 | 社会 | Trackback | Comments(0)
ヤノマミⅠ
NHKで この優れた驚愕のドキュメンタリーが放映されたのは 2009年4月12日。
2010年6月には NHKBSで 再放送された。
私はこの番組を リアルタイムで 2度観た。

「ヤノマミ」とは 奥アマゾンで1万年にわたり独自の文化と風習を守り続ける部族の人々。
150日間に及ぶ長期同居生活の体験を綴った 震撼のルポルタージュだ。
ヤノマミ、それは人間という意味だ。


TVを観て 私は激しく感情が波打ち、絶句し 呆然としながら 人間について思った。
感動した、とひとことで 言えるものではなかった。

ただ、自分のなかの原初的なエネルギーが 自然発火するような興奮を覚えた。
人間の原型というようなものがあるとしたら それが そこにあるような気がした。

私たち人間が 文明とか進化とか文化とか論理とか そういうものを 裸の人間の存在に 
まとっているのだとしたら、その薄い1枚を剥いだ姿は ヤノマミの人々と 
そう違わないのではないか。そんな気がした・・・

ドキドキしながら 自分の感情がなんなのか 名づけがたいような不安もあった・・・
命とか 精霊とか 森とか 男と女 星 蝶 バナナ 猿 川 祭り 
ひたすらめくるめく 男や女。トランス状態のシャーマンたち。



この番組のディレクター国分 拓(こくぶん・ひろむ)さんが、
番組と同じ題名「ヤノマミ」という本を書いたことを、知った。
そしてその本が 第10回早稲田大学ジャーナリズム大賞と
第42回大宅賞を受賞したという。







受賞には関係なく、私はあの番組を あのように作った人の本を 読みたかった。
本を注文して届き 読み始めた。
あの番組を見たときの興奮と 胸の高鳴りを何度も感じながら 読み終えた。
やはり ドキドキした。

TVでの ナレーターは舞踏家、田中泯さんだった。
彼の声が非常に印象的で あの低い声が今も アマゾンの風景とひとつになって 
私のなかに響いている。
この本を読むときも あの声がどこからか聞こえているような錯覚を覚えた。

国分さんは 現代の日本から ヤノマミの森の暮らしにジャンプした。
そのことが どれだけ深く大きなショックだったのか どれだけすさまじい経験だったのか、
本を読んで 初めてわかった。
死ぬかもしれない、と国分さんは 何度も本気で思った。

国分さんとスタッフは ほとんど ヤノマミと同じように暮らした。
延べ150日間を・・・その 果てしなさ。
彼らに「ナプ」と蔑まれながら。ナプとは ヤノマミ(人間)以外の人間のこと。

文明圏の食べ物を持ち込まないなど、彼らへの影響を最小限にして同居が始まった。
「ナプ」のせいで 獲物が捕れないと 憎まれながら。
あるときは食べ物がなく 塩と水だけで10kgも痩せながら。

まさに 想像を絶する世界だ。
このTV番組で 私が一番衝撃を受けたのは 女たちが森で出産したあと
精霊として天に返すのか(殺すのか) 我が子として(人間として)育てるのか、
女が決めるという あのシーンだった。


続く~






by yuko8739 | 2012-02-23 11:55 | | Trackback | Comments(0)
死刑に反対するⅡ
朝日新聞で 昨日の光市事件の判決を受けて すばらしい連載が始まった。
こういう記事を読むと 朝日新聞オタクの私は ほれぼれするのだ。


~朝日新聞2012年2月22日朝刊より一部抜粋~
終結 光事件が問いかけたもの 上
少年の心と死刑見解相違



高裁の死刑判決に 宮川裁判官はひとり反対意見を唱えた。
全員一致ではない最高裁の死刑判断は57年ぶりだ。

「精神的成熟度が18歳を相当程度下回っていると認められる場合、死刑を回避する事情があると言える。(死刑とした)2審判決を破棄しなければ、著しく正義に反する」

多数意見は「真摯な反省の情をうかがうことはできない」と述べ、反省の不十分さを
死刑とした理由のひとつに揚げた。


弁護士出身の宮川裁判官は こんな指摘をした。
「人は人の関係の中でしか成長しない。
人間的成熟が12歳程度で停滞しているのであれば、(そのまま拘置所で)8年、9年過ごしたとして、
反省・悔悟する力は生まれない」


被告は13年近く、拘置所などの独居房で過ごした。
事件から5年後の2004年になって、月1,2回、キリスト教の教誨を希望して
受け始めたが、普段は拘置所職員を除けば、話をするのは弁護士とわずかな支援者。
それ以外に別の考えを知るのは拘置所で借りたり、支援者が差し入れたりする本ぐらいだ。


宮川裁判官は、1985年に国連総会で採択され、日本も賛成している、少年への死刑を禁じた国連の「北京規則」にも言及した。
「死刑は、少年が行ったどのような犯罪に対しても これを課してはならない」
世界では 少年の死刑は減る傾向にある。


米国では05年、連邦最高裁が犯行時に18歳未満だった少年の死刑を違憲とする判断を出し、08年を最後に執行はない。





by yuko8739 | 2012-02-22 21:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)
死刑に反対するⅠ
山口県光市で 13年前に起きた『母子殺害事件』
妻子を奪われた 遺族の本村洋さんは 今まで長い間 遺族の権利を強く訴え
たびたびマスコミにも 登場してきた。

彼をはじめ多くの遺族の方々の切実な訴えによって 04年には司法制度で犯罪被害者の
権利を守るために「犯罪被害者等基本法」が制定された。

08年からは被害者参加制度ができて、被害者や遺族が法廷で被告に質問や意見を
述べられるようになった。本村さんが遺族の権利を 長く強く訴えたことは 
大きな意味や功績があったと思う。



昨日、この事件の差し戻し後の上告審で 最高裁は上告を棄却する判決を下した。
二審となった 広島高裁判決の死刑が確定する。
しかし 私はこの判決を 受け入れることはできない。

犯行時18歳と1か月。
被告 大月孝行は 幼いころから父親の激しい暴力を 受けて育った。

父の暴力は 母親にもおよび それを見て 育った。
からだじゅうに青あざが絶えず、逆さにされて 浴槽にも浸けられた。

中一のときに 自宅で母親の首つり自殺を目撃する。
父は 若い外国人の妻と結婚して、幼い異母弟も生まれた。
家庭のなかで 孤立感を深めていく。

ペットへの暴力がはじまり、高校生になってから口数が減った。
高校を卒業後に就職するが、すぐに無断欠席をするようになり、事件を 起こした。

家裁の評価では 発達レベル4~5歳で 成長が阻害されているという。
彼のなかでは 多分 意識は混濁し 善も悪もなく 激しい憎しみと暴力への衝動だけが
渦を巻いていたのではないか。自分のなかの憎しみに 唯一道をつけたのが暴力だったのか。
暴力しか与えられていない彼は 暴力しか使えなかったのだろうか。


今、31歳になった大月被告は08年 死刑判決が出たあとで 朝日新聞記者に手紙を寄せた。
~以下 朝日新聞2012年2月21日 朝刊より 引用~

「つらくないわけではない。しかし、ぼくよりつらい御立場の方(遺族)がおられる以上、
ますますつつしみながらかんじゅし、学ばせていただきたいとする気持ちも、
またまぎれもない事実です」


上告後の09年2月には、接見した朝日新聞記者には こう語っている。
「支えてくれた人からいただいたものを胸に、なぜ悪くなったのかを見つめて改善する、
大きな人間になりたい。
判決が自分に有利でも不利でも。死刑でも、そうでなくても」

彼は2年前から、母子の月命日に、支援者に頼んで犯行現場に花を捧げてもらっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

生きていれば、生きてさえいれば 殺人事件を起こした犯罪者も いつか
自分のしたことの意味がわかるときが くるかもしれない。
そのときに 初めて悔悛という感情が 怒涛のように押し寄せるのではないか。

生きていればこそ、そういう場所に立てる可能性も あると思う。

私は生涯、死刑に反対して生きようと思う。
どんな理由があれ、生きている人間を殺すことには 同意できない。

今、この事件のように 世論に押されるように 日本では「厳罰化」が進んでいる。
しかし、死刑は犯罪の抑止力には ならないと思う。
死で 死を贖うことが できるのだろうか。
そして それは 正しいことだろうか。

死刑を望む多くの遺族は 被告が死刑になっても 救われることはないのではないか。
救いは 犯人が 死刑になることではないと思う。

憎しみが晴らされたように感じるのは一瞬で、それは本当の救いではない。
人が殺されることは 人の救いには ならない・・・

今回の判決では、4人の裁判官4名のうち、1人が精神的な成熟度を考慮する必要性が
あると 反対意見がついた。これは ごく異例なことだという。

死刑判決はごく例外的なものから、ひとつの原則へと変化しつつあるのだろうか。
これは 社会的な厳罰化の流れに沿う判決といえるかもしれない。
多くの人々が 少年法の理念を深く理解せず、残虐な殺人事件の被告には
18歳の少年であっても 死刑を望んでいるということか・・・


今、私たちが生きるこの社会では 多くのDVが存在し 増え続けている。
虐待による人格形成への影響を より深く精密に研究し、子どもを暴力の連鎖から
救い出す手立てを 制度として確立しなければならない。
しかし これからも 同じような事件は続くのではないか。

私はDV被害者の支援者のひとりとして 断言する。
暴力を受けるということは 人格や尊厳や人生までも 自分の持つすべてのものを否定され、
奪われる、ということだ。

そこには 奈落の落とし穴だけが 黒々と口を開けている。
叫ぶことさえできずに 助けを求めることもできずに その穴に ただ 落ちていく。

安心のない世界では 感情が育つことなど できない。
全てが 停止するのだ、恐ろしい闇のなかで。
痛みだけを抱えて ひとりぼっちのままで。

暴力の被害によって 人生を歪められた子どもは 増え続けるだろう。
暴力の犠牲となった子どもは 心の闇を抱えながら 犯罪者になるかもしれない。
そしてそういう子には 今回のように死刑の判決が 告げられることになるのだろうか・・・

被告人こそ 全てを奪う暴力の被害者のひとりだとしても。


どういう理由でも 私は死刑に反対する。



by yuko8739 | 2012-02-21 11:13 | 社会 | Trackback | Comments(0)
バレンタイン
今年、バレンタインの前の日には 我が家の男性二人と私にまで!娘と孫のはなが共同制作した 
バレンタインのお菓子が届いた!うれしい!おいしい!・・・



なんでも手作り派の私は、今年のバレンタインも 生チョコとチョコケーキを作った。
手の温度が高い私は 生チョコを丸めてトリュフ型にできないので、
ただ四角く伸ばし 冷やし固めて切り ココアをまぶすだけ。

飾りもない(素っ気ない?)シンプルな四角い生チョコを作った。
それでも 我が家の男たちふたりは 幸せな顔で うまい、うまいと喜んでいた。






孫のそうたと婿には 何年かぶりに チョコケーキを焼いた。
オーブンが壊れて、新しいものに変えたら 天板が大きくなってしまい 
以前のスポンジ生地より分量を増やしたが、それでもスポンジ生地が薄くなってしまった・・・

久しぶりにしては 生地の焼き上がりは上々で さすが身についたことは 逃げてはいかないのだと納得。(子どもたちのために 数えきれないくらい作り続けたケーキだから)

ふんわり しっとりのココアケーキは、コーティングもチョコレートクリーム。
生クリームにチョコを溶かして 冷やし固めて ハートの飾りチョコを乗せて完成!





去年の末に 隣町の農家から買ったもち米があったので 前日に白内障の手術をした母に
持って行こうと思い、急に思いついて 赤飯も蒸かした。
赤飯は香りのよい湯気をあげて おいしそうに蒸し上がった。


母の手術があったりして1日遅れたが バレンタインチョコケーキを 娘宅に届けた。
大きな目をさらに大きくして そうたは喜び 赤飯もばくばく、ケーキもうまい!とにっこり・・・
こどもって こんなに食べるんだね、すごいなあ。

入院中の母の病室に 赤飯を届けたら「何を見てもはっきりして 驚いた」と元気そう。
帰りは-6度のスケートリンク状態の道を 恐る恐る帰宅。

前の日は3度もあって ポカポカと暖かく、なんだか もう春みたい。
3度って こんなに暖かいんだね・・・と手術付き添いの妹と言いあっていたけど。

また一気に もとどおりの南極状態・・・
どうしたものか、こんなに寒いのは なぜなんだろう・・・

あんまりこういう状態が続くと いくら道産子でも 寒さ疲れで 顏が暗くなっっちゃうよ・・・
春よ、早く来ておくれ~

それでも 春の兆しなのか この頃 ヒヨドリの姿をよく見るようになった。

ちょっとやかましく鳴く 大きなヒヨドリが いっぱい来ている。

りんごを庭の木の枝に刺しておくと ぱくぱくとついばみにくる。



君たちも 春の使者なんだね・・・




by yuko8739 | 2012-02-17 11:20 | おいしいもの | Trackback | Comments(0)
大好き!カリフォルニアばあさん
私には カリフォルニア シリコンバレーのサンホゼに 大好きな ばあさんがいる。
ばあさんといっても 親戚ではない。

「カリフォルニアのばあさんブログ」というブログを書いている女性だ。
私とあまり 年は違わないかもしれない・・・ばあさんなんて、ごめん!
このカリフォルニアばあさんのブログが 私はたいそうお気に入りで、
毎日見てしまう。

ばあさんは 本を出すほどのプロ級の料理人だ。
私は 料理のうまい人を ひたすら 尊敬してしまう気質だ。

育った国、日本の和食に長けているのはもちろんだが、梅干しやどら焼きや甘納豆まで
手作りするほど。しかしアメリカの料理を始めとして、多民族国家アメリカの横顔を
垣間見せてくれる、スペイン料理や中華料理、エスニック料理、パンやお菓子も 
なんとまあ、夢のように おいしそう。

写真が上手。
飼っているワンコ、チビの写真がかわいい。
ユーチューブで動画も満載。
サンホゼの町の ごく一般的な住宅と住まい方、近隣とのつき合い、庭の花、
コストコの商品情報などもいっぱいで 好奇心旺盛な野次馬としては 興味が尽きない。

庭の土ネズミとの戦いなど 笑ってしまう。
最大の魅力は・・・ばあさんには ユーモアがある。
ユーモアは 読む人を 幸せにする。

率直で シンプルで それでも本質は正義の人、挑戦をあきらめない人。
等身大の喜びや楽しさ、哀しさも。日々のあれこれを綴ったブログには 爽快感がある。

そして 驚くほど多彩な料理のさまざまな工夫や実践、果敢な挑戦には 
学ぶべきことが多い。

鹿児島のご両親のことを綴った話などには ときに胸がいっぱいになる。
ばあさんは アメリカ人の夫 じいさんのことも書いているが その描写はユニークで
映画を観ているみたい。ついほほ笑んでしまうエピソードばかり。

昨年の震災以降は ばあさんのブログでも さまざまな支援や反原発運動のサイトを
紹介し続けている。

ブログの冒頭には 今、こんな記事がある。
放射能に汚染された花粉から 子どもたちを守るための運動だ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

福島県いわき市の「マスクアクション」からのお願いです。

いわき市は日本一の杉花粉飛散量ですでに花粉が飛び始めておりますが
子供用のマスク数が圧倒的に足りません。 
福島県全体では妊婦、乳幼児、18歳未満の子ども達の必要マスク数は
花粉時期120日として4千万枚必要になります。
もしマスクをご支援頂ける場合は当方の住所に送付して頂いて結構です。
3月末まででしたら倉庫も車両も確保してありますので大量の際はご連絡頂ければ幸いです。
何卒宜しくお願い申し上げます。
〒973-8404
福島県いわき市内郷内町立町16-3
行政書士 新妻邦嗣 事務所
090-8788-9175
hrc.4st@gmail.com
ACTION & JUSTICE PROJECT

桜丘の母さんからの拡散リクエストです。 花粉マスクが良いと思われます。
朝日新聞 「被曝予防に花粉マスク有効 セシウム通さず 東大実験」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

といったふうに平和や安全、子どもたちの未来を守るため、被災者支援、
反原発運動などに ばあさんのブログは 一役も二役もかっている。


 
カリフォルニア サンノゼから いちじんの風のように ばあさんの声が届くと
私は知らず 知らず 笑顔になる。 


ばあさんは いつでも カッコいいよ~

北海道から 応援しているよ~

いつまでも 元気でいてね・・・



by yuko8739 | 2012-02-16 11:50 | 社会 | Trackback | Comments(1)
味噌の仕込み
毎年、大寒のこの時期に欠かせない仕事は・・・味噌の仕込み。
毎年3セット24kgの味噌を 20数年間仕込んできたが、昨年の味噌が残っているので
今年は 2セット16kgを 仕込むことにした。(1セットで8kgの味噌ができる)

昨夜は 昨年仕込んで 現在食べている味噌を別の容器に移したり、
厳寒のなか 物置から樽や大ざるなど 道具を出したり、麹と塩を混ぜて 
塩麹にしておいた。大豆は洗って大鍋に入れ 水につけておいた、これで準備完了。

そして今日、1セットめはすでに仕込が終わって 2セットめの大豆を 煮ている。
大豆が柔らかく煮えて ひと肌に冷めたら 塩麹と混ぜて 大豆の煮汁を加え
おにぎりを握るように味噌玉を作り、焼酎で消毒した容器に(空気が入らないように)
打ちつけるように 入れていく。






味噌の表面に塩でふたをして、焼酎を振りかけて ラップをしてできあがり。
重石をする人もいるようだが、私は今まで しないで作っていた。
空気の遮断のために お皿程度の重さのものを 置いてみようか・・・

多少の手間ひまはかかるけれど 1年のうちに半日だけのこと。
それで 1年間は自分で仕込んだ 安全で 安心な とびきりおいしい味噌が
食べられるのだから、できる限りこの仕事は続けたい。




毎日 自分の仕込んだ味噌で作る味噌汁を 味わうたびにああ、やっぱり 
香りがよくて おいしいなぁ・・・と思わずにっこりしてしまう私。
もう他の味噌で 味噌汁を作ることは 考えなくなった。


大寒のこの時期に、外にうず高く積もった雪を眺めながら 大豆を煮るもうもうとした湯気で窓を曇らせ、「なんて 甘い!」と 煮大豆をつまみ食いしながら 
私は ずっと この仕事を続けるのだろうなあ・・・からだが続く限り。


容器のふたを開けると ふわーっといい香りのする 秋の黄金色の味噌を 夢みながら・・・
おいしくなあれと 味噌玉に 魔法の声をかけながら。

手前味噌、一丁上がり!
(1年前の2月に仕込んだ味噌)




by yuko8739 | 2012-02-12 11:40 | おいしいもの | Trackback | Comments(0)
春呼ぶ和菓子
2月は 記録的な極寒の真冬日が いつまでも続く。
外は吹雪のある日、仕事で和菓子の店を訪ねた。

店は誰も知らないような 古い商店街の一角にあった。
時間が止まっているような場所・・・
それでも 店に入ったら 一気にこころが薄桃色に染まった気がした。

桜餅、うぐいす餅、お雛さまや桃の花の生菓子・・・
ああ、もうすぐ春なんだね。



こんなに寒くても 日脚が伸びて 日中に陽が照ると 少しの時間なら
ストーブも消せるようになった。

掌(てのひら)に乗る 美術品のような干菓子の愛らしいこと。
こういう和菓子ひとつとってみても 日本という国は なんと美しいのだろう。


繊細な手仕事の国・・・四季折々の自然の感受性が どんな手仕事にも感じられる。
職人さんは きっと息をつめるようにして 細かな作業に集中するのだろう。

花びらの細やかなひだや 葉脈のひとすじまでを 再現する。
ひな祭りのための飴菓子、ガラス細工のような有平糖(あるへいとう)の写真を見て驚いた。
食べてなくなるお菓子にも この芸術性!

自然を再現する職人技に 感動しきりだった。


春を呼ぶ定番の桜餅は うっとりするほど美しい。
薄桃色のもち米のなかの香りのいい小豆餡と それをくるむ桜葉の塩の塩梅が絶妙。

求肥で白餡をくるんだお雛さまの形の生菓子も 優しいおいしさで心に春がしみて
いくような 安らぎを感じる。



ああ、至福の時間・・・
和菓子って ひらがなの感じがする。

とても やさしくて こころにしみる

おかしが はるをよんでくれるみたいな やすらかなきもちになる

にほんじんで よかった・・・








by yuko8739 | 2012-02-11 22:00 | おいしいもの | Trackback | Comments(0)
悪夢
私は住んでいる自分のアパートが 流されているのが わかった。
今にも水は 1階のこの部屋に 浸水してくるだろう。 
混乱したまま思う。小さな子どもたちだけは どうしても守らなくては。

津波が 私たちを飲み込もうとしていた。
ベランダから 燃えている建物が見える。
こうこうと燃えさかる火は 水面に写り なぜかきれいだった。

多分、私は死ぬだろう。
多分、子どもたちも。

でも 神さま 子どもたちだけは お助け下さい!

私は小さな子どもふたりを なるべく高く抱き上げた。
~水がやってくるから 浮かぶものに つかまりなさい。
お母さんが 水に沈んでも 絶対に生きるんだよ~


私は そう絶叫して 目が覚めた。



地獄から 生還した。




もうすぐ あの日から1年が経とうとしている。

昨夜、3・11の日に 福島で被災された方と仕事でお会いして お話を聞いた。
内陸だったので 地震こそあれ 津波は知らなかったという。

淡々と語り 4月には新潟からのフェリーで 北海道に戻れたと語った。
ただ、ほぼ1年近く 故郷にいて働いていたが 現実感がないとのこと。


夜、私は寝つきが悪く 何度も肩の痛みで浅い眠りから覚め それを繰り返していたら・・・
この夢を みた。

目覚めて 夢だとわかっても 子どもたちが心配で 恐怖で心が高ぶった。
夢のなかでは 子どもたちはまだ 小さかった。

多分 被災された方々の恐怖は 私の一瞬の悪夢に比べて 途方もないものだろう。
その後の混乱、飢え、寒さ・・・身内を失う壮絶な悲しみと苦しみ。

それに加えて 放射能の恐怖。
見えない 恐怖。
言葉には 尽くしがたい。



昨年から 被災しなかった自分までもが 長い間 深く傷ついているのはわかっていたが、
一瞬の夢でも 私には 思いもよらない体験だった。

今 ふたりの子どもたちを 腕がしびれるほど高く抱き上げながら 迫りくる冷たい水に 
死を覚悟した自分を思う。


被災された方々よ、私には 夢だったけれど これが あなたの現実だと思えば 
私の涙は ただとめどなく 流れるだけです・・・ 





by yuko8739 | 2012-02-08 09:11 | 社会 | Trackback | Comments(0)