ずっと私は子どものための ボランティアがしたかった。
仕事を持つ前には 地域の子ども文庫の活動をしていた。
ケーキやプレゼントを手作りし、ろうそくを灯し クリスマスお話し会。
文庫の本を買うための秋のバザーは、青空市のようだった。
家庭菜園の泥付きの野菜や、不要な日用品を何日も前から集め、
当日は 値段をつけて きれいに並べた。
メンバーの手作りのお菓子やいなり寿司や赤飯、蒸したてのまんじゅうなど
食べ物には人垣ができた。
すべて 大好評で 終日子ども達の笑顔がいっぱいだった・・・
幸せだった・・・
しかし、いつの間にか地域には子どもが減り、文庫には誰も来なくなった・・・
私は今、仕事と家事、そして本や映画、自然関係など4つの会の活動を続けている。
これは すべて自分の好きなことをしているので 充実しているが、
生来子ども好きなので 子どもにかかわるボランティアをしたいと いつも思っていた。
昨年の秋に「DV被害者支援者養成講座」を受講し ボランティア会員の登録を
したときに、DV被害者の子ども達のための会があることを知った。
私は そのときから 来年はDV被害者の子どもの居場所で、
ボランティアを始めようと 決めていた。
子どもは あらゆる生きる希望の象徴であり、大人が命をかけて見守り、
育み、できうる限りの愛を与えるべき存在だと 私は信じている。
そして 子どもというのは 喜びそのものだから・・・
昨年秋には このDV被害者支援団体の会報の製作を依頼されたが、
今年2月にも同様の依頼があり、今もこの団体の助成金のために
報告書を作成している。
送られてくる多くの原稿の PCへの打ち込み作業をしている。
始めは難儀で時間のかかる作業だと思い、多少閉口していたが、
次第に集まってくる原稿をじっくり読み、それを一字一字打ち込みながら、
胸に ある思いがこみ上げてきた。
なんという 人生なのだろう・・・
暴力とその後遺症によって このように何年も何年も 苦しまなくてはならないのか・・・
なんという理不尽だろう・・・
私がやっていることは 救われた女性たちの切々とした生の声や、
支援の方々の苦悩や 試行錯誤を深く知る作業そのものだった・・・
これこそ「私の仕事」だった。
それを 知るための。
子どものための活動の会議に 誘われて参加したときに 運営委員になってほしいと
頼まれて 私は承諾したが 会議を進めていくにしたがって、私は愕然とした。
今春から母体の会から独立するそうだが、ほとんど予算というものが ない・・・
4月から年度がかわったら 私はすぐに寄付をするつもりだが、
多分、個人の寄付では とうてい間に合う金額ではないと思う。
子どもやスタッフのボランティア保険、借りている家屋の光熱費や暖房費。
今まで出していたスタッフの送迎への交通費も 今年は支払わないことになった。
支払えないのだ・・・お金がない。
簡単なパンフを作り、寄付を集めに歩かなくては ならないかもしれない・・・
企業や団体は、こういうことへの理解が あるのだろうか。
しかし子どもたちを 放ってはおけないと思う。深く傷ついているかもしれない
子どもを前にして、何もしないわけには いかない。
子どもを守るべき母親は、自分自身がDVの後遺症で 心理的にも、
社会的にも、心身ともに葬られているような状態の方も多い。
無気力や孤独と恐怖で 人や社会とつながることが 難しかったりする。
そして そのトラウマや恐怖がいつ終わるのかは 誰もわからない。
私は 人間をこういう状態にしてしまう暴力が 心底憎い・・・
子供たちの母親は そういう状態なのだ。
母を気遣って 自分の傷を隠し 殻に閉じこもってしまう子どももいるだろう。
だからこそ 安心で 安全で 自由で 自分自身が肯定されている、と
子どもが感じる居場所、
どんな自分でいても 許される居場所が 必要だ。
DV被害の女性の子どもたちには 社会的な援助が、
大人たちの理解ある支援が、どうしても 欠かせない。
3月中に また2回のスタッフ会議。
そして 4月はじめの土曜に 私は初めて 子どもたちに会いに行く。
4月の誕生会のために 簡単なおやつをいっしょに作るのだ。
はたして 子ども達は どんな顔で 私を迎えてくれるのだろう・・・