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わが町に「子ども食堂」誕生

8月に 貧困問題の専門家、湯浅誠さんの講演を聞く機会があり、
私は深く心が動いた。
湯浅 誠さんは社会活動家。
反貧困ネットワーク事務局長、元内閣府参与。
2008年末に 日比谷公園で行われた『年越し派遣村』の”村長”としても
広く知られる。2014年から法政大学教授。

湯浅さんによると、今、日本の相対的貧困(平均年収の半分以下で
暮す世帯)は、 なかなか目に見えにくくなっている。
一見しただけでは 誰がそうなのかわからない。

しかし貧困家庭の子ども達には 集って食べる場所や
人間関係を作る場所、見守られていると感じる場所が絶対に必要なのだ。
話を聞いてくれる大人が そばにいなくてはならない。


数年前から、私の町にも「子ども食堂」ができることを 私は夢みてきた。
地域の誰もが 来られる場所。
好きなように過ごせる場所。
子どもも 大人も お年寄りも。 

そんな場所を 多くの人が無理をせずに 少しづつ
力を出し合って作れたら、どんなにいいだろうと感じた。

湯浅さんは「小学校区に1カ所くらい そんな場所ができれば
いいですね~」と明るい笑顔で語った。
そんなふうになるように、地域の皆さんと力を合わせたい、と私は思った。

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つい先日、湯浅さんの講演会で知り合った、養護教諭の方から 
わが町に「こども食堂」がオープンすると聞いて 驚いた。
小学校には チラシが配布されているという。

しかし、町会やショッピングセンターなどには 
なんの告知もなかったので、突然知ったことだった。
チラシをもらったので オープン初日に行ってみることにした。

折悪しく その日は台風が北海道を直撃した日。
前日、暴風雨の激しさで 何度も目が覚めた。
朝も異常な風と雨が 吹きすさんでいた。

こども食堂に連絡をしてみたら、オープンしているという。
台風は 次第に過ぎていき、午後から「子ども食堂」に行ってみた。

その施設は 老人のデイサービスセンターの施設内にあり、
「カフェ」として 毎月曜に解放されている場所だった。
町の中心地 商業施設のすぐそばなのに、南面の大きなガラス窓が開放的。
外は秋のすすきの野原が 広がっている。
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入ってみると、ランチのカレーを食べ終えて、ちょうどオープン
イベントの「餅つき」を 楽しんでいる最中だった。
「よいしょ、どっこいしょ」と、石臼の餅つきは みんなの笑顔に
囲まれて 楽しそう。
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つきたてのお餅を入れたお汁粉も ボランティアの方々の手製だった。
認知症の方々も穏やかなお顔で同席して、おいしそうに
お汁粉などを食べていた。

ランチメニューは カレーとスープ、焼いた手羽先とゆでとうもろこし。
スタッフは このデイサービスの20代から40代の職員。
「認知症カフェ」の家族の方々が ボランティアとして料理など担当。

代表の40代の女性と少し話をしたが、子ども食堂は
毎月曜、月に4回開く予定、今後は毎日でも開きたい、と意欲的。
餅つきの様子を 楽しそうに眺めていた。

また、町内の企業が金銭面の援助もしているという。
社会福祉協議会からも 支援があるようだ。

この開放的で明るいスペースで、日差しを一杯浴びながら、
ご飯を食べたり 宿題もしたり。
トランプしたり 絵を描いたり・・・
なんだか、とても心地よく 善い場所だった。
自然にも 祝福されていそう。

家のなかで 働く親の帰りを待ちながら、ひとりご飯を食べる
子どもの姿を思う・・・そんな子どもたちが こういう場所に来て 
おじさん、おばさんと話す。
食べる。笑う。遊ぶ。
外でバッタやチョウも とる。
花も摘む。

生きるって 楽しいな。
独りじゃないんだな。
そんなふうに 思ってほしい。
 
私たち大人は 子どもに笑顔で 
そういうメッセージを伝えたい、と思う。

わが町にできた、すてきな「子ども食堂」と 
深くかかわりたいと 私は思っている。
# by yuko8739 | 2017-09-20 08:04 | 地域 | Trackback | Comments(0)

妹宅で炭焼き会/母たちに敬老の日弁当

すぐそばに住む妹宅に 長女と孫が帰省したので、
母も参加しての炭焼き会に 誘われた。

その日の午前中は「ぶーばー」に会いに 妹の孫ちゃんRが来ていた。
絵本を10冊も読んでやったら うっとりと幸せな笑顔。
この顔を見たくて 何冊も何冊も 読んでしまう私・・・
わが家の「絵本文庫」は 時を超えて こうして感動を伝えてくれる。

炭焼きの時間になったので 前夜作ったチーズとホタテ、ベーコンと
ポテトのグラタンを焼いて、母の好きないなり寿司も持参して 妹宅へ。

雲のない快晴の秋空、風はあるが気持ちのよい「炭焼き日和」
甥は炭おこしのプロ? 頼もしい。
笑いが途切れることなく 炭焼きは絶好調!
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甥が言う。「小さい子がいるって ホントいいよね・・・」
「そうだよね!みんな幸せになるよね・・・」と私。
そう、子どものいる風景って なにか豊かなものが魂に満ちてくる。
すべての人に笑顔を運び、すべてのことを歓びに変える、
すばらしい力を 子どもは持っている。

みんなでゲタゲタ笑いながら、妹一家も母も私も幸せな気分。
鶏肉や豚肉、牛タン、じゃがいもバター、イカやホルモン、
ウインナーなどを堪能して 締めの焼きおにぎりまで
最高においしくて 楽しい外ご飯だった。
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ウイスキーコークが 炭焼き料理にぴったりでおいしかった!
つい飲み過ぎてほろ酔いの私は 妹の孫ちゃんと
秋の花を探して そこいらを散歩。

きれいなユウゼンギクやネバリノギク(帰化植物)、ツリバナなどを
ぶどうの葉に包んで花束にして 大ばあちゃん(母)にプレゼント。
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デザートのメロンやケーキを食べているうちに、
はっと気づくともう午後4時!あわてて帰宅。 
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午後7時頃から 敬老の日に母たちに毎年届けている、
お弁当やお菓子を仕込んだ。
お菓子は、ふたりの母が大好きな「フロランタン」

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敬老の日は 北海道に台風襲来とのことで 
1日早く敬老の日弁当を宅配することにして、
翌朝から仕込み始めた。

メインはエビフライとチキンカツ、副菜は粉ふきかぼちゃの煮物、
焼きなすのカツオ醤油和え、ほうれん草の胡麻和え、だし巻き卵、
長いもの梅酢和えなど。
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ご飯は、ゴボウと人参や小揚げ、鶏肉、マイタケ、シメジ、
シイタケをおいしい出汁で煮て、もち米入りの「五目きのこご飯」に。
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朝から作り始めて4時間以上かかって、やっと完成!
きれいにおいしくできて 大満足!!!

日頃忙しくて 何もできないので、年に数回は心を込めて 
手作りのおいしい料理を 母たちに届けたいと思っている。
もし自分が 母と同じ立場なら こういうプレゼントが
一番うれしい・・・

夕方、ケアハウスで 友達と私の敬老弁当を食べた義母からTELがあった。
「家族のいない友達と食べたら、『こんなにおいしいきのこご飯を食べたのは、
はじめて!』と、とても感激して喜んでいたよ。
きのこご飯の味付けが最高で、とてもおいしかった。
作るのが大変だろうに、いつも本当にありがとう!」

母も「なにを食べても おいしいね。
いつも時間をかけて 母さんにおいしいものを作ってくれてありがとう」
そんな言葉をもらって 幸せです・・・
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# by yuko8739 | 2017-09-18 10:48 | 家族 | Trackback | Comments(0)

悪夢

夢をみた。
あまりにリアルで 目覚めても 恐怖が消えない。
口の中が ざらついている。


家人に 必死に押し殺した声で 私はこう言っていた。
「戦争に反対だなんて 家の外で言っちゃダメ!
家の外で 絶対にそんなことは 言っちゃダメだよ!!!」
家族で顔を見合わせながら どきどきしながら 窓の外の光景を
ふるえながら 見つめていた。

たくさんの男たちが 窓のない大きなグレーの大型バスに、
制服姿の男たちによって 押し込められそうになっている。
おじいさんが 離せ~と必死の形相で叫びながら 抵抗している。

戦争に反対している人々を 強制連行している。
制服を着た無表情な男たちが 大勢の人々をを
うむを言わさずに、どんどんバスに押し込んでいる。

まさか!こんな時代になったの!
私は、恐怖で固まりながら 自分の生きている時代に 
こんなことが起きるのか、と茫然自失。

まさか、最悪の未来が やって来たのか。
私は心臓が張り裂けそうな恐怖に 襲われた。


仲間たちとデモをくり返して「戦争反対」と あれほど叫んだのに。
こんな未来が とうとう来てしまったのか・・・
みんなは こんなことは起こり得ないと 高をくくっていただろう。
だからついに こんなふうになってしまった。

また地獄が やってきたのだ。
多くの命が失われ 言論の自由もない世の中になった。
それでも どうしても 生きなくては。

私は密かに そう思っていた。
こんな時代を どんなことをしてでも 生き抜かなくては。

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そして ふと、目が覚めた。
ずっと胸の鼓動が 恐怖のために高鳴り続けた。
あまりにリアルで 呆然自失になった。
やっぱり こんな時代がやってきたのか、そう感じていた。

夢でよかったと思えたのは、時間が経ってからだ。
なぜ、こんなに「戦争」が リアルなのだろう。

全世界が、恐怖に震えながらも 北朝鮮のミサイル発射を
どうしても 止められない。
我が北海道の上を 2度も通過した。

「日本も戦闘態勢を 強化しなくては」
「なにを言っても 通じる相手ではないから」
「今に確実に 核開発を成功させるだろう」
最近のそんな現実と風潮が 戦争の悪夢を産んだのか・・・

自由というものが どれほど人間にとって大事なものかを
年齢を重ねて より強く意識するようになっている。

自由は かけがえがなく、いったん失われたら とりかえせない。
そんなふうに 感じるようになっている。
最も大切な自由と人間の尊厳を 守れなくなる未来がやって来るのか・・・

行方が見えない時代に そんな不安が高まるのを、
魂は素早く察知して 戦争の悪夢を見せたのか。

戦争という絶望が 身に沁みた・・・
# by yuko8739 | 2017-09-17 14:53 | Trackback | Comments(0)

孫たちに/秋のはじまり

珍しく孫1号が 先週我が家に泊まりに来た。
この春までは毎週のように 我が家に金土日と、泊まっていたが。
今では 思春期後期?となり 泊まることも珍しくなった。

孫たちが来ると、私は張り切ってヘトヘトになっても 好きな料理を作り!
おやつには手づくりのパンやドーナツ、ピザや草餅なども仕込んで 
いつもおいしく にこにこと食べた。
しかし、孫の来ない日が続くと かなりの手抜き?
まあ、それでも これが孫たちの順調な成長なのだろう。

君たちとは、また再び深い出会いをするために、今はこうして
離れることが 必要なのだろうと思う。
かっての自分が そうだったように。

肉親への愛も憎しみも 人の成長には どちらも必要なのだ。
本気で愛するためには 本気で憎まなくてはならない時期もある。

魂の深いところで いつかなにかを 取り戻すためにも。

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私が中学生だった頃、父がいなくなることを たびたび夢想した。
私にとって 父は自分勝手で感情的な男性優位者の象徴だったから。
私は「家族に君臨する男」を 心底憎んでいた。
父が大嫌いで 父とはほとんど会話もしなかったと思う。

十代という時期は、権力を憎み、批判することは快感なのだ。
残念ながら その頃の家庭では「民主主義」は機能しなかった。
私はその時期 自らの魂のなかで 心理的な「父殺し」を行っていたのだろう。


そんな私だったが、父が63歳でガンで亡くなったあとに、 
父の釣友だちから聞いた言葉に 衝撃を受けた。
「お父さんはね、釣りのときのキャンプとかで 
娘(私)が自分になつかないから寂しいと、悩んでいたよ・・・」

信じられなかった。
父権の象徴のような「強い頑固な父」が、寂しがっていた???
私のことで?本当に?
そんなことを 部下に愚痴る人だったのか・・・

今では、わかる。
頑固で家のなかに 君臨しているかのような父の寂しさや孤独、
家族のなかでは 父を理解せずに 嫌う子どもたち。
果たされなかった 夢。
もしかしたら 父は小説を書きたかったかもしれない。

父は本質的には 寂しがりやで涙もろく、文学を愛し、正義に燃えて
組合活動に没頭して 大いに仲間たちに愛された。 
多趣味で 釣りや写真を愛し、スポーツも好んだ。
そして 心底母を愛した。

ハンサムだった父の なにを憎んだのだろうか。
子どもだった私は。


父よ、寂しかったですか・・・
寂しかったと思う。
今はわかります、その気持ちが 身に染みて。

父よ、あなたを抱きしめたい、ごめんなさいと謝りたい。
今は このわが胸のなかに住む、あなたに深く謝罪したい・・・

もうひとつ、私には忘れがたい父の思い出がある。
3人の子どもを産み、子育てでひたすら忙しかったある日、
実家にいったときの 父よ、あなたの言葉も忘れられない。

「お前を大学にやらなかったことを 父さんは後悔している・・・
ごめんな・・・」強気な父が 泣きそうな顔で そう言った。

~頭がよい長男は進学して当たり前、ふたりの娘は 高卒でいい~
父はそう感じていたと思う、あの時代の多くの父親と同じように。 
しかし自分が本気で進学を望んだのなら、どうにでもできたはず。

結局、進学しなかったのは自分の意思だと 父には伝えたが。
その父の言葉を聞いて 私は、泣いた、大泣きした。

父のその言葉が 私の人生を飾る勲章になるほどに うれしかったのだ。
父の愛と深い後悔、そしてそれを自らの言葉で 私に伝えてくれたことが
うれしくて 私は涙がとまらなかった。

父は私を進学させなかった後悔を 人生の終わりまで語り続けたと
母からその後も 繰り返し聞いた。

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こんなふうに、孫たちよ、
時間が過ぎないと わからないことがある。
親の思いは 君たちが親になって 初めて知るだろう。

今は世界の中心が自分で。
自分の周りで勉強や友達や初恋やスマホも ぐるぐる廻るばかり。
渦に巻かれて 自分しか見えない。

バカで愚かな大人は 自分勝手で 生活に疲れていて。
つき合ってられない。
それは そうだけど・・・

親のなかにある 耐え難く逃れようのないもの。
失われた夢、生きるかなしみに、
いつか君たちも 出会うだろう。

そういうものに、君たちが手を差し伸べ 抱きしめようとするとき、
そのときこそ、君たちを「大人」と呼ぼうか・・・
大人の門の入り口で 君たちがやって来るのを
私は 愉しみに待ちたいと思う。

でもね、忘れないでほしい。
大人のなかにも 6歳や15歳の子どもが住んでいることを。
大人は 過ごした年齢のすべてを 魂のなかに持っている。

ときに それを 忘れてしまったりするけれど。

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今日の最低気温は 14℃、
来週末には もう12度台に下がるらしい、涼しいというよりも寒い。
日曜の夜に 海の大橋を渡って 泊まった孫を自宅に送った。 
 
オレンジ色の大きな月が 夜空に浮かんでいた。
その輝きが 波のない静かな港に「光の道」を作っていた。
わが故郷の港を静かに彩る オレンジ色の光の道。
きれいだね、と孫につぶやき 美しい夜の港に見惚れた。

夜のウオーキングのときには 命を継ぐ虫たちの声が
ひときわ大きく響く、生と死を 想うひととき・・・
もうすぐ寒い季節も やってくる。

子猫たちがいなくなったウッドデッキには 
激しく冷たい雨が降った。
# by yuko8739 | 2017-09-14 15:23 | 家族 | Trackback | Comments(0)

ニャンコたちの夏2017

すぐそばに住む妹の家では今、子猫を世話している。
甥が 死にかけた目も開かない子猫を拾ってきたのだ。
病院に連れて行き、目薬をもらい世話をして とても元気になった。
目も開き、気づくと なんと美形のニャンコ!
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妹は昨年から 猫の保護ボランティアとして活動している。
猫を保護し 里親を見つけるこの会に引き渡すまでの間、
自宅で面倒をみている。
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じゃれて 飛びまわって 今が子猫の可愛さ全開!
残念なことに 私はこのニャンコと遊んでから アレルギーを発症。
自分が猫アレルギーだなんて 知らなかったが。

目が痒くて真っ赤に充血し、鼻水じょろじょろ 咽喉も腫れてきた。
すぐアレルギーの薬を飲んだが なかなか辛い状態だった。
それでも、このニャンコの愛らしさに 薬を用意しながら
猫と遊びに行っている。

昔私の小さい頃には 犬も猫も飼っていた我が家。
布団のなかで猫といっしょに寝ると あったかくて気持ちがよかった。
よく紐を引っ張りながら 走り回って猫と遊んだものだ。

拾い主の甥は モデルのミランダ・カーのように
子猫が美形だからと、ミラと命名。
妹は「誰か、大事に飼ってくれる人はいない?」
でも、私自身も友だちも みんなシニア!
ペットを飼う能力はないかもしれない、明日の自分にさえ自信はない。

でも、飼ってくれそうな人を探そうと思い、
大事にしてくれそうな人に「超美形の猫がいるよ」と声をかけ、
メールに写真を添付して「里親募集中!」と宣伝。

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そんなある日、今度は我が家のウッドデッキに 黒猫の母猫と
6匹の子猫がなんと 昼夜滞在中!!!
同じ町会の独居のシニア男性や 高級な猫を多頭飼いしている夫婦が
餌をやっているので、どんどん町内では のら猫が増えている。

この黒い母猫も そんな環境から生まれた猫で 顔なじみだった。
でも、その猫が6匹の子持ちとは!
ちょうと妹宅のミラと同じく 子猫たちは生後2ヶ月くらいか。

きょうだいでじゃれ合ったり、母猫のしっぽに飛びついて遊んだりと、
野良猫なので 窓を開けたり顔を出すと 怯えてシャーと 威嚇する
だからいつもカーテン越しに 子猫と母猫を眺めていたが、
おもしろくて 1日がすぐ終わる・・・

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特に 母猫のまわりに猫団子のように子猫が群がる
「おっぱいタイム」は最高!
母子共々 幸せな平穏な風景・・・微笑ましくて ちょっとうっとりする。
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それでも 食べものをやるのは不幸な猫を増やすだけ。
餌をやりたい気持ちと戦いながら どこかに保護してもらう方法はないだろうか・・・?
今後はどうなるのかと困惑していたら 数日間の滞在は あっけなく終わった。
昨日猫一家は 突然消えた。

多分、餌をくれる家に 引っ越したのだろう。
わが家のデッキを運動場のように駆けまわり 庭で昼寝をしていたのに。
なんだか姿を見せなくなって ほっとしたが。
同時に とても寂しくなった。

生き物がいる空間は 私を幸せにしてくれた。
カーテン越しに 子猫の姿を探している私がいる。

多分、この地域に住んでいると思う。 
あのニャンコたちと またどこかで会えるだろうか・・・



 
# by yuko8739 | 2017-09-10 10:41 | 地域 | Trackback | Comments(0)